11

 バハムトと出会ってから次の日。

 俺は雪の降る寒空の下に設置されたベンチに厚着をしている状態で座り、少し離れた右の方に建っているちょいと豪勢な館を見ている。

 そこの屋敷の中では現在、包帯商人が商談をしている最中だ。包帯商人の近くには護衛として女侍が隣に仕える手筈となっている。俺は戦力的にも印象的にも護衛に適さず、あまり大人数で行けば先方を不快にさせかねないので外で待機している。

 宿で待っていてもいいのだが(どうやら、予約してあったようで先日はそこで寝た)、流石に包帯商人が戦っているというのに自分だけぬくぬくと暖房の利いた温まっているのも癪であったので、外のベンチで見守る事にした。

 まぁ、雪や寒風で身体的に寒いので近くの店で買ったホットココアを飲んではいるが。この外気温だと直ぐに冷えそうだと思ったが、このコップの保温性がものすんげぇのなんの。かれこれ二十分は外気温に晒しているのだが殆ど温度が下がっていない。常冬の国だからこういった技術が発達したんだろうな。純粋にすんげぇと思う。

「……痛いな」

 俺は左足が痛んだのでそちらに視線を向ける。

 膝から下が無くなった左足。痛んだのは傷口が完全に塞がっていないからだ。昨日病院で傷口を縫われ、包帯を巻かれて絶対安静を宣告されていたけど、無視した。別に安静にしなくたって治るもんは治るんだからという自論の下、入院せずに宿で寝た。これからは松葉杖がお友達になるだろう。

 もしくは義足かな? でも義足って違和感ばりばりあると思うし、それに膝から下の部分――正確には膝の真ん中からちょい下から無くなっているから足を曲げる事が自分の意思で出来なくなっているのが嫌だな。それに、義足って接触部分に緩衝材か何かないと直ぐに痛めちまうし。

 ……まぁ、今は考えなくていいや。

 で、どうして左足が痛んだかと言うと、ちょいと圧迫を受けたからだ。

 圧迫を受けたのは左足の太腿の部分。

 女魔法使いの仕業だったりする。

 女魔法使いは俺の太腿を枕にして目を閉じ、健やかな寝息を立てて眠っているようだ。

 無理も無い。だって蘇生してあまり時間が経っていないにも関わらず、何時もと同じように起きたんだから。そりゃ疲労がものすんげぇ溜まっていると言うものだ。

 そう、俺は女魔法使いを蘇生させる事に成功したんだ。

 昨日俺は絶望し、泣き叫び、後悔していた時に、ふと思い出した事があった。

 それがきっかけで、今がある。

 俺が行った事自体は簡単な事だったが、一か八かの賭けだった。

 俺は自分の角を二本とも力任せにへし折り、近くにあった岩の上に置いて石で粉々に粉砕し、角の粉末を死んでしまった女魔法使いに呑ませた。

 女魔法使いは外傷や病ではなく、魔力が底を尽いた事で死んでしまった。

 ならば、他から魔力を補充すれば蘇生するかもしれないと思った。

 時間がかなり経っていれば蘇生は出来なかったかもしれない。幸い、女魔法使いは死んでから然程時間が経過していなかった。なので蘇生する可能性はあった。

 あったとしても、ほんの僅かしかなかったけど。

 前例が無く、俺の思い付きだったから確証が無かった。もしかしたら無駄に終わるかもしれないとも思った。

 けど、何もしないよりは限りなくゼロに近い確率でもやった方がマシだ。

 俺の――魔王の角には魔王としての莫大な魔力が蓄積されている。だから角を切られれば魔王は弱体化する。今回は魔力が角に蓄積されている事を利用した。

 粉末にして呑ませれば、少しずつだが身体全体に魔力が行き渡るだろうと踏んでいた。今思えばバハムトだけではなく、全ての生き物の胃液には魔力を溶かして吸収するような機能が備わっているだろうと思う。実際に、モンスター同士が戦って、勝った方が負けた方の肉体を食うと魔力が増大する。バハムトの場合は他の生物よりも魔力を溶かす作用が優れていると言うだけだろう。その代わりに、消化液本来の効果が薄れてしまっている。

