第27話:ブランド名と空回り(K)
その日レイコは出社するなり、カナに書籍を渡した。
「これは?」
手渡されたのは、ネーミング事典だった。
訝しげに首を傾げるカナに、レイコはニッと歯を見せた。
「ゲームタイトル、そろそろ確定させよう。商標のチェックや登録を考えると、そろそろ決めにかかったほうがいい」
「私が考えるんですか?」
カナは、事典をぺらぺらとめくりながら、プロデューサーの仕事放棄を疑ったが、レイコは手を振って、「私も考えるって」とヘラヘラ笑った。
意外と周りの人間に仕事を任せてしまいがちなレイコの言葉に、疑念を持ったが、カナは口をつぐんで、事典に視線を落とした。
「新ブランドのタイトル名……。高級そうな名前がいいとか、かっこいい名前が良いとか、プロデューサーとしての希望はあるんですか?」
「カナの言葉、なんか刺々しいな」
レイコは頬をかきつつ、「そうだね。例えば、検索に引っかかりやすい名前とか、一度聞いたら忘れにくい名前とか、引っ掛かりがある名前とか、ゲーム性を表している名前とか、色々希望あるねぇ。強いて言うなら、覚えやすくキャッチーなタイトル名がいいかな。MITAKAGemesのメンバーにもメールしておいて、募集しておいた。1週間後にその中から3つほど候補を出そうか」
カナはレイコの支持を受けて、MITAKAGemesのプロジェクト関係者にタイトル公募の連絡を送った。しれっと、メールの一番最後に、当選者には打ち上げ時にプロデューサーから豪華報酬がもらえる旨を記載して。
そんなことが書かれていると気付かず、レイコはニヤニヤと「売れそうなタイトルが集まると楽なんだけどな~」とブツブツいっていた。
決して羽多レイコというプロデューサーが不謹慎・不真面目ということはない。カナも判断しなければいけないところで、きっちり仕事をする様子を見てきたため、信頼していないわけではない。しかし、本当に売る気があるのか、新規プロジェクト立ち上げの話を聞いて以来、カナのレイコに向けられる視線は厳しいものとなっていた。
「品質保証管理部との打ち合わせに行ってきます」
「ん? QAの打ち合わせ? ひとりで大丈夫?」
「今日は、大丈夫です。デバッグ期間に入る前に準備することを確認して取りまとめてくるだけですので」
「心強いねぇ。じゃー私は、頑張ってタイトル考えるかな!」
腕まくりする素振りを見せるレイコにカナは冷たいジト目で返し、打ち合わせに向かった。
「倫理監査チームとの打ち合わせに行ってきます」
カナはレイコにそう告げて、席を立った。
「あれ、さっきは品保との打ち合わせ行ってなかったけ?」
「今日はリリースまでの準備で、品質保証部から始まって、倫理監査チーム、資金決済社内規約管理委員、セキュリティチェックチームとのミーティングが終日入ってます」
「プロデューサーは呼ばれてないけど?」
レイコは自分を指差し、どうして、というように目を丸くした。
カナはムッとしつつも、「私もプロデューサーは同席しなくて良いか尋ねましたけど、アシスタントだけで良いとのことでしたよ」と事実を伝えた。カナもプロデューサーに仕事をしてもらいたいと思っていたが、不要であれば、自分でやらざるを得ないだろう。仕方なくカナは全部のミーティングにひとりで出席することにしたのだ。
事情を知らないレイコは、カナの冷たい言葉に顔をしかめた。
「おいおい、不機嫌になるのはかまわないけど、ひとりでやるの大変だったら、私にタスクを振って良いんだよ? 抱え込んで潰れないように、ふたりでやってるんじゃないか」
「わかってます。手が足りなくなったらお願いしますね」
カナは、ピシャリと言ってその場をあとにした。
歩きながら、目上の人を馬鹿にする態度を取ったことを反省した。自分が状況を報告せずにタスクを抱えているのだ。それなのに、レイコはカナの暴走とも言える行動に怒らずに落ち着いて受け答えしている。
(私は、何を駄々っ子みたいに!)
