第21話:本プロ契約(K)
プリプロの承認を受けたその日、レイコは承認会から戻ってすぐに
「本プロの契約書ドラフトを作っておいてほしいんだよ」
とカナに告げた。
席に腰掛けながら、カナは首を傾げる。
「契約書……、ですか?」
「そう。プリプロの時は入りたてだったから私の方で進めちゃったけど、今回はカナが調整しておいてよ。やり方は簡単。過去の本プロの契約書を書き換えて法務部に投げて、OK貰ったらMITAKAGemesのコナツに送る。本当は、法務部にイチから作ってもらったほうが良いんだけど、彼女ら仕事抱えすぎて出来上がるのが遅いから、直接こっちで作成して確認だけしてもらうほうが早いんだよ」
「プロデューサが、契約書の作成までするんですか。仕事の範囲が広いですね……」
「ま、プロジェクトの責任者だからねぇ。どんな契約で結ぶかは見ておかないと駄目でしょうね。と入っても、会社で絶対に入れる基本条項があるから、プロデューサが手を入れられるのは、相手先とか、成果物の内容……、あと日付と報酬額くらいしかないけどね」
話を聞きながら、レイコが送ってきたワードファイルを開いてみた。
「うわ、文字ばっかり。それに長い……」
「ハハ、全部確認しなくていいけど、目を通しておいたほうが勉強になるかな。反社会組織に関わっちゃ駄目ですよ~とか、成果物の納期遅れに係る罰則、秘密保持の義務なんかも記載されてるから、制作サイドは把握しておいて損はないかな。一度読みながら今回の契約内容に書き換えてみるといいよ」
そう言ってレイコは、メモ代わりに変更箇所を箇条書した。
・契約締結日 2XXX年8月1日
・本プロ成果物 ゲームマスター版ロム
・成果物納期 2XXX年3月25日
・報酬額 64,880,000円(消費税別)
・契約先 ミタカゲームズ株式会社
(代表取締役社長 大原 キワコ)
「ここ書き換えればOK。チェックは法務の飯田フミコさんね」
「わ、わかりました」
カナは、数ページに渡る契約書にくらくらしながら、作業に取り掛かった。
携帯電話の回線契約や、スマホアプリの利用規約などすっ飛ばして、OKOKを連発していたカナには、まさか自分が契約書を作る側になるとは思いもよらない展開だった。しかし、多くの仕事は契約書の上に成り立っている。それがなければ、仕事の発注元と受注元の双方で損が生じてしまう。
(そうか、発注側はしっかり納品してもらうために。受注側は発注側が気分で契約を破棄しないように。書面で契約内容や、諸条件を取り決めて仕事をしているのか)
カナは目から鱗が落ちる気持ちだった。
反社会勢力=暴力団などとの関わりをしないことを契約書に明記するのは、それが現代においてマイナスプロモーションになるからだ。もし取引先がそれと関わっていると報道されると、自分のところも暴力団との関わりがある会社と報道される。芸能人でそれと関わりを持ち、芸能界から去らなくなった人もいたが、会社の場合、引退などではなくお金の面で損害を食らう。だから予め契約書上に反社会組織との関わりがないことを明記し、問題が生じた際、法的に訴える処置を取れるようにしているのだ。
(意外と、ゲーム会社同士の契約もきっちりしてるんだなぁ)
最後まで読み切り、カナは修正を終えたファイルを法務の飯田フミコさんにメールで送付した。
背後に人の気配を感じて、カナは振り返る。
そこには短髪の細身の女性がカナを見下ろしていた。
「安住カナさんですか?」
「は、はい」
「はじめまして法務の飯田です。先程お送りいただいた契約ドラフトの件で少し確認させていただきたいのですが、よろしいでしょうか」
飯田フミコは眼鏡越しに、冷たい視線を向けてきた。
カナは息を呑んで頷く。
「まず、納期についてですが、中間成果物を検収せずにそのまま納品させるつもりでしょうか?」
「中間成果物、ですか?」
突然の話にカナは疑問で返す。