 だから今回のような事をしても魔力を供給させられると思った。

 角二本分の粉末を呑ませて数分で鼓動が再開された。僅かだが身体にも熱が戻り、呼吸もし始めた。

 俺は女魔法使いが生き返った時、泣いた。

 嬉しくて泣いた。

 生き返って安心した。

 でも、いくら生き返ったとはいえ極寒の下では凍え死にする危険性があった。だから俺は泣きながら女魔法使いを背負って女侍や包帯商人が待つ第一港へと向かった。

 道中に寒風を受けて涙が凍ったり、そこらに落ちていた手頃な枝を杖にして片足が痛んでも気にならなかった。そんな事よりも女魔法使いを一刻も早く温かい場所へと移動させなければならないと思っていたから。

 第一港に着くと、女侍が俺を見つけて、血相を変えてこちらに走ってきた。

「魔王殿! それに女魔法使い殿もどうしたでござるかっ⁉」

 女侍が俺の左足と背負っていた女魔法使いに順に視線を移しながらそう訊いた。

 俺は女魔法使いがバハムトの胃液にやられて魔力を根こそぎ奪われて危ない状態だと告げた。俺の角を呑ませて魔力を増やしたとしても、微々たるものでもあった。魔力の全てが女魔法使いに行き渡った訳ではなかった。

 まぁ、胃液で現在も絶賛溶かされているのだから、一日経てば女魔法使いが元々持っていたくらいまで魔力は戻るだろうとは踏んでいたけど。

 女侍は女魔法使いを抱き抱えて直ぐに病院へと連れて行った。俺は何時の間にか近くに来ていた包帯商人の肩を借りて病院へと向かった。

 病院で俺は傷を縫われ、女魔法使いはMP回復薬(小)を飲まされた。魔力が減っている状態の時はMP回復薬でMPを回復させておいた方が気休め程度だが、命の危険は少なくなるそうだ。

 医師にもきちんとバハムトの胃液にやられたと説明したのだが、最初は信じてくれなかった。けど、女魔法使いや包帯商人、それに蒸気船に乗っていた人間の証言でバハムトに遭った事は信じてくれた。胃液云々は信じてくれなかったけど。

 まぁ、胃液に関しては信じて貰えなくてもいいやとは思ったけど。

 ついでに言えば、俺が魔王だって言っても信用して貰えなかったけど。角無くなってるし、魔力だって平均男子以下まで下がってたからだろうな。因みに、この角無しの俺を見た蒸気船に乗っていた人間は俺が魔王ではないと勝手な勘違いをした。俺に角が戻った時の状態はパニック故に見間違えた、と記憶の捏造を施していた。

 その御蔭か何か知らんけど、俺と女魔法使いは自分達を助けてくれた命の恩人として蔑ろな扱いは受けず、全員で金を出し合って医療費を負担してくれたり、今飲んでるホットココアや俺と女魔法使いが着ている厚手の服を買ってくれたりした。

 ……女魔法使いにはそうしてもいいけどさ、別に俺にまでしなくてもいいんだよねぇ。

 だって、俺は自分の対応能力の無さを実感した事だったし。本当、自分が多くMP回復薬(大)を飲んでおけばよかったよ。そうすれば女魔法使いを死なす事も無かっただろうし。

 と、愚痴を吐いても仕方がないので、もう言わない事にする。

 女侍と包帯商人には、俺の不手際で一度女魔法使いを死なせてしまった事を伝えたのだが、信じて貰えなかった。それは蘇生魔法が神以外に使う事が出来ないと周知されていたからだろう。前述した通り、今回俺が取った蘇生方法は前例が無い一か八かの賭けであったので言っても意味が無いと伏せていたのも影響していたかも。

 で、過ぎる冗談を言ったと勘違いされて暫し冷たい視線に晒されたけど、動揺して死んだように見えてしまった、もしくは仮死状態だったと勝手に誤解をして冷たい視線から同情の眼差しにシフトした。自分達も同じような状況なら死んだと勘違いしていただろう、との事。

 さて、ちょっとした状況整理も終わりにしよう。

「おい、ここで寝ると風邪引くっつーか凍死するぞ」

 俺は寝入ってまだ間もない女魔法使いの肩を揺らして覚醒させようとする。いくら厚着をしているとはいえ、こんな極寒の冬空の下で寝てしまったら風邪を通り越して凍死というパターンも珍しくも無い。寝ながらの死は異常が分かり難いので何時の間にか死んでましたっていう事は勘弁願いたい。

 なので俺は女魔法使いを起こしに掛かる。

「ん……」

 女魔法使いは小さい身動ぎをすると、眼を閉じたまま俺の腰に腕を回してしがみついてきた……っておい。

「こうすれば、暖かい」

「いや、あんま暖かくないと思うぞ? 俺だって厚着してんだし。体温直に感じないだろ? それに俺の服だって極寒に晒されて冷たくなってんだから逆効果だし。だから離れてもう起きた方が」

「えい」

 俺が説明しているとと女魔法使いは俺の上着を捲り上げて、腹回りの素肌に触ってきた。

「冷たいわっ!」

 氷を直に触ったかのように冷てぇっての! 外気温に晒された髪の毛やら服やらを接触させんな! あまりの冷たさに腹壊すわっ!

 俺は即行で女魔法使いを引き剥しに掛かる。

 が。

「ふにゅ~。魔王のお腹は暖かいな~」

 女魔法使いはほにゃらっと顔を緩めながら俺の腹に頬を擦りつけて、がっしりホールドを決め込んでおり、剥そうにも剥せなかった。

 というか、こいつってこんな間の抜けた鳴き声上げたっけか? 本当、女魔法使いのキャラが分かんない。

 女魔法使いの頭を押して剥そうとするも、やっぱり無理で、もう諦めた。無駄な労力は払いたくない。周囲からの視線が痛いけど、甘んじて受けよう。とにもかくにも、女魔法使いは起きて、知らぬ間に凍死するという最悪のパターンは回避されたんだからな。

 代わりに、俺が風邪を引きそうだがな。流石に風邪はもう引きたくないので捲り上げられた上着を降ろしてなるべく外気に晒す面積を減らした。その際に、女魔法使いの頭が服の内側に収納されてしまったが、気にしない。

「……魔王」

「何だ?」

「これじゃあ魔王の顔が見れない」

「別にいいだろ。お前は暖を取る為に俺に抱き着いてきたんだから顔が見れないくらいはどーでもいい事なんじゃないのか?」

「……そうでもない」

 女魔法使いはホールドを解除して、服の内側から顔を出した。

「私は魔王の顔を見ながら暖を取りたかったの」

 意味分からん。

「だったら、温熱魔法使って暖まれば……ってそれは無理か」

 自分で言っておいて何だが、女魔法使いは今現在魔法を使えない。

 魔力が枯渇した後遺症で、魔法を使うとMPの他に魔力も消費してしまうそうだ。少なくともあと二日は後遺症が残って魔法を使えない。なので、今の女魔法使いからは逃げようと思えば逃げれるのだ。

 でも、俺は逃げないけどな。

「ねぇ、魔王」

 女魔法使いが俺の眼を見ながら訊いてくる。

「今度は何だ?」

「それ、私にも頂戴」

 女魔法使いは視線を俺が持っているホットココアに移して催促してきた。

「あぁ、別に全部いいぞ」

 俺は渋る事も無くホットココアを女魔法使いに渡す。そう言えば女魔法使いは温かい飲み物を買ってなかったな。それじゃあ身体の芯から冷えてしまう。

「いや、全部はいいよ。少しだけ貰うよ」

 そう言うと、女魔法使いはホットココアを四分の一程飲み、俺に返してくる。

「はい。魔王も飲んだら?」

「そうだな」

 確かに腹も冷えたし、温かい飲み物を飲まなければ更に冷えてしまうだろう。俺は女魔法使いに勧められて、返されたホットココアを飲む。

「…………」

 ホットココアを飲む俺の姿を、何故かじっと見てくる女魔法使い。

「ん? どうした?」

 疑問に思ったので俺は訊いてみる事にした。

「……やっとキス出来たなって思って」

「…………………………は?」

 キス? 何言ってんだ?

 と思ったが、俺ははたっと気付いた。

 俺が今飲んでいるココアは、先程女魔法使いが飲んだ奴だ。更に言えば、意識していなかったとはいえ、女魔法使いが口をつけた部分に俺が口をつけていた。

 ――つまり。

「間接キス、だけど」

 女魔法使いはやや頬を紅潮させ、はにかみながらそう呟いた。

 そう意識すると、俺の顔が急激に熱くなって、女魔法使いの顔を見れなくなってばっと首を回した。

 えっと、この現象が起きてるって事は、つまり、俺は照れてるって事で、気恥ずかしいって思ってるって事で、更に言えば嫌とも思ってなくて満更でもないなって思ってる訳でだなって何言ってんだよ俺は? 意味分からん。

