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 私は今、とても懐かしい夢を見ている。

 どうして夢だと分かるのかというと、今体験している出来事は過去に起きた事をそのままなぞって行っているから。

 これは十五年前に実際に起きた事を夢として見ている。

 当時五つにも満たない私は暗い森で一人逃げていた。

 何からか?

 モンスターからだ。

 私はハウンドッグの群れに追い掛けられていた。

 どうして追い掛けられているのかという経緯については、私は親に捨てられたのだ。

 私は生まれ育った村では鬼子と呼ばれていた。

 そう呼ばれていた理由は私は生まれ持った魔力が遥かに多かったからだ。

 人間の魔力の二十倍もの魔力を生まれ落ちた時から有していたのだ。

 ここまで有しているのはモンスターでもそうそういない。

 だから、なのだろう。

 村の人は自分達と同じく人と人との間に生まれた筈であるのに強大な魔力を持って生まれた私を恐怖した。私がこの魔力を行使して魔法を放つ事で、力による支配が始まると恐怖した。

 私が物心つく前から、私を産み落とした母と共に陽の光が差し込む事の無い地下室に監禁されていた。

 ランプで照らされた室内で母は私に大丈夫と言い聞かせていた。

 私がついてるから、私がついてるから大丈夫、と。何度も何度も言い訊かせていた。

 食事は一日二回は出されていたが、それを食事と呼ぶにはあまりにも粗末なものでしかなく、少しの野菜屑を煮詰めてほんの少しの塩で味付けし、それを水で倍以上に薄めたスープと乾き切ったパンを一切れ出されるだけであった。

