08
俺の自室は天井は崩落し、壁は吹き飛び、床は抉れ、ベッドは大破、瓦礫の山が至る所に積み上げられているという大惨事な状況だった。
これは勇者パーティーがこの部屋で幻術魔法で見せられた魔王と全力で戦闘したからだろう。
とすると、魔王城は内外問わずに損壊が激しいかもしれない。
廊下でモンスターとエンカウントしたと見せ掛けたり、ある部屋に行けば、中ボス的な敵と相対してバトルする流れを見せられたり、部屋の鍵が見つからないから扉をふっとばされてたりするんだろうなぁ。
が、今の俺にはそんな事はどうでもいい。些末過ぎる事だ。
今の俺には時間が惜しい。
早く女魔法使いを助けに行かないと!
俺はあいつに訊くべき事もあるんだ。
どうやら、俺と女魔法使いは昔会った事があるらしい。
それもどうやら、俺は女魔王使いをその時に助けていたようだ。
それが何だか分からないが、それが原因で俺は拉致され、好意を寄せていたようなのだ。
その訳を訊かなければいけないという事もあるのだが、それ以前に俺の目の前であんな風に自己犠牲みたいな死に方をさせたくない。
「魔王様?」
と、廃墟と化した俺の部屋に一人の髪を結んだ女が入ってきた。
人間の見た目で二十代半ばと窺えるそいつは俺に唯一仕えてくれている臣下だ。
久しぶりに見た臣下の身体を爪先から頭のてっぺんまで隈なく見るが、変わった所は何も見受けられなかった。
よかった、勇者に怪我とかは負わされていないようだ。俺はほっと一息吐く。
「どうやら、無事だったようですね」
臣下も俺が無事である事に安心し、胸を撫で下ろした。
というか、この口振りだと臣下は俺が連れ去られた事を知っていたらしい。
「迎えに行けなくて申し訳ありません。何分、タイミングが悪かったので」
「タイミング?」
もしかして、実は勇者パーティーと戦闘をして傷を負い、その回復に専念していたとかか?
とか思う俺の予想とは裏腹の言葉を臣下は口にする。
「はい。ほんの一時間前まで魔王城で大規模な戦闘をしていましたからね。私一人対大勢で」
「はぁ⁉ 戦闘⁉」
マジすか⁉ もしかしてこの部屋の荒れようって勇者パーティーが攻め入った時に出来たやつじゃないの⁉ いや、それもあるだろうけど、勇者が破壊したプラスアルファでこうなっているんだろうなぁきっと。
「因みにどんな奴等と戦ってたんだ?」
「歴代の魔王様に仕えていた者達です」
臣下は眉を顰めながら言う。
「全く、魔王様が倒されたと訊くとずかずかと勝手に戻ってきて、新たに強い者を魔王にしようとかぬかしましてね。むかついたんで蹴散らしてやりました」
そんな臣下の声には怒りが込められていた。
「蹴散らしたって……殺してたりしてないよな?」
「まさか、魔王様の言いつけは守って誰一人殺していませんよ」
臣下はきっぱりとそう言ってくれた。
俺の思想――というよりも一方的な命令みたいな言葉に素直に従っていてくれて、嬉しかった。でも、相手を殺さないで戦いを終わらせるのは俺が思っている以上に大変だっただろうな。あとで臣下に何か喜びそうな事をしよう。
「私は魔王様のには数段劣りますが、見よう見真似で広範囲破壊魔法を奴等に向けてぶっ放しまくっていました」
「魔王城の現状ってもしかしてお前が原因⁉」
まさか臣下に破壊されるとは思わなかったよ!
