第8話:オリエンテーション(K)

 安住カナは、リクルートスーツを脱いで出社出来る日がいつになるのか、真剣に新卒オリエンテーションの日程表を確認していた。

 その様子を見ていた同期の大槻ヨウが「熱心ね~」とダルそうに言った。

「そういうあなたは、やる気なさそうね」

 カナはテーブルに突っ伏しているヨウを横目に見た。

「だって~、グラフィッカーに法律のこと説明されたって、理解できないよ!」

「それもそうね」

 株式会社フィックスの新卒は、開発職やプロデューサ候補生、事務職などの職種にかかわらず、新卒は3週間のオリエンテーションを受けることになっていた。社会経験のない新卒が、SNSでやらかさないように、みっちり仕込もうという話である。

 新卒は50人は余裕で入る会議室に押し込められて、ひたすら各部門の担当の講義を受けていた。

「絵描きは絵描きらしく、絵の研修したいのに……。総務の人がやってた【会社の生活について】は必要だけど、さっきの法務の業務委託契約や下請け法についてや、この後の資金決済法とか、ネットワークセキュリティ概要とか、経理財務の説明とか、開発と関係ないじゃん。なんで知らなきゃいけないの? 誰か説明して!」

「それを人事の人に言えばいいじゃない」

 カナの鋭い指摘に、ヨウは口をとがらせた。

「安住さんて結構クールだねー」

「ありがとう」

「もう、皮肉! 褒めてないから! それに人事の人の目ツキ見た? アレ何人か新人をヤッてる目だよォ」

 自分の目尻を釣り上げて、ヨウはひどい顔を作った。

 それを横目で見たカナはふぅと息をついて、オリエンテーションの資料から顔を上げた。

「大槻さんの言うことも、一理あるよね。確かに。内製チームが、外注管理の注意点知ったって使いどころ無いし」

「でしょでしょ! 私は絵のことだけ考えて生きたいの! 早く仕事したいな~。面接の時は言わなかったけどね――」

 カナは、ヨウの話を適当に聞き流しながら、周囲の同期の会話に耳をそばだてた。

 どこも話している内容は似たようなもので、まだ学生気分が抜けてないと言えば、身も蓋もないが、緊張感がかけているように思えた。

(すぐ仕事出来ると思ってたのは、私だけじゃないみたいね。新卒だから仕方ないけど。あの子も、今日は研修してるのかな)

 カナは、MITAKAGemesのミサキのことを思い出していた。

 名前まではっきり覚えていたわけではないが、同業他社の新卒である。フィックスほどの手厚いオリエンテーションが行われることはないと思うけど、近いことをしているのかと、想像をめぐらした。

(でも、中小なら即実践もありえるのかな)

 その時、会議室のドアが開いて、新卒の会話が止まった。

 現金なもので、新卒だけなら和気藹々と学生気分で会話できるが、先輩社員が現れるとネコをかぶったようにおとなしくなる。

 顔を出したのは、羽多レイコだった。

「安住さんいる?」

「はい!」

「ちょっと来てよ」

 手招きするレイコにつれられて、会議室を出た。

「昨日打ち合わせしたMITAKAGemesの坂上さんからメールが来てね。提案書まとめて、打ち合わせしたいって言ってきてるんだよ」

「うまくいきそうなんですか?」

「さぁ、うまくいくかはわからないよ。今の段階じゃ」

 レイコは軽く肩をすくめた。

「でさ、打ち合わせに同席したくない?」

 カナはその提案に目を大きく見開いた。

「いいんですか?」

「だってオリエンテーションだけじゃ、ツマンナイでしょ。今週の金曜のスケジュールどこ開いてる? 1時間ほど」

「それが……、再来週までほとんどスケジュール決まってるんです」

「そっか、なら終わってからは? 業務じゃなくって観覧って体裁でなら気軽に参加できるでしょ。人事に見つかっても、ちょっと観覧でって言えば、わたしがなんとかするよ」

 レイコは、安心させるようにウィンクして見せた。何となくいたずらっ子のように楽しげ笑みが印象的だった。




 会議室に戻ったカナは、レイコの話をヨウに教えた。

「えぇ~、やっぱりプロデューサ候補生は違うなー。すぐ面白そうな仕事できるんだもん」

「そんなこと無いって。ただ見学するだけだから、何か仕事するわけじゃない、ない」

 不満そうに大きな声で批判するヨウにカナは手を振って否定した。ヨウの声に、他の同期が聞き耳を立て始めていることはすぐに気づくが、ヨウは構わずに話し続けた。

「大学の同じゼミの先輩がテクスチャデザイナーで入ったんだけど、最初は研修研修で3ヶ月くらい仕事らしい仕事はなかったって行ってたんだよ。それなのに、安住さんは2日目にして面白そうなことに関わって~。不公平だ!」

「そんな大きな声で言わなくても」

「やっぱり新卒格差が……! すでについているのかも!」

「やめてよ。風説の流布だよ、さっき習った」

「うーん、さすがエリート切り返しが上手いな」

 ヨウは、資料を読み返しながら唸った。

 それでヨウの追求は終わったが、周囲の会話はそれまでの和気あいあいとしたものから、どこかヒソヒソと内緒話をするような空気に変わっていて、カナは一抹のやりにくさを感じた。

(功を焦っても仕方ないじゃない)

 自分一人が抜け駆けしたように見られているのが釈然としないが、自分で選択したわけではない。否、実際に参加したいといったのは自分だが、羽多レイコが提案してこなければ今の状況には落ちてなかった。これは運だ。カナは、オリエンテーションの資料に視線を落として、周囲から意識されている圧迫感を無視した。

(つまらない話ばかり聞かされて、みんな気が立ってるのよ。私だって、こんな肩がこるような服早く脱ぎたい)

 着慣れないスーツで強張った体をほぐすように、カナは肩を回した。

 そして、密かに金曜日のMITAKAGemesの提案の打ち合わせに出れることを嬉しく思った。

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