 そのような食事しか食べる事が出来なかった私と母は痩せこけていた。

 母は自分に出された食事にあまり手を付けず、私に食べさせていた。

 当時の私は渋る事も無く母親の食事を食べていた。

 母は少しでも私に栄養を与えようとしてくれた。

 そんな事をしていたから。

 母は死んでしまった。

 母が死んだ日に、スープとパンを届けに来た男が死んでいる母に気付くと、スープとパンを床に落とし、直ぐ様母を部屋の外に連れ出した。

 私は独りぼっちになった。

 私は男が落としていったパンに噛り付いていると、部屋に数人の大人が入り込んできて私を羽交い絞めにし、外へと連れて行った。

 外は太陽が昇っており、あまりにも眩しく手で目を覆った。

 そうしたら、一人の男に殴りつけられた。

 息を荒くし、歯を食い縛り、血走った眼で私を見据えて何度も何度も殴りつけてきた。

 顔は腫れ、歯が数本抜け、右目は破裂し、口からは血が流れた。

 その男はどうやら私の父であるようだった。

 どうやら私の所為で母が死んだから憤っているようだった。

 父にとっては私は完全に鬼子でしかなかった。

 殴りつける父と私を囲むようにして立って見ている人達も私の事を蔑むような目で見ながら鬼子と連呼していた。

 父の話しぶりによると、本来なら私だけを監禁する予定だったそうだ。

 しかし、母がそれを拒否した。

 そうすると、村の人は躊躇う事無く、抗う母を抑え込み、一緒に監禁したらしい。

 父は母を愛していた。

 だから、最愛の人を奪った原因である私には激しい憎悪しか向けられなかった。

 そんな父に私は足に縄を巻かれてそれを馬の後ろに括り付られ、地面を引き摺られて村から遠く離れた森の中へ放り出された。

 そして、そこをあても無く彷徨い歩いていると、私から流れる血の匂いに釣られたのか、ハウンドッグが集まって来たのだ。

 ハウンドッグは直ぐに私を殺すような真似はしなかった。

 その理由は子連れだったからだ。

 ハウンドッグは子供に狩りを覚えさせる為に弱った獲物で練習させる習性を持っている。

 なので、親のハウンドッグが恐怖で硬直していた私を突き飛ばし、わざと逃がすような行動を取った。

 私は突き飛ばされて地面に伏すと、ゆっくりと起き上がって前方へと走って逃げた。

 ハウンドッグの子供は私に喰らい付こうと跳び掛かってくるが、その度に運よく木の根に足を取られたり、段差に気付かずに滑り落ちたりして掻い潜る事が出来ていた。

 しかし、それも長くは続かなかった。

 ただ前だけを見て走っていたので下にぽっかり空いた穴に気付かずに落ちてしまったのだ。

 深さはそれ程でもなかったのだが、成長し切っていない私にとっては出られないくらいに深く、落ちた衝撃で至る所を骨折してしまった。

 殴られた顔面と、引き摺られて擦り切れた背中、骨折の痛みは互いに相殺したようで、痛みを感じなくなっていた。

 いや、別に最初から痛みは感じていなかった。

 ただ、これだけの大怪我を負っても痛みを感じていない事を不思議に思っていなかっただけだ。

 見上げると、子供のハウンドッグ数匹が私を見下ろしていた。

 私はこれで死ぬんだ。母の所に行くんだ、と逃げる事を放棄した。

 ハウンドッグの子供が穴から身を乗り出して私の方へと降りてこようとした。

 しかし、ハウンドッグはけたたましい叫びを上げて横に吹っ飛んで行った。

 見上げていた私は誰かがハウンドッグの腹を蹴って吹っ飛ばしたのだと見て分かった。

 穴から見下ろしていた他のハウンドッグの子供は穴の底から兄弟を蹴飛ばした誰かに視線を向けて唸り声を上げて跳び掛かるが、同様に蹴飛ばされていった。

 その誰かは両手を伸ばして私を優しく持ち上げて穴から出してくれた。

「おい、大丈夫か? って全然大丈夫じゃないな!」

 私をそっと地面に座らせたその人は私の顔と身体を見るなり目を見開いて青褪めた。

「待ってろ! 今直ぐ治してやるから! ってその前に右目を構築しとかないとな!」

 その人は右手を淡く発光させると、そこに一つの眼球を作り出した。

「ちょっと痛いけど我慢しろよ」

 作り出した眼球を私の右の眼孔へと押し込んできた。

 この時初めて痛みが全身を走った。

 どうしてこの時になって走ったのかは、今の私なら分かる。

 安心して緊張が解けたからだ。

 その人は私の母のように本気で私を心配してくれていた。

 それを無意識のうちに感じ取った私は安心したのだ。

 だから、遮断されていた痛覚が通常運転され、痛みが走ったのだ。

 しかし、その痛みも直ぐに治まった。

「これで大丈夫だな」

 その人はほっと安堵の息を吐いた。

 そう言われた私は先程までは無くなっていた右の視界が戻っている事に気付いた。

 そして顔を触ると腫れが完全に引いており、歯も生えており、骨折、擦り傷問わずに傷という傷が完全に治っていた。

「にしても、お前って人間だよな? しかもすんげぇ幼い子供だし。どうして一人でこんな危険な森に来てんだよ?」

 と言いながら、何時の間にか近付いて襲い掛かろうとしていた返り討ちにあった子供のハウンドッグの親を即座に蹴り飛ばしていた。

 私はただその人の顔を見つめていた。

「どうした? ……もしかして俺が怖い?」

 その人がやるせないというか落ち込んだというか、悲しそうな顔をしたので私は首を横に振った。

 怖い筈が無かったし、それ以前にどうしてその人を怖いと思わなければならないのかが分からなかった。

「そうか。ならいいけど」

 ほっと一安心したその人は私を抱き抱えると歩き始めた。

 あまりにも優しくふんわりと抱き抱えられたので、私は今までの出来事――母が死んだ悲しさ、父に憎悪を向けられた切なさ、ハウンドッグに襲われた恐ろしさから身体が震え出し、それを抑えようとその人の首にしがみついた。

 その人はしがみつく私の頭を優しく撫でてくれた。

 そして、一気に泣いた。

 悲しさ、切なさ、恐ろしさ。それら全てが綯い交ぜになって流れ出た。

「よしよし、恐かったんだな。もう大丈夫だぞ」

 その人は歩調を緩めて、私を宥めてくれた。

 私はその人の純粋に私を思っての行為がとても嬉しかった。

 私が泣き止む頃には、その人は自分の家の前に着いていた。

「ただいま」

 扉を開けると、中はがらんと広く、あまりにも空虚な感じが漂っていた。

「おかえりなさいませ」

 その人を迎えるように、近くの扉から一人女の人が出て来た。

「おや? 人間の子供ですか?」

 私を確認した女の人は首を傾げながらその人の傍まで近付いてきた。

「あぁ。ハウンドッグに一人襲われてたから、助けた」

「まぁ、この森に一人ですか?」

 女の人は有り得ないとばかりに驚いていた。

「どういう訳かは知らんがな。取り敢えず、こいつを洗って風呂に入れて温めてやってくれ」

「かしこまりました」

 そう言うとその人は私を女の人に渡した。

 私はその人から離れたくなくて、必死で手を伸ばしてその人を捕まえようとした。

「大丈夫だって。そいつは俺と同じでお前に危害を加えようとしないから」

 その人は私に目線を合わせて優しくそう言うと、奥へと去ってしまった。

 私は不安感に襲われてしまっていた。

「では、風呂場に案内しますね」

 不安がる私に女の人は柔和な笑みを浮かべて私を風呂場へと連れて行った。

 風呂場の前にある脱衣所に着くと私は着ていた服――とはいっても、もうボロ布同然で服と呼べるものではなかったが――を脱がされて風呂場へと案内された。

 そこでは温かいお湯を掛けられ、泡立った石鹸で隅々まで綺麗に洗って貰い、泡を流して汚れが無くなると湯が張られた風呂にゆっくりと入れて貰い、肩まで浸かった。

 風呂もそうだが、身体を洗って貰う事自体が初めての体験だったので初めはびくびくしていたが、この温もりによる心地よさに直ぐ様弛緩して身を任せた。

 充分に温まると風呂から出されてタオルで身体についた水滴を拭われる。女の人は私の身体を拭き終えると服を着せてくれた。先程まで私が着ていたものではなく、真新しく、フリルのついた可愛らしい洋服だった。

