汗を流そうぜ!

「森繁、銭湯行かない?」


 バイトの終盤、共にシフトに入っている先輩からいきなりそんなことを言われた。


「一緒に汗を流さないか?」

「唐突にどうしたんですか?」

「いや~、最近喧嘩をしてないな~、と」


 そう言うと先輩は拳を作った腕を前方に繰り出し、ボクシングでいうシャドーを始めた。


「あっ、俺そういうの興味ないんで」


 俺は手を振って仕事に戻ろうと背中を向き始める。


「突っ込めよ~! 今のは『銭湯』と『戦闘』を捩ったギャグだよ! 俺がそんなことする人間なわけないだろう、ノリ悪いな!」


 俺の背中に罵声が浴びせられた。勿論、その意図は分かっていたが、に突っ込む気にはなれない。


 面倒くさいので流そうと思ったが、触れないと逆にエスカレートする匂いを察知し、俺は振り向いて答える。


「んで、どうしたんですか?」

「だから、銭湯に行こうって誘ったんだよ」

「行ってどうすんですか?」

「バカかお前? 風呂入るに決まってるだろ」


 小馬鹿にするように話す先輩。知ってるよ、んなことは! 


「だから、何で急に銭湯に行こうなんて言い出したんですか?」

「だってよ~。見ろよ、これ」


 先輩が着ている制服を広げて見せてきた。その制服の襟元、脇、そして背中には本来備わっていない模様が浮き出ていた。


「見事な汗ですね」

「だろ? 気持ち悪くってしょうがねぇよ」


 そう言いながら、先輩の額からはまた新しい汗が肌を伝って流れる。


「いや、それにしても汗掻きすぎじゃないですか?」

「俺は暑さに敏感なんだよ」

「汗っ掻きなんですね」

「違う! 暑さに敏感なんだよ!」

「……いや、それどう違うんですか?」


 聞くと、「汗っ掻きはなんか格好悪い。『汗っ掻き』と『暑さに敏感』とじゃあ、響きが違うだろう」とのこと。心底どうでもいい。


「それに、このじゃあ汗っ掻き云々関係なくね?」

「まぁ、たしかに」


 先輩の問いに俺も汗を流しながら同意し、天井に備え付けられたエアコンを見上げる。


 そのエアコンは今、一切の稼働音を出さずに静かに眠っていた。


「ありえなくね? コンビニのエアコンが壊れるとか」


 そう。何が原因なのか、当店のエアコンが故障したのだ。深夜帯とはいえ、まだ暦は9月。エアコンなしでは熱気が籠る時期である。


「俺、初めて経験しましたよ」

「俺もだよ。しかも、よりによって何で俺達のシフトで……」


 故障は前のシフトの時間帯中に起こり、業者に電話をして修理をお願いしたところ、修理は翌日、俺達のシフトの次の時間帯とのこと。運悪くというか、俺達の時間帯のみエアコンが使用できないでいた。


「勘弁して欲しいよな。こんな蒸してる中で仕事とかやる気でねぇし」

「ですね~」


 それには激しく共感できた。熱気がネットリと肌に張り付き、気持ち悪いことこの上ない。しかし、この状況を不快に感じるのは何も俺達店員だけではない。来店する客にも言えることだ。


 その証拠に、仕事中数人の来客があったのだが、「うわ、なんだ!?」「暑っ!」「サウナかこの店は!」と入店と同時に発し、そしてすぐに出ていっていた。まぁ、そのおかげというか余計な仕事をしなくて済んでいた。


「ああ~。早く終わってこの汗を流したいですね~」

「そう! そこだよ!」


 パンッ! と手を叩く先輩。どこだよ?


「早く家に帰ってシャワーで汗を流したいだろ? しかし、シャワーだけでは今の気分はきっと洗い流せない」

「ああ、だから銭湯に誘ったんですか」

「そう。だから、どうよ森繁? 行かねえ?」

「う~ん……そうっすね。俺も久し振りに――」


 暫し考え、先輩の誘いを受けようとしたが、一つ問題があることに俺は気付いた。


「ん? なんだよ? 行かないのか?」

「あ~、えっとですね~」

「都合でも悪いのか?」

「そういうわけじゃあ……」


 いや、ある意味都合が悪いと言えるだろう。もし行くとなるとに確認してからでなければならず、俺一人の判断で決められることではない。かといって、のことを先輩に話すことも無理だった。


 ピロリロリロ~ン(来店音)。


「だったら行こうぜ。たまには俺の誘いに付き合えよ。男同士、裸の付き合いしようぜ!」


 ガッ、と肩を組んでくる先輩。暑苦しい!


 先輩の腕を払いながら来店音がしたので入り口を見ると、二人の女性が来客してきた。しかし、その二人は店の中には入らず、先輩の言葉を聞いたのだろう俺達二人を見比べ、ヒソヒソ話ながら店を後にした。


 イヤァァァ! 待ってそこの二人! 絶対勘違いしてるよね!? 誤解だから! 銭湯のことだから!

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