耐えたその先に待つもの
「だ、誰か……助けてくれ……」
朦朧とする意識の中、精一杯助けを求めた。
俺は今、最大の窮地に立たされていた。長い時間に及ぶ苦痛に身体は悲鳴をあげ、最初は耐えられたが、いつまでも続くこの苦しみに限界はとうに超えてしまっていた。
「頼む……誰か……誰か……」
思うように身体が動かず、指一本動かすことすらままならない状態。しかし、それでも必死に腕を伸ばし助けの糸を手繰り寄せようとする。
「俺は……俺は……」
俺にはまだまだやりたいことがあるんだ。頑張って彼女を作って、映画観たり買い物したりと楽しい時間を過ごすという目標が。こんな所でくたばるわけにいかない。
「誰か……誰か――」
「え~い、さっきからうっさい! いい加減黙って寝てろ、バカ悟史!」
傍らにいた栞が、氷水に浸していたタオルを絞り、俺の顔に叩き付けるように投げてきた。ビターン、という小気味良い音が鳴り響き、そのタオルを剥がしながら返す。
「いってーな、栞。病人相手にその態度はなくね?」
「鬱陶しいのよ! 何が「誰か……誰か……」だ!」
「いや、だってしんどいから」
「今私が看病してるでしょ! それに、無駄な体力使わないで大人しく寝てろ。あんたは熱中症で倒れたんだからね。熱、中、症、で!」
俺のおでこをぺちぺち叩きながら喚く栞。
そう。俺は自分の部屋で熱中症で倒れたのだ。ソファーで寝かされ、それを栞が看てくれていた。
今年は稀に見る猛暑であるらしく、気温三十度後半が当たり前の日々が続いている。そんなせいか、世間では熱中症で倒れる人が多く、病院に運ばれる患者が過去最高人数に達したとニュースで取り上げられていた。
それを見た俺は「恐い恐い。こんなくそ暑い時に外に出れるか」と、部屋で過ごす事に決めたのだ。ここなら太陽の照り付けもなく、そして空気中の熱気も受ける事ない。熱中症とは無縁の場、とそう思っていた。
だが、午後になると俺の身体に変化が訪れた。
トイレで用を足し、ソファーに戻ろうとしたら軽い目眩が起きた。フラフラと揺れ、身体を壁に寄せるとそのまま下へ滑るように座り込んだ。
「あれ? どうしたんだ?」
疑問に感じながら立ち上がろうとするが、力が入らない。むしろどんどん力が抜けていく。身体は怠くなってきて、頭もボー、っとする。身動きが出来ずその場で伏していたのだが、ちょうどその時に栞が遊びに来た。
「ちわー! 遊びに来たわよ悟史」
ドアを豪快に開け、栞か挨拶してきた。
「お、おう、栞。いや、お前ドア開ける前にチャイムを鳴らせよ」
「いやよ、面倒くさい」
「面倒くさい、って……」
「他人の家ならともかく、悟史の家に上がるのにチャイムはいらないでしょ」
「俺は他人だろうが……」
「ヒドイ……幼馴染みを他人扱いするなんて……」
シクシク、と泣く真似を始めた。いつもなら突っ込んでいるが、今はそんな余裕はない。
「いや、もう、いいや……」
「んで? 悟史何やってんの?」
「いや、ちょっと……目眩が……」
「モアイが?」
「目眩だよ」
「何が目眩よ。悟史のくせに生意気ね」
いや、目眩に生意気もくそも、ある、か……あっ、やばっ……。
「ちょっ、悟史!?」
俺はそこで完全にダウンし、バタッ、と床に倒れ意識が朦朧とし始めた。しっかりと意識が戻った時はソファーで寝ており、そして栞が介護をしているという現在に至る。
「まったく。私が来てなかったらどうなってたか。顔真っ赤にして目が虚ろに成りかかってたし。来て早々やめて欲しいわ」
「まさか室内で熱中症になるとは思わなかったな~。運が悪かったんだな」
「運ちゃうわ! 部屋をあんな状況にしてたら誰でもなるわ!」
頭に響くぐらい声を荒げながら、栞はその状況を一つずつ挙げていった。
「まず一つ! なぜエアコンを使わない!」
ビシッ、と指差すその先に、我が家のエアコンがあった。
「電気代節約」
「アホか! 使うべき時に使わんで何のための家電よ! あれはただの箱か!?」
そりゃあまあそうなんだが、独り暮らしの身では気にするだろ。エアコンってメチャクチャ電気使うんだぜ? 電気代もタダじゃないんだ。節約は必要だろ。
そんな俺の気持ちを無視して、栞が二本指を立てる。
「二つ! エアコンを使わないなら、何故窓を開けなかった!」
今度は窓を指差す。今は栞が全開にして、入り込む風でカーテンが揺れている。
「虫が入らないために決まってるだろ」
「網戸があるでしょうが!」
「一部が壊れてて、そこから入ってくるんだよ」
ちょっと前にハエや変な羽虫が入り込み、鬱陶しくて仕方がなかったのだ。退治するのも時間が掛かり、同じ思いをしないためには当然の処置だろう。
「だったら新しい網買ってきて直せや!」
「そんな金はない」
「なら、せめてガムテープでも貼ればいいじゃないの!」
「……あっ」
「気付かなかったんかい! 部屋に入るまで分からなかったけど、完全密閉されたこの部屋の熱気ときたら! エアコン使わず窓も閉めてたらそりゃなるわ!」
ガミガミと母親の説教のように言い続ける栞。まあ、言ってる事は正論なので何も言い返せない。
「そして三つ! というか、これが一番バカらしいんだけど」
「なんだ?」
「このくそ暑い中、何で長袖着てるのあんた!?」
栞の言う通り、俺はスウェットの上下を着ていた。色は灰色だ。今は腕と脚の部分は捲っている。
「いや~、暑さの耐性を身に付けようと。昔野球部でさ、夏に長袖のインナーを着て練習してたんだ。暑さに慣れるために。普段それで慣れてれば、試合で半袖着れば楽になる、って。今年は猛暑らしいから、負けないようにそれを始めてみたんだ」
「だからって、よりによって何でスウェット!?」
「一番布地が厚いのがスウェットだからだな。これで乗り切れれば完璧だろ?」
まあ、その前にダウンしてしまったんだが。
「……はあ~。なんかもう怒るのもバカらしくなっちゃった」
極限の疲労を感じたのか、栞が頭をがっくりと落とした。
「ホント、お願いだからバカな事はもう止めてよね。軽度だったからよかったけど、普通に死ぬわよ」
「分かってるよ。反省してる」
「そう、なら――」
「次はもう少し薄手の長袖から始める」
「そういう事じゃない!」
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