 髪もわしゃわしゃと拭かれ、それでも取り切れていない水分は女の人が風呂よりも暖かい指先で髪を梳いて乾かしてくれた。

 私は女の人に連れられて今度は食堂に連れて来られた。ここも広かったけど私と女の人以外は誰もいなかった。

「おぅ、風呂はどうだった? 気持ちよかったか?」

 いや、私を助けてくれた人もいた。その人は厨房で何かを作っていたようだった。

 私はその人の言葉に大きく頷いた。その時私の口元は少しだけ上がっていたと思う。

「そうか。じゃあ座って待っててくれ」

 その人は中央に一番近い席を指を差す。私は女の人と一緒にそこへと向かい、隣同士になって座った。

「そう言えば、今日はどのような料理を作っているんですか?」

 女の人は視線をその人に移して質問した。

「御粥」

 その人は即答していた。

「御粥……ですか。もう少しレパートリーを増やしましょうよ。昨日は雑炊で一昨日が御粥、三日前が雑炊……延々と御粥と雑炊のループじゃないですか」

 溜息を吐いて女の人はそう言った。

「いいだろ別に。まだ料理するようになってからそんなに時間経ってないっつーか、それ以外の料理を作ると絶対失敗するし」

 その人は少し頬を膨らませながら、蓋のされた土鍋を持って私と女の人が座っている席に置いた。

「それにあれだ。こう弱った時には消化のいいもんが一番なんだよ」

 女の人に向けてその人はそう言いながら蓮華と椀を私と女の人の前にそっと置きました。

「それはそうですけど。いくらなんでも御粥だけでは精がつきませんよ?」

 土鍋を指差しながら女の人は言った。

「むっ……それもそうだな」

 その人は私の向かいに座りながら女の人の言葉に頷いた。

「で、他に作りますか?」

「失敗してもいいなら作るぞ」

 女の人の質問にその人は胸を張ってそう答えた。

「……分かりました。私が他に作りますから、先に食べてて下さい」

 女の人は溜息を吐いて立ち上がり、厨房へと入って行った。

 その人は女の人の背中を見送った後、私に視線を移した。

「お前って料理出来る?」

 唐突に質問され、私は首を横に振った。ずっと監禁されていたので料理は作った事が無かったからだ。

「そうか。まぁ、まだ小さいからな。これから覚えていけばいいさ。……一応言っておくと、作れるようになってた方が人間の場合、嫁ぎやすくなるからな。料理は出来るに越した事は無いぞ」

 その人の言葉――嫁ぎやすく――の意味が分からなかったけど、料理は出来た方がいいという事は理解出来たので私は大きく頷いた。

「そうそう。今その意気込みがあれば俺みたいに苦労しないからな。頑張れよ」

 私の頭をその人は優しく撫で回してくれた。それがとても気持ちよくて、私は目を細めていた。

「じゃあ、いただくとするか」

 その人は手を合わせていただきますをする。私も同様の手順を踏む。この一連の動作は命をいただいて生きる為の糧とする感謝の行為でするのだと母に教わっていたが、当時の私は深く考えず、母の真似をしていて習慣にしていただけだけど。

 その人は土鍋の蓋を取っ払い、私の前に置かれた椀を手に取って中身を装ってくれた。

「ほれ」

 差し出された椀を受け取りつつ、そこに装われたものを見た。

 それは当時の私が全く見た事も無いものであった。

 少し崩れて、どろりとした液体に包まれた、艶めいている薄黄色の細長い粒々が椀の内側に所狭しと犇めき合ってたのだ。

 私が今まで食べた事のある食べ物と言えば野菜屑のスープか乾いたパンだけだったので、これが食べられるものか分からず、ただ粒々の群れを眺めているだけだった。

 眺めていただけだったけど、この粒々から発せられたいい匂いに鼻孔をくすぐられてお腹が鳴った。

 私は顔を赤くして俯いた。お腹が鳴る事自体は監禁されていた時に何度もあった事なので不思議でも何でもなかったのだけど、その人の前でお腹が鳴るのは恥ずかしかった。

「腹減ってんなら食えよ」

 その人はほくそ笑みながら自分の分を椀に装いながら私にそう促した。

 それでも私はこの粒々を俯きながら見ているだけであった。時折その人の顔を覗くと何かを考えているかのように顎に手を当てて眉を寄せていた。

 困らせてしまった、と私はその人に対して済まなく思った。

「あ、もしかして味でも気にしてんのか?」

 ぽんと手を叩くと、その人は蓮華を手に取り、椀に装った粒々を掬い上げ、口の中へと運んで咀嚼した。

「……んん、別に味は悪くないぞ。というか今まで作った御粥の中で一番の出来だなっ。卵を使ったのが正解だったな」

 にかっと笑ってその人は親指を立てながら私にそう言った。その人が浮かべた笑顔がとても嬉しそうで、達成感の充ち溢れていたものだった。私はその人の笑顔があまりにも素敵だったので見惚れていた。

「ほれほれ、お前も食えって」

 その人が蓮華で私の椀の粒々を掬い、粒々を私の口元へと運んできた。

 私は少しだけ戸惑ったが、その戸惑いも直ぐに霧散して蓮華を口に含んで、たどたどしく舌を使って粒々を絡め取り、ゆっくりと噛んでいった。

 今思えばオーソドックスで基本に忠実、至って普通の味付けであったのだが、当時の私にはこの粒々――卵粥はとても美味しく感じた。

 塩味が程よく効いていて、卵の旨味が合わさって舌を刺激し、目を見開いて驚きのあまり数秒思考が止まってしまった。直ぐに思考は動き出し、口の中に残っている卵粥を忙しなく咀嚼して呑み込んだ。すると私の顔の筋肉は意思とは関係なく動いて笑みの形を作った。

