07
そんな事があって六日が経った。
この蒸気船での船旅もそろそろ終了を迎える。
包帯商人も、この蒸気船での商談が成功したようだった。あとはホウクカイド国の商談を成功させるのみ。
道中は海のモンスターが二、三回襲ってきたが、それは船員だけで対処出来る程の弱い小さな(それでも一メートルはあったが)魚型のモンスターであったので、女魔法使いと女侍の出る幕は無かった。
まぁ、今の状態の俺だと悲しい事にこのモンスターにも負けるんだけどな。
この船旅で懸念されていたのは大型のモンスターが出現する事だ。
キアタ港からホウクカイド国へと続くこの海路には特殊な匂いで幻覚を見せ、高揚感を味わっている間に捉えて時間をかけてゆっくりと食っていく巨大な貝のモンスター――シンや長大な触手で船に巻き付き難破させ、海に引き摺り込んで捕食する巨大な軟体動物型のモンスター――クラーケン等の大型モンスターが半年に一回の頻度であるが出没するそうだ。
今年はまだそういった被害が出ていないので、そろそろ出るのではないかと懸念されている。
だから、出航ぎりぎりでも空いた部屋があったのかと俺は納得した。
この六日間では特に変わった事は無く、というよりも個人的にはとても充実したものであった。
何せ、朝は女侍の、夜は女魔法使いの料理を堪能出来たのだからな!
朝は女侍が得意とする和食で目覚めて間もなくあまり働いていない胃の状態を配慮した上での消化に優しく、栄養バランスの整った素晴らしい朝食であり、俺と包帯商人は旨さのあまり無言で食べ進めた程だ。
対する夜の女魔法使いは洋食をメインに作り、夜は休む時間という事であまり刺激の強くないものと、それに加えて心休まるデザートを毎回用意してくれるので俺と包帯商人は感極まりながら食べ進めたのであった。
そして女魔法使いと女侍の手料理を食べる毎に俺と包帯商人は息を揃えて料理屋を開け攻撃をしたのであった。
女侍は考えるとだけ言っていたのが、次第に「例えば、例えばでござるよ? 店を構えるとしたらどの辺りにした方がいいでござるか?」と訊いてきたので、もう少しで陥落させられそうだった。
女魔法使いの場合は「俺は絶対食べに行く!」と言ったら「じゃあ開く」と言ってくれた。
船旅初日は「それもいいかも」で止まっていた答えが、次の日には「じゃあ開く」である。
このように返答を直ぐに変えたのは俺が女魔法使いの下からいなくなるからだろう。
少しでも俺と一緒にいたいが為に女魔法使いは本気で料理屋を開くつもりでいる。
それは俺個人としては嬉しいのだが、本心から料理屋を開きたいと思っているのかが分からない。
女侍の場合は食べる人の笑顔が見たいという理由があって、今まさに開くべきかそうでないか葛藤している。
だが、女魔法使いにはそのような葛藤は無く、あっさりと決断したのであった。
それが不安で仕方がなかった。
そのような動機で初めてしまえば、例えば俺が病気で死んだり勇者に殺されたりして店に行けなくなったらどうするつもりなのだろうか?
早急に店を畳むのかもしれない。
そんな個人的な理由で店を畳まれてしまったら、女魔法使いの料理を目当てに来ていた客に失礼だ。
だから俺個人としてではなく、皆に自分の料理を味わって貰う為に店を開いて欲しいと思った。
俺は現在甲板に出て海原を眺めている。
というか、甲板に出て海を見るののが習慣となっていた。
俺は毎日変化する海の様子が不思議で、ついつい見てしまっているのだ。
穏やかな日もあれば、荒れ狂う日もある。
海はどうしてこんなにも千変万化するのだろう、と自分に質問し、決まって答えを返せないでいる。
そういう質問をしてしまった時、俺は決まって海は偉大な存在だからと無理矢理納得させている。
海は単に偉大なだけではなく、あらゆる生命の根源を司っており母のように優しく、あらゆる生命の死すらも司っていて父のように厳しい存在だ。
山から流れ落ちる川の水はやがて海へと辿り着き、海水と溶け合い、その海水が太陽光に熱せられて蒸発し、上空で水滴が寄り集まって雲が形成され、やがては雨となって地表へと降り注ぎ川の水となる。
水は生きる上で必要不可欠な物だが、甚大な被害も与えてくる。
降り注ぐ雨量が多過ぎると川が氾濫し、濁流となって襲い掛かり、土砂崩れも誘発される。
水は脅威でもあり、なくては困るもの。
膨大な水の集まりである海はだから偉大なのだ。
そのような海を眺める。
「魔王」
後ろから女魔法使いが声を掛けてきたが、俺は振り向かずに海を眺め続ける。
振り返らなかったら、何故か背後から抱き着いてきやがった。
「魔王、一つ訊いてもいい?」
顎を俺の頭に乗せながら俺に質問をしてくる。
「どうして、魔王は魔王なの?」
声音は感情を殺しており、女魔法使いがどうして今更ながらそのような質問をしてきたのか理解出来なかった。
「そりゃ、俺が魔王の息子として生まれて、父ちゃんが死んじまったから魔王になったんだよ」
俺は海を見つめたまま、ありのままの事実を伝える。
「魔王ってのは血縁重視で、魔王の血を引いて、魔王の証である角が生えてないと魔王になれない。例え血縁でどんなに有能でも角が無ければ魔王にはなれない。俺は生まれた時既に角が生えてたからそのまま魔王の後継になった」
「魔王には兄弟はいないの?」
「いない。俺は一人っ子だ。もし仮に兄弟が生まれたとして、そいつにも角があると後継者争いが勃発するからな。それを実際に体験した事のある父ちゃんは俺にそんな事を経験させたくないって事で兄弟を作らなかった」
後継者争いとは、所謂殺し合いなのだ。
勝者が魔王を踏襲し、敗者は角を折られて死ぬ。
角を持った者が生きていれば、反逆して魔王に成り代わろうとする。
それを阻止する為に、また殺し合いをする。
何度も殺し合いをしない為に、後継者争いで負けた相手を殺しておくのだ。
そのような事を俺の父ちゃんはやっていた。
確か爺ちゃんが死んでしまった時に父ちゃんは自分の姉と後継者争いをしたそうだ。
結果は父ちゃんの勝ちで、姉は殺された。
父ちゃんにではなく、臣下に。
臣下と言っても、現在俺に仕えている臣下じゃなくて、爺ちゃんに仕えていた臣下の内の一人に、だ。
父ちゃんにはどうしても姉を殺す事は出来なかったそうだ。
小さい頃から面倒を見てくれた優しい姉だったそうだ。
そんな姉を力で負かしても、殺す事は出来なかったのだ。
だから、それを見かねた爺ちゃんの臣下が姉を殺したそうだ。
父ちゃんは泣いたそうだ。
血を分けた実の姉が、慕っていた姉が、自分が姉に勝ってしまったが故に死んでしまった事に対しての悲しみと憤りで。
そんな経験をしたから、息子である俺にはそんな事をさせたくない、そんな想いをさせたくないと思って兄弟を作らなかった。
でも、別に角の生えた兄弟がいたとしても、俺は構わないと思った。
もし、俺の他に角の生えた兄弟がいたら、俺は戦いもせずに逃げ出していた事だろうから。
俺は殺生が嫌いだし、殺されるのも勘弁で、恨みを買うような行為も嫌だ。
勝ち負け以前に戦いさえしなければ、どちらの血を見る事も無く、殺された方の後継者と親しくしていた者から恨みを買わせずに済むし、逃げた俺ではなく逃げずに残った兄弟が魔王を継ぐ事になるだろう。
無論、逃げれば追手が襲い掛かってくるだろうが、力の差からしても追手に負ける訳も無く、打ちのめして逃亡という生活になるだろう。
それでもいいさ、殺すのも殺されるのもまっぴらだからな。
後継者争いで殺すか殺されるかの明確に別れた二択を選ぶよりも、逃亡して捕まって殺されるか捕まらずに生き延びるかの確率的な二択を俺は選ぶ。
まぁ実際には俺は一人っ子で、角が生えてたから後継者争いなんてしないでエスカレーター方式で魔王になったんだけどな。
魔王になっても、俺のスタンスは変わっていない。
殺生は嫌いだし、恨みを買うような行為はしたくない。
だから俺が魔王になった時に、爺ちゃんの代から魔王に仕えていた臣下の殆どは、そんな俺の性格に納得する事は出来ず、戦って魔王の座から引きずり下ろそうとしても俺に勝てないと知っていたので、俺が魔王に就いた日には、殆どの臣下が魔王城を後にした。
親子揃って甘い事を言うのには我慢出来なかったそうで、魔王となった俺の言葉を訊いた瞬間に見限ったそうだ。
結局、俺は空虚な魔王城でたった一人の臣下と共に長い時間を過ごしていった。
「魔王はさ」
女魔法使いは顎で俺の頭部を軽くぐりぐりしながら言ってくる。
「もし、勇者が攻めてきたら、どうする?」
可笑しな事を訊いてきた。
勇者はパーティーを引き攣れて実際に攻めてきただろ。
まぁ、その時俺は拉致られてた訳だけど。
「臣下を逃がして俺は勇者の足止めをして、臣下が逃げ切ったら俺も転移魔法で即行逃げる」
勇者だろうとなんだろうと殺すのは御免だ。
「例え、勇者が本気で殺しに来ても?」
「殺しに来ても、だ」
俺は頷く。
「……そっか」
女魔法使いは何かに納得したようで少しだけ強く俺を抱き締めた。
あっ、そういえば。
俺は女魔法使いに訊く事があったんだった。
どうして俺にこんなに好意を寄せているのかとか、どうして俺を勇者が攻めてくる前に拉致したのかとか、そういった疑問が俺の頭の中には目覚めた時にはあった。
しかし、質問するタイミングというのを逃し続けていた結果、質問出来ず仕舞いであった。
今この状況は質問するチャンスであろう。
俺は口を開く。
が。
「ねぇ」
それは女魔法使いの緊迫した一言で遮られた。
「あそこに見えるのって」
女魔法使いは前方を指差す。
そちらは進行方向からして四時の方角であり、目測で八百メートル程向こうに巨大な鰭の先端が海面から覗かせているのが確認出来た。
八百メートル先でも視認出来たのはその鰭が巨大だからだろう。
そして、その鰭を持つ魚が顔を覗かせた。
その魚は少し平らな顔をしており、太陽のような光を放つ眼の上にはそれぞれ牛のような角が生えていて、顔だけでもこの蒸気船を超える大きさを有していると遠目からでも一目で分かった。
「あれは……バハムトっ⁉」
バハムト。
世界に一匹しかいないとされ、海に生息する生き物の中で一番の巨体を誇る魚型のモンスター――否、モンスターではなく、神獣だ。
神獣とは文字通り神の獣、神と同等もしくはそれよりも僅かに劣る力を持った生き物であり、幾数千万もの時の中を生きた人間如きでは到底太刀打ち出来ない神話に語られる幻の生き物だ。
俺はバハムトの事を魔王城に保管されていた神獣図鑑で知っていた。
このバハムトとの遭遇率は非常に稀で、海に住む者でも生きているうちに見える事はまずなく、約五百年に一度人の目に触れるくらいなのだ。
そして、そのように遭遇したと伝えられるのは生きて遭遇したからなのだが、その遭遇というのも、陸地で海原を泳ぐバハムトを目撃したというものだ。
というか、そのような状況の遭遇報告しかなされていない。
これが意味する事の裏は、陸地が遠い海のど真ん中で遭遇すれば生きては帰れないというものだ。
バハムトに遭遇した者の話によれば、バハムトは巨大な口を開いて、鯨はおろか、同じく海に生息する巨大なモンスターであるシンやクラーケンすらも纏めて一飲みにしていたそうだ。
つまり、海の真ん中で遭遇してしまった場合、船という海の生き物にとっては非常に目立つ乗り物に乗っている為に格好の獲物となって襲われるのだ。
あと特筆すべき事は、バハムトの移動速度はあまり早くないという事か。
エネルギーの消費を必要最低限に抑える為に移動に使う力にあまりエネルギーを回さないという特徴があるそうだ。
だからバハムトがこちらに接近してきても、あまり大きな波が立っていないのだ。
そして、今回はその移動の遅さが幸を為している。
「女魔法使いっ!」
俺の声に女魔法使いは即座に反応し、部屋に戻って杖を取りに行く。
『おい、この船にいる奴等、船員も含めて全員甲板に出て来い! 死んでも別に構わないって奴は出て来なくていいぜ!』
俺はテレパシーを最大出力で発動し、この船にいる人間全員に声を掛けた。
女魔法使いや女侍、それに包帯商人も念の為に部屋を叩いて声を掛けて回ってくれた結果、なんとか全員が甲板に出て来たようだ。
そして四時の方向から接近するバハムトの姿を見て絶句をしていた。
取り乱しはせず、もう助からないと本能が告げて静まり返っているのだ。
しかし、今回は運がいいぞお前等。
「いいかよく聞け! 今からお前等を俺と女魔法使いが一人ずつ転移魔法でホウクカイド国まで転移させる! だから慌てず騒がず俺と女魔法使いの前に一列になって並べ!」
そう、今回は転移魔法を使える者が二人いるのだ。
俺と女魔法使い。
「女魔法使い、お前ホウクカイド国に行った事はあるか?」
「勇者と旅をしていた時に一度だけ」
転移魔法は半径五メートル以内の物体一つしか転移出来ない。
それ以外の制約として、一度行った事のある場所でないと転移出来ない、五メートルを超える物は転移出来ないがある。
この船は優に五メートルの超えているので転移不可だ。
もし船の大きさが五メートルぎりぎりであれば、船ごと全員をホウクカイド国に一度で転移するという荒業が出来たのだが、出来ないので仕方がない。
上記の荒業とは、転移対象が物体が身に付けているものは転移対象の一部とみなされて同時に転移出来るという特性を逆手に取ったものだ。
そのような特性があるからこそ、人間を転移させても服だけ取り残されるという心配も無いのだ。
「転移先はホウクカイドの第一港でいいか?」
「えぇ」
女魔法使いは頷く。
これは転移先を一つに絞った方が転移して直ぐに互いの安否を確認出来るからだ。
俺はその辺の配慮を忘れない。
親しい者の安否が分からない状態なんて、一時でも味わいたくない。
「女魔法使い、角出して俺に付けろ!」
その言葉と共に、女魔法使いは懐から角を二本取り出し、それを俺の頭にある髪で隠された切り口に当てて、回復魔法を発動させる。
すると、俺に本来の力が戻ってきた。
女魔法使いの重力魔法や電撃魔法、氷結魔法に疾風魔法程度では屈しない力を持った、魔王の力が。
「うわぁぁああああっ‼ 魔王だぁぁああああああっ‼」
俺の角のある姿を見て、どうやら王都からの御触れでは俺の似顔絵でも貼っていたようで一目で俺が魔王だと分かり、取り乱し始める人間。
くそっ、殺生が嫌いだとしても、人間にとっては俺ってやっぱり悪者扱いなのかよっ!
「あぁ、うるせぇぞ! 俺は別にお前等を取って食おうなんてこれっぽっちも思っていない! どっちかって言えばお前等を助けたいって思ってんだから取り乱して騒がずに言われた通りに一列に並べやゴラァ!」
俺の怒号に畏怖したのか、ざわついてはいたが、言われた通りに並び始める。
「押さないで下さーい」
「絶対に助かるでござるから、横入りとかはしないで欲しいでござる」
女侍と包帯商人が言われていないのに列の整理をしてくれているのは正直有り難かった。
「おい、女魔法使い。お前はMP満タンの状態で何回転移魔法使えるんだ?」
「五回。魔王は?」
俺の質問に女魔法使いは右の指を五本とも広げて答えた。
「俺は十三回だ」
「そう。なら魔王の列に多く並んでもらった方がいいかしら?」
「いや、どうせMP回復薬(大)を使ってMP回復させんだから二人同じくらい転移させればいいだろ。その方が効率よく転移出来る」
そう言って俺は海を見る。
バハムトは目測であと三百メートルでこの船に接触するであろう事が窺えた。
船にいる人間の召集に時間を掛けてしまったようで、俺が多く転移をしてしまってたらタイムアップになり、約半数の人間は飲まれるだろう。
だって、転移魔法って神経かなり使うんだぞ?
転移させる場所を正確にイメージしないと成功しないしさ、そのイメージを練り固めるまでに結構時間を使ってしまう。
なので、こう火急の状態では一人で多くの人数を転移させるよりも二人で同程度の人数を転移させた方が効率よく、時間も短縮させて転移出来るのだ。
「分かったわ」
そう言って女魔法使いは懐からMP回復薬(大)を六つ取り出して、そのうち一つを俺に渡す。
MP回復薬は材料と製法が特殊であり一般市場では販売されておらず、入手するには製法を知る者に材料を持って直接頼まなければならない。
MPの一割を即座に回復させるMP回復薬(小)ですら一年は働かずに食べて暮らせるだけの金額を要求されるのだ。
最高位のMP回復薬(大)は作り手も少なく、七年は働かずに食べて暮らせるだけの金額を支払わなければならないが、その分効果は絶大で飲めばMPが完全回復する優れものだ。
そんなとても貴重なMP回復薬(大)を俺は魔法の特訓で日に十個は消費していたのだが、俺の場合は臣下がMP回復薬(大)を作る事が出来て、材料も魔王城の庭で全て採取可能だったので時間は掛かったが材料費ゼロで作って貰っていたのだ。
魔王だから出来る贅沢と思っていただきたい。
女魔法使いが取り出したMP回復薬(大)の配分により女魔法使いは二十五回、俺は二十六回の転移が可能だ。
俺を含めて、今この場にいるのは五十一人と丁度全員が転移出来る計算だ。
俺と女魔法使いの前にほぼ同数の人間を並ばせて、転移を開始する。
俺は十三回転移させると、女魔法使いは五回転移させる毎にMP回復薬(大)を飲んでMPを回復させながら次々と転移をしていく。
一人に当てる時間は大体十秒で、整理している女侍と包帯商人、転移魔法を展開している俺と女魔法使いを除いて四十七人なので四百七十秒――七分五十秒の時間を費やす事になるが、いや、違うな、俺と女魔法使いで転移させてるから二百四十秒――四分で船にいる人間の転移を終える事が出来る。
約半分もの時間を短縮出来るという事は、それはバハムトに捕食される確率の低下に繋がるから大変よい事だ。
その分、俺と女魔法使いの精神的な疲弊が激しかったが、全員を助けようと弱音を吐かずに必死になって頑張った。
「ふぅ、後は俺達だけか?」
俺の列に並んでいた最後の一人を転移し終え、俺は改めて甲板にいる人数を確認した。
ここにいるのは俺と女魔法使い、女侍、包帯商人の四人だけだった。
「そのようですね」
包帯商人は当たりを見渡し、自分達以外に人がいない事を確かめた。
「じゃあ、次は女侍と包帯商人の番ね」
「御意、よろしく頼むでござる」
女魔法使いの言葉に反応した女侍が女魔法使いの前に、包帯商人が俺の前に立つ。
「……それにしても」
包帯商人は転移魔法の発動準備の最中の俺に話し掛けてくる。
「何だっ?」
俺は集中の邪魔されて少しきつく言ってしまう。
「あなたが魔王だったなんて」
「俺が怖いか?」
「いいえ」
俺の質問に包帯商人は首を横に振る。
「この船旅で私はあなたの性格というのは理解したつもりです。あなたは全く怖くありません。あなたは昔話に出てくるような魔王とは全く違うと言ってもいい程に、人間味の溢れる方ですよ」
「そうかいっ」
人間味の溢れるという言葉に俺は微妙な気持ちを覚えるが、そんな気持ちは彼方へ吹っ飛ばして転移魔法に集中だ。
「えぇ。それにしてもあなたが魔王とは気が付きませんでしたよ」
「そりゃ角切り落とされて弱体化して人間男子の平均よりも弱くなってたから気付かなくて当然だ」
「あ、やはり角は魔王の力の源なんですね」
「お前も攻略本を読んだのかっ⁉」
「えぇ、子供の頃に祖母が私を膝の上に乗せて読み聞かせてくれました」
絵本の読み聞かせ感覚で魔王の秘密を漏洩させんなっ!
もしかして全人間に魔王の弱点知られてんじゃねぇか⁉
だったら、この脱出劇が終わったら女魔法使いにでも攻略本を出版している企業の本社のある場所を訊いて潰すしかないな、株価大暴落という企業にとっての最悪の手でっ!
はっ、いかんいかん!
転移魔法に集中しろ俺っ!
……よしっ、イメージばっちりだ!
「じゃあ、行くぞ!」
「えぇ、また直ぐにお会いしましょう」
包帯商人は礼儀正しく頭を下げてホウクカイド国第一港へと転移されていった。
「では、拙者も」
女侍も女魔法使いによって安全な場所へと転移されていった。
残されたのは俺と女魔法使いの二人だけ。
それぞれ転移魔法が一回ずつ使えるだけのMPしか残されていない。
とはいっても、俺の場合は転移魔法を一回使ったとしても広範囲破壊魔法が二回使える量は残るのだけど、この場合はあまりそれは意味をなさないな。
だって、神獣であるバハムトに勝負を挑む事は無いからだ。
挑んでも、負けて食われるのが落ちだ。
そんなのは御免被る。
「じゃあ、私達も転移しましょう」
「そうだな」
俺は女魔法使いの言葉に頷いて最後の転移魔法の準備に掛かる。
バハムトはこの蒸気船までの距離を百メートルにまで縮めていた。
そして、バハムトはその大きな口を開けて、まるで鯨が小魚を泳ぎながら呑み込むかのようにしてこちらに向かってきている。
ここまで来ると、バハムトの巨体には圧倒された。
バハムトの全長は図鑑によると三百メートルあるそうだが、このバハムトはそれを超えているかもしれない。
正面しか見えないが、図鑑の全体像を比率し換算をしてみても、優に五百メートルはありそうだった。
恐らく、このバハムトは現在も成長しているのだろう。
流石は神獣、一体全体どのくらいまで成長するのだろうかという知的好奇心に駆られたが、そんな考えは転移し終えてからだと切り替えを行い、ホウクカイド国第一港をイメージする。
別に角も戻った事だし、魔王城をイメージしてそちらに転移してもいいのだが、女魔法使いとの指切りの約束もあるし、女侍に料理屋開かせるよう誘導しなければならないし、友となった包帯商人の商談する雄姿を見たかったのでホウクカイド国をイメージする事にした。
「魔王っ!」
イメージが固った瞬間、女魔法使いがある方向に指を差して俺に呼び掛けてくる。
その指を差す方向に視線を向ける。
船内から一人の少女が泣きべそをかきながら出て来たのだ。
「うっ、うっ、おかーさん、どこーっ?」
どうやら甲板への移動中に母親と逸れてしまい、今の今まで船内で母親を捜し回っていたようだ。
で、船内で母親を発見出来なかったので甲板に出て来たのだろう。
泣きながら、俺と女魔法使いしかいない甲板の上で母親を捜す少女。
「くそっ!」
こんな最後の局面で逃げ遅れを発見するなんて展開は小説や物語の中だけで充分なんだだよっ!
