09
俺は蒸気船の浮かんでいた場所をイメージして転移魔法を使ったのだが、俺が転移された場所は海の上であった。そこには船なぞ一つも無い。
俺は直ぐ様飛翔魔法を使って空を飛び、周りを見る。
そして見つけた。
三百メートル先で漂っている巨大な鰭を。
俺はその鰭に向かって全力の広範囲破壊魔法をぶっ放した。
掌から放たれた光球はものすんげぇ勢いで鰭へと突撃し、接触すると半径二百メートルもの大爆発をする。
その爆発により、海の水が蒸発し、巨大な鰭の主である神獣――バハムトの姿が顕わになる。
バハムトは俺の全力の広範囲破壊魔法で傷一つついていなかった。流石は神獣といった所か。魔王の一撃にビクともしないとはな。恐れ入るぜ。
まぁ、そうなるだろうと予測して遠慮なく全力でぶっ放したんだけどな。
バハムトは数少ない、俺が本気を出しても決して殺す事の出来ない相手なのだからな。
だから、俺も全力を出せるってもんだ。
広範囲破壊魔法の爆発を受けたバハムトは身体を反転させ、輝く目を俺に向けると、エネルギーを無駄に消費しないように泳いでいた時とは一変し、ものすんげぇ速さで俺に突進してきた。
俺は上空に上がって回避する。
しかし、バハムトは俺の動きに合わせて盛大に飛び跳ねた。
飛翔魔法による上昇速度よりも、バハムトが飛び跳ねて上空へと向かう速さの方が上であった為、あっさりと抜かされ、バハムトの腹が俺目掛けて落ちてくる。
俺は空中で無防備になっているバハムトに向かって再び広範囲破壊魔法を放つ。光弾が尻尾寄りの腹に命中し、そこを中心とした大爆発を巻き起こす。
爆発の巻き添え、余波をくらわぬように俺は転移魔法で二百メートル向こうへと逃げる。
俺は何もバハムトを倒そうと広範囲破壊魔法をぶっ放している訳ではない。
バハムトの口を開けさせる為に、俺は広範囲破壊魔法をぶっ放しているんだ。
蒸気船はバハムトに呑まれた。転移先に蒸気船が無かったのがその証拠だ。だから、今は閉ざされてしまっているバハムトの口を開けさせ体内に侵入し、蒸気船に乗っている女魔法使いの所へと向かおうとしているのだ。
バハムトは消化が遅いと神獣図鑑に書いてあったが、それでも安心は出来ない。
いくら消化が遅くとも、中が安全で無い事に変わりは無く、もし蒸気船と同時か以前以後にシンやクラーケンといった大型のモンスターも呑み込んでいたならば更に危険度は増してしまう。
それだけは何としても回避したい為に、俺はバハムトの口を開けようとしている。
俺は海に着水し、大きな波を形成させたバハムトの正面に回り込むと、口目掛けて広範囲破壊魔法を放つ。
バハムトは三回目となる俺の唯一の攻撃魔法を口にくらう瞬間に首を振って光球を角に接触させる。
すると、角に触れた光球は首を振った方向へと進路を変更させられた。いや、そちらの方向に打たれたと言った方が正しいだろうな。
光球は彼方へと消え去り、遥か遠くで爆音が鳴り響き、大気が震えた。
あ、もしかして飛翔タイプの大型モンスターにでも当たっちまったかな?
やべぇな。不可抗力とは言え俺の魔法で何かが死ぬのは勘弁だ。そのモンスターが死んでない事を祈ろう。
俺は爆音の成り響いた方向からバハムトに視線を移す。
恐らく、バハムトの角には魔法反射機能でも備わっているのだろう。そうでなければ広範囲破壊魔法が発動もせずに打たれる事は無いのだ。
広範囲破壊魔法は何かに当たれば必ず爆発を起こすのだから。
バハムトの知能は低くない。それを分からせる行為であった。
もう一度広範囲破壊魔法をしたとしても、十中八九打ち返される展開になる。
そうなると、無駄にMPを消費するだけで何も進展しない。
今の俺はMPが回復出来ない状態なので、節約しなければならない。
でも、このままではいくら節約したとしても四十分後にはMP切れを起こすだろう。
そうなると飛翔魔法も使えずに海へとダイブし、バハムトに食われるか押し潰されるか、はたまた角で串刺しにされるかの運命にある。
そうなる前に、何としてもバハムトの腹の中に入らなくては。
いや、そうじゃない。
転移魔法を二回使えるMPを残したまま入らなくては意味が無い。
そうでなければ、女魔法使いを助けたとしても、俺が助からない。
俺が自己犠牲によって女魔法使いを助けたとしても、女魔法使いは決して納得しないだろう。
俺が納得しなかったのと同じようにな。
……というかさ、バハムトの角には魔法を跳ね返す効果があるって神獣図鑑には書いてなかったんだけど。ちょっと不親切なんじゃないかな?
この調子だと、もしかしたらまた図鑑に書かれていない事をしてきたり……いや、大丈夫だろう。うん、大丈夫大丈夫。相手は魚だし、いくら知能があっても道具を使ったりはしない。
そんな事を思っていると、俺を見据えるバハムトの右角と左角を繋ぐかのように帯状の光が不規則に乱れながら形成されていく。
「……まさかっ!」
嫌な展開が頭に浮かんだ俺は直ぐ様上空へと舞い上がる。
それと同時にバハムトの角と角の間に生じ、顔面を覆うように形成された光の帯からは幾百幾千もの光の矢が放たれた。
俺は撃たれ続ける矢を縦横無尽に飛んで避ける。この矢は閃光魔法に分類されるものに酷似しており、魔力を帯びていた。
しかもこの矢の進行速度は思っていたものより速く、普通に弓から放たれた矢の五倍のスピードを有していた。
こいつ、魔法も使えんのかよっ⁉ もしくは魔力を練って体外に放出して攻撃をする術を持ってやがる! 流石は神獣様だなコンチキショウ!
しかもこの光の矢は外れると方向を勝手に変換し、舞い戻ってきやがる!
俺は前方だけでなく後方と横方向にも気を配りながら避けていく。流石に一度方向転換した矢はそれ以上は方向を変えず、一定距離移動すると燐光となって消え去った。
こんな弾幕を躱すのは一苦労以上に十苦労くらいはするよ!
飛翔魔法のMP消費は速度ではなく時間によるものなので最大速度で飛んでいても消費量自体は変わらないが、常に全方位からの攻撃に注意しなければならないので神経が磨り減り、体力に響いてくる。
今の状態でも結構ぎりぎりなのだが、バハムトは更に光の矢の数を増やしやがった!
その数、一万以上。
雨霰のように襲い掛かってくる光の矢を避け切れなくなり、身体に突き刺さり、貫通する。
右前腕に、左肩に、左太腿に、左上腕に右手の甲に、左眼球に、左胸に、鳩尾に、右脛に、喉仏に。
「ぎぐ……っ‼」
膨大な魔力により、大抵の攻撃は通じない俺の身体だが、どうやらバハムトの魔力は俺の魔力を遥かに上回っているようで、普通の矢とさほど変わらない大きさの光の矢でさえ俺の身体をいとも容易く貫く程の威力を備えていた。
けれども、サイズが小さい故か、一撃で俺の命を刈り取る程の威力は有していない。
俺は呼吸が出来ず、ものすんげぇ激痛が全身を走り、口と貫かれて出来てしまった孔から血液を噴出させながらも転移魔法を発動させ、バハムトの背後に回る。
そして直ぐ様自分に回復魔法を掛け、全快にする。傷を治す速度を急激に速めるだけの治癒促進魔法とは違い、回復魔法は流出した血液と同量の血液を即座に生み出し、補給させる。その分、MP消費は治癒促進魔法よりも多くなってしまうが、致し方が無い。
流石は魔王の身体。身体の至る所を貫かれても生きているとは驚きだ。今まで全身を貫かれるような出来事は全く無かったので改めて俺の生命力に感嘆する。
しかし、いくら生命力が強くてもこんな弾幕攻撃を受けていては絶対に死ぬ。
俺は防御力を一時的に二倍にまで底上げさせる防御魔法を発動させ、広範囲破壊魔法をバハムトの背中にゼロ距離でぶっ放した。
俺は爆発の余波を利用してバハムトから距離を取り、体勢を立て直す。防御呪文を使用しているので広範囲破壊魔法によるダメージも軽減出来た。とはいえ、皮膚が焼け爛れてしまったが、それは回復魔法で即行治した。
それにしても、俺の広範囲破壊魔法よりもバハムトの光の矢の弾幕攻撃の方がよっぽど広範囲破壊に適している気がする。射程も五百メートルはあるだろうし、それに毎秒一万数千もの矢が襲ってくるのだからたまったものではない。しかも一度だけとはいえ戻ってくる特性もあるのだから更に酷い。
バハムトはあちこちに顔を向け、俺を捕捉すると光の矢を放ってきた。
俺は広範囲破壊魔法を前方にぶっ放す。
光の矢に光球が接触すると、大爆発が巻き起こった。どうやら光の矢は接触判定がある用だ。
爆風でいくらか光の矢が消失し、いくらかが速度を失って落ちていく。光の矢の魔力の総量は広範囲破壊魔法よりも多いのだが、一本一本ではそうでもないようで爆風に巻き込まれてその数を減らした。
一万数千もの矢は数百にまで減った。これならば俺は難なく避ける事が出来る。
ただ、この広範囲破壊魔法による光の矢の殲滅は非効率だ。
こちらは出来るだけMPを温存したいのだが、バハムトの方はどうやら攻撃を仕掛けた俺を許す気は毛頭ないようで、MP残量なぞ気にする素振りを見せずに景気よく光の矢を射出し続ける。一度標的にしたら食うか殺すかするまでは執拗に折って来ると神獣図鑑には書いてあった。どうやら完全に標的にされたようだった。
俺は広範囲破壊魔法で光の矢を払いながら、どうにかしてバハムトの体内へと侵入するかを考えるが、どうしても浮かんでこない。バハムトが口を開けてれば簡単に侵入出来るのだが、如何せんバハムトは口を開けようとしない。鼻も同様だ。
鰓から侵入出来れば苦も無いのだろうがバハムトには鰓が存在しない。バハムトは空気中もしくは水中に含まれる酸素を鱗から吸収し、空気管を通して肺へと送り血液に溶かして全身へと行き渡らせ、二酸化炭素を逆の順序で排出するという奇妙な呼吸法を行うと神獣図鑑に書いてあった。
肛門から侵入という手もあるにはあるのだが、肛門筋がいやに強力そうで、下手をすれば侵入途中でものすんげぇ力で押し潰されて死んでしまうという情けない展開が待ち受けているような気がして却下した。
身体に孔を開けて侵入という方法もあるが、俺はバハムトを傷付けたくない。バハムトはあくまで生きる為に食べているのだから当然の行為をしているだけだ。俺の行為はバハムトにとっては傍迷惑なエゴに見えるだろう。だから、自然の行為をしているだけのバハムトを傷つけたくない。
……つーか、そう思おうが思わまいが今の俺ではバハムトの身体に孔を開ける事はおろか鱗一枚引き剥す事さえ出来ない。力量の差があり過ぎる。なのでこちらは考え以前に現実的に無理だ。
考えあぐね、光の矢を回避し続けているしかない行動を何回も取る。体力的な限界も迎えてきているようで、広範囲破壊魔法で大方を無効化していてもいくらはか身体に突き刺さる。貫かれなくなったのは防御魔法の御蔭であるが、それでも刺す程の威力を矢は備えていた。
ふと、バハムトの攻撃が止んだ。
しかし、俺はそれを訝しんだ。
バハムトの魔力は俺を遥かに上回る程のものなので、MPの量も比例して多い筈なので、これしきの光の矢を放っただけではMP切れを起こす事は無いと踏んでいる。
俺はバハムトを見て唖然としてしまった。
バハムトは光の帯を顔面を覆うようにしてそこに一本の巨大な光の矢を形成させていた。
全長五十メートルものそれは先程の小さな矢の三倍の速度を持って発射された。
俺は即座に広範囲破壊魔法を三発放って相殺を試みる。
しかし、巨大な光の矢は相殺される事無く俺に向かってくる。
幸いであったのは、軌道が少しだけずれた事だろう。
光の矢は俺の胸から下の部位を消失させた。痛みも無く、血も吹き出なかった。
俺は痛みが神経を激走して脳内へと送り届けられる前に構築魔法を発動し、失われた部位を構築し、回復魔法でそれを癒着させる。無くなった衣服も構築魔法で作り出す。
構築魔法は物質を構築する魔法であり、回復魔法よりもMPを消費する。しかし、回復魔法では回復出来ない欠損部分を補う事が可能なので重宝はするが、このように自分の欠損部分に対して発動するのは今回が初めてだ。
いくら身体を消失させられようとも構築魔法がある限りは大丈夫なのだが、MP消費があまりにも非効率であり、この局面では特に適さない。
構築魔法と回復魔法を使った事により、残りのMPが転移魔法三回分と飛翔魔法五分分しか残っていない。
このままあの巨大な光の矢をくらえば、その時点で終わりだ。
バハムトはまた巨大な光の矢を形成し始めた。
しかし、この巨大な光の矢を放ってくる事により、一筋の希望が見えた。
バハムトはこの巨大な光の矢を放った瞬間、僅かにだが口を開いたのを俺はしかと見た。