「おっ、どうやら気に入ってくれたみたいだな」

 私の食べっぷりを見て、その人は顔を綻ばせた。

 私は自分で食べるのではなく、その人にもっと食べさせてくれと雛鳥のように口を開けて要求した。

 その人は嫌な顔一つせず、柔和な笑みを浮かべながら私に卵粥を終始食べさせてくれた。

 椀に装われた卵粥が無くなると、私は土鍋に残っている卵粥を自分で装い分けて、その人が食べさせてくれるのを待った。この時の私の行動は卵粥を食べる事が目的じゃなく、その人に食べさせて貰いたくて自分で椀に装っていた。その人が私に食べさせてくれる度に浮かべる笑みを見たかったから自分では決して食べなかった。

 椀二杯分もの卵粥を食べ終えた頃に、女の人が野菜のスープを作って来てくれた。

 このスープは私が今まで食べてきたスープとは全くの別物で、綺麗に切り揃えられた野菜がスープを彩り、様々な香草の匂い鼻孔をくすぐり、鶏肉から出た灰汁をきちんと取り除いたものであり、私はそのスープを一気に飲み干した。

 女の人が作ってくれたスープに関して言えば、これは自分で食べた。匂いで食欲をそそられ、食指が勝手に動いたと言えば聞こえはいいかもしれないけど、実際は出されたスープを早く飲み干して中断されていた卵粥を食べさせて欲しかったからだ。

 そのような理由で早く食べたけど、このスープが美味しくてもう少し飲みたいと思い、女の人に空になったスープ皿を渡してお代わりを要求した。女の人も作った料理を残さず食べてくれた事が嬉しかったようで、笑みを浮かべながらスープを分けてくれた。

 お腹が一杯になると、私は女の人に連れられて、女の人が使っている部屋のベッドに横になり、女の人も一緒にベッドに入った。

「今夜はここで寝て下さいね」

 そう言って部屋の明かりを消して女の人は子守唄を歌いながら私の背中を優しく叩いてくれた。

 私は直ぐ眠りについた。

 それから数日、その人と女の人と一緒に過ごした。

 その人は毎朝同じ時間に起きて外を走り、女の人はその間に朝食を作っていた。

 私も最初に一度だけその人と一緒に走ったけど、直ぐに息を切らして私にはまだ早いと悟り、それ以降は女の人の手伝いをした。手伝いと言っても、殆ど迷惑しか掛けなかったのだけど、女の人は私に丁寧にやり方を教えてくれた。流石に危険な事をした時は叱られたけど。

 朝食を食べ終えると私はその人に付きっ切りだった。その人は私をおぶりながら部屋を掃除したり、昼食――とは言っても御粥か雑炊だけだったけど――を作ったり、筋トレしたり、魔法の練習をしていた。何時もくっついてくる私を邪険にせずに、その人は笑みを浮かべて構ってくれた。優しく撫でてくれたり、抱き寄せてくれたりした。

 夜は女の人と一緒に風呂に入り、夕食を食べ、早めの就寝を取っていた。毎晩女の人が子守唄を歌ってくれて安らぎのままに寝付く事が出来た。

 こんなにも居心地がよくて、平穏な日々が何時までも続けばいいな、と心底願っていた。

 しかし、そう思うからだろうか、あまり長くは続かなかった。

「失礼します」

 ある日、女の人が昼食を作っていたその人の下に駆け足で近付いてきた。女の人は切羽詰まった表情を浮かべていた。

「何かあったか?」

 その人は火を止めて中断し、神妙な顔つきで女の人に訊いた。

「はい。実は私の元同僚の一人が軍勢を引き攣れてここまで押し寄せてきています」

「何処ら辺まで来てるんだ?」

「申し上げにくいのですが……」

 女の人が顔を顰めたのと同時に、爆音が響いた。

「もう侵入されています」

「うん、それは今の音で分かった」

 爆音のした方向を向きながら、その人は溜息を吐いた。

「俺の下から去っていったのは別に仕方ない事だとして、まさか攻め入る奴がまた出てくるとはな」

「どうしますか?」

「追い返すに決まってんだろ。――けど、その前に」

 女の人の言葉にその人はそう返すと、爆音で身を縮ませた私を抱き上げた。

「こいつをここから遠く離れた場所に送り届けるのが先だろ」

「そうですね」

「……やっぱり、ここで人間の子供と一緒に住むのは無理か」

「はい。ああいう輩が来る以上ここは危険ですからね」

 やるせないといった風の表情を浮かべるその人に女の人は仕方ないといった感じに頷いた。

「では頼みましたよ。私は転移魔法を使えませんので」

 そう言うと女の人は身を翻して食堂から出て行った。

「さて、と」

 その人は軽う伸びをすると、私の頭に手を翳してきた。

「いいか? 今から俺が言う事をきちんと訊いてくれよ」

 その人の言葉に私は頷いたけど、心の底では聞きたくないと思っていた。何故なら先程女の人と交わした会話で遠く離れた場所に送り届ける、一緒に住むのは無理と言ったのを耳にしたから。

「俺はお前をここから遠くにある教会に転移させる。そしたらお前は教会に行って保護して貰え。……そうだな、魔王城から逃げてきたって言え。とにかくそう言えば教会の奴等は無碍な扱いをしないだろ」

 その人は一人で納得すると、続いて私にこう言った。

「あと、お前は魔法使いを目指した方がいいかもな。魔力量が人間にしちゃ多いし、もしかしたら歴史に名を残せるレベルまで成長するかもしれないしな」

 その言葉を訊き終えると同時に、私は見知らぬ場所に移動させられた。

 私は屋内にいた筈だったのに、そこはどう見ても外で、木が並ぶ一本道のど真ん中に立っていた。視線の先には少しばかり古めかしい建物が建っていた。

 恐らく、この建物が教会なのだろうと私は思ったけど、そこに行こうとはせず、暫くその場で立ち止まった。もしかしたらあの人が来るんじゃないかという淡い希望を抱いていた。

