02
ポールとランプしかない部屋から連れ出された。
どうやらあそこは女魔法使いの自宅の地下監禁室だったようだ。
自宅に監禁室があるのにびっくりだよ。
俺の魔王城にはそんなの全くねぇよ。
みんな優しい奴等ばっかりだもん。
みんなっつても臣下一人だけだけどな。
で、その監禁室から連れ出された俺は一階にあるリビングへと放り出された。
比喩表現じゃなく。
マジで。
放り出された俺は床に顔面を打ち付け、ちょっと涙目になった。
「……ねぇ、魔王?」
放り投げた張本人である女魔法使いが俺に躊躇いがちに話し掛けてくる。
因みに鍔広の帽子は近くの帽子立てに掛けていた。
「何だ?」
俺はぶっきら棒に訊く。
「抱き着いても……いい?」
頬を紅潮させ、少しだけ身体を捩りながらそんな事をのたまう。
俺はそんな仕草を見せた女魔法使いに一呼吸置き、満面の笑みでこう答えた。
「死んでもお断りだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだっ⁉」
言った瞬間に重力魔法(3G)を放ってきやがったよ、この女魔法使いはっ!
って言うか杖を振るって魔方陣を描かなくても発動出来るんかいっ!
「抱き着いても……いい?」
同じ台詞を同じ仕草で言い直す女魔法使いだが、眼は光を宿していない。
もし、ここでもう一度拒否の反応を俺が見せれば、あちらは躊躇いも無く俺という存在を消しに掛かるだろう。
それだけの凄味が、女魔法使いの眼の奥底にはあった。
なので、俺は重力に潰されながらも必死の形相で首肯する。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおけええええええええええええええええええええええええええええええええええっ!」
OKと言ったのが果たして伝わるだろうか?
母音だけ連続してると伸ばしてるのか連打してるのか分かり辛いなこれ。
「うんっ」
どうやら伝わったらしく、重力魔法を解除して俺を起こし、正面を向かされ、そして喜色満面で抱き着いてくる女魔法使い。
それはもう、力一杯で抱き締めてくる。
男ならこんなシュチエーション――じゃなかった、シチュエーションを羨ましいと思うかもしれない。
いや、完全に思うだろう。
しかし、考えてみて欲しい。
抱き着いてきたのが異性だとしても、それは自分を最悪の状態に叩き落とし、あまつさえ殺す程の実力を兼ね備えた存在で、言動次第では文字通り殺しに掛かってくる相手なんだぞ?
正直言って、グリズリーにでも抱き着かれているような感覚だよ。
心躍らねぇよ。
心休まらねぇよ。
恐怖で胸の内が一杯一杯なんだよ。
パンク寸前なんだよ。
「魔王って、温かいね」
そう言って俺の首筋に頬擦りをかましてくる女魔法使い。
背筋がぞっとした。
まるでライオンにロックオンされたカピバラのよう――じゃなくてガゼルのように。
俺の首元に食らい付いて息の根を止めるつもりなんじゃないか、こいつ?
そんな嫌な考えが頭の中を過ぎったが故の寒気であった。
女魔法使いの揺れる長髪から発せられる甘い果物のような匂いで心休まれる事は無い。
逆にこの匂いはウツボカヅラ的な食虫植物が虫を誘き寄せる為に発しているものだと警戒してしまう。
結論から言えば。
俺は女魔法使いに恐怖している。
だって、今の俺はパンピーよりも弱い存在なんだもん!
かたや女魔法使いは化け物級の体力と精神力を併せ持つ勇者パーティーの一員なんだもん!
力の差があり過ぎるんだもん!
「ねぇ、魔王」
そんな事を頭の中でぐるぐる回しているとは露知らず、女魔法使いが俺の耳元に囁きかけてきた。
ぞわってきた。
「……今夜、一緒に寝ない?」
恥じらいを感じさせる震えが、女魔法使いの声にはあった。
そんな声を訊かされたら、俺は……。
「断固として断るるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるっ⁉」
断るしかねぇよな!
身の危険しか感じねぇもん!
主に俺の貞操喪失の危機だよ!
俺は貞操観念はしっかりしてんだ!
伴侶でも好きでもない相手に誰が渡すかっての!
そんでやっぱりと言えばいいのか、重力魔法を食らう羽目になるんだよなこれが!
女魔法使いは俺が拒否の意思を見せた途端に俺を解放して床に減り込ませやがったんだよコンチキショウ!
「一緒に……寝ない?」
先程と同じ台詞をもう一度言う女魔法使い。
先程と同じパターンなら、絶対目の光は消えうせてんだろうな。
今俺は俯せになって床に減り込んでるから女魔法使いの顔が見えないから予測でしかないが、九十九パーセントの確率でそうだと言えるね。
先程のパターンでなら俺は渋々了承すると思うのだろう。
しかぁし、俺を甘く見て貰っちゃ困るぜ!
「いいいいいいいいいいいいいいいいいやややややややややややややややややややだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだっ!」
俺は自分の身(どちらかと言えば貞操的な意味合いが強い)を危険に晒さないように抵抗はするんだよ!
重力魔法(3G)には屈しないぜ!
「……そう」
女魔法使いは声音を落とし、残念そうに言う。
そして重力魔法の段階を一段階上げやがった。
「ぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼっ⁉」
拒否しただけでこの仕打ち!
俺はあまりの仕打ちに涙で顔と床を濡らしたよ!
流した涙が重力で顔面に減り込んできてものすんげぇ痛いんですけど!
自分で自分を痛めつける結果になっちまったよ!
「……駄目?」
残念そうな声のトーンでそう聞き返してくる女魔法使い。
「だだだだだだだだだだだだめめめめめめめめめめめめめめめめめええええええええええええええええええええええっ⁉」
また拒否したらもう一段階上げられたよ!
もう俺の身体に5Gの負荷が掛かってるんだけど!
そろそろ血反吐を吐くよ⁉
骨がみしみしぎしって音立ててんだけど⁉
爪が肉に食い込んで痛いんだけど⁉
あと男の急所が大ダメージ受けてるんだけど⁉
むしろそこが一番の問題だよ!
再起不能に陥るわっ!
「本当に、駄目?」
更に訊いてくる女魔法使い。
こいつ……まさかドSかっ⁉
俺が拒否する毎に重力魔法の段階を上げて苦しむ俺の姿を嬉々として拝もうとでもしてるんじゃないのか⁉
もしそうだとしても、俺は決して屈しない!
貞操を守る為に!
「だだだだだだだだだだだだだ駄目…………だ……?」
しかし、予想とは裏腹に、三度目の拒否の際には6Gの負荷が襲ってこなかった。
というか、重力負荷がもとの1Gに戻っていた。
つまり、女魔法使いが重力魔法を解除したという事だった。
重量魔法から解放され、自由の身になって素直に喜びたいのに、喜べない俺がここにいる。
何か裏があるんじゃないかって思ってしまう。
俺はゆっくりと顔を上げて女魔法使いを見る。
「……そう」
女魔法使いは泣いていた。
もうぼろぼろと大粒の涙を流していた。
俺は度肝を抜かれた。
まさか、三度拒否しただけでここまでの規模で泣かれるとは思わなかった。
異性を泣かしてしまった事に対して、俺は罪悪感というかいたたまれない気持ちというのか、そんなのが心の内から湧き上がってきたんだけど……。
いや、惑わされるな俺っ!
この女魔法使いは俺の力をほぼ無力化する為にもう二度と生えてこない角を綺麗に切り落としやがったんだぞ、そんな奴に罪悪感とかいたたまれない気持ちとか自分を苛めるような感情を抱くんじゃないっ!
これは恐らく罠だ、女にのみ許された男相手限定の必殺技泣き落としって奴だ!
俺は惑わされねぇし騙されねぇぞこの女魔法使いっ!
「…………ぐすっ」
……騙され……ない、ぞ。
そんな捨てられた子犬のような目をして、上目使いで俺の瞳を覗き込んできて、口元をわなわなと震わせて、握り拳をきゅっと作ってても騙されないぞーっ!
