エピローグⅡ

 文芸部の住処へ足を運ぶと、せっせと鶴を折る千野さんがいました。

「お帰りなさい、火遠理君。行方御嬢様はもうじき来ちゃいますか?」

 装飾は鶴だけでなく、部室の対角線上に沿って垂れ下がっている輪繋ぎや風船もありました。手白香さんへの愛を感じます。

「後五分くらいで来ますし、誕生日パーティーの準備をしていること、疾っくに気附かれていますよ」

「それくらいの落ち度は予期していましたので大丈夫です。千羽鶴の意外性でカバーされ得ます」

「サプライズの意味、ちょっと履き違えているような……」

 兎角、彼女はどういう形であれ普通ではない方法で手白香さんを喜ばせたいのでしょう。机上に積み上げた約七十羽鶴が無駄になることを恐れず、創作と同じくして新たな世界を切り拓こうとしているのです。

「飛騨先生とルミナちゃんは?」

「二人なら職員室へ。冷蔵庫に入れていたケーキを持って来るそうでして」

 この世界は、平穏で充溢されております。各々が共存在の幸福を願っています。

「じゃ、暫くだけ二人っきりですね」

 微笑を浮かべる彼女は、手許の折り紙を僕へ投擲されました。折っていたのは鶴でなく紙飛行機でした。フラフラと左右に曲折して、僕の足元へ落下しました。

「中身、御覧下さい」

 座ったまま身体の向きを変え、背凭れに肘をついた彼女に指示されました。拾い上げて翼を捲ると……其処には彼女からのメッセージが書かれているという未来が予測され得ましたが実際は白紙でありました。

「……何も無いですよ」

 折線が四方八方に入った正方形の紙を広げると、彼女は椅子から崩れ落ち、両手で顔を蔽いました。

「ほ、本当ならば紙飛行機に『愛しています』と記載して火遠理くんにドラマティックな告白をするつもりでしたが……そんな勇気は微塵も無かったのであります……」

 つくづく思うことですが、これだけ僕への恋慕を露わにされていますので、直接的な愛の告白は今更な感じがいたします。

「僕は千野さんに愛されていることを既に常に看取しております。ヘタレなのは僕です。千野さんと恋仲になるべきかどうか躊躇している僕が悪いのです」

「いいえ、私こそヘタレであります。女としての魅力に自信を持てない私は、正面から堂々と火遠理君に向かうことを拒んでいます」

 僕等はどうも不器用同士らしく、思春期に覚えるぎこちない情意に苛み続けているようです。大正時代のような恋愛観で自らの真意を呪縛させているかもしれなく、未来を先取りする言語表現で究竟なるラブストーリーを築き上げているのかもしれません。

「小説を書くことと同じくらい、現実も難しいですね」

「おっしゃる通りであります。私に至っては、『彼岸の世界』の執筆を火遠理君達に殆ど任せてしまった、自分一人では何一つ成し遂げられない空虚な者です」

「――それは違うさ」

 それでも、フィクションを通じて確実に宣言出来ることはあります。片膝をついた僕は彼女の手に触れ、感謝の意を表明しました。

「千野さんの原案は『彼岸の世界』を越え、現実の僕等へと波及されています。あなたの産んだ偶然性フィクションは、世界へ痛烈に伝聞させました。その勝義には希望的な恋愛も……絶望的な悲劇も……癲狂な演劇も……無限大数なる不可解な展開も凡て存在者の存在ならしめる要諦が沈潜されています」

 ゆっくりと顔を上げてくれました彼女に、追言させていただきました。

「千野さんの受苦と切望を受け入れて書いた『彼岸の世界』は、今後……僕にとっても千野さんにとっても大きな自信へと繋がるはずです。だから……悲観主義を正常値な感情へ整えるような生き方で、胸を張ってこれからも文芸部の活動を促進していきましょうよ」

 千野さんは唇を震わせ、眼に涙を溜めています。未熟な僕の本心が少しでも彼女に伝わっているのであれば、此上なき幸であります。

 僕は臆病な人間でありますが、共存在の世界を受け入れる覚悟は出来ております。受動の裡に有る能動で、僕は彼女の内界を覗かせていただきました。


 彼岸の畔で佇む彼女は屹度、積極的に僕を抱き締めては耳元でこう囁いてくれるでしょう。

「どの火遠理君でも、私は愛しています。ずっと傍に居てください」


 現実的苦界に身を沈める彼女は恐らく、僕の手を払い除けて暗鬱たる一言をポツリと呟くことでしょう。

「火遠理君に優しくされるこの世界も偽物です。希望なんて期待しません」


 そして、実際の彼女は僕の胸に顔を埋め、湿った声でこう告げました。

「皆から愛される幸せな男の子は、不幸になってしまえばいいのです。陰険で駄目々々な女の子に纏わりつかれる辛苦な人生を歩んでください……」


 目の前に顕現せられる彼女だけが本物ではなく、多なる世界で生を享けた彼女の凡てが真実であり、何処でもあり何処でもない存在位置より語る僕は、彼女の愛情も憎悪も恭しく受け取らせていただきます。


 彼岸の世界は今も尚、僕の主観に存在する現実と混在しているのであります。

                                  (了)

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彼岸の世界 春里 亮介 @harusatoryosuke

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