仏の怒り

 ……は? は? はぁぁぁぁ!? おいぃぃぃ! ちょ、お前、何姿見せてんの!?


 俺が心で驚いていると、レイは目をパチパチと瞬きし、周りを一瞥する。そして最後に、俺と目線が会う。


 そこで漸く自分が姿を見せている事に気付いたようだ。レイの顔がみるみる赤くなり、そして――。


『キ、キャアアアアアア!!』


 レイが悲鳴をあげた。声は聞こえないが、間違いなくそう叫んでいた。


 キャアアアア! じゃねえ! 何出てきてんだよ!


 俺も声には出ない叫びをあげる。


 なぜレイは姿を現したのか。俺は軽いパニックを起こしたが、レイはそれ以上に混乱しているようだ。慌てた様子で自分の手を眺め、身体を触わっている。


 何で出てきたんかは知らんが、とりあえず一旦姿を消せ!


 俺の思いが通じたのか、それともやっと自分で気付いたのか、レイはハッ、とすると目を瞑り力を込め始めた。しかし、レイの姿は消えない。


 何してんだ、早く姿を消せ!


 そう念じるが、レイは一向に姿を消えず、レイが焦りの表情を浮かべる。


 ま、まさか……姿を消せないのか?


 どうやら俺の考え通り、レイは姿を消せないようだ。何度も力を込め、消えようと試みているが結果は変わらなかった。


 何でだ? 何で急に姿を消せなくなったんだ?


 そこで俺は1つの可能性に気付いた。


 まさか……この数珠のせい?


 俺は手首に着けた数珠を見る。恐らくそうだろう。この数珠を身に付けた後にレイが姿を現した。タイミング的にも一致する。


 じゃあ、この数珠を取らないとレイは姿を消せない?


 そう思い、俺は数珠を外そうとした。しかし――。


「こら、何しとんじゃ。数珠を外しちゃいかん」


 ガッ、と腕を掴まれ、おじいさんに阻まれる。


「あ、いや、えっと」

「外したら意味がない。さっき言ったばかりじゃろう」

「いや、でもですね……」


 マズイ、この数珠を外さないといけないのに、それをおじいさんが許してくれない。このままじゃあ、レイが姿を消せないままだ。早く何とかしないと……。


「お~う、森繁。どうした?」


 後ろから先輩が現れて声を掛けてきた。助かった、と思ったが、あろうことか先輩はタオルを肩に掛けていた。となると、当然下はオープンなわけで……。


『ギャアアアアア!!』


 レイが再び声にならない悲鳴をあげる。先輩の登場がさらに事態を悪化させた。


「先輩! 下! 下隠して!」

「はあ? 何言ってんだよ。隠す必要なくね? 別に恥ずかしくもないし」

「いいから! 今は隠して! 一刻の猶予もないんです!」

「何をそんなに慌ててんだ、お前? 女がいるわけじゃあるまいし」


 その女が目の前にいるんだよ!


 そう叫びたいが、レイの存在を無闇に周りに知られたくない。俺とレイの間で決めたその約束のせいで口に出せずにいた。


 と、取り合えず、レイには目を瞑るなりしてこの場は――。


 しかし、その肝心のレイは目を瞑る所か、この危険地帯から逃げようと歩き始めた。


 バ、バカ、動くな! 動いたら余計に――。


 案の定というか、向かった先でレイの目の前をむっさいおっさんが通っていった。もちろん、真っ裸で。


 ギャア! という悲鳴をあげて、レイは慌てて方向転換する。だが、その先でも真っ裸の男が通り、また悲鳴をあげる。


 右見て、ギャアアア!

 左見て、ヒィィィィ!

 後ろ見て、NOォォォ!