レイコの落ち着いた態度が、カナ自身の問題点を浮き上がらせ、余計に苛立ちを覚えた。
倫理監査チームとの打ち合わせが思いの外長引き、次に設定していた資金決済社内規約管理委員との打ち合わせの時間が過ぎていた。
カナは、社内を走ってはいけないと思いつつ、とにかく足を急がせた。
会議室に入ると、不機嫌そうな女性の姿があった。カナはその顔に見覚えがあった。
「法務の飯田さん……? メールでは別の人が受け答えしてましたけど……」
飯田フミコは、ぎろりとカナを見上げた。
「またあなたですか? 10分遅れて、最初の言葉がそれですか? 私の仕事をする時間を10分も奪っておいて、随分くだらないことをおっしゃいますね」
フミコは、鋭い眼光をカナに向けたまま冷ややかに言い放った。弁解の余地のない、突き放すような言葉である。カナはビクリと肩を震わせて、頭を下げた。
「申し訳ございません」
「資金決済関連は、細心の注意が必要なんですよ。時間を守るという簡単な事も守れないのに、あなたが担当でほんとうに大丈夫なんですかね。プロデューサーは誰が担当でしたでしょうか、まったく教育が全然できてない。いつまで立ってるんですか! ドアを締めて、座りなさい。20分で全部説明するんですよ。あなたが20分で完璧に理解できるとは期待しませんけどね」
突き抜けて刺々しいフミコの言い草に、カナは打ちのめされつつも着席した。
「電子マネーをゲームをサービスし続けるあいだ保持している場合は、それそのものがお金の価値を持ちます。いちばん大事なのは、電子マネーか無料で配布されたポイントかを分けて保持することです。現在ゲーム側の実装はそうなってますか?」
「げ、現在仕様作成中ですので、注意点を教えていただければ――」
「そういうプロジェクトがあると会社として、後になって、金融庁の調査を受けることになるんですよ! 本プロに入る前に、事前に勉強するなりしてください」
厳しいフミコの言葉に、カナはどんどん小さくなっていった。
入社半年で、ゲーム制作にはじめて関わるカナに対して、ひどい言い草ではあるが、部署が違うため、カナが新卒かどうかなど、フミコにはまったくわからないことだ。その為、フミコは普通の社員と同様の仕事の成果を求めているのだろう。両者の認識のズレが、軋轢を生むという典型的な事例だ。
カナはイビりにも似た説明をひたすら耐え、2度と同じ説明をされてたまるかという思いで、メモを取った。
フミコの説明は、20分どころか、30分も時間をオーバーして55分もかかっていた。その大半は、イヤミ・イビリであることは言うまでもない。
自席に戻ってきたカナは、ぐったりと椅子にもたれこんだ。
フミコの説明は、勉強になるが非常に精神を消耗する。セキュリティチームとの打ち合わせまで1時間あいだを取っていて助かった。
「30分休憩出来る……・」
カナは大きくため息をついた。
「憔悴してるねぇ」
カナを横目にレイコが言った。
「例の、フミコさんと、ちょっと」
「あ~」レイコは察したように頷いた。
「そろそろ音を上げて、私にヘルプ言ってもいい頃かな~?」
レイコの言葉に、カナは体を起こして頭を振った。
「何のことですか?」
「あ~あ~、強がっちゃって……。でも、そのお陰で良いタイトルを考える時間がもらえてひじょーに助かってるけどね!」
呆れるようにレイコは肩をすくめる。
ここでレイコと喧嘩をしてもいいことはないと頭ではわかっていても、カナは言わずにおれなかった。
「それなら、よっぽど良いタイトル案が出てきてるんでしょうね。皆が納得できる、すごーくいい名前が!?」
「聞きたい?」
レイコは、聞いてほしそうな笑みを浮かべた。
カナは、自分から話を振ったことに後悔した。明らかにふざけている顔つきだったのだ。
「いえ」
「そうか、聞きたいか~。ちょーど印刷したものがあるから見てよ」
レイコはそう言って、にやけながらカナの前にA4のコピー用紙を差し出す。
カナは一瞥すると、何も言わずに、そのコピー用紙を握りつぶした。
ツッコミを入れるのも馬鹿らしい。
ニートから戦士へジョブチェンジ――ハロワGO!
カナは、レイコのジョークに笑う余裕すら持っていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます