第10話:初試練(M)
ミサキは今朝、トモミから渡された資料を熟読していた。
完全に理解するまでには時間がかかりそうだったが、『初の試み』や、『エポックメイキング』というトモミがこぶするように記載した走り書きから、熱い思いが伝わってきて、ワクワク気持ちが高まった。
「じゃあ、いきなり画面イメージを作るのは難しいだろうから、キャラデザから始めてよ」
トモミはデスクの下から顔を覗かせながら言った。彼女は、隣の席に来たミサキのPCをかわりにセッティングして机の下に潜り込んでいるのである。
ミサキは、スケッチブックとシャーペンを取り出してトモミの椅子を借りて作業を始めた。
「イメージはね。3頭身か、4頭身くらいがベターかな。2頭身はフィックスで発売しているアプリにすでにあるから、そこと差別化してると嬉しい」
シャーペンを走らせ始めたミサキに、トモミが話しかける。
「ファンタジーに寄せたいとか、SFっぽい要素を入れたいとか、希望あります?」
「そうだねぇ……」
沈黙のあいだも、ミサキはペンを走らせ、トモミはコードの接続を進める。
「できればファンタジー要素がほしいけど、既存のイメージを参考にしないで、ミサキが考えるファンタジーで一度描いてみてよ。可能であれば、メインのキャラは、IPから引っ張ってくる想定じゃないから、クセがなくて万人が嫌わないデザインだと良いかもね」
(あっさりめの主張しない感じが良いのかなァ)
ミサキは、トモミの話を聞きながら、いくつもラフを完成させていく。
細部まではきっちり描かずに、キャラの雰囲気が伝わる程度の描き込み量で、すぐにスケッチブックの1ページめが埋まった。
1ページめはスケッチブックから切り離し、デスクの下で作業するトモミに渡した。
「へぇ、上手いじゃん」
トモミは小さく言った。そしてそれを床においたまま、「このケーブルここであってるのか?」とセッティングを続けた。
「近いイメージありました?」
「無い。ちょっとマスコットぽい雰囲気に寄ってるから。頭身下げつつ、リアリティを出してよ。目の大きさかな? 小さくしてみて」
ミサキは、2ページめに描いていたキャラの顔を全部消しゴムで消して、小さな目に書き換えた。そしてそれを床においてある1ページめと差し替えて、次は1ページめのキャラの顔を消して同じように、書き直した。
「あー、悪くないんじゃない。ただ、緊張してるな。表情硬い」
トモミは、くすくす笑いながら、「清書する時は気をつけて」と指示を出した。
その後も、トモミとイメージをすり合わせながら、主人公のラフを描きまくった。最初のうちは緊張していたミサキも、何度も提出を繰り返すことで、トモミとの信頼関係のようなものが生まれてきて、線が柔らかくなってきた。寝不足だったのに、眠気は吹き飛び、絵を描く喜びがふつふつと湧いてくる。
「トモミさん」
「ん?」
「仕事って、なんだか楽しいです」
シャーペンを走らせながら、ミサキは笑顔になっていた。
「それはあたしの仕事のやり方が良いからだよ」
デスクの下から這い出し、トモミはにやりと悪い笑みを浮かべた。
「いやー、全然映らないけど、なんでだろう?」
「え?」
「接触不良かな~。コナツー、ごめんあとよろしく! あたしコンビニ行ってくる」
「えええっ?」
トモミはひらひら手を振って、去っていってしまった。
「私のPCのセッティングは?」
呆然と呟くミサキに、コナツが小さく告げた。
「トモミ、意外と機械音痴だから……」
「ダメダメ! 色味が悪いし、塗りが古臭いよ。アナログで描いて良かったところ全然出てないじゃん」
トモミは、ミサキのモニタに表示されているキャラクターのイラストを見て、不満げに顔をしかめた。
トモミの指摘は、当然といえば当然のことなのではあるが、ミサキにとってはどうしようもない技術的な――習熟を必要とする部分も要因としてあり、萎縮するしかなかった。
美術部で絵を描きまくったり、趣味で絵を描いていたとしても、CGのペイント技術を学ばなければ、そのセンスも十分には発揮できない。ミサキがMITAKAGemesに送った資料は、どれも1点もののアナログのイラストだった。CGのペイントソフトを使って、絵を描いたこともあったが所詮趣味の域を出ていないため、アナログで描いたイラストほど魅力を引き出せなかったのである。
しかし、それはトモミも、そしてコナツ、社長の大原キワコもはじめから知っている事実である。
