第3話:コンペティション(K)

 入社時研修を終えた安住カナは、一息ついた。

 時刻は16時を過ぎている。

 9時に入社式が行われ、その後、法務部より正社員の雇用契約・社内外の行動規範の注意喚起に始まり、昼食の30分の休憩を除けば、ほぼぶっ続けで研修が続いたような気がする。休憩といえば、講師に立つ担当者が入れ替わるほんの数分程度で、研修を1日に詰め込みすぎているのが明らかだった。

 周囲の、カナの同期に当たる新卒の面々も疲労の色が濃く出ていた。

「今日は17時で終わりだったよね」

 隣の席の女子が聞いてきた。

「配属先で何もなければね」

「緊張するぅ……」

 そう言ってその女子は、肩を震わせた。

 研修が終わると、配属先の社員が迎えに来ると通知されている。その対面が、株式会社フィックスに新卒として入ったカナたちが社員と初めて接触する瞬間である。どんな人が迎えに来るのか期待と不安に満ちた思いで待っていた。


 研修室のドアが開き、フィックスの先輩社員が入ってきた。

 新卒のメンバーは、息を潜めるように緊張した。

 人事の社員が、先輩社員の前に立って声を張り上げる。

「じゃあ、順番に名前をいうから、配属先の担当についていってください~。ここには戻ってこないから、荷物だけ忘れないようにね!」

 その指示に、新卒は荷物を片付け始めた。それを横目に、人事は続ける。

「えーっと、まず第一開発部から進めよっか。第一開発の木村さんのところは……・、高瀬! 菊池! 志田! 宮藤!」



「あれ、安住のところは……?」

 人事担当が首を傾げた。

 研修室に残ったのは、人事部の数名と、新卒安住カナの一名のみ。30人ばかりいた他のメンバーは、先輩社員につれられて研修室を出て行ってしまい安住だけが取り残されてしまった。

 人事担当はファイルを取り出して、改めて確認を始める。

「配属先は……、第4制作部。羽多さんのところか」

「羽多さん、会社に来てるの今朝見ましたよ」

「アレほど、ちゃんと来るように言ったのに! 部長に報告しておかないと」

 人事担当は歯噛みして、憎たらしそうに呟いた。

 そこへ、軽い調子の声が響く。

「遅れてごめんねー。待たせちゃった??」

 顔をのぞかせたのは、目付きの鋭いラフな格好の女の人だった。

 白いTシャツに、デニム姿で颯爽と部屋の中に入ってくる。遅刻しているはずだが、一切悪びれる様子はなかった。

「その子?」

「遅刻は厳禁だとアレほど!」

「まぁまぁ、連れてっていいんだよね」

 カリカリする人事担当を軽く受け流し、その女性はカナの前に歩み出た。

「羽多レイコ、よろしくね」

 そう言ってレイコは手を差し出してきた。

 あっけにとられていたカナは、差し出された手を見て我に返り、反射的に手を出した。

「安住カナです!」

 カナが握手に応じると、レイコは気分良さそうに頷き、「じゃ行こう」とそのままカナを連れ出した。

「羽多さん! まだ話は終わってませんよ!!」

 引き止める人事にレイコは笑いながら手を振って応える。

 あまりの堂々たるその姿に、カナは唖然としてしまった。

(なんて自由に振る舞う人なんだ!!)

 これがゲーム業界人かと、妙に関心しているカナに、レイコは口角を上げて悪い笑みを浮かべた。

「面倒事に巻き込まれそうになったら、こうやって切り抜けるのがコツだよ」



 研修室を出たレイコとカナは、受付から応接エリアに入った。

 カナにとっては、最終面接に訪れて以来の再訪だ。

「部署の方にはいかないんですか?」

 カナは、前を行くレイコの背に尋ねた。

「そんなことよりも面白いことがあるのよ」

 レイコは振り返りもせず答えた。

(面白いこと? やっぱり業界の人って、考えること変わってる……)

 面白いこと基準という、これまでカナが判断材料として使ったことのない基準軸を出され、素直に自分との違いを感じた。


 応接エリアは複数の会議室が並んで構成されていて、磨りガラスごしに打ち合わせしている影がちらほら見受けられた。

 レイコは扉の締まった応接室の前で立ち止まった。そして、後ろからついてきているカナを一瞥すると、そのままドアを押し開けた。

「お待たせしました」

 カナも後に続いて応接室に入る。

 中には3人座った。奥から金髪が非常に目を引く女の人と、物腰穏やかそうな女の人、それから緊張した面持ちの女の子が、レイコとカナに視線を向ける。

(高校生くらいかしら?)

 カナは緊張した顔の女の子を見て、率直にそう思った。

 レイコの入室にあわせて、3人は席から立ち上がる。

「名刺貰ってる?」

 レイコがカナに声をかけた。

「いえ、まだ」

「OK。今日入社したての、安住です」

 レイコがいきなりカナを紹介する。カナは突然振られて、慌てて頭を下げた。

(応接で待ってたってことは、外部の人だよね、きっと……)

 流されるまま挨拶をするカナの前に、金髪の女の人が歩み寄り、名刺を差し出してきた。

「MITAKAGemesのゲームデザイナー宮元です。よろしく」

 カナの聞いたことのない社名だった。それに、名刺に記されている宮元トモミという名も聞いたことがない。

 入れ替わるように物腰穏やかな女の人が名刺を出す。

「MITAKAGemesの坂上です。よろしくお願いします」

 マネージャー坂上コナツ。

 続いて緊張した面持ちの女の子が、カナの前に立つ。

 緊張が顔に現れている。赤面したその女の子を見下ろしながら、(肌が若い)と観察していた。

「篠田ミサキと言います。今日、MITAKAGemesに入社? したばかりで……、よろしくお願い致します!」

 対面しているカナまで緊張しそうなほど、ミサキの緊張が外にあふれていた。

 その様子にレイコが快活に「そうか、ふたりとも新卒か~」とひとり笑い声を上げる。MITAKAGemesの他の二人は愛想笑いも浮かべず、少し緊張した面持ちだった。

「じゃ、座ってください」

 レイコは3人を関に促した。

「コンペの方は残念でしたね。理由は聞きました?」

「グラフィックの弱さを指摘してましたね」トモミが、レイコの言葉に即答する。

「そう。ただサーバ周りの評価はほぼ同じ。で、私としては、低予算で1本作りませんか? というのが提案。コンペのプロジェクトほど人月をかけずに、最小工数で売れるブランドを作る」

「それって、数打てばナンチャラの一部ってことですよね?」

 トモミの言葉にはやや棘があるように見えた。

 レイコは、反発することもなく返答する。

「投資と考えるなら、ローリスク、ハイリターンを一緒に目指しませんか、という提案ですね。MITAKAGemesさんの方でどれだけ人を投入するかは、こちらから強制しませんが、予算規模は低めで進めたいと考えてますね。技術力があるので、まずは安心して遊べるものを作り、その後、それを利用して見栄えの良い物を作るという手段もありでしょうし」

 その話に、コナツは身を乗り出した。

「継続発注の可能性も視野に入れて会話できる、と?」

「ふふふ、契約書には入れませんし、口約束も出来ませんが、そうなるといいですね」

「大丈夫です。カマをかけただけですから」

 レイコの返答に、コナツは穏やかに笑みを浮かべる。

「ご提案は承知しましたので、一旦検討させていただけますでしょうか。当社の場合規模が小さいため、小規模のプロジェクトとなると、人員調整をしないと持ち出しが多くなりそうですので」

「ええ、それで構いません。お返事お待ちしてますよ」

 わずか、10分程度で会談は終了した。

 会話の流れから、カナにも<レイコが仕事の提案をし、MITAKAGemesが受注するかを検討する>という状況は把握できた。

 MITAKAGemesの3人を受付から見送った後、レイコはカナに言った。

「うまくまとまれば、彼女たちと仕事することになるよ」

 見送るレイコの目は、おもちゃを得た子供のように輝いていた。

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