 天高く昇っていた陽が落ちるまで待ったけれども、あの人は来なかった。

 辺りが暗くなって暫く経つと、教会から一人の神父さんが出て来た。当時の私には神父と言う存在を知らなかったので、まだ若いおじさんくらいの印象だった。

 神父さんは私に「どうしたの?」と訊いてきたので、「魔王城から逃げてきた」とあの人に言われた通りに答えた。

 私の言葉に目をはっと見開くと、直ぐに私の手を掴むと教会の中へと連れられ、暖かい食事を私に食べさせた。教会の食事も美味しかったけど、やっぱりその人の家の食事の方が美味しいな、と思った。

 この神父さんが、私のお父さんになってくれた。私は父親と言うものに一種の恐怖を覚えていたけど、お父さんは私に叱る時はきちんと叱り、褒める時はきちんと褒めると言った、一般家庭の父親像そのものであった。そんなお父さんと接していくうちに、段々と父親と言うものに恐怖心を抱かなくなっていった。

 お父さんは私のお願いも訊いてくれた。とは言っても、実際に私がお父さんにお願いをしたのは一度……いや、二度切りだ。

 一度目は王都の魔法学校に通わせて欲しいと言った事。二度目は一人暮らしがしたいと言った事。この二つだ。

 魔法学校の存在を知ったのはお父さんのお父さん――つまり私のおじいちゃんがお土産話で私に王都の様子を訊かせてくれたからだ。

 私が魔法学校に行きたいと言ったのは、私の命を助けてくれた人に魔法使いを目指した方がいいと言われていたからだ。その人とは会えていないので、その人が私の為に言ってくれた言葉通りに進むのが、唯一繋がりを感じられる瞬間であったからだ。

 お父さんは当時十歳の私を一人で王都にまで行かせたくないと言っていた。王都とは言っても、やはり幼い少女が一人でいるのは危険なのだそうだ。また、自分の見てない所で病気に罹ったり、王都に向かう途中で魔物に遭遇しないかが心配なのだそうだ。養子とは言え、娘の身を案じているからこその言葉だったのだが、私はお父さんにくって掛かってまでも王都に行くと駄々を捏ねた。

 その様子を見かねたのか、はたまた助け舟を出してくれたのか。おじいちゃんが「ならば儂が一緒に行こう」と言ってくれた。おじいちゃんは薬師で、私がもし病気に罹ったとしても直ぐに薬を作ってくれると言ってくれた。

 おじいちゃんの言葉にお父さんは渋々であったけど、了承してくれた。了承したのは一人だけで行くのではないのも確かだけど、一緒に行く人がおじいちゃんだからだと思った。おじいちゃんは薬師だけど、老いを感じさせない程に強くてそこらの若者よりも腕が立つ実力者だったからお父さんも安心はしていたんだと思った。

 私とおじいちゃんは王都へ行き、そこで七年間魔法学校で魔法を学んだ。魔法を覚えるのに苦労はしたけど、一度覚えるとそつなく発動出来る程には器用だった。手順さえ理解出来れば頭の中で回路の組み替えを行って瞬時に違う種類の魔法を連発する事も出来た。

 また、魔力量が他の人よりも多いのも影響していて、魔法を他の人よりも多く放てたり、他の人よりも強力な魔法を放てたりした。魔法学校で学んでいる最中にも、魔力量は増えていった。どうやら魔法を使えば使うだけ、比例して魔力も増大していくようだった。それは私だけでなく、他の人にも言えた事だったけど。私の場合は他の人よりも増大量が多く、常人では扱えないような上級魔法を幾つも行使出来る程になった。

 魔法学校を卒業したら、私はお父さんのいる教会まで帰った。在学中から王都の警備兵や親衛隊、魔法学校の講師、魔法細工の職人、魔具開発を生業としている人等、色々な人からお誘いを貰ってたけど、全部丁寧に断った。私は一人で魔法を上達させたいと思っていたからと言うのもあるけど、本当の所は定職に就くよりも、自由な身でありたいと思っていたからだ。

 お父さんの所に帰るのに転移魔法は使わなかった。いや、使えなかった。私が魔法学校を卒業する間際に結構離れた村の教会へと異動となったので、そのついでにそちらに居を移したそうだ。私はその村に行った事が無かったので転移魔法が使えずに、おじいちゃんと一緒に地図を見ながら歩いて帰った。

 お父さんの所へ帰り、私とお父さん、それにおじいちゃんとの三人で久しぶりの家族揃っての食事、談話、魔法学校で教わった事を話したり、教会で起こった事を訊かせて貰ったりと積もる話を沢山した。魔法の実演もして見せた。お父さんは凄いって言って褒めてくれた。嬉しかった。……嬉しかったけど、私はやっぱりあの人にも褒めて貰いたいと思った。

 それから一年は、新しく配属された教会でお父さんの御手伝いをしていた。その一年のうちに一人暮らしをしたいとお願いした。理由は魔法の練習をするにしても教会では迷惑行為にしかならない事と、魔法薬を作ろうと思っていたんだけど、それ専用の部屋が無いと周囲に危険が及ぶ可能性があると習っていて、教会には専用部屋に出来そうな部屋が見当たらなかったからだ。