彼女たち3人が、ミサキの可能性を確信したのは、アナログのイラストに魅力があったからである。それを、デジタルで活かせるようになるかどうかは、ミサキに描かせて、修行させてみなければわからない。
「線がCG臭い。塗りももっと工夫してみて!」
期待があるからこそ、そして、やってみなければわからないからこそ、トモミの指摘は厳しさがあり、辛辣な面を持っていた。
「提案書の1ページめの見出しに使う絵ってこと頭においてね」
そう言ってレイコは、帰宅した。
ひとり残されたミサキは途方に暮れるしかなかった。ただ、走り出してしまった以上、描き切るしかない。ミサキはコナツに残業申請をして働いた。しかし、叩き始めたばかりの新人が、残業をしたところで変化が起こるはずもない。そう、奇跡は起こらなかった。
あっという間に3日経ち、提出当日になった。
「すみません……、ここまでしか、出来ませんでした」
ミサキはデスクトップのモニタに表示されている画像を、レイコとコナツに見せた。
バトルゲーム画面のレイアウト図や、細々としたシンボルはなんとか作り終えていたが、絵として見せたいキャライラストや、1ページめの1枚絵が完成しなかったのだ。
「やっぱ、アナログの良さが出てないよね」
断首するように、トモミは静かに告げた。
ミサキもクオリティに自信が持てていなかった。だから、今の段階でトモミに見せることも、提案資料にまとめることも、不本意でしかなかった。ただそれが実力なのだ。ミサキの今の能力では、例え可能性を信じて、高卒で入社したとしても、他者の要求に応えられる能力を発揮できないのだ。
レイコは腕組みしながら、続けた。
「わかった、1ページめはイラストなしにする。キャラの方はシャーペンで描いたラフをスキャンして、それに乗算で色置いて、あえてラフの雰囲気で進めるよ」
そう言うと、コナツに「1時間遅れると連絡しておいて」と指示を出した。
「すみません」ミサキは肩を落として謝った。
レイコは、それに対して慰めることもなく、行動することを求めた。
「さあ、時間は残り少ないよ。可能な限りやるべきことをやる! ラフをスキャンしてきて、それに薄く水彩画風に色を置く。色の縁はめいいっぱいぼかして! とにかく雰囲気重視で進めよう!」
レイコの指示は具体的だった。スキャンしてきた画像を、ミサキの後ろからどのように加工するか、順序立てて伝えていく。彼女の頭には完成形が見えているのだ。そう他人に思わせる明瞭さがあった。
フィックス社での提案を終えたトモミ、コナツ、ミサキは、総武線に乗って三鷹に戻っていた。
「予想通り、IPのところ指摘してきたね」
トモミは嬉しそうに言った。
「あえてツッコミどころを残して置いたのね」とコナツ。
「そういうこと。初めからポイントはIPを活用するじゃなくて、ゲーム体験に絞って考えてるから。3on3が3番目に来るのが正解ってわけ」
トモミもコナツも、提案がうまく行ったことに喜んでいる様子だったが、ミサキはひとり落ち込んだままだった。力を出しきれなかった悔しさが、どうしてもつきまとってきていた。
「ミサキの絵について、羽多ももうひとりも突っ込んでこなかったね」
トモミはミサキの心中を察してか、それとも傷をえぐろうとしているのか、絵について話題を振ってきた。
「良くなかったってことでしょうか?」
「目につかなかったってのが、正しい見方じゃないかな。可もなく不可もなく」
「このまま、私が描いて良いんですかね?」
「それは、ミサキの頑張り次第だよ。続けて良いか悪いかは、あたしやフィックスのプロデューサが決めることで、当事者はがむしゃらに仕事しないとな。駄目なら駄目っていうよ。今は、3日間よく頑張ったって褒めとくッ」
トモミはそう言って、ミサキの方を叩いた。
コナツは「素直に褒めたら良いのに」と冷やかし、笑みを零した。
「うるさいなー、プリプロに絶対進めるはずだから、羽多から連絡あるまでのあいだも、キャラデザや、画面イメージ、モンスターデザイン、イメージボードとか死ぬほど仕事あるんだから! しっかり頑張ってよ!」
トモミは、照れ隠しするように頬を赤らめながら、ミサキに脅しをかけた。
ミサキはそのプレッシャーに負けないよう大きく頷いて返した。
「これからですもんね!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます