第30話:視野狭窄(K)
12月24日(金)19:42。
花の金曜日、クリスマス・イブ。
世間が浮かれていようが、何をしていようが、カナの目の前に表示されている数字は覆らない。
レベル5:バグ数……320件。
レベル5は、進行不可を含むフリーズ系の必須修正バグを示す。デバッグ期間が残り1~2ヶ月で、レベル5が320件と言う数字は、株式会社フィックスの品質保証部の担当も冷や汗を流す程である。実装の組み込みが終わりかけているとは言え、進行不可のバグが320件となると、2ヶ月間休みなく働いて、60日5件処理しなければいけない。レベル1~4のバグを含めると、1000件近くあり、今後デバッグを進めるにつれその数が増えることを想定すると、カナは震えずにはいられなかった。
「クリスマスなのに、もうかえって良いんだよ~」
外出してきたレイコがアウターを脱ぎながら、話しかけてきた。
「レイコさん、バグの件数把握してます?」
「いいや、なんかアラート上がってるの?」
「現状1000件上がってて、マスターまでのデバッグ期間を含めると、もっと増大する恐れがあります」
「開発と、品保証ができないって言ってきてるの?」
その言葉を聞いても顔色ひとつ使えないレイコに、プロデューサーとして問題があるのではないかと、カナは睨みつけるように見上げた。
「おいおい、そんな睨まれてもね。現場はなんて言ってきてるの。状況教えてもらわないと判断できないでしょ?」
「品保証からは、厳しいかもと個別に連絡が来てます。開発からはまだ何も連絡が来てません。でも見るからにこの数字は、ヤバイと思います。徹夜して終わらせるというレベルではないのではないでしょうか?」
カナは、デバッグ報告のメールをPCのモニタ全面に表示し、レイコに見せつけた。
しかし、レイコは落ち着いた様子でモニタを一瞥しただけだった。
自分の言葉が伝わらないことに、カナは次第に苛立ちを覚えたが、どうすれば危機感を持ってもらえるのか、想像することさえできなかった。
言葉をつまらせたカナに、レイコは静かに言う。
「現場から無理って言葉が出ない以上、私が『無理なんじゃないですか?』っていうのは違うんじゃないのかな? 確かに開発メンバーの労働時間とかは気になるけど、これ……、外注を雇用してるわけじゃないからね。業務委託契約と言う請負契約なわけよ。休日出勤を強制することもしないし、働きすぎじゃないかっていうのも外野のヤジと同じ。仕事を完遂させる責任は、開発に託されてるわけだよ。開発会社の裁量で、休出するならすればいいし、残業したいなら、すればいい。仕事の進め方を含めて任せてるわけだから、向こうからアラートが来ない限りは、私たちは、信じて待つしかない。もし心配なら、エナジードリンクでも差し入れに行くとかするけど、そういうのは水を差すっていうんだよ。制作側は……。プロデューサーは、クリエイターが頑張って仕事をすることを見守って、応援することが重要だ。実務をこなすPなら話は別だけどね」
レイコの言っていることは、正論だった。
同じ会社の同僚と、外注先のメンバーとは関わり方が違う。下請法によって守られている外注先に、仕事を共用することは違法。カナがひとり焦ったところで、開発から泣きが入らない以上どうすることもできない。
それは、カナも承知していた。しかし、焦りがあった。
「このまま発売できなければ、どうするんですか?」
カナの目には涙が浮かんでいた。
まぶたを超えて、頬を雫が垂れる。
「カナ……」
カナは、自分が涙していることに気づいていなかった。
「不満があるんだろ、言って良いんだよ」
レイコが跪いて、まるで子供をあやすようにカナに優しい声で言った。
そのときになって、初めてカナは自分が泣いていることに気づいた。
「ッすみません。私――、ちょっとトイレに行ってきます」
カナは、恥ずかしさのあまり椅子から飛び上がって逃げ出した。
便座に座ってぼんやりしているうちに、1時間も経っていた。
カナは化粧だけ簡単に直すと、席に戻った。
フロアに入ると、すぐにレイコの後ろ姿が目に入った。
一瞬、またトイレに避難しようかとも思ったが、意味のないことだと諦めて自席に向かった。
周囲の社員はほとんど帰宅しており、カナの近づく気配にレイコはすぐに気づいた。
「大丈夫?」
レイコは作業の手を止めて、カナの方に向いた。
カナは若干の照れくささを感じつつも頭を下げた。
「取り乱して、申し訳ございません」
「いいって、いいって。それより、現状の進捗について、会話しておいたほうが良いと思うんだよね。カナひとりで抱えすぎてるよ。途中で投げ出すくらいなら、やりきったほうがカナの経験値たまるけど。頭ぱっかーんなる前にちゃんとアラート投げないと。さっきの話はカナも同じだからさ」
「はい」
カナは素直に頷いた。
理論は全部理解できる。
彼女が理解できないところは、そこではないのだ。
「私が……、私が気にしてるところは、レイコさんが専任じゃないところです。ジョブ・コンシェルジュを適当にあしらってるように見えて、それで苛立ってしまいました」
一度涙を見せていたカナは、すんなりと自分の考えていることを吐き出せていた。
それは彼女自信が驚くほど自然と口から滑り落ちる。
嫌味もなく。
苛立ちもない。
主観だが、客観的に見た彼女の気持ち。
レイコもその言葉に、コクリと頷いた。
彼女は察していたのかもしれない。そして、察していたからこそ、カナの口から話してもらいたかったのかもしれなかった。
レイコはカナに座るよう促しながら話した。
「プロデューサーとしての仕事のやり方は、プロデューサーそれぞれなんだよ。その前提のもとに話すと、当然だけど、ジョブ・コンシェルジュを蔑ろにしてない。しっかりプロデュースしていく作品だと認識している。開発に全面的に寄り添うプロデューサーも入れば、私のように客観的な援助者としての立場をとるプロデューサーもいる。プロデューサーが持つ共通の役割は、制作予算を確保すること。それ以外の関わり方は、人それぞれで、正解なんてないんだよ。なんか言い訳がましいけどね。それくらいプロデューサーと言うのは自由な役職なんだよ。やり方はとはない。お金を持ってくることと、お金を稼ぐこと――このふたつをクリアすれば、どう働いても構わないんだ。そして、カナと私には関わり方の面で認識の違いがあった。それが原因で、軋轢が生じていたわけだ」
「そうなりますね」
カナは素直に認めた。
「私のスタンスは、自分でクリエイティブな創作をするというよりも、クリエイターが創作するための環境と、創作物で商売をして、クリエイターを食わせることにある。だから、創作物=ゲームを売るために全力を尽くす。それと同時に、まだ日の目を浴びてないクリエイターに接触して仕事を依頼することで、新しい才能の活躍する場所を作るということもしなければいけない。それは株式会社フィックスとしてゲームに投資して、お金を稼ぐためには大切な流れなんだよ。今は理解できなくても良いと思う。カナは若いからね。作品に熱心に打ち込むと良い。だけど、熱心に打ち込めば打ち込むほど――よく言われることだけど、ゲームを作るのが夢だとか、キャラデザが夢とか、人を楽しませるのが夢とか、そう言うフィクションに盲信すると、大きなキャッシュフローの中で搾取されて捨てられるだけの人生になってしまう。作る上で、人を楽しませたいという欲を持つことは良いと思う。それは崇高で尊い。だけど、社会のルールってそれだけじゃないってことを頭において仕事をしたほうが良いというのだけは、頭の片隅にでも置いておいてときどき振り返ってみてほしいかな。ひとつのことに盲信するということは危険がありすぎる」
レイコの話している内容を、カナは充分に理解できなかった。
視点のレイヤーが違うのだろう。
しかし、カナは反論せずに受け入れた。
盲信するなとは、社畜になるなと同義だろう。
「視野狭窄にならないように、今度からは相談します」
カナはレイコに言った。
レイコは、「難しい言葉を使うな~」と頭をかいて、自分の作業に戻った。
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