 お父さんは渋る顔を見せたけど、今度は直ぐに頷いてくれた。もう子供でもないし、それに魔法も使えるから魔物に襲われても大丈夫だろうと判断したからだそうだ。

 そして、私は一人暮らしをする事にした。二階建ての一軒家で、二階部分に魔法薬を作る専用の部屋を設けた。そこは私の寝室でもあった。そうしたのは魔法薬の製作で疲れても直ぐに寝れるようにという判断からだ。

 一人暮らしを始めても教会でお父さんの御手伝いをする事自体は変わらなかった。お父さんの御手伝いをして、魔法薬の製作をして、の繰り返しの日々を送っていた。魔法薬の製作でおじいちゃんにも色々と教わった。色々教わったけど、私にはどうしてもMP回復薬だけは作れなかった。

 一年経つと、私の家に勇者が訪れてきた。

 勇者は最近魔王の手下らしき者達が悪さを仕出かしており、国民は困っているそうで、その元凶たる魔王を倒す為に仲間を募っていると言っていた。そこで王都の魔法学校卒業の魔法使いで歴代最高峰とまで言われた私の助けを借りたい、と私を仲間に誘った。

 私は一言返事で首を縦に振った。断る理由が特に無かったし、別に定職に就く訳でもないからというのも勿論あるんだけど、勇者の仲間になれば色々な所に足を運ぶ事という旅の話を訊かされた時点で仲間になる事を決めていた。

 私は、私を助けてくれたあの人を捜したかった。

 本当は魔法学校を卒業して直ぐに捜したかったんだけど、何処にいるか分からない相手を捜すのにはそれなりの資金が必要になり、私はそれなりの資金を持っていなかったので断念した。定職について資金を得ると言う考えは最初からない。王都で定職に就くとほぼ確実に宮仕えが待っているので、自分のしたい事が出来なくなってしまうのだ。他の街に行って資金稼ぎをする程世間を知らないので、私は無難に魔法薬を作ってそれを村の人や王都に出向いてに売ったりして資金を稼いでいた。けど、あんまり集まらなかった。

 資金という点で言えば、勇者にはその心配がいらない。勇者は王の命で魔王退治をする運びとなったので、旅費は基本王から賜った軍資金で事足りるそうだ。そうでなくとも、普通に野宿をして過ごしたりもするそうだ。野宿は一人では危険だけど、夜の見張りが出来るくらいの人数が集まれば、魔物に襲われてもある程度対処出来る。それに、勇者ならそこらの魔物相手に後れをとる事は無いのでその心配も無かった。

 なので私は勇者パーティーの一員になり、私の勧めでおじいちゃんもパーティーに加入した。

 最初は私と勇者、おじいちゃんの三人だけだったけど、旅を進めていくうちに、男賢者に、女侍、女剣士、男暗殺者に、女召喚士の順に仲間を増やしていった。仲間が増える毎に、一緒に戦ったり、一緒に笑ったりと旅が段々楽しくなっていった。

 そんな楽しい旅でも、あの人の痕跡はまるでなかった。もしかしたら旅の途中であの人に会えるかもしれない、と思っていたけど、そんな事は無く、旅をして一年が経っても会う事は無かった。

 そして、ついに旅も終わりを迎える事となった。

 勇者が魔王の住んでいる城の場所を魔王の元部下から訊き出した。勇者は魔王城の偵察を私に頼んだ。私に頼んだ理由は、私が転移魔法を使えるからだ。転移魔法があれば、一度来た場所に即座に移動出来るのだ。なので魔王城に一度向かえば仲間の元に戻って、仲間を引き攣れて再び訪れる際に時間を食わずに済む。もっとも、転移魔法はMP消費が激しいのであまり乱用は出来ないけど、おじいちゃんがMP回復薬(大)をある程度作ってくれていたのでその心配は無かった。

 私は勇者に渡された地図を頼りに魔王城へと向かった。当時宿泊していた村から然程遠く離れていない場所に建っていたので、半日足らずで到着した。半日の間に、妙な懐かしさを感じていた。

 その懐かしさの正体を、魔王城を見て理解した。

 だって、魔王城はあの人の家だったんだから。

 一度だけあの人と一緒に家の周りをジョギングしたからこそ、この景色の記憶を奥底で覚えていたから、懐かしさを感じていた。

 そして、魔王とはあの人の事だと理解した。

 ただ漠然と地図を見てここに訪れたからという単純な理由だけじゃなくて、昔、あの人に教会まで転移魔法で送られて、「魔王城から逃げてきた」と言った事を思い出したからだ。

 どうしてあの人は教会で保護して貰う為の言葉としてわざわざ「魔王城から逃げてきた」を選んだのか? その理由が、あの人が住んでいる家が魔王城だからで、自分が魔王だからそのように提案したんだろう。

 私は扉をノックして、返事を待たずに中へと入った。

「どちら様でしょうか?」

 中に入ると、目の前にいた人に直ぐに言葉を掛けられた。目の前にいた人はあの人と一緒にいた女の人だった。女の人は訝しげな眼で私を見ていた。知らない人が返事を待たずに入ってきたのだから当然だろう。

