第5話:経常利益(M)
入社初日が終わった。
そうは言っても、入社手続きとして、雇用契約書の説明を受けて署名・捺印をしたのと、税金や年金などの細々とした手続きを流れ作業のように来なしただけで、「仕事をした!」と胸を張れるようなことはなかった。
ミサキは、開発ルームを覗いた。
トモミやコナツにひと声かけてから帰ろうと思ったのだ。
既に19時の終業時刻を過ぎているのに、まだ多くの人が残っていた。
フロアは、4人単位のブースに区切られているが、立ち上がれば向かい側の席のメンバーの顔を見れる程度の仕切りしか立っていなかった。そのため、入口から見渡すと、目立つ金髪がどこにいるか、一目瞭然だった。
「トモミ先輩」
ミサキが声をかけると、トモミは作業の手を止めて振り返った。
「終わったの? 長かったね」
「事務手続きっていうんですかね。一つ一つ教えてもらいながら進めたので、時間がかかっちゃいまいした」
「うちの会社、小規模だからっていうのもあるんだけど、社員は会社の経営状況から何から何もまで、わりと手厚く手ほどきしてくれるんだよ。社会人初日なら学ぶことも多かったんじゃないか」
「うーん」
ミサキは首を傾げ、「半分以上チンプンカンプンでしたけど」と小さく舌を出した。
ミサキの仕草に、トモミは大きく笑った。
その大きな笑い声に、一瞬ミサキは周囲の迷惑になったのでは、と怯えたが、普段からトモミは大きな声で笑っているのか、ほとんど無反応だった。
トモミは身体を傾け、ミサキの背後に声をかけた。
「コナツ~、キリよければ、ミサキの入社祝いに何か食べ行こうよ?」
ミサキが振り返ると、背筋をぴんと伸ばしてキーボードを叩いているコナツの背中があった。
コナツは少し間を置いてから椅子を回して振り向いた。
「いいけど、新歓?」
「新歓とは別~。ミサキはこの後予定ある? 一人暮らしって言ってたけど、どこに住んでるの?」
「予定はないです。部屋は東小金井なので、電車で二駅のところです」
「へー、あのアニメスタジオのところじゃん。もしかしてファン? この会社に入社しようとしたのも、美術館があったからとか」
トモミはそう言って、クックックと含み笑いをした。
「ち、違います。映画は好きで、たしかに馴染みはあったんですけど……。そんな安易な理由でもないです……」
「ハハハ、いいよその辺も聞かせて。10分後にしたね。コナツもいいね~」
トモミはそう言って、デスクに向き直った。
「もう勝手に決めて~」コナツも、いそいそと机の上を片付け始めた。
三鷹駅南口の商店街から1本奥に入った路地にあるドイツ料理屋が、トモミとコナツのたまり場だった。
「よく来られるんですか?」
ミサキの質問にトモミは、
「週3、4は来るよね」と答えた。
「ええ!? あ、アルチュー並に」
「アルチューって、本当のアルチューはひどいよォ。毎日2~3杯嗜む程度なら、どーってことないよ。スミマセーン! ヴァイツェン2つと、コーラ1つ。それからソーセージ盛り合わせ1つ~!」
そう言って、トモミは注文を入れた。
ミサキは、未成年のため雰囲気だけビールっぽそうなコーラを選んでみた。そもそも実家の両親は外食をほとんどしないため、騒々しい店内が新鮮だった。アルコールを取れなくてもせめて雰囲気を楽しめればと、炭酸を選んだのである。しかし、アルコールが入った他のお客さんの顔をみると、何か事件が起こるのではないかと不安がよぎった。
運ばれてきたソーセージをパクっと口に含みながらトモミが話し始めた。
「ぶっちゃけさ、ミサキって間違えてウチに送ってきたんだよね。就活の作品を?」
痛いところを突かれて、ミサキは口をつぐんだ。
「フェアじゃないかと思って、言うとね。あたしもコナツも経緯を全部知ってるんだよ。住所はウチで宛名が、三鷹美術大学になっててね。それが送られてきたタイミングにも問題があったんだと思うけど、ちょうど美大生の就活用の作品がウチに大量に送られてきたタイミングだったから、郵便局が間違って配送してきたんだよね」