「まぁ、六割方は。しかし残りの一割は大規模戦闘が起こる前に来た勇者達の攻撃で、三割は大規模戦闘時の元同胞が電撃魔法やら重力魔法やらを乱発してきやがったのが原因ですけどね。そんな元同胞が放った魔法は私には効きませんでしたけど」
臣下は得意満面にそんな事を言う。
そうだろう。臣下に魔法を放っても意味が無い。
臣下は特異体質であり、魔法を一切受け付けない身体なのだ。
それが魔王である俺よりも生存能力があるとはそういう意味であり、それに加えて基本的な身体の頑丈さというのも俺の次くらいに高い。魔力自体は俺の半分も無く、女魔法使いより少しあるくらいか。
故に生半可な攻撃は勿論の事、魔法攻撃は一切臣下には通じないのだ。
反面、魔法を受け付けないとは自身に飛翔魔法を掛けても飛ぶ事は出来ず、治癒促進魔法を掛けても傷の治りが早くなる事は無いという短所も持ち合わせている。
まぁ、そのように傷を負う事自体が稀なので、あまり気にならないと言えば気にならないが。
俺はこの臣下の特異体質を魔王に就任して他の臣下がいなくなった後直ぐに本人から訊かされた。
試しに広範囲破壊魔法を縮小して威力も抑えたやつをぶっ放して下さいよ、と言われたが、流石にそれでもヤバいと思ったので転移魔法を掛ける事にして、一向に転移されない事で魔法が効かない体質だと信じた次第だ。
「っていうか、その大規模戦闘って何時から始まったんだよ?」
「六日前ですけど」
臣下はしれっとそう言っちゃいましたよ!
「お前、六日も戦いっ放しだったのか⁉」
「はい。で、勝ちました」
得意満面でピースまでつける臣下。いや、確かに魔力量では自分よりも上の奴等と立ち回り――しかも相手を殺さないという制限つきで六日戦い通して勝つのはいくら頑丈で魔力が効かないからといってもものすんげぇ骨が折れるもので誇れるものではある。
だけど、こんな風にちょいとしたパーティーゲームに勝利して一位になりました的な喜び方をされても場違いというか何というか。ここはもうちょっと戦い抜いて貫禄というものを身に付けた喜び方をするんじゃないだろうか?
「いやぁ、流石に六日は疲れますね。MPを切らさないようにMP回復薬(大)を飲んでなければもっと長引いたでしょうね」
「まぁ、六日も戦かってりゃMP回復しながらやんなきゃ……ってちょっと待て!」
俺は臣下の言葉に聞き逃してはならない単語が含まれていた事に気付いた。
「どうしました?」
「お前、今『MP回復薬(大)』って言ったか?」
「はい、言いましたよ」
臣下は首肯する。
これは……もしかしてっ⁉
「今MP回復薬あるか⁉ (小)でも(中)でもいい! あったら直ぐに出してくれ!」
「すみません。私の手持ちは全て使い切ってしまいました」
俺の必死な剣幕に臣下は済まなそうに頭を下げて言ってくる。
いや、済まなそうにしなくていい。一体大多数での戦闘ではMP回復薬を使い切る勢いで戦わなければ負けるだろうしな。
「城の方にまだ残っているのでは?」
「いや、城のMP回復薬は全部勇者パーティーが使っちまったんだ……」
俺は一応残っているMPの殆どを使って探知魔法を使い、魔王城にMP回復薬があるかどうか確かめてみるが、全く無く、女魔法使いの言った通り、勇者パーティーが全部使い尽くしてしまったのだろう。
「そうなんですか? ……魔王様の物を勝手に使いやがって、勇者達は後でドラゴンの放つ火球による火炙りの刑だな」
俺の言葉に臣下は何やら小声でとても物騒発言をした。微笑んで言っていたのが余計に物騒だと感じさせた。
「なんだったら今直ぐMP回復薬(大)を作りしましょうか? 丸一日掛かってしまいますが、私なら同時に十五は作れますよ」
臣下は何か物騒な微笑みを直ぐ様消し去り、俺にそう尋ねてくる。
「いや、一日掛かっちゃ意味が無い……」
俺は首を振りながらそう答え、その場に立ち尽くして崩落した天井を見上げる。そこにはどんよりと曇った空が広がっており、次第に暗い色合いへと変化していき、まるで俺の心の内に渦巻く不安と焦燥を表しているのかと思った。
「急用なんですか?」
事情を知らない臣下は俺の顔を手で掴んで強引に自分の目線に合わせた。臣下は俺より頭一つ高いから俺が見上げるような形になってしまう。
「あぁ。今直ぐ転移魔法で戻らないといけないんだが、生憎ともうMPが殆ど無いんだ」
「戻るって何処にですか?」
「女魔法使いの下だ」
「女魔法使い……」
臣下は何かに納得したかのように独りでに頷くと、俺の手を取ってこの部屋から出て行く。
「それで、どうして女魔法使いの下に戻らないといけないんですか?」
歩きながら訊いてくる臣下の言葉には何処か柔らかいものが含まれているような気がした。どうしてそんな気がしたのか俺には分からない。
「バハムトに呑まれそうになってんだよ」
「バハムト……とはあの神獣ですか?」
「あぁ」
「経緯を訊いてもよろしいですか?」
臣下の言葉に俺は頷き、女魔法使いがバハムトに呑まれそうになっている経緯を要約して説明した。
「……成程、そういう事でしたか」
「あぁ。俺が効率を重視して、甲板に全員出て来たものと思い込んじまったのが一番の原因だよ」
自分自身に悪態をつける。過ぎてしまった事は仕方がないとは思うが、それでもこればかりは仕方がないでは済まされない。自分の所為で本来なら逃げられた筈の女魔法使いが取り残されてしまったのだから。
「いえ、そのような場合ですと一秒が貴重な物ですので効率を優先させますし、神獣などという遭遇率の極めて低い生き物と相対してそこまで冷静に物事を考えろというのが無理な事ですよ」
臣下は自己嫌悪に陥ってしまっている俺を慰めてくるが、その気遣いに煩わしさを感じて仕方がない。こういう場合は俺を責めてくれれば気が少しは晴れるというものだが、こう慰められると余計に自分の不甲斐無さというものを実感して、何て取り返しのつかない事をしてしまったのだろうと責める姿勢を強くしてしまう。
別に責めて欲しいと思ってるんじゃなくて……いや、実際はそうなんだろうな。俺は俺の所為だと責められる事によって心に伸し掛かってくる重圧から解放されたがっているのかもしれない。
そう思うと、自分の心の弱さに嫌気が差してきた。
「自分を責めるのはいいですけど、それは後にして貰えませんか? 今はそんな事よりも大事な事をして欲しいんですから」
臣下が歩みを止めながら言う。そこは魔王城から出て直ぐの所の庭であった。ここも損壊が激しく、地面が抉れて木々が幾らか薙ぎ倒されていた。
「大事な事?」
「はい。さっさとMP回復薬の材料を庭で摘んでこい」
臣下は口調を変えて俺を庭の一角目掛けて放り投げました。
「ごぶぇ!」
俺は顔面を擦りながら滑走し、倒木に激突して制止した。
い、痛いんですけど! 一体何をしやがるんですかこの臣下さんはっ⁉
「あのですね」
臣下が俺を助け起こしてしゃがませる。何かわざわざここまで来てくれるんなら投げなくてもよかったんじゃないかな?
「魔王様が今しなくちゃいけないのは、女魔法使いの下に戻ってバハムトから助ける事でしょう? なのにもう打つ手がないみたいにして勝手に自責しないで下さい」
臣下が俺を見据えながら辛辣に言ってくる。
「でも、転移魔法使うにしてもMPが」
「だから、回復する為にMP回復薬の材料を摘めって言ってるでしょうが。私は転移魔法が使えませんし、なので魔王様のMPを完全回復させるしかないんですよ」
「そうだけどさ! MP回復薬は作るのに丸一日掛かるじゃないか! それじゃもう遅いんだよ! 一日経っちまったら、もう女魔法使いを助ける事は出来ないんだよ! 現状で出来る事はもう無いんだ!」
俺はつい叫んでしまった。
もう救う事が出来ないと、大声で認めてしまった。
俺を逃がした女魔法使いを完全に見捨てるような発言を……してしまった。
俺は…………最悪だ。
何で、俺なんかを助けたんだよあいつは?
普通は魔王なんかを助けないだろ。
普通は自分の命の方が優先だろ。
なのに、何でだよっ⁉
「あのですね」
と臣下は俺の脳天に足刀を降ろしてきたのでした。
「いってぇな!」
俺は脳天を押さえながら臣下を見上げて睨みつける。臣下は俺の睨みを意にも返さずにこう言ってくる。
「諦めるのはまだ早いでしょう。諦めたらそこで何もかも終わりです。即ゲームオーバーです。けれども、諦めなければ絶対に――とまではいきませんが少なくとも確率的に大逆転劇やどんでん返し的な展開へと繋がるんですよ」
しかし、と臣下は俺を見下ろして言葉を続ける。
「少ない確率に掛けずに諦めるというなら、それはそれで別に構いませんよ。私自身は何も損はしませんし。こればかりは魔王様の意思で決定されるものです。選択して下さい。諦めるか諦めないかのどちらかを。魔王様が本当はどうしたいのかという気持ちをぶちまけて下さい。それが魔王様の意思で決定される選択であり、どうしても譲れないものなのですから」
見下ろしながらも、真っ直ぐに俺の眼の奥を捉える臣下。その瞳には感情が見えず、ただ俺の発する言葉次第で行動に移るといった意思だけが醸し出されていた。
俺が本当はどうしたいか?
俺の譲れないもの?
そんなのは……決まっている!
けど、それを口にしても、この状況が変わるとは到底思えない。
それどころか、変に期待を持ってしまい、空回りしてしまう場合もある。
そうなってしまうと、ただの一人相撲であり、ただ自分が満足すればそれでいいとさえ思えてしまう行動を取ってしまうかもしれない。
本当はどうしたいのか、譲れないものは、最初から決まっているが、本当にそれを口にしてしまっていいのだろうか?
「魔王様」
臣下が不安に駆られていた俺の肩に両手を置く。それは俺の優柔不断な不甲斐無さに苛立ちを覚えたものではなく、そっと後押しする為に気持ちを落ち着けさせるかのように優しいものだった。
「渋ってしまうと、絶対に後悔します。時間は戻りません。人生は一度きりです。生きている者はあらゆる局面で選択を迫られます。その選択に妥協をしては後に悔やむ結果へと繋がってしまいます」
目線を俺に合わせると、臣下は額を俺の額に接触させる。少しだけ暖かかった。
「ですから、魔王様が後悔したくない選択をして下さい」
「……後悔したくない、選択」
「はい」
臣下の言葉を繰り返す俺に、臣下は柔らかい笑みを浮かべる。
「なぁ、臣下」
「何でしょう?」
「お前は……俺に――魔王らしくない魔王に仕えてる事を後悔しているか?」
殺生を嫌う魔王。
恨みを買うような行為を嫌う魔王。
人間を助けようとする魔王。
本来の魔王像とはとても懸け離れている俺の性格、性質。
それが嫌だから、皆は俺に仕えなかったんだ。
魔王に求めるのは邪魔する者ならば誰であろうと排除する残忍さ、欲しいものは何が何でも手に入れようとする強欲さ、人間なぞ取るに足らない存在として貶す愉悦さだ。
それらがなければ、魔王は不要な存在となってしまうのだ。
臣下にとっても、勇者にとっても、世界にとっても。
魔王は世界の悪であり、滅ぼされるべき存在であり、恐れ敬れる存在だ。
それが魔王として存在が許される性質。
それらを持ち合わせない俺は――限りなく、半端者だ。
魔王の癖に殺生を嫌う。
魔王らしからぬ魔王。
そのような存在は臣下も、勇者も、世界も必要としていない。
だから、もしかしたら臣下は妥協で俺に仕えてるんじゃないだろうか、と思ってしまう時がある。
そんな俺の質問に臣下は俺の頭を軽く小突きながら答えた。
「後悔なんてしてませんよ」
額を放した臣下は柔らかい笑みを浮かべていた。
「私は、魔王様のそのような性格が好きで仕えているんです。もし魔王様が昔話で語られるように残忍な性格であったならば、とっくの昔に魔王城から出て行っています。私は魔王様のお父様の代から仕えておりますが、お父様と魔王様、あなた方二人のような者以外には、仕えようとする気はありません。強大な力を持っていても、それを使って殺そうとしない、殺したくないと思う優しさ、強大な力を持っていても、それを存分に振るって略奪をしない優しさ、そして種族が違い、身体的に遥かに劣る人間を蔑む事無く、困っていれば助けようとする優しさがあるからこそ、私は魔王様に仕えているんです」
ですから、と臣下は言う。
「魔王様。そんなあなたが後悔しないような選択をして下さいな」
優しく微笑む臣下。
こいつ、ずるいな。こう言われたら、こうも俺の事を慕ってくれているなら、もう、言うしかないじゃないか!
「それでは魔王様、あなたの選択とは?」
臣下はもう一度訊いてくる。
俺はもう迷う事無く、声を張り上げて答えた。
「――俺は、女魔法使いを助けたい! 何が何でも! 無茶をしてでも! 必ず助け出したい!」
俺の選択を訊くと、臣下は微笑みながら頷いた。
「分かりました。では魔王様の臣下である私めはその選択の架け橋となりましょう」
臣下は懐から濾紙やフラスコといった実験器具を次々と取り出していく。
「では魔王様。MP回復薬の材料を摘んできて下さい。私はMP回復薬をおおよそ三分で完成させますので」
「は? 三分⁉」
「えぇ」
聞き間違いではないようで、俺の驚きの声に臣下は頷いていた。
「そんなに早く出上がるのか⁉」
「出来ますよ。恐らくここまで早く作れるのは私だけだと思いますが」
とか何とかにべも無く答える臣下さん!
えぇっと、一日は二十四時間あって、分に直すと二十四×六十で千四百四十分。千四百四十分掛かる行程を三分で片付けるのだから千四百四十÷三で通常よりも四百八十倍速で仕上げるらしいよ!
これって最早神業なんじゃないかな⁉
「ですが、かなり難しいんですよ。普通にやるよりも失敗する確率の方が断然高いんですから」
「因みに、どんな方法なんだ?」
「加速魔法で全行程を四百八十倍にします」
「荒業過ぎるっ!」
そんな強引過ぎる方法ならそりゃ失敗しやすくなるわな!
それに臣下自体は加速魔法も自分に掛けられないから余計に失敗しやすいだろうな!
MP回復薬は薬草――ジクマを擂り潰して出た汁を長時間煮ている間に、ぴったり何分後に適切な処理を施した必要な材料を投下していかなければならない。一秒でも間違えば、その時点で失敗作となり、MP回復薬ならぬMP消費薬に変化してしまう。失敗作の効果はそのまんまで飲むとMPが消費される。(小)なら十分の一が減るだけなのだが、(大)だと全部消費してしまうので魔法をメインに使う職業は絶対に飲んではいけないのだ。
MP回復薬とMP消費薬は色自体は同じなのだが、後者は静止状態であると中心に向かって淡紫色の渦の模様が発生する性質があるので、MP回復薬の失敗作を売りつけようとしても、一度制止させてしまえばMP消費薬と分かり、騙されて買う者は極一握りしかいない。
なのでMP回復薬を作るのにはそうとうの時間と根気、精密さが要求されるので加速魔法なんていうチート技を使ってもおいそれと簡単には出来ないのだ。
……いや、ちょっと待てよ?
そういや、加速魔法なんて魔法は存在してたっけか?
無かったような気がするんだけど……どうだったか?
「と、冗談はこのくらいにしておきましよう。加速魔法なんてありませんし」
必死で記憶の糸を手繰っていたら、臣下は晴れやかな笑みで俺にそう言うのであった。
「って冗談なのかよ! で、やっぱり無かったのかよ加速魔法!」
そうだよな! 加速魔法なんてチート技があったら魔王無双し放題だし、逆に勇者無双でやられ放題になってるよ今頃!
