第5話 記憶は嘘をつく

 教会、バージンロード、たった二人。もうすぐ始まる結婚式。新婦は化粧直し? 白いタキシードの新郎は、窓から差し込む陽光で白く反射する十字架の下、一人の女子高生と会っている。

「記憶を消すためにきてくれたんだね」

 女子高生は何も答えず。女子高生の肩に乗ったマリモのような生物が、口元の毛を震わせながらクルルと鳴くのみ。

「妹の記憶を消してほしい。僕が幸せな結婚生活をおくれるように。妹を愛した記憶を消してほしい」

 新郎は女子高生の前で跪き、手を組んで祈る。女子高生を聖母と勘違いしているのだろうか。

 女子高生は眉一つ動かさず。女子高生の肩に乗った生物が、背を伸ばす。本当にそれが背かどうかはまでは。生物の体はすべて長い体毛で覆われている。わからない――新郎は真偽の興味を失う。

「愛し合った妹。忘れてしまわないと……僕は狂ってしまいそうだ」

 新郎が女子高生の手を取り、縋る。

「無理よ」女子高生の最初の言葉は否定。

「どうして? お金が足りなかったのか? それとも、やはり記憶を消すなんて嘘なのか?」

 女子高生はまた口を噤んだ。否定の意。

「僕は結婚して新しい生活を迎える。背徳を恥じ、罪過に悔むこともない。そんな生活。妹さえ忘れ……ずっと怯えて生きていくのはつらいから。記憶を消してくれ」

「無理です」

 女子高生は同じ言葉を繰り返すのみ。さっきより強い口調、強い否定。

「どうしてだ!」女子高生の言葉を受け入れられない新郎は、立ち上がる。女子高生の首を絞める。

「お前が! お前が妹をやめれば、幸せになれるんだ!」

 女子高生と愛する妹の区別。できない新郎。

「……むり」

 女子高生は殺されようとしてもなお、同じ言葉しか繰り返さない。

 無抵抗。

 唇の端から白い涎がこぼれ、顔が赤黒く変色し、瞳が目から飛び出そうになる。

「しゃおう……」

 女子高生が否定以外の言葉を発する。

 マリモのような生物が肩から飛び出す。

「なんだ!」

 生物は新郎の鼻へ体当たり。新郎は手で鼻を押さえ、涙を流しながら女子高生から離れる。

 せき込む女子高生。涙が流れる。それでも新郎へ説明。「記憶は嘘だもの。嘘の記憶は食べられない」

「嘘? 嘘? 何が嘘だ? 妹を抱いたことか? 妹を忘れて幸せを掴むことか?」

 新郎へ、もう言うべきことなし。女子高生は新郎から離れて、出口へ向かう。

 女子高生は、外の眩しい日差しに手を翳した瞬間、別の女性とすれ違う。バージンロードの始まり。胸からスカートにかけての一部が真っ赤に染まったウェディングドレスを着た新婦が立っている。

「嘘の記憶を終わらせるのはわたしの役目じゃない」




 新婦の手には、ナイフ。

「妹って誰よ! どうしてあたしが妹なのよ! 妹だったら、結婚なんてできない。神様に祝福されない。私はあなたの妻になるのよ! 妹のはずがないじゃない。……あぁ、そうなのね。下手な嘘を言いだして別れたい? わたしはこんなにあなたが好きなのに、あなたはわたしが嫌いなの?!」

 新婦はナイフを腰に構える。殺意。いや、嫉妬?

 お互いの両親、招待客、神父もいない結婚式。女子高生が目を閉じて教会を去った今、誰も彼女を止められない。

「あなたが愛してくれないなら」

 新婦は、バージンロードを十字架へ向かって走りだす。茫然と立ち尽くす新郎。

 新郎は考えていた。

 新婦が嘘を言っているのか。

 僕が嘘を言っているのか。

 妹の顔。妹の声。妹の匂い。妹の柔らかい乳房。妹の唇。

「妹は……」

 新郎に向かってくるのは、ウェディングドレスを着た妹。

 女子高生の依頼書に貼っていた顔と瓜二つ。




「人間ってすごいわ。記憶を自ら食べて、作り変えることができるもの」

 優雨のつぶやきに、記憶を食べられなかったシャオウは何も言わず、長い体毛で優雨の頬を撫でた。記憶を食べていないから、優雨もシャオウも、この物語と無関係と言えるのかもしれない。それでも、優雨はさっきの出来事を考えずにはいられない。

 優雨を待ち切れず、新郎と新婦とは、勝手に自分で自分の記憶を書き換えていた。

 幸せのためなら、記憶は平然と嘘をつく。

「でもつらいことから目を逸らしても、幸せになれるって限らないのにね」

 シャオウがクルルとなく。

 優雨の頭の中に、さっきの出来事の記憶が、獲得した知識として書き込まれていく。優雨は携帯電話を取り出して、警察に連絡をいれた。

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