恐らく巨大な光の矢を発射する際の反動で開いてしまうのだろう。
俺は全神経をバハムトの動きに向け、光の矢が放たれた瞬間に転移魔法でバハムトの目の前へと転移するようにイメージを開始する。
時間の流れが何十倍何百倍にも圧縮され、何時間もの間バハムトの動きを見続けていた気がする。
鈍い時の流れの中で光の矢が完成した。
完成されたと同時に時の流れは通常に戻り、発射され、俺は転移魔法を発動した。
眼前へと来ると飛翔魔法の限界速度で開いた口へと飛び込んでいく。
バハムトは転移して来た俺に気付き、口を閉じていく。
どんどん閉じていく口の隙間。
俺は難とか通過し、口内へと侵入する事に成功した。
その代わりに、左足の脛から下が消え去ったが。
流石にぎりぎりのタイミングであり、左足が閉じた口に挟まり、噛み千切られてしまったのだ。
もう構築魔法を使用するだけの余裕は無い。それに加えて回復魔法も治癒魔法も一度使ってしまったら転移魔法が一回しか使えなくなってしまう。
しかし、そんな事はどうでもいい。
俺は血が滴る左足を回復させずに、刺激の強いすえた臭いが漂う奥へと向かって飛ぶ。
ある程度飛ぶと広大な空間に出た。恐らく、ここがバハムトの胃の中だろう。
胃壁の間際にはクラーケンが何体かおり、触手を叩き付けて胃壁を壊そうとしていた。しかし、触手と全身は胃液によって焼け爛れており、胃壁に衝突した触手は無前に崩れ落ちた。
俺は当たりを見渡すまでも無く中央に浮かんでいる蒸気船を発見した。
蒸気船まで飛び、甲板を確認するが、女魔法使いはそこにはいなかった。
恐らく船内に避難でもしたのではないかと思い、甲板すれすれまで降りると船内へと続く扉に手を伸ばして開け放つ。
開ける時にバハムトの胃液に接触してしまった。これにより、バハムトの胃液の特性を知ってしまった。
バハムトの胃液に触れると、魔力が削られる。
正確に言えば、バハムトの胃液に接触した部位に流れる魔力が胃液へと溶け出し、自身の魔力量が減ってしまうのだ。
この特性により、バハムトは胃液に溶けた魔力を栄養と共に身体全体へと行き渡らせているのだろう。だからバハムトは強大な魔力を持つようになったのだと推測する。
そして、嫌な予感が頭を過ぎってしまった。
俺は船内の扉という扉を次々と開け放ち、女魔法使いを捜しまくる。
俺と女魔法使いが取っていた寝室に、女魔法使いは横たわっていた。
身動き一つせず、骨を連想させてしまうくらいに青白い肌を晒しながら。
俺は女魔法使いを助け起こし、軽く揺さぶる。
女魔法使いは動かなかった。
俺は女魔法使いの口と鼻の前に手を翳して呼吸を確認した。
女魔法使いは息をしていなかった。
俺は女魔法使いの手首を掴んで脈を確かめた。
脈は無かった。
俺は女魔法使いの胸に触れ、鼓動があるか確認した。
心臓は動いていなかった。
俺は女魔法付きの閉じられた瞳を開け、瞳の様子を覗き見た。
瞳孔は開いたままだった。
俺は血の気が下がる音を鼓膜の内側で感じ取り、良好であった視界が急速に狭まる感覚に襲われた。
俺の首は勝手に窓へと向いた。
窓はガラスが砕け散り、そこからバハムトの胃液が室内に侵入してきている。
恐らく、この窓ガラスはバハムトが急速に動いたり、暴れた事によって胃液の海が揺れ動き、それで生じた衝撃に耐えられずに割れたのだろう。
女魔法使いは侵入してきた胃液に全身を浸るようにして床に横たわっていた。
胃液には魔力を削ぎ落す特性がある。
魔力とは、言い換えれば生命力そのものだ。
魔王である俺や人間ではない臣下、モンスターならば魔力を極限まで減らされても生きていられる。
しかし、人間は違う。
人間は魔王の俺や臣下、モンスターよりも脆弱で儚い存在なのだ。こと魔力に関して言えば特に。
人間は魔力を少しでも削ぎ落とされてしまうと全身に焼かれたかのような激痛が走るそうだ。人によってはその痛みでショック死してしまう者もいるという。
少しだけならば耐えれる人間はいるのだが、それでも、魔力を失えばそれだけで虚脱感に見舞われ、身動き一つ出来なくなる。魔力を一定量失えば、人間はそれだけで簡単に死んでしまうのだ。
女魔法使いは、防御魔法も、結界魔法も使えるだけのMPを残しておらず、為す術も無いまま胃液の浸食の餌食となってしまった。
その結果、女魔法使いは死んでしまった。
俺は転移魔法を発動させ、女魔法使いをホウクカイド国へと転移させる。
ついで俺も同じ場所に転移する。
そこはホウクカイド国であるが、避難させた人間がいる第一港ではなく、この国で一番高い山であるカカル山の麓だ。
第一港に転移しなかったのは、こんな姿になってしまった女魔法使いを公けに晒したくなかったからだ。
ホウクカイド国は雪国であり、現在も雪が降りしきり、地面に積雪されていく。肌を刺すような鋭い痛みが襲ってくるが、それは氷点下の気温が影響しているのだろう。
しかし、俺にとっては些末な事でしかない。
俺は先に転移させていた女魔法使いの方へと飛んで行く。
途中までは飛んで行ったのだが、MPが完全に底をついて顔面から雪に落ちてしまったので、両の手を使って緩慢な動作で這って行った。
這う際に左足の傷口に雪が接触して激痛が走ったが、そんな事では俺は動きを止めず、顔を歪めなかった。
僅かに雪が積もってしまった女魔法使いの傍まで来ると、雪を払い除けて手を伸ばす。
頬に触れる。
冷たい。体温を全く感じない。この氷点下の気温の所為か、次第に硬くなっていく。
「……ぁ、ぁあ……」
俺は重くなってしまった手を女魔法使いの頬から放し、重力に任せて雪に顔を埋(うず)める。
俺の目尻に涙が溜まっていく。
「ぁぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ‼‼‼」
そして、嘆いた。
喉が潰れても、構わずに肺に溜まった空気を全て吐き出し、声帯を滅茶苦茶に震わせて泣いた。
俺が効率を重視ししなければ!
俺が逃げ遅れを確認しなておけば!
女魔法使いは死ぬ事は無かった!
俺が効率を重視したばっかりに!
俺が逃げ遅れを確認しなかったばっかりに!
女魔法使いは死んでしまった!
俺が広範囲破壊魔法でバハムトを攻撃しなければ!
俺がバハムトを暴れさせなければ!
女魔法使いはまだ生きていたかもしれなかった!
俺が広範囲破壊魔法でバハムトを攻撃してしまったから!
俺がバハムトを暴れさせてしまったから!
女魔法使いは全身に胃液を浴びて、死んでしまった!
俺の所為だ!
全部俺が招いた結果だ!
俺の行動の所為で、俺を拉致し、俺に好意を寄せていた女魔法使いは死んでしまった!
蘇生魔法が使えれば、迷わずに使う!
けれども、もうMPは底をついた!
それ以前に、蘇生魔法は神にしか使えない禁断の魔法だ!
それが意味する事は、例え魔王であっても死を克服出来ないという事!
一人の命も救えないで何が魔王だ!
いくら魔力が膨大でも! いくら強靭でも! 意味が無い!
俺は自分を憎む!
自分一人の勝手で本来死なずに済んだかもしれない人が死んでしまった!
本来なら自分が死ぬべきだったのに!
女魔法使いが、自分自身に転移魔法を使ってくれればよかったのに!
しかし、いくら嘆いても。いくら自責しても。いくら後悔しても。
女魔法使いは、もう喋る事は無い。もう微笑む事は無い。もう俺に抱き着いてくる事も無い。
魔王は無力だ。
結局、魔王一人で出来る事はたかが知れている。
奇跡でも起きない限り、この状況は変えられない。
それこそ神頼みしかない。
俺は必死で頼み込んだ。
けれども、神は魔王の言葉に決して耳を傾ける事は無かった。
奇跡は、起きない。
奇跡なんて、ない。
奇跡なんてのは、ただの虚言に過ぎない。
俺は絶望の淵に追いやられたまま、その場で無様に泣き叫んでいた。
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