しかし、異性のこんな姿をずっと見ているのもあれなのでそっぽを向く事にした。
いや、別にずっと見てたら心が揺らいでついOKしちゃいそうだったとかじゃないぞ。
俺は忙しなく部屋の中を見回す。
結構綺麗に整頓されており、木製のテーブルと椅子、棚、台所は目の前にあって、後ろには外へと続く玄関扉があって、床にはカーペットが敷いてある場所あって、暖炉があって、小屋があって、窓があって、カーテンがあった。
因みに、窓の外の景色から現在が真夜中である事が窺え……ん?
何か、この部屋の中に変なのなかったか?
俺はもう一度部屋を見渡す。
えっと、この部屋にあるのはテーブル、椅子、棚、カーペット、暖炉、小屋、窓、カー……小屋?
何で小屋があるんだよ、ここ屋内だぞ。
小屋と言ってもあれだ、犬小屋。
しかも、そこそこ立派な作りで、ロッキングハウスみたいな外見だった。
俺はその犬小屋を注視してみる。
その小屋にはこんなプレートが引っ提げられていた。
『まおうのいえ』
…………あぁ、成程ね。あれが俺の寝床な訳ね。
ってちょっと待てやゴラァ!
あれが俺の寝床は無いだろ!
確かにそこそこ立派な一軒家ですけども!
でも、あれ俺には小さ過ぎんだよ!
入り切るどころか下手すると頭すら入んねぇよ!
ペットにしたいから寝床も犬とかが使う奴でいっか、みたいなノリで用意しやがったのか⁉
というか、本当にペットにされるのか俺っ⁉
愛玩動物☆魔王……やだ、絶対にやだ尊厳を根こそぎ奪われる結末しか残ってないぞそんなルートは!
「きちんとベッドで寝かせろや!」
色々突っ込む所はあったが、まずはそこを進言しておく。
「……ベッドは、一つしかない……ぐすっ」
嗚咽を漏らしながらそんな事をのたまう女魔法使い。
そうか、こいつ一人暮らしだからベッドが一つしかないって落ちかオイ!
だからあんなペットの塒を用意したのか!
あんな所で寝るくらいならこいつと寝る方がまだマシ……ちょっと待て。
今、俺は何と言った?
こいつと寝る方がまだマシ……と、そう言ったか?
……もしや、女魔法使いの狙いはそこか⁉
俺の寝床をペットと同じにする事で、尊厳を失いたくない衝動に駆られた俺が完成し、ベッドで眠りたいという願望が湧き起こり、ベッドは一つしかないから一緒に寝よう的な展開を狙っていたというのか⁉
犬小屋で一人で寝るか、はたまたベッドで女魔法使いと一緒に寝るか、二つに一つだ。
どちらも自分の中で何か(尊厳or貞操)を奪われる結果しか残っていないが、果たして、どちらを失った方がまだ再起可能だろうか?
と、真剣に考えてしまったが、別に俺は犬小屋で寝る必要ないじゃん。
というかあれだ、別にこいつの家で寝る必要ないじゃん。
俺には魔王城という立派な一戸建てのマイホームがあるんだから、帰って寝ればいいじゃん。
うん、そうしよう。寝て体力回復して臣下を引き攣れて角を取り返しに来よう。
女魔法使いの家がどの辺りにあるのか分からないから、魔王城までの道程も当然分からないけど、野宿覚悟で出て行く羽目になるけど、こんな危険地帯にいるよりはマシだと思う。
俺は今重力魔法掛けられてないし、女魔法使いは抱き着いて来てないし、自由に動けるし。
そんな訳で俺は女魔法使いに背を向けて玄関へと向かうのであった。
ダッシュで、全力疾走で、こんな所にいられるかっての。
「じゃあ、俺帰るかららららららららららららららららららららららっ⁉」
大丈夫だと思ってたら普通に泣きながら重力魔法をぶっ放してきやがったよ!
「……駄目、帰らせないっ」
いや、帰らせてよ!
しかも何だ、今度は重力魔法(しかも一段飛ばされて7Gときた)を受けて俯せに倒れた俺の背中に座り込みやがったぞこの女っ⁉
「帰らせない帰らせない帰らせない帰らせない帰らせない帰らせないうわぁぁあああああああああああああああああああああああああんっ‼」
顔くしゃくしゃにしながら大声出して泣く事かよ⁉
俺、こいつのキャラがまるで分かんない!
目をきらきら輝かせたり、慈愛に満ちたり、恥らったと思えば殺し屋の目をするし、その次は涙を目に溜めるし、最後は子供みたいに大号泣だろ?
短期間でころころ変わり過ぎだっつーの!
訳が分からないよ本当っ!
そしてもう重力魔法をくらい過ぎて舌が動かなくなっちまって抗議出来ないよ!
やべぇ、どうやってこの状況を打破すればいいんだよ⁉
手話でもして解除して貰うか⁉
でも俺手話出来ねぇし、そもそも女魔法使いが手話を理解出来るか分からねぇから却下だった!
どうするどうするどうするどうするどうする⁉
あっ、そうだ、テレパシーを使えばいいんだよ!
テレパシーなら声を出して伝えるんじゃなくて、相手の脳内に直接こちらの伝えたい事を伝えられるんだ。
何とも便利な能力か(魔法ではない)。
まぁ、テレパシーを会得した理由ってのもあれだ、人間に馬鹿にされないように爺ちゃんから習ったんだよ。
魔王城まで来た人間にさ「よくここまで辿り着いたな。だが、果たして私の下までこれるかな?」的な台詞を言わなきゃ何か絞まらないだろ?
ってそんな事を言ってる場合じゃなくて、早くテレパシーを使って重力魔法の解除を催促しないと明日の朝日を拝められなくなる確率が高い!
という訳でテレパシー開始!
『重力魔法解除してくれ! 潰れて死んじまう!』
「うぇ?」
女魔法使いは情けない声を上げる。
俺の魂の叫びはどうやら届いたようで、7Gの重圧から解放された。
た、助かった……。
さて、と。
重力の戒めから解き放たれたんだから、全力で逃げだすかな☆
そう計画立てて身体を起こそうとするが、起こせない。
女魔法使いが俺の背中に座ったままでいやがった。
「おい、退けよ」
「やだっ」
女魔法使いは頬を膨らませてそっぽを向きながら言いやがった。
「退くと逃げるからやだっ」
餓鬼かこいつ?
…………まぁ、確かに退いたら即行で逃げるんだけどな。
「逃げない逃げない」
俺は余裕で嘘を吐く。
「本当?」
涙を手の甲で拭いながらそう尋ねてくる女魔法使い。
「本当本当。なんなら指切り拳万してもいいんだぜ?」
「……じゃあ、指切りする」
そう言って右手の小指を俺に向ける女魔法使い。
俺は右手の小指を女魔法使いの小指に組ませる。
「ゆーびきーりげーんまーん」
女魔法使いが掛け声を言う。
へっ、言い終わって俺の背中から退いた瞬間に重力魔法をくらう前に玄関扉を開けて閉めてやるよ!
重力魔法は対象を視認出来なけりゃ効果ないからな!
これで漸く俺に安穏の日々が戻って来るって訳だ!
「嘘吐いたら重力魔法100Gをくらわして電撃魔法を千万ボルト与えて氷結魔法で氷漬けにして私の家にかーざるっ。指切った」
無邪気な笑顔で、女魔法使いはそんなおっそろしい事を申された。
…………逃げるのは諦めた方がよさそうだ。
重力魔法は俺の姿を見られなければ大丈夫だが、電撃魔法は無理だ。
生き物の水分に向かって半自動追尾されるうえに、放つ人の魔力次第で木製の玄関扉なんて簡単に黒焦げにして貫通する程の威力がある。
で、身動きが取れない状態での氷結魔法は地獄以外の何者でもないっつーか、単純にコールドスリープする羽目になるわっ。
下手すりゃ凍え死ぬか砕かれて死ぬっつーの。
そんな訳で逃げるのを諦めた俺は立ち上がって服に付いた埃を払う。
「ねぇ」
女魔法使いは赤く腫らした目で俺を見てこう言ってきた。
「抱っこ」
「寝言は寝てから言……はい、分かりました。やらせていただきます。いいですとも。やらせていただきますとも」
一瞬あのものすんげぇ怖い目をされたので素直に従うしかなかった。
だって、断ったらまた重力魔法が跳んできそうだったんだもん。
もうあれ勘弁だよ、骨痛いんだよ、筋肉痛いんだよ、挫けそうになんだよ。
だから、俺は手を伸ばしてくる女魔法使いを抱っこした。
因みにお姫様抱っこ。
角を切り落とされた状態の俺の腕力は平均男子よりちょい下となっているが、どうやらそれでも見た目の割に重い女魔法使いをお姫様抱っこする分には何の支障もきたさないようだ。
いや、重いなんて言っちゃ駄目だよね、うん、そうだよね、女性に失礼ダモンネ。
ベツニ ジュウリョクマホウ ガ コワイ ワケジャ ナイヨ?
「私の部屋に連れてって」
バランスを取る為か、腕を俺の首に絡ませながらそんな事を言う女魔法使い。
「何処だよ、お前の部屋って?」
「そこの階段上がった所にある」
女魔法使いが何もない空間を指差す。
おい、階段なんてねぇよ。
なんて思っていると、突如天井の一部がスライドし、そこから梯子がだららららっと降りてきた。
……えぇ〰〰、何これハイテクぅ。
俺の魔王城にはそんな隠し部屋チックな仕掛けなんてないんだけど。
今度臣下に頼んで作って貰おうかな?
なんて本気が考えながら梯子を上っていく。
両手使えないとバランス取り難くって大変だったという感想を抱いた俺であった。
梯子を上り切ると、そこには一つの部屋があった。
部屋面積の半分以上に幾千幾万もの本が所狭しと羅列しており、フラスコやビーカーといった実験器具、それに様々な種類の魔方陣が描かれた紙切れが机の上に山積みにされていた。
そんな如何にも魔法使いの部屋ですよと強調している部屋のど真ん中に質素なベッドが一つぽつんと置かれていた。
「ベッドまで行って私をそこに降ろして」
そう催促する女魔法使い。
俺は素直に従って女魔法使いをベッドまで運んで降ろす。
女魔法使いはベッドに降ろされると、ベッドの端に腰を掛けて俺を見上げる。
見た感じ、どうやら目の腫れは引いたようだった。
「一緒に、寝ない?」
ま~たまたそんな寝言をほざきやがりました。
「断る」
俺はにべも無く断った。
「……分かった」
すると何という事でしょう。女魔法使いは残念そうにはしているが呆気なく引き下がったではあ~りませんか。
よかった。俺の貞操はどうやら守られたようだ。
「じゃあ、俺は下で寝るから」
と言って俺は踵を返して梯子へと向かう。
ふっふっふ……、そう言って降りちまえば女魔法使いの眼から逃れられるって寸法よ。
そうすれば、簡単に逃げられるってもんよ。
さっきは逃げるのを諦めたが、女魔法使いの視界から外れれば問題ない。
見られてなければ重力魔法は恐るるに足らず。
女魔法使いが寝付いた頃合に抜き足差し足忍び足で静かに扉を開けて閉めれば電撃魔法も氷結魔法もくらわずに脱出出来る。
冴えてるな、俺の脳味噌。
流石だぜ、惚れ惚れするぜ。
「待って」
そんな事を画策していると女魔法使いに呼び止められる。
「せめて、ここで寝て?」
とても愛らしく、一人だと寂しいと訴えるような仕草で俺にそう言ってくる。
そんな姿を見せられたら俺は……。
「いえ、結構」
心動かされねぇっての、舐めんな。
折角の脱出する機会を失ってたまるかってぇの。
さっさと梯子を降りて階下に………………おんやぁ?
梯子が消えた……だと?
というか、階下に繋がる穴さえも消え去った……だと?
一体何が起きた?
「この部屋は私が出ようとする意志が無い時は梯子は消えるようになってるの」
女魔法使いはしれっと言いやがった。
「それ先に言えよ!」
そんなの知らなかったから自ら肉食獣の巣穴に潜り込んじまったじゃねぇか!
さて、そんなこんなで俺の置かれた状況を整理するとしよう。
真夜中に閉ざされた空間で異性と二っ人きり。
なんともロマンチックでエロチックなシチュエーションであろうか。
でもさ、何度も何度も何度も言うようだけど、俺は全っ然嬉しくないから。
俺を余裕でぶっ殺せる思考回路と力の持ち主と二人きりって状況に別の意味でどきどきもんだから。
俺の抱いているどきどきとは別のどきどきをする奴はとんだロマンチストかエロチストだよ。
エロチストって言葉があるのか分からないけどな。
「大丈夫。今日は一緒に寝るのを諦めるから」
残念そうにそう言うと、女魔法使いは横になってベッドに頭を乗せ、布団を自分の身体に掛けて俺に背を向けるように寝る姿勢を取ったのだった。
「……すぅー」
そして直ぐに寝付くのであった。
寝付きいいなオイ。
「それにしても……」
俺は溜息を吐いて独り言を零す。
「大変な事になっちまったな」
全く、とんだ災難だぜ。
睡眠薬飲まされて拉致されるし、大事な角は二本とも綺麗に切り落とされるし、勇者パーティーの女魔法使いにペットもとい彼氏にする宣言はされるし、拒否したり逃げたりしようものなら重力魔法が待ってるし。
俺はこれからどうなるんだろう?
やっぱりペットに成り下げられるのかな?
というか、俺の扱いは一般的な彼氏に対するものと全然違う気がするんだけど。
何だよ、拒否しただけで重力魔法って。
人間の間でもそんな野蛮な方法は使わないと思うんだがな。
俺の身体……持つかな?
取り敢えず、色々考えたりするのは明日にするか。
俺は手近に置いてあった毛布を掴むとその場で横になり、眼を閉じる。
寝る事にした。
別に寝なくとも、寝ている女魔法使いの隙をついて殺害すれば事は簡単に終わるのだ。
実際、実験道具を見る限りここでは魔法薬を作っているようだし、毒タイプのそれを探し出して女魔法使いに使えば赤子の手を捻るように容易く殺せる。
それ以前に、女魔法使いの首に手を掛け、気付かれないようにゆっくりと締め上げれば窒息死させる事も出来るし、椅子で頭を殴りつければ撲殺も出来る。
殺そうと思えば殺せるのだ。
この部屋には、人間を容易く殺せるものが沢山あるのだ。
殺せば、俺は直ぐにでも魔王城に帰れる。
だが、俺は女魔法使いを殺さないし、殺そうと思わない。
俺は殺生が嫌いだし、恨みを買うような行為も嫌いだ。
魔王の癖にそんな性格をしてたから、俺は臣下と二人だけになっちまったんだけどな。
まぁ、その話もどうせ今は詳しく言う気は無い。
俺はそんな性格故に、俺は女魔法使いを殺さない。
それに――。
「…………魔王」
女魔法使いは寝返りを打ちながら寝言を呟く。
「……好き」
幸せに身を浸して緩み切った顔をこちらに向けている。
そう、これだ。
女魔法使いは、俺に対する扱いはあれだが、俺に好意を寄せている。
俺に好意を寄せている相手に、殺意なんて向けれない。敵意も削がれてしまう。
どうして俺に好意を向けているのかは分からないが、それが偽物で無い事くらいは俺でも分かる。
俺は女魔法使いに今まで会った事は無いし、女魔法使いだって俺を間近で見た事が無かっただろう。
一度もあった事のない相手をこれ程までに愛を向けてくるのは異常な気もするが、無碍に出来ない。
そりゃあ、今だって迷惑だとは思っているが、俺を好きだからこそ、女魔法使いは拉致監禁という突飛な行動に出たのだろう。
そんな行動力は褒めるに値する。馬鹿げた行動だと思うけどな。
でも、馬鹿にはしない。
だから、俺は女魔法使いを殺さない。
取り敢えず、明日になったら色々と訊いてみた方がよさそうだと、意識が静かな闇の底に沈みながら思った。
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