「はい、間違って送付されたことは、大原社長からの電話で聞きました。そのとき、大原さんが中身を見ていいか聞いてきて――」
「あら、一応許可は取ってたんですね」コナツは白ビールが入ったグラスを傾けながら言った。
「電話を切ったあと、すぐにまたかかってきて。もし興味あるなら面接したいと……、次の土曜日に、大原社長が新潟駅まで来てくれて、駅の近くのスタバで面接をさせてもらって、1時間位だったかと思いますけど、すぐにMITAKAGemesに来る? と言ってくれて、そのまま今に至る感じです」
「ハハハ、あの社長らしい」コナツはまたソーセージを頬張りながら、楽しげに笑みを浮かべた。
「気に入られたんだよ」
「でも、いいんでしょうか。美大とか言った人に比べると、全然絵が下手なんで」
ミサキは、コーラの瓶を両手で抱えて、ぐいっと炭酸で喉を潤した。
セオリーでは、美大や、専門学校に入って腕を磨いてから入るのが普通だ。それを飛び級できたことは嬉しいが、ミサキにとって荷が重い選択であったとも言える。
不安げなミサキに、トモミは真顔で返した。
「うちの会社に入るとき、一番大切にしているの、なんだと思う?」
「え?」
すぐに答えが出ず、ミサキは首を傾げた。
「人柄だよ。ビジョンを共有し、全員が目指すゴールに集中することで、成果を出す。そのためには、技術力よりも人柄を見て一緒に働ける人かどうかを判断する必要がある。技術力は、1年や2年ですぐに補える。だけど、人の性格は一生モノだ。とんでもない性格の人間を会社に入れて、混乱するようなことが起こらないよう。キワコさん――大原社長はかなり厳選して人を選んでるんだよ。あたしとコナツが、大原社長に『本プロで人員調整して、経常利益20%目標達成すること』ってお題を出された時、ため息を付いたの覚えてる?」
「はい。無理難題をだされて……、ですか?」
「違う。あたしもコナツも、大原社長の考えを聞く前に、そうせざるを得ないことを理解してたんだよ。だけどその道は茨の道。進めば進むほど大変になる。だから避けたいと思っているところに、背中を押されたからため息が出たんだ」
トモミの言葉に、コナツは頷いた。そして、コナツはトモミの言葉を補うように話し始めた。
「なぜ、キワコさんの思考と、私やトモミの思考が重なったか。答えを先回りすると、会社のビジョンが、頭に浸透しているため、最適解を出そうとすると、共通の答えに限りなく近づいてしまうの。皆、会社として経常利益20%を達成したいと願っている。自分が好きなゲームを作れればいいとか、名前を売って目立ちたいとか、自意識を満たす考えを持たずに、生涯現役で仕事――つまり、ゲーム制作をするためにフォーカスして物事を考えているの。うまく伝えられるかわからないけど【全員が経営者の視点を持って仕事をしている】と言える状態を作るために、人格・性格があっている人を仲間に迎え入るようにしているの。大原社長が面談して、ミサキさんに価値観を共有できる一面を見つけられたから、ミサキさんを会社に誘ったんだと思う。デザイナーとしての実力は、これから一緒に鍛えていって、そして自信を持って仕事をできるようになれば良いんじゃないかな」
トモミの言葉も、コナツの言葉も、ミサキは少し理想が高すぎるように思えた。
高校の頃のひとクラス30人でさえ、イベントがなければまとまりがなかったような気がする。
それなのに性格だけ――気の合う仲間だけで会社を作って、大丈夫なのか。ミサキには疑問があった。
率直にそれを伝えると、トモミはビールグラスをテーブルに置いて真剣な眼差しをミサキに向けた。
「その疑問もわかる。会社で宗教をやりたいわけじゃないから、思考を排他的にしたいわけではない。共通のビジョンを持ちつつも、手段は個々の裁量に任されてるところがMITAKAGemesの良いところかな。この辺りは、実際に働いているうちにわかるから、今は流して聞いてていいと思うかな」
話終わり、トモミは照れくさそうに頭を掻いた。
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