第7話:企画提案(M)

 ――眠れなかった。


 ミサキは、マンションのベランダに出た。

 朝日が差す静かな街が眼下に広がっている。

 ひんやりとしたそよ風が吹き、遠くから電車の走る音が響いてきた。


 昨夜、トモミから告げられたメインデザインを担当してもらうという言葉の重み。程よい緊張感がずっと続き、ミサキはベッドの上で何度も寝返りを打ちながら、その言葉を噛み締めていた。具体的に何を始めれば良いのかわからない。学生の頃、美術部に所属して何枚もで石膏デッサンをして、そしてアクリル絵の具で作品を作ってきた。趣味でパソコンを使ったペイントも楽しんできた。

 自分のことだと贔屓目に見ても、メインを張れる腕を持っていると自身を持てない。

 裸足の足がどんどん冷たくなってきた。

 ミサキは頭を振って、絡みついた緊張の糸を振りほどこうとした。しかし、モヤモヤとそれは心に絡みついたまま、いつまでもミサキを煽ってくる。

「いつまでも、悩んでられない。ちょっと早いけど、支度して会社に行ってみよう」

 時計を見るとまだ7時前だった。




 会社についたのは8時ちょうどだった。

 簡単にシャワーを浴び、朝食にトーストを1枚食べてきた。

 始業は10時だから、2時間も早い。会社に入っても、自分のパソコンの設定もまだだし、席もまだ割りあげられてない。

(オープンスペースで絵でも描いてよ)

 トモミや、コナツが来てから席のことは聞けばいい。ミサキはそう思って、開発フロアに入った。

 誰もいないかと思ったが、既に何人か人影が見えた。その中に、見慣れた金髪の頭を見つける。

(トモミさん? もう来てるの)

 足音を立てないように静かに近づくと、トモミはヘッドフォンで音楽を聞きながら、何か資料を作成しているところだった。耳が塞がっているため、ミサキが近づいても気づく気配すらなかった。

 ミサキはトモミの後ろからモニタを覗き込んだ。

「ん?」

 モニタに影ができ、トモミが振り返る。

「わっわわ!? なに、ミサキ? どうしたのこんな早く?」

 トモミはヘッドフォンを放り投げて驚いた。

「なんか目が冷めて、居ても立ってもいられない気持ちになって来ちゃいました」

 ミサキは少し照れながら答えた。

 トモミは察するように笑みを浮かべ、頷いた。

「まー、若いうちは自分の気持ちに素直になって行動しなよ。それが間違いとか正解とか関係ないからさ」

「トモミさん……、若いうちはって、いくつなんですか?」

 悟ったように話すトモミに、ミサキはジト目で尋ねた。

「25」

「まだ若いじゃないですか!」

「そうだけど、私も高卒でゲーム業界に乗り込んできたからさ。ちょっとはミサキの気持わかるよ。ただ、あたしは大学行きながらバイトで、だったんだけどね」

 トモミはそう言うと、立ち上がってぐるっと開発ルームを見回した。

「さて、昨日来たばかりで席はまだ連絡貰ってないよね?」

「あ、はい」

「本当は~、あのドアのあたりなんだけど(たしかね)、企画書の絵周り担当してもらうから、あたしの隣で作業したほうがいいから、PCとか持ってこよう!」

「いいんですか?」

 ミサキが心配そうに尋ねると、トモミはクスクス笑った。

「いいに決まってるじゃん。なんで駄目って思うの?」

「え、なんでだろう。決められたところだからですかね……?」

「会社は学校と違うよ。仕事がしやすければ、移動しても怒られないよ。なんだったら、オープンスペースとか、会議室とかで仕事してもいいし。絵描きだったら、そうだねぇ~……。例えば近くの井の頭公園に行ってスケッチしてみてもいいし、吉祥寺に資料を探しに行ってもいいよ。もちろん長時間外出する際はひと声かけてもらいたいけどね」

「わりと自由なんですね」

「仲間と協力するところは協力し、自分でやらなければいけないことは、自分の裁量で成果を出す。新人の場合は、なかなか裁量がつかめないところもあるだろうから、時間を決めて仕事をしてみるといいかもしれないけど、2年3年とやってくと、どういう塩梅で仕事すればいいか見えてくるさ。さ! PC持ってこよう。どこにおいてあるかブースマップ出すから、取ってきな」

 トモミはモニタにフロアマップを表示した。それから、「ここ」と指をさす。




 指示されたブースにデスクトップパソコンと、モニタ、ペンタブレットなどの機材が置かれていた。

「お、重そう」

 意を決して、ミサキはモニタに手をかけた。

 息を一気に吐いて止める。そして腕に力を入れてモニタを持ち上げた。

(ヤッパ重い!)

 液晶モニタとは言え、台座を含めれば結構な重量になる。華奢なミサキの腕が震えた。

「ぐぬぬ……、こ、これはピンチです!」

 ミサキは、一度モニタをテーブルの上に戻した。

 移動距離わずか10センチ程度。

 ミサキは顔を赤くして、額の汗を吹いた。

「ミサキちゃん?」

 呼びかけられて振り向くと、コナツがドアの前に立っていた。

「顔真っ赤だよ? 大丈夫?」

「だ、大丈夫です」

「ホント?」

 いぶかしがるコナツにミサキは「ダメです。モニタが重すぎて運べないんです!」と、すぐに弱音を吐いた。

「だよねぇ……。エレベータの横に台車があるから、それで運ぶといいわよ。ってもしかして、持ち上げることもままならない感じだよね。さっきの見ると――」

「いえ、そんなことありません。頑張ればなんとかなると思います!」

「強がっちゃって、かわいいわね。でも、運ぶ時間ももったいないから、私も荷物置いたら手伝ってあげる。台車よろしくね」

「あ、ありがとうございます!」

 ミサキは開発ルームを出て、小走りで台車を持って戻ってきた。それから待ち構えていたコナツと一緒に機材を台車に載せ――と言っても、モニタやデスクトップはコナツが台車に乗せて、ミサキは軽いキーボードやマウスを落ちないように立てかけただけだが――トモミの席の隣に運んだ。

 トモミは機材を運んできたふたりを待ち構えていたかのように、目をきらめかせて迎えた。

「コナツ、羽多レイコに連絡よろ! ミサキ! 企画書にイラストや画面デザインを載せるから、すぐにラフ描いて。紙とペンでいいから、案だけ出して。最初からガチで描く前にラフ出して方向性をすりあわせておきたいし。その間に、ミサキのPCのセッティングはあたしがやっとく!」

 トモミは、そう言ってA4のコピー用紙に印刷した資料をふたりに渡した。

「企画書もう出来たの?」

「まぁね。それは概要を走り書きしただけだから、画面イメージとか、絵を見て微調整するけど」

 ミサキは受け取った企画書のタイトルに、自分の名前が書かれていることに気づいた。


 MITAKAGemes(宮元トモミ、坂上コナツ、篠田ミサキ)


 トモミが、ミサキの視線に気づきニヤリとする。

「提案書の作成に関わるんだから、当然だろ」

 ミサキはその言葉に我に返って、頭を勢い良く下げる。

「頑張ります!」

「そうだ! 死ぬほどこき使うぞ!」

「ええ!?」

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