番外編 狼と狐娘(第0.5話+α)

「貴様らか?」

 それはある昼下がりのこと。

 茜はオオカミに会いに来ていた。

『何者だ』

 オオカミは突然話しかけてきた真っ赤な女に、警戒していた。

「妾は―――そうじゃな、茜という。生物的には狐に近い」

 茜は、耳と尻尾が少し見えるよう、動かした。

『アカネ?』

 大して興味もないのか、警戒心は残したまま眠そうにあくびを漏らす。

「そうじゃ」

『何の用だ。喰われにでも来たか?』

 オオカミは明らかに茜を馬鹿にしていた。

「いや、1つ、頼みがあってきた」

『……』

「赤ずきんを殺すとき、痛くないように、辛くないようにしてほしい」

 茜の言葉に、オオカミは鼻で笑う。

『そんな頼みを聞いてやる必要はないな』

 オオカミの言葉に、茜はニヤリと笑う。

「では、飢えて死ねばよい」

『……なんだと?』

 オオカミは茜に威嚇をするが、茜は気にもとめない。

「ふっ、貴様は今、妾のところまで来れぬはずじゃよ」

 今度は茜が馬鹿にする番だった。

『ふざけるな。なんなら喰ってやるっ!』

 それに怒ったオオカミはアカネに襲いかかる。

『……!』

 しかし、その言葉の通り、オオカミは茜の手前で見えない壁にぶつかった。

「言ったじゃろう?……さぁ、どうする?」

 オオカミは見えない壁に沿うように歩いたが、ぐるっと一周するだけだった。

『……』

 オオカミが、茜を睨む。茜の優位は揺るがなかった。

「無駄じゃ。今、主は妾の作った結界に閉じ込められておるのじゃからな」

 オオカミも諦めるしかないのだった。

『……わかった。いいだろう』

「では、もうひとつ。赤ずきん以外の者を傷つけるな」

 茜の言葉に、オオカミはまた鼻で笑う。

『フンッ……それは人間次第だ。俺たちの狩り場に姿を表せば容赦なく喰らうぞ』

 それは、己の領域に侵入した者を排除するという話。それは、仕方のないことのように思えた。茜も獣の言い分が理解できる。

「……まぁ、それくらいは仕方ないかの……」

 茜はオオカミに、「他のオオカミどもにもよく言っておくのじゃな。話を聞かぬものがいたら報告せい。何かあればと真っ先に貴様を葬る」と言い残していくのだった。


 その日から、 『真っ赤な狐娘には逆らうな』というルールがオオカミたちのなかに生まれた。



「……!」

 茜は、真夜中に近づくオオカミの気配に気がついた。

「……赤ずきん、少し妾は散歩をして来るゆえ、待っておれ」

「……うん、わかった」

 赤ずきんはとても素直だった。はじめの頃は私も行くと言っていたが、目を見つめて「頼む」と言うと、素直に待ってくれていた。


「……どうしたのじゃ」

 そこにいたのは、いつものオオカミとは違った。

『仲間がやられた。あいつも、深手をおっている』

 そのオオカミの話はこうだった。

 いつものように、森で生活していたら、化け物が現れ、仲間たちを攻撃し始めた。すでに何匹か殺されている。どうにかしろ、と。

「そうか……。貴様らには窮屈を強いることになるじゃろうが……それくらいは我慢せぇよ」

 茜は、日の出までにオオカミを森の一角に集めるように言って、別れた。

 そして、翌日の日が昇らぬうちに、オオカミたちの集まる場所へ向かった。

「ここに結界をはる。その中はおそらく安全じゃろう。同じものを村と婆様の家にもはるが……そうじゃな。この結界はオオカミのみが行き来可能なものにしておく。婆様と村の方は人間のみ行き来できるようにするが……それでよいな?」

 茜はオオカミに確認をとる。オオカミはそれでよい、問題ない……と口々にいう。しかし、前に出て質問をするものがいた。

『連絡はどうやってとるつもりだ?』

 それもそうだった。今まで何かあればオオカミが村の近くまで降りてきていた。

「妾が足を運べばよいのじゃ」



 茜は定期的のオオカミのもとへ足を運んだ。

 そして、外で起こっていることを話した。

 運命の日が近くなり、茜はオオカミにお婆さんの家にはった結界の突破法を教えた。

 それは、物語を進めるために必要なこと。

 方法は簡単だった。

 茜が渡した"木の実"を口にいれて飛び込む。

 木の実には、お婆さんの家にはった結界を抜けることができるようになるまじないをかけたのだ。

 そして、邪魔されなくてすむように、と事前に木をお婆さんの家の方に倒して適当な木に立て掛け、道を作った。

 当日はそれを使って空中から結界に飛び込むことになるだろう。



 ある日の夜のこと。

『なぁ、お前は何なんだ?』

 それは、茜たちが不思議な一行に会う前日の夜だった。

「なんじゃ?急に」

 オオカミは、珍しくそわそわとしていた。

『ただの狐は人型ではないだろう』

 茜は空を見上げる。

 ―――そうか、今日は新月……。こやつも不安なのか……?

 茜は月明かりのない真っ暗な森で、オオカミの問いをはぐらかす。

「……妾は妾じゃよ」

 しかし、その時のオオカミは食い下がった。

『そういう種族がどこかにいるのか?』

 茜も、なんの気まぐれか、ほんの少し話をしようと思いいたった。

「しつこいの。でも、まぁ、そうじゃなぁ……」

 真っ暗な空で輝く無数の星々。茜は視線をオオカミへ戻す。

「妾は元々、神に近い存在だった、とだけ言っておこうかの」

 それは、与えられた運命を失うまでの話。

 オオカミは話がわかったのかわからなかったのかわからない、生返事を返した。

 その反応に、茜は鼻で笑った。

「フッ……まぁ、そんなのは全て過去のことじゃ。今の妾は"世にも珍しい狐娘"といったところじゃろう」

 茜の言葉に、オオカミはなんとも言えぬ顔をする。

 その時、仲間の遠吠えがどこからか聞こえてきた。オオカミの脳裏に、赤ずきんの姿が浮かぶ。

『……すまない、そろそろ戻らねば赤ずきんが心配するだろう』

 オオカミの言葉に、茜は気にするな、と言った。

「なに、妾も今日は興が乗ったのじゃ」

 オオカミは立ち上がり、結界の奥に引っ込んでいく。

『では、また夜に』

 その背に、茜は満足気にうなずいた。

「うむ」



 その帰り道。

 茜は家に近い一本の木に登り、空を眺めていた。

 人目を気にすることもなく、茜はずきんをとり、尻尾をはためかせる。

 真っ暗な闇のなかで輝く星々。

 眼下に見えるのは人々が暮らす明かり。

 昔は、明かりが遠く、星々が近く感じた。

 今は、人々が暮らす明かりがとても近い。

 昔は、新月の夜が怖かった。

 まるで己の存在が闇夜に呑まれてしまいそうで。

 そんな時は決まってその世界で歌い継がれてきた自分が大好きだった歌を歌っていた。

 恐怖から逃れるように歌った歌は、静寂から自分を護ってくれるようで、心が落ち着いた。

 今では、新月なんて怖くなかった。

 運命を失い、世界をおわれ、濃霧の中を歩き続けた茜には、新月がもたらす闇がとても小さなものに感じるようになっていたのだ。

 さらに、今では人々の明かりが手を伸ばせば届く距離にある。

 少し手を伸ばせば、人間のトモダチがいる。


 その夜、茜は空に向かって歌った。

 己の生まれ故郷の大切な歌。

 とても大好きだった大切な歌。

 その日は、恐怖からではなく。

 慈しみの心で歌い続けた。

「~♪~♪~~♪~~~♪~♪」

 それは、人々の言語にはなく、獣たちの言語にもない。

 きっと、この世界の人たちには、ただの音として認識される歌。

 この世界の人々がこの歌を聞いたら、歌詞をつけてくれるだろうか?

 あのオオカミたちは、どうだろう?

 もしもつけてくれるなら、一体どんな歌詞をつけてくれるだろうか。

「~♪~~♪~♪」

 その声は、朗々としていて、

 そのこえは世界に響いた。

 そして、オオカミたちの耳にも届いた。



『茜色の狐娘』

 茜が知ることのなかったその歌は、

 オオカミたちの中でひっそりと歌われ続けた。

 それは、調律がなされ茜のことを忘れてしまった後も。

 オオカミたちは、新月の夜には決まってその歌を歌い、いつまでもいつまでも歌い続けるのだった。



 ―――それは、強く美しい神様のような力をもつ、誰も知らない茜色の狐娘の歌。

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