俺は躊躇わずに転移魔法の対象を自分自身から泣きべそをかいている少女に変更し、即座に転移させた。
これで、俺のMP残量はもう転移魔法が使えない程になってしまった。
「おい、MP回復薬は無いか⁉ (大)じゃなくて(小)でいい! それだけ飲めば一回は転移魔法が使える!」
俺は女魔法使いにそう言うが、女魔法使いは首を横に振って答える。
「御免なさい。MP回復薬は(大)を六つしか持ってきてない」
女魔法使いは目を閉じ、済まなそうにそう答える。
かといってそれを責めない。
女魔法使いは包帯商人の護衛として同行して、海のモンスターを相手にする事が今回の仕事だったのだ。
シンやクラーケン程度が相手ならば、女魔法使いの力量からしてMP回復薬(大)を三つ持ってくれば事足りていただろう。
女魔法使いもそれを理解していたからこそ、もしもの備えとしてMP回復薬(大)を六つも持ってきていたのだ。
というか、六つ用意するだけでも莫大な金を要するので、女魔法使いの負担は底知れない。
しかし、誰が神獣に遭遇すると予測するか?
五百年に一度見るかもしれないという遭遇率なのだ。
それを考慮しての準備なぞ、普通はしないし、もしするのであればそいつは余程の心配性か、単純な馬鹿なだけのどちらかだ。
だから、俺は女魔法使いを責めないし、そもそも逃げ遅れがいる可能性を考慮せず、効率を重視して当配分で転移魔法をしようと言った俺の失態だ。
責任は全て俺にある。責めるべきは俺なのだ。
俺は残ったMPの三分の一を使って探索魔法を発動させ、船内に他に逃げ遅れがいないかを調べた。
結果は、残されたのは今度こそ俺と女魔法使いだけというものだった。
ならば、俺の取るべき行動は一つだ。
「女魔法使い」
俺はバハムトを見据えながら女魔法使いに言う。
「早く転移魔法を使ってホウクカイド国じゃなくて、魔王城に行ってMP回復薬(大)を飲んで戻って来てくれ!」
こんな事を頼むのは筋違いというものだが、これしか解決策は無い。
魔王城に行けば、MP回復薬(大)は手に入る。
女魔法使いが魔王城でMP回復薬(大)を飲み、ここに戻ってきて俺と女魔法使いを転移、計三回の転移、転移二回分のMPを残して完全脱出を果たせる。
「それは……無理だよ」
女魔法使いの声には覇気が感じられなかった。
「どうしてだ?」
「だって、魔王城にあったMP回復薬(大)はさっき全部使っちゃったの」
「は?」
「だから、私の持ってたMP回復薬(大)は、魔王城にあったものなの」
「それって窃盗罪で訴えていいのかな⁉」
こいつは俺を拉致するだけでは飽き足らず、貴重な薬品も盗んでいたらしい。
いや、今はそんな事よりも!
「六個だけしかない訳ないだろ! まだ百個は残ってる筈だぞ!」
そう、俺は毎日十個は消費していたので、それを踏まえ、何時勇者パーティーが攻めて来てもいいように蓄えは充分に備えていたのだ。
「……その百個は魔王城で勇者や私、女侍他勇者パーティー全員が幻術魔法で幻覚の敵を倒している時に消費したMPの回復に全部使っちゃったの」
女魔法使いは言い難そうに事実を告白した。
「マジかっ⁉」
「マジで」
女魔法使いは味方に幻術を掛けて、魔王と戦っているように見せ掛けていたとは言っていたが、まさか、普通に攻撃魔法やMP消費技、MPを消費して聖剣の力を解放していたとは思わなかった。
いや、当然か。
リアリティを追及するには本当に魔法や技を放たねばならないからな。
そして、そんな事があったから、魔王城にはMP回復薬(大)は残されていない。
一から作るにしても、完成に丸一日掛かるのだ。
だったら、別の方面でMP回復薬(大)を手に入れるまでだ!
「だったら、お前の爺ちゃんの翁薬師の所に行ってMP回復薬(大)を貰って来い! 勇者パーティーなんだからMP回復薬くらいは作れんだろ⁉」
俺の言葉に一瞬だけだが女魔法使いの顔に希望の色が見えたが、それも刹那の後に消え失せていた。
「おじいちゃんは確かに作れるけど、材料はミクイズ村じゃ揃わないの。以前に作ってたMP回復薬も魔王討伐の旅で全部消費しちゃって残念ながらおじいちゃんも持ってないし、材料もないから作れないの」
女魔法使いは躊躇いを少しだけ見せていたが、それは意味の無い行為だと切り捨てて包み隠さず真実を話した。
「他の勇者パーティーの奴等は持ってないのか⁉」
「持ってない。討伐の旅と魔王城で全部使った……」
これで、俺と女魔法使いの二人が助かる道は完全に閉ざされてしまった。
だったら当然、一人だけ生き残る道を選ぶしかないな。
「女魔法使い! 早く転移してこの場から脱出しろっ!」
俺は女魔法使いに転移魔法をして逃れる事を促す。
俺だって死にたかないけど、この状況は俺の判断ミスで招いた結果なのだ。
なので、責任は俺が引き受けるのが当然の運びだ。
それに、もしかしたら飛翔魔法を使えば、バハムトに食われずに済むかもしれないしな。
現在のMP残量からしてたったの二分しか飛ぶ事は出来ないが、やらないよりはマシだろう。
飛翔魔法が解けて、海に落ちても、巨大な海のモンスターにさえ襲われなければ泳いで帰る事も出来るし。
現実味はあまりないが、生き残る可能性はなくはないのだ。
さぁて、最後の足搔きをするかねぇ!
俺はバハムトにぎりぎりまで接近させ、食われる寸前になったら飛翔魔法を発動させようと画策していると。
「やだ」
女魔法使いがそんな事をのたまりやがった。
「は?」
俺はつい素っ頓狂な声を上げて女魔法使いを見る。
「私は魔王を置いて逃げたくない」
頬を膨らましてじと目で俺を睨んでくる女魔法使いの言葉は、まさに子供の我が儘でしかなった。
「阿呆か! 転移魔法使えるMP残ってんだからさっさと逃げやがれってんだ! 俺だって確率は限りなく低いけど生き残れる策はあるんだから!」
「でも、生き残れない確率の方が高いんでしょ⁉ 私は魔王には死んで欲しくないの! 生きてて欲しいの!」
必死になって俺に言ってくる女魔法使い。まるで堰を切ったかのように捲し立てる。
「魔王がいなければ私は魔法使いになってなかった! 魔王がいなければ私は勇者パーティーに入らなかった! 魔王がいなければ今の私はいなかった! 魔王がいなければ」
そう捲し立ててくる女魔法使いの眼には、涙が浮かび、零れ落ちていた。
「魔王がいなければ……私はずっと昔に死んでた!」
「おい、それはどういう」
事だ、と疑問符が延々と頭の中を巡回していた俺の言葉が最後まで言えなかった。
女魔法使いの言葉と行動に遮られたからだ。
「だからっ! 私を助けてくれた魔王には、拉致した私を嫌いでいても、角を切り落とすように仕向けた私を憎んでいても、勝手に好意を寄せていた私を迷惑に思っていても、重力魔法を使った私を不快に思っても、それでも、私は、魔王に、生きていて欲しいの」
消え入りそうな声とともに、手にしていた杖の先端に魔方陣が形成され、転移魔法が起動し始める。
「……じゃあね」
涙を拭きながら女魔法使いが口にした別れの言葉を訊いた瞬間、咄嗟に俺は女魔法使いに向けて手を伸ばしていた。
しかし、その手は女魔法使いには届かなかった。
何故なら。
手を伸ばした瞬間には、俺は魔王城にある自室へと転移させられたからだ。
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