「あの、お久しぶりです」

 私は頭を下げた。

「お久しぶり?」

 女の人は首を傾けて思案顔になった。

「私は昔ここで世話を焼いて貰った者なんですが」

「……あぁ、もしかしてあの時魔王様が拾ってきた人間の子ですか?」

 どうやら女の人は私の事を思いだしてくれたようで、警戒していた顔を綻ばせ、笑みを浮かべながら私の方へと小走りで近付いてきた。

 そして、女の人の言葉で、あの人が魔王であるという事が理解から確信に変わった。

「お久しぶりですね。元気にしていましたか?」

 手を優しく握って、女の人は私を愛おしそうに見た。

「はい」

「それはよかった。貴女の元気な姿を見れば、魔王様もきっと喜ぶでしょう。……おや?魔力が増え、量だけでなく質も上がってますね。もしや貴方は魔法使いにでもなっているのでしょうか?」

「はい」

「まぁ、そうでしたか。でしたらやはり名は知れているのでしょうか?」

「そうですね。魔法学校卒業生では歴代最高峰と言われています」

「それはそれは凄いですね。これを訊いたら魔王様はますます喜ぶと思いますよ」

「あの」

「何でしょうか?」

「実は……」

 私は意を決して話し始めた。私は勇者パーティーに所属している事。勇者が魔王城の位置を把握している事。私が偵察に来た事。偵察が終われば勇者パーティー全員で魔王城に攻め込む手筈となっている事。それに、私個人があの人――魔王を捜していた事を包み隠さずに話した。

 そして、私は女の人にある提案をした。

 魔王を私が一時的に匿って、勇者には幻術魔法で作った偽の魔王を倒させよう、と。

 女の人は頷いてくれた。女の人も一緒に匿うと言ったのだが、女の人はやんわりと否と答えた。「偽りの魔王様が倒された後の始末がありますから。それで、魔王様を二週間程預かって貰えませんか?」と。

 私は魔王に会わずに、直ぐ様転移魔法で勇者と仲間が待っている宿へと戻り、嘘の報告をして二日後に襲撃する手筈となった。

 勇者が寝入った頃合を見計らい、私は勇者以外の仲間を自室に呼び寄せた。

 理由はお願いがあったからだ。

「魔王を匿うのに協力して」

 当然だが、そのような事をいきなり言われて納得出来る者はおらず、暫し喰って掛かられた。

 私は魔王が私が捜していた命の恩人であると説明した。また、魔王は心根が優しく、例え魔物であろうと殺す事を躊躇っているという事も伝えた。

 伝えはしたけど、それでも頷いてくれない者もいた。そのような仲間におじいちゃんと女侍が色々と言ってくれて何とか納得してくれた。

 ただし、条件付きであった。

 魔王の無力化。それが絶対条件だった。

 いくら優しくても魔王は魔王。普通の人では太刀打ちも出来ない程に強大な存在なのだ。そのような存在を拉致するのだから、倒す事よりも危険が伴う行動は取りたくないそうだ。

 なので私は王都で売っていた魔王攻略本に書かれていた内容を実行する事にした。

 角を切り落とす。そうすれば魔王は無力化出来る。

 しかし、角を切るにしても、魔王がそれをさせてくれる訳も無い。なので私はおじいちゃんに頼んで強力な睡眠薬を作って貰った。見た目が物凄く光り輝いているのが難点だったけど、上手く騙せれてくれる事を願うしかなかった。

 翌日、私は魔王がジョギングに出掛けている時間帯に魔王城に転移魔法で移動し、女の人に今日魔王を匿う為の行動に出ると伝えた。女の人は私にメイド服を与えてくれた。「それを着て新しく雇われたメイドだと偽る方が無難でしょう」だそうで、何が無難なのかは分からなかったけど女の人の言葉に従う事にした。

 何でも、魔王は今日ジョギングは行かず、部屋で寝込んでいるそうだ。前日に真冬の湖に落ちて風邪を引いてしまい、高熱でうなされているそうなので、黄金色の睡眠薬を食事に投入してもばれないと女の人が言っていた。魔王でも風邪を引くのだなと思ってしまった。そう思ってしまうよりも先にあの人の心配をすべきだろうと自分を責めた。

 私は女の人が作った御粥に睡眠薬を投入して、魔王の部屋へと持って行った。

 ずっと会いたかった人が、ベッドに入って目を閉じていた。赤くなって汗をかいているその顔を見てしまうと、今直ぐにでも回復魔法で治してあげたくなったけど、今は駄目だと自分を制した。今治してしまえば、もしかしたら睡眠薬入りの御粥を食べて貰えないかもしれないと思ったからだ。

 私は自分に鞭を打って御粥を魔王の元へと運ぶ。

「お前は?」

 近付くと、気配に気付いたのか魔王が薄らと目を開けてあまり視線が定まっていない眼で私を見てそう呟いた。

「バイトで本日から勤務する事になった新人メイドでございます」

 私は嘘でもそう言うしかなかった。魔王は女の人と同様に私の事を覚えてないようだったし、それに風邪を引いている今の魔王じゃ思考が鮮明でもないから分からなくても当然だった。また、私は自分の事を説明する気は無かった。少なくとも、魔王を匿う必要が無くなるまでは。

 魔王が私の事を思いだしてくれれば、喜んでくれるかもしれない、いや、きっと喜ぶだろうと思った。けど、久しぶりに会った私の策で角を失う事になったと知れば魔王は酷く悲しむだろうとも思った。

 だから、私は自分の事を――昔魔王に助けられた事を言わないでおこうと誓った。知らない相手に眠らされ、知らない相手に角を切り落とされ、知らない相手に監禁されていた方がまだ精神的な負担は減るだろう。