 こう動揺してしまっているのは、女魔法使いが目覚めた時に俺に告げたあれが原因だろう。

 女魔法使いが目覚めて、俺と二人きりになった時間帯があった。その時に俺は女魔法使いを死なせてしまった事を謝った。

 女魔法使いは別に謝んなくていいとは言ってくれた。むしろ左足を犠牲にして、角を使ってまで生き返らせてくれてありがとうって礼を言ってきた。

 礼を言われる資格は無い。けど、俺は女魔法使いが俺を嫌いにならないでくれた事に対して、少し目の前が霞んでしまった。目が霞んだ理由は、涙が溢れてきたからだ。どうやら俺は、俺に好意を寄せている女魔法使いに嫌われる事を心底恐れていたらしい。

 俺は即座に涙を拭き、松葉杖を使って立ち上がり、これ以上女魔法使いを起こした状態にして負担を掛けないようにと部屋を出て行こうとしたが、女魔法使いが俺を呼び止めた。

 女魔法使いは手招きをして、俺を近くまで招き寄せる。

 俺が女魔法使いの傍らまで来ると、女魔法使いはどうして俺を拉致したのか、どうして俺に好意を寄せているのかを話した。

 女魔法使いは俺が昔助けた人間の子供で、俺に逢いたいが為に勇者パーティーに入り、勇者が魔王を討伐しようとしていたから、昔自分を助けた俺を助ける為に拉致したそうだ。仲間を説得する為に俺の角を切って弱体化すると言う案を提供し、仲間と共謀して無事に俺を拉致する事に成功したそうだ。

 因みに、臣下は俺の拉致を容認していたそうだ。しかも二週間は帰さないでくれとまで言っていたらしい。まぁ、その理由ってのもあの元臣下軍団を追い返すのに俺の手を煩わせたくなかったのだろう。臣下らしいっちゃ臣下らしいと思う。

 んで、俺に好意を寄せている理由も訊いて、俺は「あぁ、そう」と軽く流してその場を去ったけど、実際は心臓ばっくんばっくん高鳴ってたよ。

 こう、面と向いて嘘偽りなく好きって言われんのがな。人間は恋愛対象になりえないって思ってたけど、何か心変わりしたっぽい。

 女魔法使いが昔助けた子供だと分かると、何か変に意識してしまう。

 何か女魔法使いに言われるまでど忘れしていた事なのに、ど忘れしてたから本当は心底どーでもいい事だったと思うんだけど、それでも何だろう。あんな小さかった子供がここまで成長するとなるとな。

 正直言えば、どうしたらいいか分からない。

 対応とか、自分のこの変な感じとかをどうしたらいいのか分からない。

 ああぁぁああああああああああああああああああああ俺はどうしたらいいんだろうね本当に?

「……ねぇ、魔王」

 そんな得も知れない葛藤と真っ向勝負を繰り広げていると、女魔法使いが俺の手を握ってきた。ちょっとどきっとした。

「な、何だ?」

 平静を装ってはみたものの、声が若干うわずってしまった。あぁ、情けない。

「魔王はさ、これから、どうしたい?」

「こ、これからって?」

「包帯商人が商談し終えて、私の護衛の仕事が終わってから、その後の事」

 女魔法使いが握る力を少しだけ強めながら俺に訊いてくる。俺は顔を直視出来ないままでいるが、女魔法使いは俺をきちんと見据えて問うているだろう。

「あっと、そうだな」

 俺は暫し悩んだが、やっぱり嘘はいかんと思って本音を言う事にした。

「……魔王城に帰りたいな」

「……やっぱり?」

「あぁ。今も臣下が俺の帰りを待ってるからな。流石に帰りは遅くなるって言っておいたけど、出来る事なら早く帰りたいな」

「……そうだよね」

 女魔法使いは少し残念そうに、しかし予想していたと言わんばかりに声を普段通りにして弱い笑みを浮かべながらこう言ってくる。

「じゃあ、護衛の仕事が終わったら、私が魔王を城まで転移魔法で送るから。三日後にはなるだろうけど、それでも大丈夫?」

「あ、あぁ」

 俺は頷いた。

 そんでもって暫く沈黙が続いた。

 ……やべぇ。ものすんげぇ気不味いんだけど。

 まぁ、この気不味さを生み出したのは俺が原因なんだけどね。女魔法使いが平静を装っていて、内心はショックを受けているって気がするのは感じ取ってるよ。

 ……仕方ない。ここはこの状況を打破すべく更なる本音を暴露するとしよう。

「な、なぁ女魔法使い?」

「何?」

 女魔法使いは緩慢な動作で俺の方へと首を向ける。

 俺は――――。



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