 声にならない悲鳴を連続してあげるレイ。


 ダメだ、こいつ完全にパニック起こしてる。幼稚園児ぐらいの男の子にも驚いてるし、NOォォォ! に至ってはムンクの叫びみたいになってるわ。


 これはレイの存在を知られたくない云々言っていられない。覚悟の上で声をかけよう。そう思い、俺は口を開く。


「おい、レイ落ち着っ――!」


 しかし、ガン! という音と共に頭に衝撃が襲った。次いでカラン、と床を桶が転がり、この桶をぶつけられたと気付く。


「痛って~。誰だ! 桶を投げたのは!」


 すぐさま振り向くが、そこには誰もいなかった。大方、先程走り回ってた子供達の仕業だろう。


 くっそ~、こっちは大変って時に……。


 怒りが募る中、側で身体を洗っている父子の会話が耳に入る。


「ねぇお父さん。お父さんってば」

「うるさいな。今、父さんは頭を洗ってるから少し待ちなさい」

「銭湯って、楽しい所なんだね」

「そうか、楽しいか。お前は初めて来たもんな。そう思えたならよかったよ」

「うん。なんか、遊園地に来たみたい」

「はっはっは。遊園地みたいか。そんなに楽しいか?」

「うん。だって、


 タオルが飛ぶ? さっき俺に桶をぶつけたガキ共が今度はタオルを投げ飛ばして遊んでいるようだ。もう我慢ならん、一度説教してやる、と男の子の向く方へ顔を向けた。


 男の子の言う通り、タオルが飛んでいた。しかし、それだけではなかった。桶に椅子、シャンプーの容器等、


「桶が飛んでる!?」

「待て~! 高級シャンプー!」

「俺のパンツ!」

「わ、わしの入れ歯が!」


 ギャーギャー、と騒ぎ始める人達。それから次々と飛び交う物はどんどん増え、空中をありとあらゆるものが旋回し、壁にぶつかっていた。


「何だ!? 何が起きた!?」


 後ろの先輩も驚きの声をあげ、隣にいるおじいさんも口を開けてポカーン、としていた。


 そんな中、俺だけは冷静にその光景を眺め、静かに分析していた。


 ま、まさか……。


 恐る恐る目をある人物に向ける。その先には……。


 一心不乱に腕を振り回し、目の焦点が定まらない大混乱したレイの姿があった。


 お前かっ! お前のせいかっ!


 俺はすぐにレイの仕業だと分かった。それはなぜか。


 ポルターガイスト現象。


 幽霊が見えない力により物を飛ばす現象のことであり、今現在繰り広げられている光景は幽霊のレイの仕業であった。先程の俺への攻撃もどうやら子供ではなく、ポルターガイストによりぶつけられたようだ。おそらく、姿を消せないことと大勢の真っ裸の男を目にしてパニックが頂点に達し、このポルターガイスト現象を引き起こしたのだ。そのせいだろう、いつも以上の力を発揮している。


 レイ! 落ち着け! ポルターガイストを止めろ!


 レイに近付こうと俺は立ち上がったが、その拍子に腰に巻いていたタオルが落ちる。俺、オープン!


 そして、それを見たレイはさらに顔を真っ赤にし、俺に向かって平手打ちを咬ましてくる。


「ブッ!?」


 頬に衝撃を受け、殴られた!? と思ったが、レイの平手打ちと同じタイミングで桶が飛んできただけだった。俺は床に倒れる。


「ぐおぉぉぉ、痛い痛い! 桶は痛い!」


 あまりの痛さに俺は悶絶する。


「ほ、仏様が……仏様がお怒りに成りおった!」


 今度はおじいさんが大声をあげていた。次から次へと……今度は何だ?


 俺は立ち上がり、前方を見ると――。


 ――仏が怒っていた。


 先程まで穏やかな表情をしていた仏が目を吊り上げ、口を大きく開き、鬼の形相の仏に成り変わっていた。


 どうやら、レイのポルターガイスト現象で飛び交う桶や椅子が目と口の部分に当たり、欠けるか塗装が剥がれたかして、偶然にも今の表情になったようだ。


「おお……我々のあまりにもだらしなさに、とうとう仏様の堪忍袋の緒が切れたようじゃ」


 そう言うと、手を擦り合わせながらおじいさんが床にひれ伏す。


「すいませんでした!」


 次いで先輩が五体没地。いや、乗らないでよ。


 しかし、それを起点に次々と客達が同じ行為を始めた。


「すいませんでした!」

「ごめんなさい!」

「い、命だけは!」


 空中を物が飛び交い、その下で真っ裸の男達が五体没地。


 ……何、この光景?

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