「こんな時に冗談なんて言うんじゃねぇよ!」
俺は青筋を立てながら臣下に怒鳴る。
こちとら一刻の猶予もねぇんだっつーの!
「結局MP回復薬は作れねぇのかよ!」
「えぇ。MP回復薬は作れませんよ」
「だったら変な期待をさ」
「ですがその代わりに」
俺の説教を臣下はぴしりと遮断する。
そのあまりにも静かで有無を言わせない仕草、声音、雰囲気により、時間が止まったのかと錯覚した。
「効果が似ている毒を作る事は出来ます」
「毒?」
「えぇ。こちらはMP回復薬のように時間は掛かりません。それこそ先程の冗談で述べた時間――三分で作れます。それに複雑な工程ではなくMP回復薬に使われるジクマとある薬草一種類を純水に一対一対一の分量で合わせて沸騰させ、エキスを抽出すればそれで終わりです。そうすればMP回復薬(大)と同じく飲むだけでMPは全快します」
それは……えらく簡単だな。簡単過ぎる。
だから、作り方が簡単過ぎるが故に、危ないものだと本能が告げてくる。
「で、毒性は?」
「その毒を口にしたらよくて一年、最悪一生MPが回復しません。MP回復薬を飲んでも効果が出ないどころか、飲んだMP回復薬のランクに応じてその期間が延長されます」
俺はその言葉を訊いて、軽く笑った。
「その毒の事は分かった。だったら早いとこ作ってくれ。材料は俺が集めるから」
例え一年間MPが回復しなくても。
例え一生涯MPが回復しなくても。
俺の決意は変わらないさ。
「かしこまりました」
臣下は頭を下げると、器具の設置をし始めた。
俺は庭に生えているジクマとその毒を生成するのに必要な薬草を採取して臣下に渡す。
臣下は計測器を使ってジクマと薬草、純水を一対一対一にしてフラスコに入れ、フラスコの下にあるアルコールランプに火を点ける。
水が沸騰すると、ジクマからは夜空のような藍色の、薬草からは夕焼けのような朱色のエキスが純粋に滲み出ていき、それらは対流により混ざり合い、溶けていく。
三分後には藍色と朱色が合わさったとは到底思えないような妖艶で凄惨な菖蒲色の液体が完成した。
これが毒。
毒と思わせるような色合いだが、この色は視認してしまったら例え毒と分かっていても飲んでしまいたいと思わせる強制力がある。
「魔王様、どうぞ」
臣下は熱せられたフラスコに氷結魔法を放ち、徐々に温度を下げさせながら毒を俺に渡す。
俺は舌が火傷しない程度い冷めたそれを一息に煽った。
喉を通り、食道を抜け、家と到達するその毒は痕跡を残すかのように切りつけられたみたいな鋭い痛みを残していった。
痛みに堪え、必死で喉元を掻き毟りそうになる両腕を抑え込み、歯を食い縛る。
ふと、急に痛みが和らぐ。
和らぐと同時に、身体の奥底から枯渇しかけていたエネルギーを補うかのように無理矢理ひり出すような感覚に襲われた。
そして、俺のMPは完全に回復した。
「ありがとな、臣下」
俺は空になったフラスコを臣下に返しながら礼を言う。臣下がいなければ、女魔法使いを助けに行く事は出来なかっただろう。
「いえ、礼を言う暇があるのでしたらさっさと行って下さい」
臣下は器具を片付けながら俺の出立を促す。
「あぁ、分かった。行ってくる」
俺は先程まで乗っていた蒸気船のあった場所をイメージする。
「行ってらっしゃいませ。御帰りは何時頃になりますか?」
「さぁ? もしかしたらものすんげぇ遅くなるかもしれないな」
「了解しました」
臣下は深々と頭を下げる。
俺はその行為と同時に、転移魔法を使った。
これで、俺が使えるのは大雑把に換算して飛翔魔法で六十三分飛べる量であり、転移魔法十二回と、広範囲破壊魔法が三回分のMPだ。
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