06
そんなこんなで現在俺は夜の七泊八日の船旅をエンジョイしている。
転移魔法で女侍、俺、女魔法使いの順にキアタ港へ転送し、女侍が俺達が護衛の助っ人であると護衛対象である商人に紹介し、互いに簡単に挨拶を済ませて午後三時発のホウクカイド国行きの蒸気船に乗った次第である。
因みに、一日待って女魔法使いの転移魔法でホウクカイド国まで移動するという俺の案は却下されていたりする。理由は蒸気船でも商人がある人物と商談するからだそうだ。まぁ、それなら仕方ないわな。
そんな商人は肌を包帯でぐるぐる巻いて隠しており、トヨキ国王都出身で、代々商人の家業をしていて今年になって自分も商人として活動を始めたばかりのペーペーだそうだ。
ペーペーではあるが実力はあるようで、このまま順当に経験を積んでいけば商人界のトップファイブには立てるのではないかと噂されているらしい(女侍談)。
でもさ、そんな実力を兼ね備えてんならもう少し信用を勝ち取る為にその顔とか腕に巻いた包帯を外した方がいいと思う。
こんなミイラ男(ミイラ女かもしれない)が相手じゃ、商談相手もばりばり警戒しちまうってもんだ。
俺だったら確実に門番に頼んでお引き取りを願うね。
とか思っているけど、こんな恰好で商談を成功させた事があるという情報は確かなもので、その時の商談も女侍が護衛していたらしく商談現場を見ていたとの事。
女侍は嘘吐くような性格じゃないって料理食べて分かったから本当に商談を成功させたのだろうこの包帯商人は。
ちょいと信じらんねぇとは思うが事実は事実で、曲げる事が出来ない真実だ。
なので、俺はそうなのだろうと無理矢理納得した。
因みに、包帯商人に対しての俺の自己紹介は女魔法使いが勝手にやりやがって下さいまして「私の夫です」とかなんとかほざきましたとも。
ペット扱いから解放されたが夫って……俺はお前と結婚する気もされる気もさらさらねぇってのに勝手な事は言わないで欲しい。
で、そんな嘘百パーセントの自己紹介を平然と真に受けてしまった包帯商人にはどうやって誤解を解けばいいのか現在検討中だ。
俺は手摺りに身体を預けて広大な海原を眺めながら盛大に溜息を吐いた。
あぁ、星明りで煌めく海ってのは何か余計にセンチメンタルな気分になるなぁ。
今宵は新月な分、無数の星々がきらきらと輝いていやがるぜ。
「おや、どうされました旦那さん?」
甲板にいた包帯商人が俺の溜息に反応して近付いて来る。
護衛の筈の女侍と女魔法使いは部屋で就寝中だったりする。
いや、ちゃんと護衛しろよとは突っ込んだが、女侍曰く「拙者等は護衛対象に危険が及びそうになれば、即座に目を覚まして馳せ参じるでござるよ」との事。
流石は勇者パーティー、危機察知能力がパネェ。
だから女魔法使いは俺と一緒の部屋で寝ていられたんだろうな、害を為そうとすれば即座に起きて重力魔法とかぶっ放したり出来る訳だし。
「溜息を吐いては幸せが逃げてしまいますよ」
俺の隣に立って、包帯商人は声から判断したが恐らくはにかみながら言ったのであろう。
「いや、もう幸せなんてとっくの昔に逃げちまってるから、いくら溜息吐いても大丈夫だよ」
こう軟禁状態にあるとな。
「そうですか? あんなに綺麗な奥さんがいて仲睦まじいのに幸せは逃げたというのも信じがたいのですが」
女魔法使いは奥さんじゃありません、俺は独身です。
それに向こうが俺に一方的に抱き着いてきたり、要求してきたりするだけで、仲は睦まじくありませんて。
「まぁ、何か大変な事でもあったのでしょうね。詮索はしませんが」
包帯商人はくすりと笑うと星明りに照らされた海を眺める。
暫く二人並んで夜の海を堪能していると。
「それにしても」
「ん?」
包帯商人が俺に話し掛けてきた。
「女魔法使いさんが作って下さった晩御飯は美味しかったですねぇ」
「あ、それは同意」
そう、今日の晩飯は宣言通り女魔法使いが船内にある厨房を借りて作ったのだ。
それがめちゃ旨だった!