 私は魔王の悲しそうな顔を見たくないし、残念そうな顔も見たくない。

 そんな顔を見るくらいなら、私に憎しみや恨みの籠った顔を向けて貰った方がマシだと思った。そして、何も知らないまま角を返して、会わないようにすればいい。そうすれば魔王は哀しそうな顔をしないで済む。

 私は本当はずっと一緒にいたいと思うけど、それはこの計画を実行する上では叶わない事だ。それに、これは単なる我が儘でしかないし、魔王の事を考えてない。

 魔王が御粥を口にして完全に眠ると、私はまず回復魔法で風邪を治してから転移魔法で仲間の待つ宿の一室へと転移魔法で移動させ、次に私も転移させた。

 その部屋で私は女侍に頼んで、魔王の角だけを髪の毛一本切らずに根元から綺麗に切って貰った。切り落とした角は、私が責任を持って管理する事にしていた。仲間に渡すのは嫌だった。何せ、角を壊されてしまう場合もあったからだ。そうしてしまうと、魔王には力が永久に戻らなくなってしまう。それだけはなんとしても回避したい事だったので、私が持ち歩く事にした。

 そして、眠る魔王を私の家に転移させて、おじいちゃんが作ってくれたMP回復薬(大)を飲んで、仲間と一緒に魔王城へと偽りの殲滅をしに行った。

 私は全員に幻術魔法を掛け、あたかも数々の配下を倒しながら、魔王の元へと向かっているようにした。魔王城にいた女の人は御粥を私に渡した後すぐに魔王城から出て行ったから巻き込んでしまう心配は無かった。なので、幻術魔法を掛けたとばれないように私も全力で魔法を放った。

 そして、偽りの魔王を倒し、勇者は王都へと戻り、私は自分の家に戻った。勇者パーティー全員を私が転移魔法で移動させた。その方が直ぐに行動に移れたからそうした。勇者は直ぐに王に魔王を倒したと報告したようで、直ぐに御触れが回された。

 私は魔王が起きるまで待って、起きてからはわざと悪役のような立ち回りになって、二週間は魔王城に帰さないようにした。

 その間、私はあからさまに嫌がられるような、迷惑としか取れない行動ばっかりを取っていた。嫌われれば、魔王は二度と私の顔を見たくないって思うだろうし。それでも、いくら嫌われればいいとは思っていても本気で魔王の事を傷付けようとは絶対にしなかった。そして、その行動は行き過ぎたものではあったけど、私の本心から滲み出た行動だった。

 実際に、私は魔王の事が好き。魔王が死ぬような事になるなら、代わりに私が死んでもいいってくらいに好き。

 ただ私を助けてくれただけで好きになった訳じゃなくて、多く魔力を持っている私に畏怖しなかった。私を一人の人間として接してくれた。一緒にいると私の事を何時も気に掛けてくれた。そのような事が幾重にも折り重なって、それが一つの感情を作り上げた。

 好き、という短いながらも深い意味のを持っている感情を。

 さて。

 私の生きた軌跡を見た夢が終わりを告げようとしている。

 それよりも、私はどうして夢を見ているのかが分からなかった。

 今更ながら思い出したけど、私はまだ眠りにすら入っていない筈で、夢なんて見れる筈が無かった。だったらどうして夢を見てるんだろう?

 もしかして、実は知らないうちに寝てしまっていたとかかな? 凄く疲れてたからとか?

 ……それも無いな。

 だって、今物凄く眠気が襲ってくるんだもん。寝てる筈無い。それに、体に力が入らないし、少し温かい何かに包まれるような感覚にある。その何かは布団とは違くて、まるでお風呂にでも浸かっているような感覚だった。

 私は今何処にいるんだろう?

 私は何をしていたんだろう?

 思い出せない。けど、思い出せなくてもいいや。

 一度眠って、起きてから思い出せばいい。

 そう、起きてか、ら、思い出、せば、いい、ん、だ……か、ら……。

 ………………。

 …………。

 ……。


#  #  #


「……殿っ! 女魔法使い殿っ!」

 誰かが私を呼んでいる。

 いや、誰かじゃないか。この呼び方は女侍だ。女侍が私を呼んでいる。

 私は閉じていた目を開けて、女侍の声がした方へと首を巡らせる。

「……何?」

 ここはどうやら宿か何かのようだった。私はベッドに横になり、布団を肩まで掛けて寝ていたようだ。

 寝ていた筈だけど、かなり疲れていた。虚脱感が凄く、四肢に力が入らなかった。このまま二度寝がしたいくらいだ。

 けど、二度寝する前に女侍にそう言わないといけなかった。

 だって、女侍は顔をくしゃくしゃにして、涙をぼろぼろ流しながら私の手を握ってたんだから。

 女侍がこんな顔をするのを初めて見たから、放っとけなかった。

「女魔法使い殿っ⁉」

 女侍は私が眼を覚ましたのを確認すると、くしゃくしゃにしていた顔を更に歪めて泣きじゃくった。

「よかったでござる……本当によかったでござる……っ!」

 私の手を握っている手を額に当てながら泣いている女侍に何がよかったのかと質問しようとも思ったけど、もう限界だった。

 虚脱感が、疲れが私を再び深い眠りへと誘っていく。

 私は遠退いて行く意識で、魔王は今何をしているんだろう、と思った。


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