05
最初にこれだけは言っておこう。
地上約十メートルから落下した翁薬師は無傷で家に帰った。
正直有り得ねぇって驚愕した。
かたや同時に吹っ飛ばされた俺は所々骨を折る大怪我をしたのに、だ。
その怪我も、女魔法使いが「御免なさい」と泣きながら治癒促進魔法を掛けて後遺症も無く完治した訳だが。
謝るくらいなら初めからやらないで欲しいと思った。
そして出来ればそのまま俺の切り落とした角も回復魔法(治癒促進魔法とは違う。こちらは外的に治す魔法)でつけてくれればいいのに。
まぁ、そんな旨い話は無い訳で。
で、今は女魔法使いの家でシャワーを浴びている次第だ。
汗もかいたし、落下して地面に打ち付けられて土まみれになったし、自分の血で汚れたしで、身体を綺麗にしたかったのだ。
そして一緒に入ろうなんてのたまりやがった女魔法使いを軽く無視して一人でインザシャワー。
内側から鍵が掛けられるのが救いだったな。
鍵を掛けていなければ女魔法使いが侵入して来ただろうから。
っつーか、一人暮らしの浴室だから結構狭いし、ここに二人は無理があるんじゃないか?
一人は風呂に浸かってれば大丈夫っぽいけど、そこまでする必要は正直ないだろう。
さて、石鹸を泡立ててそれで体を洗ったし、髪の毛もシャンプーで洗ってリンスもしたし、そろそろ出るとするかね。
俺はシャワーを止めて洗面所へと出る。
「あ、魔お」
俺は即行で浴室に戻って扉を閉めて鍵を掛けた。
「出てけっ!」
何服脱いで待ち構えてんだよ女魔法使いはっ⁉
しかも裸にタオルを巻き付けてすらいないまっさらな状態で!
意味が分からん、まるで意味が分からんぞ!
「やだ」
女魔法使いは出て行くのを拒否しやがった!
「何でだ⁉」
「だって、次は私が浴びるんだもん」
だったら俺が身体を拭いて服を着てから来て下さいな!
いや、家主よりも早くシャワーを使っちまった俺にも非があるとはいえ、せっかちにも程があると思いますよ!
「だから、鍵を開けるよ」
音も無く独りでに鍵が回って開錠されてしまった。
「What!?」
俺は未知なる現象を目の当たりにしてつい英語で驚いてしまった。
って、そう言えば開錠魔法って存在するんだったよ!
鍵掛けても何時でも女魔法使いは浴室に突撃出来ていたのかよ!
俺は女魔法使いが浴室に入ったと同時に出た。
若干身体と身体が触れ合っちまったが、背中(俺)と腕(女魔法使い)だったのでセーフだセーフ!
俺は浴室の扉を勢いよく閉じて、女魔法使いが用意してくれたタオルで全身を拭き、衣類を着て洗面所を出る。
その時に女魔法使いの服と下着が視界に入ってしまい、ちょいと赤面してしまう。
「はぁ、疲れた……」
シャワーでリフレッシュ出来た筈なのに、どうしてこうなった?
いや、こうなった理由は分かる、勇者パーティーの所為だよ!
あぁ、早くぶん殴りてぇなコンチキショウ!
『キンコーン』
と、来るべき日に備えて本格的なシャドーキックボクシングをしていたら呼び鈴が鳴った。
女魔法使いはシャワーを浴びている真っ最中だろうし、ここは俺が出るべきだろうな、出ないのは相手方に失礼だし。
「はいはい、少し待って下さいねぇっと」
俺は小走りで玄関扉に向かい、開く。
「失礼、女魔法使い殿……む?」
そこには東洋の鎧を身に付け、腰に刀を佩いている十代半ばと思われる女が立っていた。
「おぉ、貴殿は魔王殿でござるな」
畏まった顔で女は出会い頭にそんな事を言ってくる。
この姿といい、こんな事を言ってくるといい、もしかして、いやもしかしなくとも、こいつは……。
「なぁ、お前ってもしかして勇者パーティーの女侍?」
俺の問いに女はきびきびと答える。
「左様。魔王殿の言う通り拙者は女侍。勇者殿と共に魔王討伐の旅をしてい」
「チェストォ!」
全部を言い切る前に俺は渾身の左ストレートを放っていた。
「危ないでござるよ⁉」
女侍はそれをしゃがんで緊急回避しやがった。
ちぃ、すばしっこい奴めが!
避けんじゃねぇっつーの!
「お前等の所為で、お前等の所為で俺の力の源である大事な角はなぁぁああああああああああああああああああああああああっ‼」
ここで会ったが百年目、こんな目に遭った恨みを晴らす絶好のチャンスなんだよぉぉおおおおおおっ!
「角以外にもなぁ、重力魔法で潰されるわ、羞恥プレイ(知らぬ間に着替えさせられる)されるわ、軟禁されるわ、疾風魔法で飛ばされるわと色んな目に遭ってんだよぉぉおおおおおおおおおっ‼」
俺は一心不乱に女侍に殴る蹴る等の暴行を加えるが、これは正当防衛――防衛ではないな、正当な制裁の名のもとに行っているので咎められる覚えはないとお天道さんを見ながら断言出来るさっ!
あと、この場にいない臣下も許してくれるさ、きっと!
「ちょっ! 待っ! 落ち着くでござるよ魔王殿っ!」
しかし俺の見惚れる程に華麗でバリエーション豊かなパンチとキックはちょいと引き攣った顔をした女侍に掠りもしない。
「これが落ち着いていられる状況かってーの!」
俺は更に攻撃の速度を上げて、女侍に一矢報いる為に殴りまくり、蹴りまくる。
「なっ⁉ 更に速くなったでござるよ!」
女侍は驚愕を顕わにしながらも、俺の攻撃を必死で掻い潜る。
ちっ、意外とやりやがるな、流石は勇者パーティーの前衛職といった所かっ!
「まだまだぁ!」
俺は更にスピードをアップさせる。
もうパンチやキックが速過ぎて残像が見える程だ。
「なんの!」
女侍もそのスピードに合わせて避け続ける。
こちらも残像が見える程に素早い身のこなしであった。
そんなこんなで五分は経過。
「はぁ、はぁ、はぁ」
俺は完全に息が上がって、汗を沢山かいてその場に倒れ込んだ。
くそ、折角シャワーを浴びて汗を流してすっきりしたのに、またべたついちまったじゃねぇか。
「魔王殿は力の源の角を切り落とされても俊敏に動けるのでござるな」
と、俺とは反対に汗一つかかず、それに加えて息の一つも乱さずに女侍は角の無い俺を感心していた。
流石勇者パーティーの一員、体力は化け物級だな。
というか、角の事を知っているって事はこいつも攻略本を読んだんだろうな。
……不味いな、早いとこ出版社を根絶させないと魔王の弱点が世間一般にどんどん広まっちまう。
「さて、立ち話もなんなので拙者は上がらせて貰うでござるよ」
そう言って女侍は俺を助け起こして――と言うよりもお姫様抱っこ(へっ⁉)をして家に入ってきた。
まさか……女に、それも人間の女にお姫様抱っこされる日が来るとは思わなかった。
何か色々とショックだよ、情けなくて涙が出そうになるよ。
「所で魔王殿」
俺をお姫様抱っこしながら女侍が訊いてくる。
「何だ?」
「女魔法使い殿は何処でござるか?」
女侍は部屋の中を見渡すが、現在女魔法使いはシャワーを浴びているのでここにはいない。
「シャワーを浴びてるから、もう少し待ってればここに来ると思うぞ」
「そうでござるか。では暫し待つとするでござる」
そう言うと女侍は近くにあった椅子に座った。
座るのはいいんだけど、いい加減俺を降ろしては貰えまいか?
ちょっと気恥ずかしいっつーか、男として屈辱的なんだけど。
「ん? 魔王殿、髪が濡れておるがこれは先程かいた汗が原因でござるか?」
目線的に俺の頭部を確認出来たのか、女侍はそんな事を訊いてくる。
「いや、これはさっきシャワー浴びてて乾かしてなかっただけだ」
そう言えば乾かしてなかったな、髪。
魔王城にいた時は普通に自分で温熱魔法を使って乾かしていたが、今は広範囲破壊魔法の乱発でMPが底をついてしまって温熱魔法によって乾かす事が出来ない状態にある。
この家の中は外よりも暖かいとはいえ、冬で髪を乾かさないでいると風邪を引いてしまうだろうか?
「そうでござったか。魔王殿、少々失礼するでござるよ」
女侍は華奢な指で俺の髪を梳く。
一体何をしているのだろうと疑問に思っていると、女侍の指が熱を発している事に気が付いた。
「あ、もしかして乾かしてくれてんの?」
「そうでござる」
女侍は温熱魔法を放ちながら俺の髪を梳いて乾かしていく。
何か、他人にこうやって髪を乾かして貰うのは初めてなので、どぎまぎとしてしまう。
というか、何か気持ちいいんだよなぁ、こう優しく髪を梳いてくれて、暖かくて、しかも指先が頭を撫でるかのように触れるから。
まるで子供の頃に戻ったかのような感覚だった。
「ふふ」
と、女侍が口元に手を当てて慈愛に満ちた目を俺に向けて笑った。
「どうした?」
「いや、魔王殿はやはり可愛いでござるな」
そう言って懐から手鏡を取り出して俺の顔を映し出す。
何と、弛緩して緩み切った幸せそうで平和ボケした俺の顔がそこには写っているではあーりませんか。
「にょっ⁉」
変な声を上げて、即行で女侍の手を払い除けて自分の頬に全力で平手打ちをかまして喝を入れた。
危ない危ない、今の軟禁状態を生み出した相手に隙を見せる所だったぜ!
「貴様、さては俺を油断させて退治でもしようって魂胆だな⁉」
俺はずびしっと女侍を指差す。
「いや、拙者は魔王殿を退治しようとは思ってないでござるよ」
女侍は手を横に振って否定する。
「というよりも、こんな可愛い魔王殿を退治しようと思わなくてよかったでござるよ」
柔らかい笑みでそんな事をのたまう女侍。
「やめろ! 俺の事を可愛いなんて言うな!」
可愛いと言われて喜ぶ男はいないよ! せめて格好いいと言ってくれよ!
「いやいや、誇るべき事でござるよ。その可愛さがあれば、例え魔王として未だに君臨していたとしても、誰も退治しようとは思わないでござるからな」
俺の頭を優しく撫でてくる女侍。
撫で方はまるで子供にいい子いい子するかのようであった。
「思うよ! 誰かは絶対魔王を退治しようと思うよ! って、俺はまだ魔王として君臨しとるわっ!」
撫でる手を払い除けようと頑張るも、払っても払っても撫でるのをやめてくれない女侍であった。
「はっはっは、照れなくてもいいでござるよ」
「照れとらんわっ!」
何てやり取りを俺と女侍が繰り広げていると。
「…………二人共何してるのかな?」
背筋が凍りつくようなおどろおどろしい声が部屋に響き渡った。
俺はぎぎぎっと首を声のした方へと向ける。
そこにはシャワーを浴び終えて服を着た女魔法使いがタオルを頭に巻いてものすんげぇ怖い笑顔で突っ立っていた。
「女魔法使い殿。失礼してるでござるよ」
物怖じせずに女侍ははにかんで挨拶をする……って翁薬師といい何で焦りを見せないんだよ⁉
慣れか⁉
これは慣れの問題なのかっ⁉
「挨拶はいいわ。それよりも、私の質問に答えてくれるかな?」
女魔法使いは胸元に手を突っ込んでまた杖を取り出して魔方陣を描く……ってお前は仲間相手には全く容赦ないのなっ!
「二人は……特に女侍は何をしているのかな?」
光を失い、地獄の底に叩き付けられそうな程に負の怨念が籠った目を女侍に向ける女魔法使い。
「拙者は可愛い魔王殿の髪を乾かすという口実の下、可愛い顔を見る為に頭を撫でていたのでござるよ」
女侍は嘘の一つも吐かずに自分の行っていた事を話した。
「だから可愛いとか言うな! っていうか髪を乾かしてくれたのはそんな目的があったからなのか⁉」
「左様でござる」
俺の驚愕に女侍は真顔で頷いた。
こいつ……やっぱり俺の隙をついて退治しようとしてたんじゃないのか⁉
「……そう」
そして女魔法使いは底冷えのするような声のトーンでそう呟くと魔法を発動させちゃったよ!
ぎゃーっ! 今度はどんな殺戮魔法をぶっ放すんだーっ⁉ さっきは風だったから次は電撃あたりかっ⁉
と、俺は衝撃に備えて目を固く閉じて身を縮こませる。
『ぽすっ』
しかし、身を引き裂かれるような強烈で苛烈な衝撃というものは襲ってこず、代わりに何かが身体を包み込むように覆い被さってきた。
何か、この覆い被さってくるものの感触を俺は知ってるっつーか、ここ最近体験したっつーか、暖かいっつーか、柔らかいっつーか、きゅっと締め付けてくるっつーか、甘い匂いが鼻孔をくすぐるっつーか。
はて、それに加えて幼少の頃に戻ったような感覚が……?
俺はゆっくりと目を開けると。
「魔王の髪を乾かしたりいい子いい子したりしていいのは飼い主の私だけ」
俺は女魔法使いに抱き寄せられていた。
というか、女魔法使いの胸の顔を埋められていた。
「What’s happen!?」
つい英語で言っちまったが、happenってスペルあってるっけ?
いやいやいや、そんな事はこの場においてかなり些末な疑問だ!
俺は何時女侍の腕の中から女魔法使いの胸の中へと移動したんだ⁉
ってそうか、転移魔法か、女魔法使いは転移魔法も使えんのか!
使えると分かって、俺は女魔法使いの目の前から逃げる事はほぼ不可能だと分かってしまった!
だって、転移魔法は対象を視認して発動するんじゃなくて、対象を心の中に浮かべて発動するんだよ。
転移魔法の難点として半径五メートル以内の物体一つしか転移出来ないのだが、対象を見なくても発動するのだから魔力、体力、腕力が平均男子以下となってしまっている故に走力も以下略な状態だ。
俺も転移魔法は習得しているが使うMPも持ち合わせていないし(広範囲破壊魔法五発分必要)、結論は脱出不可能の一言に尽きる。
いや、今は転移魔法について語るのではなくて、女魔法使いが俺の飼い主宣言を公然と言ってのけた事に対して何かしらのリアクションを取るべきだと思われる!
ペット兼彼氏→ペット→婿→所持品→ペットとペット率が高い扱いになってやがるよ!
でも動物として扱われている分、所持品よりはマシなのだろうか?
なんて思ってる暇もねぇわな!
「HA☆NA☆SE!」
何故かのりのりでこう言ってしまったが、俺は女魔法使いの胸の中(あんまりふかふかしていな……いえ、何でもありませんですはい)から逃れようと突き放しに掛かるが、女魔法使いはそんな俺の力なんかで突き飛ばされないくらいにぎゅ~っとホールドしているから逃げられませんでしたよ!
「女侍、あなたは私に宣戦布告をした」
女魔法使いは恐らく女侍をねめつけているに違いない。
「魔王はあなたに渡さないっ」
そう力強く決意すると更にきつくホールドしてきやがりましたとも!
異性からの熱烈な抱擁は男だったら鼻血の海にでも沈むかのように幸福な事なんだろう。
でもさ、実際にくらって分かった事がある。
口と鼻を副次的に塞がれて息が出来なくて窒息しそうな程に苦しくてある種拷問を受けてんじゃないかって思っちまうくらいにあんまりいい事じゃないってな!
「いやいや、宣戦布告していないでござるよ」
女侍は多分はにかみながら否定しているんだろうな。
「魔王殿は女魔法使いのものでござる。拙者は別に魔王殿を欲しがっていた訳ではござらんよ。ただ、角を切り落とす際に見た寝顔がとても可愛くて、それをまた見たいと思っただけでござる」
『てめぇか! 俺の角を切り落としやがったのはっ!』
口を塞がれてしまっているので、俺はテレパシーで怒号を放った。
翁薬師といい、今日はこんな状況に陥れた元凶に会える日なんだなっ!
こんな復讐のチャンスを与えて下さった我らが神に感謝せねばなぁ!
「おぉ、魔王殿は念話を使えるでござるか。念話は精神を研ぎ澄ませて高い集中力を身に付けなければならないので使える人が少ないのでござるが、流石は魔王殿。呼吸出来ない状況でありながらも精神を乱さずに平然とやってのけるでござる」
角を失う羽目になった大元凶はそれはそれは感心した風に俺の頭を撫でた。
いやまぁ、俺は魔王ですからね、例え俺の部屋の前に勇者パーティー御一行が(実力的に有り得ないとは思うが)臣下を切り伏せ無傷で来たとしても心を乱さずに平然とテレパシーで『ふっふっふ、ここまでご苦労だったな。あの者では荷が勝ち過ぎたようだ。我が直々に相手をしてやろう!』的な台詞を言えると自負出来る精神力は持っているさね。
……はっ、いかんいかん!
相手の口車に乗るな、相手のおだてでいい気になるな魔王、これは女侍の策略だ俺が照れている所を腰に佩いている刀でばっさりと切り伏せる為の策だ!
誰がそんな策略に嵌まるかってぇの!
この拘束から逃れたら制裁を加えてやるからなっ!
「……勝手に撫でないで」
俺の心の声なんぞ訊こえていない女魔法使いが身体を捻って俺の頭を女侍から遠ざけるようにするが、そんな事をすると俺の体が置いてけぼりになり、首が可動域以上に回される羽目になってとってもとっても痛いんですけどねっ!
止めて止めて止めてそれ以上身体を捻ると俺の首の骨が折れて再起不能に陥っちゃうから!
はっ、こういう時にテレパシーを使って女魔法使いにSTOPを言えばいいんだよ!
『それ以上身体を捻ったら首折れるから放せ! あと窒息死しそうな程に酸欠になってきたから放せ!』
ついでにこの状況を打破する言葉を続ける事が出来た。
「あ、御免なさいっ」
女魔法使いは慌てて俺の頭から手を離して解放してくれた。
た、助かった……あと数ミリ回されていたらおっ死んでたぞ……。
俺は肺の中に溜まった二酸化炭素を全て排出し、新鮮な酸素を肺に取り込んだ。
あぁ、空気って美味しいなぁ。
さて、と。
空気もたっぷり供給出来た事だし、女侍に制裁を加えるとしますかねぇ!
よ~くも俺の大事な大事な角を切り落としやがってくれましたねぇ!
まずはてめぇの大事な武器である刀を鍛冶屋で打ち直して貰う程にぐんにゃぐにゃのぐんにゃぐにゃにひん曲げてやるよぉ!
と、俺は邪悪さMAXの笑顔で女侍の佩いている刀に手を伸ばす。
「ドラァ……あ?」
が、何がどうなったのか知らんが、一瞬頭がふらついて視界が明滅し、俺の身体から力が急激に抜け落ちてしまい、立つ事も儘ならなくなり、後ろに倒れていった。
そんな俺を女魔法使いが後ろから支えてくれた。
「お腹空いてるのね」
そんな事を言いながら。
腹……あっ、俺そう言えば朝食食ってないじゃん。
というか、昨日も飯を食ってないし、意識を失っている間も当然食べてないだろうし、最後に食べたのはあのこの状況の源その一である睡眠薬入りの黄金色の御粥か。
その事実を脳が把握してしまうと、ものすんげぇ空腹感が押し寄せてきて、腹が痛くなってきた。
現在時刻を確認すると、もう直ぐ十二時にでもなろうという頃だった。
朝食じゃなくて昼食の時間になってしまっていた。
「女侍。昼食の準備」
女魔法使いは女侍にずびしと指を突き付けて命令した。
いや、女侍は仮にも客だし、客に昼食の準備させんなよ。
「合点承知の助でござる!」
とか何とか言いながら頷いて女侍は鎧を外して懐に手を突っ込む……ってか、どうして勇者パーティーの女は異性の前で胸元に手を平気で突っ込むんだろうな?
そして懐から布に包まれた縦長の直方体を取り出した。
うん、もう俺は驚かない、懐から取り出せる筈もない大きさのものが出て来ても俺はもう驚かない、慣れました、えぇ慣れましたとも。
「これが本日拙者の作った皆の昼食でござる」
女侍は包みをテーブルに置いて布を解く。
どうやらそれは重箱のようで、五段積みであった。
ぱかっと蓋を開けて、重箱を解体し始める女侍。
「まず一段目でござるが、鮭、昆布、梅干し、鱈子のおにぎりが二つずつ入っているでござる。二段目には鶏の唐揚げ、白身魚の竜田揚げ、野菜の天麩羅と揚げ物尽くしにしてみたでござるよ。三段目には金平牛蒡、鰆の西京焼き、黒豆の煮浸し、大根と蓮根の煮付け、出し巻き卵、それに法蓮草の胡麻和えに胡麻豆腐を作ってみたでござる。四段目に拙者が得意とする外来菓子かすていらを一面に敷き詰めてみたでござるよ」
女侍は重箱を解体しながら得意満面の顔で説明する。
一言で言えば、よくこんなに作れるものだと思った。
おにぎりの形は四種類あり、それは中に入っている具が分かるような配慮、揚げ物類は油切れが非常によく、冷めてしまっていても油臭さなんてものを感じさせず、見た目もぱりっとかさくっとかしてそうに見える。
三段目の品々は見た目が美しくなるように絶妙な配分、配置バランスを施されており、食べるのが勿体ないと思わせるものであり、四段目の一面カステラはある種の驚きと甘いもの好きのハートを鷲掴むインパクトが備わっていた。
もう、涎が溢れてきた。
特にカステラで。
俺は大の甘党なんだよ。
あぁ、早く食べたいなぁ〰〰。
「最後に五段目でござるが」
四段目を持ち上げて、五段目の中身を見えるようにする女侍。
「並々と蜆の味噌汁で一杯にしたでござる」
最後の段には溢れんばかりの蜆の味噌汁が波打っていた。
「今までよく零れなかったなっ⁉」
俺は先程とは別の意味で驚愕したよ!
普通は味噌汁って保温効果のある水筒に入れて持ってくるもんなんじゃないのか⁉
でも目の前の御仁はそんな常套手段を用いず、まさかの幼い子供がしでかしそうな方法で液体料理を持ってきちゃったよ!
しかも並々と、表面張力がばりばり発動しているくらいに満杯で!
っていうか、普通零れてるだろこれ!
さっきだって俺の華麗でバリエーション豊かなパンチとキックの嵐をものすんげぇ動作で避けまくってたんだから女侍の胸は蜆の味噌汁で濡れてなければ可笑しい!
しかし、そんな危険な状態で重箱を入れたまま激しい動きをしていた女侍の胸(今になって気付いたけど、女魔法使いの二倍はある)は全く濡れていないこの現実の矛盾は一体?
「細かい事は気にしない方がいいでござるよ」
どうやら思案顔だか驚愕した顔だかをしていたらしい俺の肩に手をぽんと置いて女侍は真顔でそんな事をのたまってくれた。
まぁ、そうですよね、こんなんで驚いてちゃ魔王は務まりませんもんね。
俺は静かに頷いて、女魔法使いに椅子に座らせて貰った。
「所で、魔王殿は箸を使えるのでござるか?」
女侍は懐から更に箸、小皿、椀、おたま、それに湯呑みと水筒を取り出しながら俺に尋ねてくる。
こいつの胸元も異次元か四次元に繋がっているのだろうか?
「舐めんな。箸くらい普通に使えるっつーの」
俺はそう豪語しながら女侍から箸を受け取ると滑らかな動作で箸を扱う様を女魔法使いと女侍に見せ付ける。
俺はスプーンやフォーク、ナイフよりも箸で食事する機会が多かったんだからな。
理由はあれだ、手先を器用にしたかったから。
最初の内は箸を鷲掴んで無理矢理箸と箸の間に料理を突っ込んで食べたり、箸を揃えてすくって食べたりしたけど、今は大豆を一粒一粒素早く掴めるくらいに上達したのだ。
城内において、箸捌きで俺の右に出る者はいないと断言出来るね! 比較対象は臣下しかいないけどな!
女侍が皿と椀をテーブルに並べ終え、水筒の中身(番茶だった)を湯呑みに注いで俺と女魔法使いに渡す。
立っていた女魔法使いも椅子に座って、みんなして手を揃える。
「「「いただきます」」」
これ大事な、食料になってくれた生命に感謝しないと。
そう言って俺はまず四角形のおにぎりに手を伸ばし、食べる。
中身は鮭であり、ほぐした身には骨が入っておらず、口当たりがよくて、程よい塩梅であり、白米の炊き具合もおにぎりに合わせたものとなっていた。
かなり腹が減っていたので直ぐに食べ終え、次に三角形のおにぎりを口に入れた。
これは梅干しのようで、すっぱさが不意をついて俺の舌を攻撃し、唾液が過剰分泌させられたが、今まで食べた事がない程に上出来の梅干しである事に感動を覚え、今度臣下にこのような梅干しを作らせてみようかと画策した。
梅干しのおにぎりを片手に俺は箸を揚げ物ゾーンに伸ばしてどんどん食べていった。
鶏の唐揚げは外はぱりっとしていて中はジューシー、下味に大蒜と生姜、醤油につけていたらしく柔らかく、白身魚の竜田揚げはシンプルではあるが基本に忠実で奇抜な作り方をしていないので美味、野菜の天麩羅もさくさくとしていて、野菜の風味を損なわないように衣が多量についていなかった事は評価に値する。
「魔王殿、味噌汁でござる」
女侍は蜆の味噌汁を椀によそって俺に差し出してくれる。
それを一口すすると、滋味溢れる蜆の出汁と保存調味料の代表である味噌との調和が取れた味につい一気飲みをしてしまった。
「魔王」
飲み尽くした後に残った蜆の身を殻から取って口に運んでいると、女魔法使いが声を掛けてきた。
「あーん」
そう言って箸で掴んだ出し巻き卵を俺の口元に持ってきた。
「いや、一人で食べられるんだけど」
「あーん」
俺はおにぎりを持っている手を横に振るが、女魔法使いはそれでも俺の口元に近付けた出し巻き卵を退避させようとしなかった。
というか、あーんってやる側もやられる側もものすんげぇ気恥ずかしい行為だと思われるんだけど。
それでも平然とやる側に回った女魔法使いの精神力はものすんげぇものだとちょいとだけ尊敬した。
「あーん」
女魔法使いはついに出し巻き卵を俺の唇に接触させてしまった。
口に触れてしまった以上は食べなければなるまいな。
「あ、あーん」
仕方がないので俺は気恥ずかしくて頬を若干赤くさせながらも口を開き、女魔法使いが開いた口に出し巻き卵を入れ、それを確認した俺は出し巻き卵を咀嚼する。
昆布と鰹節の出汁が白身と黄身と共に完全に混ざり合い、形を成した卵の味は格別であり、普通に店に出しても馬鹿売れだと思った。
「はい、魔王。あーん」
出し巻き卵を食べ終えると、今度は鰆の西京焼きを箸で掴んで俺の口元に寄せる。
なんという羞恥プレイか。
もしかして女魔法使いは俺を恥ずかしさで自殺に追い込もうとしているのではないだろうか?
そうだとしたら、俺は恥ずかしさに耐えるさ、耐えてみせるさ。
俺は魔王なんだから、恥ずかしい事はもう慣れっこなんだよ。
一人で高笑いの練習をしている所を俺の部屋を掃除に来た臣下に見付かったり、中二病臭い鎧の発注をファックスで送っている姿を電話を掛けに来た臣下に見られたり、勇者パーティー御一行が魔王城に来た時の為の台詞を心の中で叫んで練習していたら実はテレパシーで臣下に知らぬ間に演説しちゃっていた事に気付いたりと、恥ずかしい黒歴史は俺の中に山程積み上げられてるっつーの。
だから、俺はこれしきの恥ずかしさでは決して死なん!
そんな訳で、俺は女魔法使いのあーん攻撃を真っ向から次々と食らっていく。
鰆の西京焼きの次は金平牛蒡、その次は法蓮草の胡麻和え、大根と蓮根の煮付け、黒豆の煮浸しという連続攻撃に耐えていった。
そんな俺と女魔法使いの様子を、女侍は口元をほころばせながら番茶をすすっていた。
女魔法使いは俺に食べさせながらも、きちんと自分の分も食べていたので器用なものだと感心する。
そんなこんなで大変美味な昼食はデザートであるカステラに突入した。
カステラはきめ細かくてふわっふわで舌触りがよくて程よい甘さで激旨であった!
もう、このカステラを食べる為なら角の一本や二本はどうでもいいっつーか、魔王城を勝手に陥落させてもいいって思ってしまうくらいにマイウーだった!
「女侍は料理の才能がある。この魔王である俺の舌を満足させたんだから料理人に転職しても生計を立てれるだろう。というか料理人になって店を構えろ! そうすれば俺が毎日通い詰めるから!」
そんな感想を直接告げると女侍は頬を紅潮させてもじもじと照れ始めた。
「べ、別にそこまでのものではござらんよ。拙者はただ食べる人の笑顔が見たいだけで作っているだけでござるし……」
「だったら尚更なるべきだって! 店を構えれば毎日毎日食べる人の笑顔を見る事が出来るって! っていうか、お前の料理を食べて笑顔にならない奴なんてこの世に一人もいないって断言出来る!」
つい、女侍の手を取ってそんな事を力説してしまう俺であった。
「し、しかし、拙者は侍である事に誇りを持っているでござるから」
「兼業すればいいじゃん! 侍兼料理人! 今時兼業なんて珍しくも無いし、女侍なら無理なく兼業出来るって!」
「そ、そうでござるか? しかし、例えば、例えばでござるよ? 拙者が店を構える運びになったとしても資金が無いでござるよ」
「そんなの俺が出すから! 何なら無利子どころか賞与って形で出すから! それに加えて店員の手配も任せておけ! 俺の臣下に任せて店員候補をかき集めてそっちで働かせてやるから! 勿論給金は俺が出す!」
「ほ、本当でござるか?」
「あぁ、男に二言は無いっ!」
「……か、考えておくでござるよ」
頬を染めて、女侍はそんな事を仰ってくれました。
よっしゃあ!
今直ぐではないが、近い将来女侍の料理を出す店が出来るかもしれないという形に事を運べたぜっ!
いやぁ、今のやりとりが俺の歩んできた人生の中で一番燃え滾っていたぜ!
女侍は俺の大事な角を二本切り落としたらしいが、何か本当にもうそんなのはどうでもいいっつーか、もう許すっつーか、逆に角を切り落として弱体化して逃げられなかったから女侍の料理を食べられたんだから、むしろ感謝すべきだね。
「…………やっぱり」
と、隣に座っている女魔法使いが手に持っていた箸をばきぃっと粉砕した。
「……やっぱり、女侍は私の敵だ」
女魔法使いは光を失った怖い目で女侍を睨みつけながら俺を抱き寄せた。
「い、いや誤解でござる! 拙者は女魔法使い殿から魔王殿を奪い取ろうなどと微塵も思っていないでござる!」
女侍は慌てて首と手を横にものすんげぇ勢いで横に振るが、速過ぎて残像がぶれまくっていた。
女侍も取り乱す事があるのだなぁ、としみじみ思ってしまう俺であった。
「……本当?」
女魔法使いは俺を強く抱きしめながらそんな事を女侍にのたまう。
「ほ、本当でござるよ! 天地神明に誓うでござるよ!」
女侍は起立して大声で誓いの言葉を紡ぐのであった。
「おい失礼だろ、女侍は嘘なんか吐かない誠実な御人なんだから疑うのはやめろよ」
俺のそんな一言で女魔法使いは若干泣きそうになりながら俺を更に強く抱きしめてくる。
「……私だって、料理は上手だよ」
ほぅ、それは本当か?
「だったら、今晩は女魔法使いの手料理を楽しみに待っているとするよ」
もしかしたら、女侍に匹敵する程の腕前ではなかろうかと思ってしまうと今から六時間後がものすんげぇ待ち遠しくて仕方がない心境に陥った。
「うん、腕によりを掛けるから期待して待ってて」
女魔法使いは少しだけ目元に溜まった涙を拭って笑いながら俺にそう断言した。
その様子を見た女侍は身の安全が保障されたからなのか胸に手を当てて息を吐いていた。
「あ、そういえば」
女魔法使いは俺を解放して背筋を伸ばし、改まって女侍に視線を移した。
「私に頼みがあるから今日の昼に来るって言っていたけど、どんな頼みなの?」
成程、だから女侍は今日女魔法使いの家に来たのか。
ただ自分の作った料理を食べて貰いたいが為に訪れたのではないのだな。
「あ、そうでござった。すっかり失念していたでござる」
こほんと可愛らしい咳払いをして女侍も居住まいを正す。
「実は、護衛の仕事を女魔法使い殿に手伝って欲しいのでござるよ」
「護衛?」
「左様。二日前に拙者は名指しで護衛して欲しいと商人に頼まれたのでござる。その商人は商談の為にここから遥か北にあるホウクカイド国へ行く事になったのでござるが、移動手段は船で、海に住まうモンスターが襲い掛かってくる危険があるのでござるよ。拙者は陸のモンスターならば苦せずに切り伏せる事は出来るのでござるが、海となると刀が届かないばかりか、下手をすれば一方的に攻撃をくらってしまうのでござるよ。だから遠距離にも対応した女魔法使い殿の力を借りたいと思ったのでござる」
是非に、と女侍は頭を下げた。
「成程ね。因みに私以外には声を掛けたの?」
女魔法使いの私以外とは、恐らく勇者パーティーの事を指しているのだろう。
「声は掛けたのでござるが、勇者殿はトヨキ国王都から出られず、男賢者殿は村々を回って子供達に勉を教えており、女剣士殿は拙者と同様に海のモンスターとの相性が悪く、男暗殺者殿は別の仕事の最中、女召喚士殿は新たな召喚獣を得る為に試練を受け、翁薬師殿は船酔いが酷い為に駄目だったでござるよ」
「おい、最後だけしょぼい理由だぞ」
つい突っ込んでしまったが、あの翁薬師は船に弱いのか。いい事聞いた。
もし俺の角が無事に戻ったら、翁薬師を七泊八日の船旅に招待させてやるとしようかね。
そして船酔い地獄を味わうがいいさぁ!
「そう、分かったわ」
女魔法使いは頷くと、頭に巻いていたタオルを解き、ローブを着てと鍔広の帽子を被り、胸元に色々と詰め込み始めた。
「手伝うわ。仲間の頼みを断る理由は無いし」
「かたじけないでござる」
女侍は深々と頭を下げた。
「で、鎧を着て来たって事は今日には出発するのね」
「左様でござる。午後三時にここから少し行ったキアタ港から出る蒸気船に乗る予定でござる」
俺は女侍の言葉を訊いて壁掛け時計に目をやると、時刻は午後一時を回った所だった。
「一人ずつ転移魔法でキアタ港まで送れば大丈夫ね」
女魔法使いは準備が終わったようで、女侍が持ってきた重箱等を流しに置いて洗い始めた。
「そうでござるな」
女侍は頷くと、洗い終えた重箱や皿を布巾で拭き始めた。
なんといいコンビネーションだろうか。
と、見惚れていたらここで俺はチャンスではないかと思い始めた。
女魔法使いは女侍と共に出掛けるのだ。
つまり、俺はここで一人留守番となる。
って事は逃げ放題じゃないか!
角は諦めて、モンスターと遭遇しないようにすれば魔王城に帰る事も夢ではない!
ジョギング中にこの場所とミクイズ村のある地方からしてあらかた魔王城のある方角を絞る事が出来たし、帰る事は可能と言えば可能だ。
あと、魔王城近くに行けばテレパシーで臣下に話し掛けて、迎えに着て貰うってのも手か。
……っていうか、今頃臣下はどうしてるかなぁ?
一人で寂しくないかな?
俺の帰りを待ってるのかな?
それとも俺を捜してくれてるのかな?
魔王城には勇者パーティーが攻め入ってたらしいけど、勇者如きで臣下は死なないし、そちらの心配はしていない。
だって、臣下は戦闘力では俺より低いけど、生存能力で言えば俺を遥かに凌駕するんだよ。
まぁ、差し当たっての目標は魔王城に帰って、臣下に無事を報告する事だな。角は切り落とされたけど、大丈夫だよーって。
よし、そうと決まれば俺はここで大人しく座って転移魔法で女魔法使いがいなくなってから出て行くとしよう!
「魔王」
なんて思っていると洗い物を終えた女魔法使いが俺に声を掛けてきた。
「何だ?」
「魔王も準備して」
準備とな?
「船旅の準備」
「……マジで?」
「マジで」
そう言う女魔法使いの眼には冗談の色なんて浮かんでいなかった。
どうやら、俺は魔王城には当分帰れそうにないようだった……。
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