作ったのはビーフシチューとマッシュポテト、それにティラミスでさ、ビーフシチューに使用した牛肉が筋の部分であったが、圧力鍋を用いてとろけるような感触に変貌させ、人参、玉葱、ジャガイモも固くなく、ぐずぐずにならないよう絶妙な火加減で柔らかく煮込み、肉と野菜からの出汁の他にブーケガルニや塩、香草で味付けをしてパンをつけて食べるのが一番よかった。
マッシュポテトは基本に忠実な作り方をしていたが、バターや生クリームの配分はばっちりで、くどすぎず、滑らかな口当たりとなっていたし、塩加減も上々、単品で食べても旨かったが、このマッシュポテトの上にビーフシチューをグレイビーのように掛けて食べても旨かった。
ティラミスにはエスプレッソを染み込ませたビスケットは敢えて使用せずに、フレッシュチーズを用いたクリームの層とビスケットと苺のムースの層を交互に重ね、最後に苺のソースを掛けたもので、ティラミスの新たな可能性を見出し、ティラミスといえば甘さ控えめな大人のスイーツであるという固定観念に囚われていたが、この苺のティラミスを食した瞬間にそのような固定観念は吹き飛び、即行で食い尽くした。
で、結論としては、女魔法使いの料理の腕は女侍に負けない程にものすんげぇものだった!
食べ終えた俺は女魔法使いの料理を絶賛し「お前も料理屋を開け! 資金なら俺が出すし人員集めも臣下に頼むから!」と言ったら女魔法使いは柔らかい笑みを浮かべながら「それもいいかも」と言っていた。
もしこの言葉が本当ならば旨い料理を何時でも食えるようになるではないか、と内心で歓喜していたのは記憶に新しい。
「あぁ、早く料理屋開いてくんねぇかな」
つい海を見ながら願望を口にするのであった。
「そうですね。女魔法使いさんの腕ならば宣伝をあまりせずとも口コミだけで直ぐに繁盛するでしょう」
包帯商人は深く頷きながらそんな嬉しい事を言ってくれた。
「お、お前もあの料理の虜になったか?」
「えぇ、あのような料理を食べてしまうと、また食べたいという欲求に駆られてしまうのです」
拳を固く握って包帯商人は力説してくれた。
「だよなぁ、そして女侍も同等の腕前を持ってんだよなぁ」
「それは本当ですか? いやはや、女侍さんには護衛の任務だけをして貰っていたので気が付きませんでしたよ」
「明日の朝食でも女侍に作って貰うか。そして頬が落ちそうな感覚に浸ろうぜ!」
「そうですね! 美味しい食事というのは食べただけで力が漲ってきますもんね!」
「だなっ! お前分かってんじゃん!」
「あなたこそ!」
こんな事を言い合う俺と包帯商人は、互いの熱い視線をぶつけて、固い握手を交わしたのであった。
あれだ、所謂同胞発見って奴だ。こう熱く語り合える相手を見付けるのっていい事だよな。
「あ、所で。あなたも料理を作ったりするんですか?」
俺の手を放し、包帯商人は手を打って興味津々って感じで俺に訊いてきたよ。
「いや、俺はどうやら向いてないみたいでな。粥と雑炊以外は作れない」
魔王城で何回か料理を練習したんだけど、上手くいかなかったな。ぎりぎりで食べられるレベルではあったけど不味かった。何でなんだろうな? レシピ通りに作ったのに。
「そう言うお前はどうなんだ?」
訊かれたので訊き返して見る俺。
「私は…………パンにジャムを塗るくらいなら」
「それって料理じゃねぇよな?」
遠い目をしながら言葉を紡ぐ包帯商人に俺は軽く裏拳を放って突っ込んだ。
「……正直に言いますと、私は料理出来ないのです。黒焦げにしたり、味が濃過ぎたり、逆に生焼けだったり、味が無くなったり」
「味が無なくなるってのは逆にすんげぇと思うけど」
どんな魔法を使えば味を無くす事が出来るのだろうか? ……謎だ。まぁ、それ以前に黒焦げだとか生焼けだとかの方は親近感が湧く。俺もそうなる部類だし。毎回じゃないけど。
