異変

 しばらくしてから俺も身体を洗うため、湯船から出る。周りがこんなん(じじい、入れ歯を洗うな!)だから、邪魔されず不快にならないようなるべく人が少ない箇所を探す。


 目でざっと見渡し、左の奥が誰もおらず空いていたのでそこを目指す。


 椅子に座り、身体をざっと流してから持参のミニシャンプーを使う。普段ならサッと終わるが、頭の中にあるモヤモヤも洗い流すかのように入念にごしごしと力を込める。その後、シャワーで泡を一気に流す。


「……ふぅ」


 入念にやったおかげか、幾分頭の中が晴れた気がする。その気分をそのまま維持するため次いで身体を洗いに掛かる。


「およ? 何処いった?」


 すると隣の席に一人のじいさんが現れた。ウロウロと辺りを見渡し、何かを探しているようだ。


「またか……。全く、人の物を盗るとはバチが当たるぞい」


 内容から察するに、どうやら持参したシャンプー等を盗られたようだ。なんか、ちょっと可哀想だ。


「あの、よかったら使いますか?」


 俺は思わずそう声を掛けた。


「ええのか?」

「ええ、いいですよ。大して残っていませんし」

「おお、それはありがたい。是非」


 じいさんは律儀に手を合わせて礼を述べてきた。その手首には数珠が巻かれている。


「盗まれたんですか?」

「ああ、そのようじゃ。これで3回目じゃ」

「3回目?」


 聞くと、どうやらおじいさんはこの銭湯の常連のようだ。


「全く。最近の者は常識を知らん。しかも、躊躇いなく当たり前のように持って行きおる。情けない」


 はぁ~、と溜め息をつくじいさん。


「持って来ないのもどうかとも思うが、使いたいなら一声掛けてくれればよいものを。貸さん、嫌とは言わんのに。昔はみんなで一つの石鹸を使い回したもんだがの~」

「ボディーソープも使います?」

「宜しいか? ありがたい。心優しい御仁じゃな」

「い、いえいえ」


 再び手を合わせて礼を述べるじいさん。シャンプーやボディーソープ一つで随分律儀なじいさんだ。


「そんな、改まってお礼を言うほどでは」

「何を言う。人に助けられたらキチンと礼を言う。これは当たり前のことじゃ。さもなければ仏様に叱られてしまうわ」

「仏様、ってあの?」


 俺は振り向き壁に描かれた仏を見る。


「そうじゃ。みな忘れておるが、あの仏様はそれはそれは高尚な仏様なんじゃよ」


 話を聞くと、おじいさんは先輩の例の話を信じている一人で、過去にここに来る僧達と共にここを利用していたそうだ。なるほど、それで手首に数珠を身に付けているのか。


「昔はよく坊さんや僧が足を運び、疲れを癒し、並んであの仏様を拝んだものじゃ」


 拝んだ? 銭湯で?


 俺はその様子を頭で想像してみる。


 ほぼ真っ裸の坊さんやら僧が床に座り並んで拝む光景。


 ……。


 ……なんか違くね?


「だが、時が流れるに連れその拝む者もとうとうワシ一人になってしもうたわ」


 微妙に違和感を覚えながらも、おじいさんの話に耳を傾ける。形はどうあれ、あの話を信じている人がいたことに、俺は少なからず喜びを抱いた。


「よく続けられますね」

「こういったもんは流行りものとは訳が違う。自分の気持ちが大事なんじゃ……んん?」


 おじいさんが顔を近付けてきた。目を細め、ジッと俺を見つめる。急に何だ?


「あ、あの、何か?」

「お前さん、もしかして何かに取り憑つかれておらんか?」


 おじいさんの言葉にギクッ、とする。


「な、何でそんなことを?」

「いやな。ワシは別に修行した身ではないんじゃが、過去に僧達と一緒にここで拝んだせいか、そういったものを感じるようになったんじゃ。んで、お前さんから何やら気配を感じるのでな」


 たしかに、俺には幽霊のレイが取り憑ついている。しかし、まさかそれを感じとる人が現れるとは。


「お前さん、最近何か身に危険が迫ったとか、危ない目にあったとかないか?」

「い、いえ。特には」

「ふむ、悪霊ではないのかの……。すまんな、ワシは感じるだけで、見えたり出来ぬから悪いものかの判断が出来んのだ」


 謝られるが、逆によかった。徐霊するなんて言われたら大変だった。


「い、いえ。でも、今言ったみたいに特に何か身に起きたりはしていませんから、気にしなくても……」

「いやいや、霊や何かに取り憑つかれて良いことはない。そいつは大抵は悪さをするものじゃ。危害を加えないなんて稀、と聞いたがの」


 その稀が目の前の俺でありレイなんだが……いや、待てよ。結構物を飛ばされたりぶつけられたりしてるから危険か?


「悪霊とかじゃったら大変じゃ。ほれ、これを譲ろう」


 そう言うと、おじいさんは手首に着けていた数珠を俺に差し出してきた。


「これは過去に僧から貰った数珠でな。身に付けているだけで悪しきモノから守ってくれる。だいぶ使っておるから、もしかしたら効力は弱くなっておるかもしれんが、効き目はたしかにあるはずじゃ」


 それはマズイ。効き目がある方がこちらとしては都合が悪い。


「いや、そんないいですよ」

「何を言う。もしお前さんに取り憑いているモノが悪霊だったらどうするんじゃ。取り返しの付かない事になりかねん」

「いや、でも……」


 なんとか断ろうとするが、おじいさんは頑なに譲ろうとする。向こうとしては善意でやっているだろうが、こちらからしたら違う意味で取り返しの付かない事になる。


「ワシのお古で申し訳ないが、先程シャンプーを貸してくれた礼じゃ。受け取りなさい」


 そう言うと、おじいさんは半ば無理矢理俺の手首に数珠を着けた。


「ほう。なかなか似合っとるよ」

「はあ……そうですか?」


 数珠が似合っているって誉め言葉か?


 そんなことを思いながら数珠を眺める。身に付けたはいいが、何か身体に変化は感じられない。何だ、効果は切れているらしい。よかったよかった。


 俺は安心し、何気なく後ろを振り向いた。するとそこには――。


 ――レイが立っていた。


 

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