木蔭の雀 何も喰わず 何も見ず

水草めだか

第1話

 木陰の雀 何も喰わず、何も見ず。



 慶長の大火で家と職を失った。

 職がないから金がない。金がないから食べるものがない。

 いっそアワビの密漁でもしてやろうと思った儂は海に向かった。

 しかし海に到着する前に体力と気力がなくなった。

 木陰であぐらをかいて休むしかなくなった。

 

 儂の目の前に雀がいる。

 腹をすかせた雀が、草の上の小虫をついばんでいる。

 なんとも愛らしい姿だと思った。

 儂が裕福であるならば、雀に生米をやるところだが、生憎と儂も腹を空かせている。


 雀をじっと見ていると、やがて雀が食料になることを思い出した。

 獲って食ってやろうとしたが、雀は素早く、どうも捕まえることができない。

 そこで儂は口笛を吹き、素知らぬ顔をした。

 横目で雀の隙を伺い、素早く飛びかかる。

 それでも捕まえることができない。


 無駄に動くと疲れるだけだとわかったので、儂は口を開けた。

 雀が口内に飛び込んできたら、すかさず食ってやろうという心算つもりだ。

 我ながら名案だと思ったが、待てども待てども雀は口の中に入らない。

 儂を避けるように動きまわる雀を見ていると焦れったくなるし、眼球を動かす体力も勿体無い。

 しょうがないので目を閉じた。



 口を開けて、目を閉じる。

 これは我ながら素晴らしいと思った。

 両方開けっ放しは、いかにもだらしがない。

 両方閉じっぱなしは、あまりにも偏屈だ。

 今の儂は丁度均整がとれている。


 ぽとり。口の中に何かが入った。

 わざわざ目て確認するまでもない。

 舌の上で転がすだけで毛虫とわかる。

 毛虫には毒があるという。喰うのはよくない、しかし喰わなくては死ぬ。

 迷うまでもない。

 毛虫を一口齧ると強烈な苦味が口内に充満したが、吐き出すのも勿体無い。

 儂はそのまま飲み込んだ。

 いかに空腹といえども、不味いものは不味い。

 あまりの不味さに、口がへの字になってしまった。



「もし」

 目の前で男の声がした。

 目を開けようと思ったが、どうにも上手くいかない。

 口を開こうにも、動かせない。

 毛虫の毒で体が痺れてしまった。


「修行中の身ですか」

 そんな男の声を、儂は首を横に振って否定することもできない。


「素晴らしい集中力だ。さぞかし名のある僧に違いない」

 男は勝手に感心してどこかへ去っていった。



 痺れは翌日には消えていたが、どうせ動いたところで何があるわけでもない。

 動くのも億劫だと、ただひたすらに修行僧の真似事をした。

 木陰に座って四日もすると、見物人が集まるようになった。


「ありがたや。ありがたや」

「これ、後で食べてくだせえ」

 勝手にありがたがって、勝手に供え物をする。

 馬鹿馬鹿しいとは思ったが、ありがたがられるのは悪い気分ではない。

 もう少しだけ修行を続けることにした。


 夜が更けると、儂の周りは静かになった。

 薄目で周囲を見渡して、誰もいないことを確認してから儂は目を開けた。

 備えられたみたらしの、甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 ごくりとツバを鳴らしたところで、雀が草の上を跳びはねているのに気づいた。

 これには大層驚いた。雀は昼の動物だとばかり思っておった。


「そうか。昼間はずっと人がおったから、夜になって出て来たんじゃな」

 儂の言葉に耳を傾けず、雀は草の上を跳ねている。

「腹を空かせておるじゃろう。ほれ」

 儂は団子を千切って投げてやった。


 雀はそれに飛びついた。

 羽をばたつかせる雀はなんとも愛らしい。

「喜んでおる。かわいいのう」

 しかし、やがて雀は横に転がってしまった。

 団子を喉に詰まらせたのだと気づいたのは、雀がぴくりとも動かなくなってからのことだった。


 儂は掌に乗せた雀をじっと見つめる。

 今なら簡単に喰うことはできる。

 しかしもう何も喰う気がしなかった。

 儂の横に穴を掘り、そこに雀を埋めた。

 名も知らぬ草を引き抜き、盛った土に植えた。


 無性に悲しい気がするが、涙はどうしても出なかった。

 童子の頃は膝小僧を擦りむいただけで泣いたのに、なんとも不思議なことだ。

 儂はそのまま雀の横に座った。

 

 何も喰わず、何も見ず。

 儂はそうやって残された何日かを生きることにした。

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木蔭の雀 何も喰わず 何も見ず 水草めだか @mizukusamedaka

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