「料理の腕前が壊滅的なので、その分美味しい料理を食べる事を楽しむ事にしています」
「あ、それ俺と同じ考えだわ」
ここで、俺と包帯商人は互いに顔を見合わせ、また固い握手を交わすのであった。
「じゃあさ、もしあいつ等が店を構える運びになったら、お前さんに食材の手配でも頼もうかね」
「えぇ、任せて下さい。女魔法使いさんと女侍さんの料理の腕に見合うような食材を世界を渡り歩いてでも見付けて紹介させていただきますとも」
なんか、会ってたったの数時間しか経ってないけど、俺と包帯商人の間で固い友情が結ばれたような気がした。
「でしたら、今回の商談は絶対に成功させないといけませんね」
包帯商人は力強く握り拳を作ると、背後に気合の入った火炎が出現したかのように見える程に意気込んでいた。
今回、包帯商人がホウクカイド国で商談する相手は漁業組合だ。
その漁業組合はホウクカイド近海でしか取れない魚――白鮪を傷一つつけずに捕らえる事で有名だそうだ。
白鮪とは、全長三メートルの大きな鮪で、全身が舞い落ちる雪のように清い白一色をしており、身も他の鮪とは違い真っ白なのだ。
その身についている脂は融点が低く、人肌以下の温度で簡単に解け始めてしまう程で、口に含めばさらさらと胃に流れて行ってしまうのだ。
また、この脂は健康にいいとされており、ホウクカイド国の人間はこの白鮪を食べているから病気に罹り難いのだと言われている。
そんな白鮪はキアタ港やトヨキ国王都、ミクイズ村、それに加えて俺の魔王城では食べられないのだ。
理由としては融点が低過ぎる脂が原因であり、平均気温が十度を下回るホウクカイド国でなければ脂が溶けだしてしまうのだ。
この脂は溶けてから常温で三十分以上放置してしまうと強烈な腐臭を放ってしまう欠点を持ち合わせているので輸出が不可能であった。
実際、こんな白鮪の説明をしている魔王の俺ですらあまり食べた事が無く、御忍びでホウクカイドに向かって食したものだ。
誰も彼もが氷結魔法を使えればこの問題は解決するのだが、氷結魔法は結構難易度が高く、ある程度魔力も無いと発動自体が出来ないので結局は無理な話なのだ。
今回はその白鮪の輸出を目的とした商談であるらしい。
なんでも、白鮪の脂を溶かさないように運輸する方法を包帯商人が所属する商業団体が独自に開発して成功したそうなのだ。
なので、白鮪の運輸に関しては問題なく、売れる相手も氷結魔法を使える者自体またはその者が所属する団体相手となるので商談が成立するか否かは包帯商人の腕次第という事になる。
責任重大である。
「頑張れよ。俺は応援する事しか出来ないけど、成功を祈ってるぜ」
俺は包帯商人の肩に手を置いて、空いている手の親指を上げて包帯商人にエールを送る事にした。
「はい、頑張ります。それが私の仕事ですからね」
意気込んでいる包帯商人だが、少しだけ顔に陰りを見せる。
包帯で顔を全部覆い隠しているので分かり難かったが、顔の筋肉の動作でずれる包帯の動きで判断した。
「どうした?」
「いえ、商談をしていると毎回逃げ出したくなるんですよ。もし失敗したら仲間に合わせる顔が無いと恐怖し、責任から逃れたくなるんです」
「へぇ、意外だな。このままいけば商人界のトップファイブに入ると言われている包帯商人がそんな事を思っていたとは」
てっきり自信満々で商談に臨み、明朗会計で進めていくものとばかり思っていたが、そうではなかったのか。
「意外じゃありませんよ。この包帯をしている理由は自分の動揺を相手に悟られ難くするように巻いているんですから」
包帯商人は首を横に振りながら苦笑する。
「あ、その包帯ってそんな意味があったんだ」
「はい。仲間や家族には『その包帯外せ』って言われてるんですけどね、自信の無い顔を商談相手に向けてしまったら、成功する筈の商談も失敗に終わってしまいますし」
成程なぁ、包帯商人はそれを懸念して包帯を巻いていたのか。
「でも、これは仲間が私を信頼して託した商談ですので、逃げ出さずに精一杯頑張りますよ。今回の商談相手は頑固な性格をしているらしいですが、どうにかして話をつけるつもりです」
「お、逃げずに頑張るその心意気は賞賛ものだな」
「お褒めに与かり恐悦至極です」
魔王としての素の言葉が出てしまったが、包帯商人は乗ってくれた。
「ですが、これは人として当たり前の事ですよ」
包帯商人は手摺りに身体を預けて、再び海を眺める。
「人は生きていれば様々な困難に立ち向かっていかなければなりませんしね」
悟りを開いたかのように包帯商人はそう呟いた。
いや、俺は人じゃなくて魔王なんだけどね、とは言えない。
「ま。そりゃそうだわな」
魔王でも困難な事があるのに変わらないので肯定する。
「そうでしょ? そして、そんな困難があるからこそ人は乗り越えようと努力し、その困難を乗り越えてこそ、人は人としての成長をするんですよ」
「人としての成長……?」
ちょいと分からずに俺は首を傾げながら包帯商人と同様に海を眺める。
「えぇ。より正確に言えば精神的な成長、でしょうか。身体的な成長は成長期であれば栄養を摂るだけで成長しますし、知識は勉学さえきちんとしていれば並みの学力を手に入れる事が出来ます。これらの成長には決まったプロセスがあります」
包帯商人は真剣さを帯びた声音で俺に語り掛ける。
「それらとは違う成長、それが精神的な成長です。精神的な成長には決まったプロセスは存在しません。人によってそのプロセス――困難は異なっていますからね。だから過去に似たような困難に立ち向かった人の行動、考えを参考にする事は出来ますが完全に同じような対処をして解決する事は出来ません。もし解決出来たとしても、自分が納得出来ないような結末しか残されていないのであれば意味がありません。それに、自分が納得し後腐れの無いようにする方法を見付けていく過程こそが、精神的な成長に繋がりますからね」
なんて、と包帯商人はくすりと笑う。
「偉そうな事を言いましたけど、私自身も現在困難に立ち向かっていて乗り越えようと努力している真っ最中です。そして実はこれ、私の家の家訓なんですよ。それを少し仰々しく言っただけです。簡単に要約すれば、困難に立ち向かって乗り越えなければ成長は出来ない、という事です」
「いや、それでも包帯商人は深い事を言ったと思うぞ」
例え家訓を仰々しく言っただけだとしてもな。
この世に生きる奴等には絶対困難が待ち受けていて、困難から目を逸らせば、簡単に逃げ出す事は出来る。
しかし、逃げてばかりでは成長出来ないし、生きてはいけない。
かといって、先人の模倣ばかりで解決していってもあまり成長には繋がらない。
自分の目の前に現れた困難に真っ向から挑んで、耐え抜いて、乗り越えてこそ、真の成長を遂げる事が出来る。
そうやって成長してきた人が、国を発展させ、文明を開化させていったのだ。
だから、それを理解して、乗り越えようとしている包帯商人はものすげぇと思うし、尊敬する。
「俺も乗り越えないとなぁ」
この軟禁状態からの打破と角の奪取。
それが今の俺の目の前に立ちはだかる困難だな。
今の包帯商人の言葉を訊いて、俄然とやる気が出てきた。
俺の中にはこの状況に甘んじるという選択肢は無い。
この軟禁状態に甘んじれば、女魔法使いと女侍の美味な料理を味わい続ける事が出来る。
俺が料理を絶賛した時に女魔法使いが浮かべたあの笑顔は心からのものであり、それが俺に褒められた事に対して表に現れた笑顔だという事は理解している。
ヒステリックで凄惨な制裁を平気でしてくる女魔法使いは理由は分からないが俺の事を本当に好きだという事も理解している。
この軟禁生活では、俺は理不尽な制裁を加えられながらも実は優遇され、何不自由なく過ごしていたのだ。
たった一日だけとはいえ、もしこのような生活が数日続いてしまうとこのままでもいいやと思ってしまう程に。
でも、だ。
居心地の悪くない軟禁状態を甘んじて受け入れるのは、逃げなのだ。
逃げていては、楽をしては意味が無いのだ。
逃げていては、楽をしては成長出来ない。
これからの俺の行動は『隙をついて角を奪取し、フルパワーとなって魔王城へと帰る事』を念頭に置く。
俺は帰りたい。
ただ帰るだけじゃなくて、魔王としての力を取り戻して魔王城に帰りたい。
帰って、何時もの日常に戻りたい。
臣下と一緒に魔王城で暮らすのが俺の日常。
たった一人の臣下に寂しい思いはさせたくない。
あいつは、こんな魔王らしからぬ俺に仕えてくれている、唯一の臣下だ。
そんなあいつの気持ちをこんな逃げの方法で裏切りたくはない。
あいつの気持ちを踏み躙りたくない。
それが俺の魔王としての本来の生き方だ。
だから、俺は決めた。
女魔法使いから角を取り戻して、この生活にさよならを告げる、と。
「何やら」
包帯商人が俺の顔を覗き込んでそんな事を言う。
しかも顔をホールドしての事だったので、俺は慌てて飛び退いた。
その時、飛び退く方向を誤って、真冬の冷たい海へダイブしそうになったが。
「何だよ?」
「いえ、顔に活力が戻ったなと思いまして」
包帯商人は視線を海に戻して言う。
「初めて顔を合わせた時には不安に駆られたような顔をしていましたが、夕食時には生き生きとした表情を浮かべて、食べ終えるとまた不安そうな顔に戻ったので心配していたんですよ」
「そんな顔をしてたのか?」
自分じゃまるで気が付かなかった。
「はい。といっても、不安そうな顔とは表面ではなく、内面から滲み出た心の事ですけどね」
「……言っている意味がよく分からんのだが?」
「簡単に言えば、商人独特の勘であなたの不安を感じ取ったのですよ」
「余計意味が分からないんだけど」
勘ってそんなに便利なものなのだろうか?
まぁ、この事については商人の勘が俺の不安を感じ取っていたとしておこう。
そうしないと次へ進めないし。
「さて、私はそろそろ部屋に戻りますね」
包帯商人は軽く伸びをしてから懐中時計を取り出して時刻を確認する。
もう午前一時であった。
「では、女魔法使いさんの旦那さん、お休みなさい」
「おぅ、お休み」
俺に礼儀正しく頭を下げると、包帯商人は甲板から出て船内にある寝室へと戻って行った。
俺は十分だけ、夜空と煌めく海原を眺め心を落ち着かせて、船内に戻った。
この蒸気船は各客毎に寝室をあてがう程にグレードが少し高めの客船だ。
その分料金も高めとなっているが、サービスの方もある程度はいい。
その例としては、厨房を自由に貸してくれる事にあるだろう。
ずっと船の上にいると飽きてくるというもので、何か刺激が欲しくなるのが人情だ。
なので、客のストレスを軽減させる為に、トランプやチェス等のゲームの貸し出し、図書館の設置、厨房の貸し出しを行っている。
厨房の貸し出しに限り、火事の予防や節水の為、雇われているコックが傍についていなければならないが、料理自体は自分一人で出来るのだ。
なので午後六時頃に女魔法使いは厨房を借りて俺達の晩飯を作ったのだ。
さて、そんな説明も今となっては不要かもしれない。
確率論ではあるが、俺がこの船に乗っていられる期間は今日だけなのかもしれないのだから。
俺は自分の寝室へと足を向ける。
そこには女魔法使いが眠っている筈だ。
乗り込む間際に手続きを済ませたので部屋が一つしか空いていなかったのが原因であり、俺と女魔法使いは同室となった。
俺は音を立てないように扉を開けて中に入る。
部屋は窓から星明りが差し込むが、それらは意味をなさず暗闇が広がっていた。
俺は弱体化した状態でも使える光源魔法を使い、うっすらと部屋を明るくした。
女魔法使いは窓際にあるベッドでこちらに背を向けた状態で眠っていた。
ローブと鍔広の帽子は帽子掛けに掛けられており、魔力増幅装置である杖は胸元に仕舞われておらず部屋の角に立て掛けられていた。
俺は足音を立てず、息を殺し、気配を悟られないように女魔法使いに近付く。
確か女魔法使いは懐に俺の力の源である二本の角を仕舞っていた筈だ。
寝ている間に取り出せば、事は簡単に終わる。
俺は一歩一歩慎重に運んで女魔法使いが眠るベッドまで辿り着いた。
後は角を取り戻すだけだ。
俺は女魔法使いの胸元に手を伸ばす。
「……魔王」
俺は伸ばした手を瞬時に引っ込めた。
寝言か?
そのような安易な期待が頭を過ぎったが、女魔法使いはゆっくりと上半身を起こして、俺に顔を向ける。
女魔法使いの顔は感情を読ませない為か、無表情であった。
「女魔法使い」
俺は右手を差し出すようにして女魔法使いの前に出す。
「角を返せ」
「嫌だ。って言ったら?」
無表情のまま女魔法使いは訊いてくる。
そんなの、決まってるだろ。
「全力で取り戻す」
俺は即行で女魔法使いをベッドに押し倒してマウントポジションを取る。
この状態ならば例え重力魔法をくらったとしても重くなった俺に押し潰される形で女魔法使いにも被害が及ぶ。
電撃魔法や氷結魔法、疾風魔法を使われればそれまでだが、女魔法使いは俺にそんな危険な魔法を使う事は無いと確信している。
女魔法使いは俺に怪我をさせたくないのだ。
実際疾風魔法で俺を骨折させてしまった時は泣きながら治癒促進魔法を施したのだから間違いない。
今の俺が電撃魔法や氷結魔法をくらえばほぼ確実に再起不能になるだろう事が予測されるので、女魔法使いは放ってこないだろう。
だから、多少強引であるが調整の利く重力魔法で俺の自由を奪っていたのだ。
転移魔法を使われる可能性もあるが、MPを回復していない今、使える程残っていないだろう。
寝る事で多少MPが回復していたとしても、使うには全然足りていない。
女魔法使いの両手首を左手で押さえて女魔法使いの頭の上に持って行く。
しかし、それでも俺の考えは甘かったようだ。
「ごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごごっ⁉」
女魔法使いは自分が下敷きになる事も構わずに平気で重力魔法(3G)をぶっ放してきやがった!
俺の体重は五十キロだから百五十キロの物体が押し付けられているのと同じ状況となっているのに、女魔法使いは表情を崩さなかった。
「ここここここここここここここここののののののののののののののおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
潰されながらも、俺は女魔法使いの胸元に必死で手を伸ばし、角を取り戻そうとする。
が、重力魔法を3Gから5Gにまで上げられて、腕を伸ばせなくさせられる。
「ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎっ!」
それでも俺は己の限界を超えてほんの少しずつではあるが、腕を前進させて懐へと向かわせる。
そうしたら止めとばかりに5Gから一気に10Gまでの負荷を掛けてきやがった!
「……ぁ…………ぁ…………っ」
もう呻き声さえも出せない圧力を与えられ、今度こそ完全に腕を動かせなくなった。
骨がきしむ、肺から空気が押し潰されて無理矢理排出される、爪が食い込む、髪の毛が突き刺さる、血液の流れが止まる、激しい痛みが襲ってくる。
でも、それでもなぁ。
俺は諦めねぇぞゴラァ!
俺は無理と分かっていても、必死で角を取り戻そうと腕を伸ばそうとする。
伸ばせなくても、伸ばそうとする。
骨が砕けそうになっても、伸ばそうとする。
視界が明滅し出しても、伸ばそうとする。
血反吐を吐きそうになっても、伸ばそうとする。
「……どう、して?」
重力補正で五百キロの物体に圧迫されている筈の女魔法使いは痛みなぞ感じさせぬ感情の無い声で尋ねてくる。
「どうしてそこまでして、角を取り戻そうとするの?」
何当たり前な事を訊いて来るんだよこいつは?
『決まってるだろ! 俺は魔王としての日常に戻りたいからお前から角を取り戻そうとしてんだよ!』
俺はテレパシーを使って女魔法使いに決意を語る。
『お前の行動を貶すつもりはないし、魔王の角を切り落として軟禁状態に置いた策は評価すべきものだし、女魔法使いと女侍の料理は本当に旨くて本心から料理屋を開いて欲しいと最初に言ってはおくが、俺は俺に仕えてくれていたった一人の臣下の気持ちを裏切りたくないんだよっ! 魔王らしくない俺に仕えてくれてる唯一の臣下を放ったらかしには出来ないんだ! だから角を取り戻して臣下が仕えるに値する魔王に戻る!』
そう、例え今角を取り戻せなくても、俺は絶対に女魔法使いから角を取り戻して魔王として復活を果たすっ!
「………………そう、だよね」
女魔法使いはそう呟くと、重力魔法を解除した。
そして、全身がずたぼろになった俺に治癒促進魔法を掛ける。
「……私の勝手で、魔王を束縛しちゃ、駄目だよね」
あくまで感情を押し殺した声音でそう呟く女魔法使いは、俺をそっと退けてベッドの端に座らせ、俺の隣に座ってきた。
「分かった。角は魔王に返す」
まさかの展開だった。
これは俺にとっては好都合なのだが、果たして素直に喜んでもいいものだろうかという疑問が頭を過ぎる。
こんな旨い話があっていいのだろうか、と。
「でもさ、一つだけ、我が儘、訊いて?」
女魔法使いは俺の手を取りながらそう言ってきた。
その手は微かにだが、何故か震えていた。
どうして震えていたのか俺には分からなかった。
「せめて、この護衛の仕事が終わるまで、一緒にいて。護衛の仕事が終わったら、角を返して、回復魔法でつけるから」
「その護衛の仕事が終わったとしても、角を返さないっていう可能性もあるが?」
「それはない。終わったら、きちんと返す」
だから、と女魔法使いは俺の手にそえていた右手を退け、小指を立てて俺の前に出してくる。
「指切り拳万、しよ?」
女魔法使いは無表情でそんな事を言ってくる。
そう言えば、一昨日もしたな、指切り拳万。
俺はその指切り拳万で交わした約束を破ろうとしているが、女魔法使いはその事については言及するつもりは無いようだった。
「あぁ、いいぜ」
俺も右の小指を出して、女魔法使いの小指に組ませる。
「ゆーびきーりげーんまーん」
そして一昨日と同じように女魔法使いが掛け声を言う。
しかし、次に続く言葉は一昨日とは異なっていた。
「嘘吐いたら私は死んで嘘の償いをするっ。指切った」
あまりにも重々しい約束を一方的に終えた女魔法使いは、そのまま「お休みなさい」と言ってベッドに横になって寝た。
女魔法使いならば、この指切り拳万のように嘘を吐いたと思わせるような行動を取ったならば本当に死んでしまうのではないかという懸念が俺の頭を過ぎった。
健やかな寝息を立てる女魔法使いから俺は離れ、床に寝転んで寝る事にした。
この状態で角を奪取してもいいのだが、女魔法使いの覚悟を裏切るような行為な気がしたので、角を取り戻すのはやめた。
それに、この護衛の仕事が終われば返ってくるのだ。
だったら、焦らず、無駄な足掻きなぞせず、無駄な労力も消費せず、互いに傷付かない道を俺は選ぶさ。
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