第28話:秤にかけていた気持ち(M)

 ミサキは、作業用のPCを立ち上げながら、ため息をついた。

 出社してたばかりだと言うのに、昨日の疲れが残っているようだった。

 肉体的な疲労ではない。 精神的な疲労のため、眠っても休まらないのである。

 新規プロジェクトに配属を打診されてから、彼女の立ち位置が曖昧になってしまった。彼女が打診してきた大原キワコや、現在関わっているプロジェクトのリーダー陣である宮本トモミや坂上コナツに明確な答えを伝えきれていないのが原因だった。しかし、仕事のチャンスと、愛着の出てきた仕事のどちらを選べばいいか、若いミサキが迷うのはしかたがない。だがそのせいで、中途半端な仕事――つまり雑務しか割り振られず、彼女自身のエネルギーを最大集中できずに不完全燃焼していたのである。

(決めなきゃ……)

 そう考えながら、既に2週間が立っていた。

 煮え切らぬ態度は、周囲の雰囲気にも影響を与える。

 大原キワコが、ミサキにちょっかいをかけに席にやってくると、決まってトモミがミサキに話しかけ、キワコをそれとなく追い返す場面が幾度となく繰り返された。トモミはミサキを取られまいとし、キワコはミサキを引き入れようと画策する。間に挟まれていることで、ミサキの心情は余計に重圧がのしかかっていた。

 フォトショップを立ち上げ、アイコンの調整作業に入ろうとしたとき、メールが届いた。

「タイトル公募……?」

 それは、カナが送信したタイトル公募のメールだった。

 ミサキはカナとプロジェクトを外れるかもしれないと相談してから連絡を取っていなかった。話を切り出せば、お互いの進退の話をせざるを得ないと感じ、連絡を躊躇しているのである。ミサキは現在、株式会社フィックスとの打ち合わせには参加しておらず、カナの仕事ぶりはメールでしか確認していなかった。メールでは、彼女がどんな選択をしたのかはっきりとしない。現在のプロジェクトに打ち込んでいるとも、兼任して能力を分散しているとも、どちらとも取れるのだ。

(人のことを考えても仕方ない!)

 ミサキは、頭を振って雑念を取り払おうとした。

 仕事に集中しなければと強く思ったところで、トモミが話しかけてきた。

「ねぇ、ミサキはどんなタイトルが良いと思う?」

 ミサキが振り向くと、トモミもモニタにカナのメールを表示していた。

「特に考えたことなかったので、すぐには……」

「そうなの? あたしは面白い名前とかよく考えちゃうけどね。ザ・職安とか」

「しょくあん?」

 年齢的に、ミサキには聞き馴染みのない言葉である。

 トモミはすぐにそれを察したらしく、取り繕うように説明してきた。

「つまり、アプリを通じてジョブチェンジして、仮想のファンタジー世界を冒険するわけだから、ゲームの主題となるのは、ジョブ=職業ってことになるわけだよね。だから、職業案内所からザ・職安。漢字が駄目なら、カタカナでザ・ショクアンでも良いけど?」

「……ジョ、ジョークですよね?」

 ミサキは、愛想笑いもしなかった。

「――ジョブ・コンシェルジュ。どう? 略してジョブ・コン」

「まともだと思います」

 トモミは、ミサキの反応を見てすぐに姿勢を改めて答えてきたため、ミサキも今度は表情を緩めて評価した。すると今度は、彼女のほうが大きくため息をついて嫌気したように肩を落とした。

「たく~、このあいだから、余裕なさすぎで冗談も言えないよ」

 誰のせいですか、といいたかったが、それはトモミも自覚していることだと思い、ミサキは自重した。

「決まりそう?」

 トモミは椅子に座り直した。ふいに顔つきが和らいだような気がした。

 ミサキは首を横に振った。

「そっか~、そりゃ~しかたないよね」

 ミサキは頷く。

「どっち付かずで、ご迷惑をかけてしまって、本当に申し訳ないです」

 そして頭を下げた。

 トモミはミサキの方に手を置き、身体を起こさせる。

「悪いのは、あたしやキワコさんだって。ミサキが謝ることじゃない」

「でも、決められてないのは私ですから……」

「真面目だなぁ。あたしが高校卒業したばかりの頃はもっとちゃらんぽらんだったよ~。別にキワコさんのプロジェクトに言っても恨まないから、好きに選んでよ」

「トモミさんは、行ってほしいんですか?」

「馬鹿な質問! 答えるまでもないじゃん」

 まったく馬鹿な質問だ。ミサキは目を伏せた。

 トモミは、話を変えるように別の話題を振ってきた。

「絵を描くの、好き?」

「はい」

「ゲームは?」

「好きです」

「ゲームを作るのは?」

「……」

 多分好き。

 ミサキは沈黙した。ゲームを作るということにまともに参加したのは今回のプロジェクトが初なのだ。好きか嫌いか、はっきりと自分の中で答えが出ているわけじゃない。

 ミサキが目を開けると、トモミは笑みを浮かべていた。

 はっと息を呑む。

 迷いの理由。

 それは、自分の執着心だった。

 好きという天秤で測れないのは、ゲームを好きということが、イコール作ることが好きということに直結していなかったからだ。ゲームを作った経験がないのに、絵を描くことと比較してはいけなかったのだ。

 突然、ミサキの思考が明瞭になった。

「トモミさん、すみません!」

 ミサキは、今度は力強く頭を下げた。

 そして、顔を上げたときには、ミサキの表情から迷いは消えていた。

「私、大原さんの仕事受けます! 今のプロジェクトに最後まで集中できなくなりますが、私のやりたいことと、強みは絵を描くことで発揮できると、今わかりました」

 ミサキの言葉にはブレがなく、一つ一つ情念が込められていた。

 そして、それをしっかりと受け止めるように、トモミは大きく頷いた。

「よし、キワコさんに伝えてきな。それから、一緒にタイトル考えよう!!」

「はい!」

 ミサキは、大きく返事をして席を立った。

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