フミコは大きくため息を付いて、やれやれとでも言うように首を横に振った。
「8ヶ月の間、一度も実装状況のチェックをしないのですか?」
「あ、そういう意味でしたら、毎週進捗を確認しますね」
「進捗とは別の話です。……プリプロ時に、実装した成果物を納品いただいたと思いますが、それと同じことはしないのですか? と言う意味です」
「ちょっとそれは確認しないことには……」
レイコが昼食に出てしまっていて、即答できないカナはたじたじになりながら応えた。
フミコはフンと鼻を鳴らした。
「確認してください。次に成果物の内容に具体性がかけてます。契約書に起こす場合は、実際に実装してもらいたい項目を列挙してください。書面で何を実装するかが明記されてないと、機能実装されてない状態で納品されて、こちらが想定している内容が上がってこない場合があります」
「えっと、たぶんMITAKAGemesの人はそんなことしないと思いますけど」
「人情で契約書は成り立っていません。問題が起こらないよう未然に防ぐために――つまり、あなたのために契約書を結ぶんですよ。あとになって機能実装しろなんて言ってなかったとゴネられたらどうするんですか!? あなたは相手のせいにするのですか? 契約書に明記しなかったことが問題なんですよ!?」
フミコは高圧的な物言いでカナに詰め寄った。
カナはビクつきながら、詳細を記載することを承諾した。
「言いたいことはそれだけです。今言った2点を記載して送り直してください」
捨て台詞のようにフミコが言い放つと、くるっと踵を返してスタスタと歩いていってしまった。
フミコの姿がフロアから消えると、いてもたってもいられなくなって、カナは小さく呟いた。
「コワッ」
入社して数ヶ月、株式会社フィックスで怖いのは人事担当だけだと思っていたら、そうではなかった。
「コワーッ」
思わず、2回も呟いてしまった。
「怖いよねぇ。フミコさん」
背後でレイコの声がして、カナは涙目になりながら振り返った。
「レイコさん、いたなら助けてくださいよ!!」
「いやー、私もフミコさん苦手でねぇ。ほら、怖いじゃん」
レイコの言葉に納得せざるを得ないカナはうめきながら、恨めしそうにレイコを睨みつけた。
フミコに質問された2点については、レイコではなくコナツとメールのやり取りをして、4ヶ月目で中間成果物を納品することを取り付けた。報酬額はレイコとコナツで揉めたが、3割を中間成果物時に支払うことになった。レイコは完成していないものに報酬を払うのは違うのではないかとごねたが、納品された時点で報酬を払わないのは違法と支払うことになった。半額ではないのは、ある意味MITAKAGemes側に資本があったため、最後の納品後に成果報酬が支払われることで承諾できたからである。
レイコが渋った理由はただ一つ、
「製造業と違うところは、この中間成果物は、成果物ではないということを。これをもらっても商売は一つもできないんだ。先に金だけ払って出来ませんて泣かれたら、支払った分は戻ってこないんだよ。つまり、中間成果物に対して報酬を支払ってるからね……。芸術品は完成してこそ価値が出る。描きかけの絵に価値があるかい? 本来は完成した絵に報酬を払うのが道理だろう? こっちは完成品で商売をしようとしてるんだからね……」
と、何時になくぶつぶつとナーバスだったが、カナは半額払うのが人道なのでは――違法性がないのではと若干、腑に落ちないところがあった。
こうしてレイコやカナ、MITAKAGemesの開発メンバーを乗せた船は本プロダクションと言う荒れ狂う海に乗り出した。この航海を乗り越えなければ、発売と言う港にたどり着けない。
カナが作成した契約書は、MITAKAGemesと株式会社フィックスが力を合わせて航海を乗り切ると血判した近いでもあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます