解説

 手白香さんにはまだ校外で待機してもらい、大根役者の二人に誕生日パーティーの準備を促すべく僕は校舎へと戻りました。

「火遠理くーん」

 下駄箱で上履きに履き替えると、廊下の奥で手を振る遠江ルミナさんに呼ばれました。僕が動く前に彼女よりダッシュで来てもらいました。

「あまりグダグダしていても手白香さんに申し訳ないから、二十分後に部室へ来てもらうように言っちゃいましたよ」

「えー!? 文芸誌の次は行方ちゃんの誕生日パーティーにもリミットが設けられたし!」

 火遠理くんの鬼、と喚き乍ら遠江さんはポカポカと僕の肩を叩かれております。

「そもそも、何にそんな手間取っておられるのですか?」

「千羽鶴がまだ五十羽しか折られてないんだよう」

「誰も入院していないのですが」

 冷徹に貶したつもりでありましたが、彼女はにこやかに僕を指差しました。

「そう! 行方ちゃんからそういうツッコミを期待して作っているんだよー!」

「出オチの割には随分な労力ですね」

「全く、火遠理くんは効率厨だぞー。哲学者なんだから、日々の合理性も捨てなよう」

 得意げな相貌で話す彼女は平常運転です。闊達無碍な性格で常日頃、文芸部を盛り上げてくれるムードメーカの美少女ハーフは一方で、小説内でも触れられたようにあまり異性からの人気は芳しくありません。クセが強過ぎるのだと思われます。

「あ、そうそう! 誕生日パーティーの件もだけどさ、もう一つ火遠理くんに話があって……」

 と、遠江さんは筒状に丸めていた冊子を開きました。

「それ、昨日にデータで提出した文芸誌ですか。学校内に配布公開するのは明後日ですけど、もう印刷したのですね」

 紙媒体で初めて拝見いたしましたが、想像比で三倍ほど分厚い代物でした。一作と云えども、長編小説のボリュームはこうして可視化されているようです。

「うん。でね……エピローグ代わりに私が担当執筆した『解説』部分、あるじゃん? 火遠理くんに先日チェックしてもらったんだけどさ、不安になっちゃって。悪いけど再度目を通してくれないかな?」

「別に構わないですけど、部室のメイキングは?」

「慧生と飛騨先生に只管鶴を折ってもらっているから、まあ大丈夫だよう」

「飛騨先生も巻き込んでいるのか……」

 先生も先生で、何処までも報われない人でありました。部室の状況も気にはなりますが、『解説』は四人が力を結集させて創作した物語を捕捉敷衍する重要なラストであります。その出来工合を不安視する彼女の責任感に僕は敬意を払い、その場で冊子の終末部分を拝読いたしました。


             ■    ■    ■



 解 説 (エピローグ代理) ~フィクションの存在証明~

                             遠江 ルミナ  

 

 本来であれば文芸誌として掲載する作品には解説は不要であり、以前の問題で筆者が解説を兼任する事態も理想的ではないが、今作『彼岸の世界』を共同執筆した叡智大附属高文芸部員一同は自らの手で仔細を追加せねばならぬと判断した。ついては烏滸がましい限りであるが、私の言葉で追記させていただく。


 先ず、物語の執筆者を改めて並べると、分量の多い順に手白香行方、副部長の夕籠火遠理、部長の千野慧生、私の四人……つまりは文芸部全員である。各々の主観、もとい一人称に対応した執筆の割り振りとなっており、なかんずく綜合的な主人公を務めた夕籠火遠理と舞台講筵でその存在感を示した手白香行方の二人で大半の場面を描いた。

 但し、『彼岸の世界』の全体構造を生み出した原作者は部長の千野慧生であった。作中に登場する<真偽の彼岸>の状況と同じく、我々は今年発足した文芸部を存続させるべく活動を表明する義務が生じた。その結晶となった本作は元々……これも<真偽の彼岸>の設定へとそのまま落とし込んだが……千野慧生一人の短編小説で予定されていたのだ。然し、彼女の創造力は目を瞠るものがあるが、肝要の文章執筆能力に於いては持ち前のだらしなさが遺憾なく発揮されて結句一週間かけて書けたのは『アイスクリーム食べたい』の一文に留まったのだ。無論、物語とは無縁な我慾を表した文章である。

 それが故に、本作は極めて複雑怪奇な構造を採用することになった。要は、千野慧生が提案した無辜惨禍の魔女を救う<悲喜の彼岸計画>を主題にしたファンタジー小説からの脱却だった。

 当初は簡明なプロットであり、惨禍の世界的看取により魔女と化した不遇な存在……<悲喜の彼岸>内の遠江ルミナと手白香行方(以下、悲喜・遠江と簡略化する。<真偽の彼岸>内の存在を示す場合も同様)を舞台講筵という空想的空間にて、哲学的思弁を介入した戦いに依る超人化……脱・魔女化をメインストーリーとして意図したはずだった。ところが前述の通り、期待を遥かに下回る活動進捗で原作者の千野慧生は改案に逃げてしまったのだ。メタフィクションへの着手とも云える転回である。

 メタ=存在論への転機は自然であった。プロトタイプ版から登場人物を我々文芸部員と同姓同名にしていたのが功を奏し、現実と非現実の境界を取り払い、不完全なストーリーラインを補完する多重歪曲へと導いたのだった。なお、メタ構造の主導は夕籠火遠理が担い、『彼岸の世界』を舞台講筵、<悲喜の彼岸>、<真偽の彼岸>の三種に分割して道筋を作ったのも哲学に詳しい彼の功績だった。

 また、舞台講筵を単調なバトルテイストから超現実主義シュルレアリスムの演劇に方針を変更したのも、メタ=存在論の適用だと云える。其処での調整は手白香行方の才覚が存分に作用され、多種多様な偶然性に依る自由を彼女は開拓した。

 私の役目は真偽・遠江が真偽・千野へ執筆の助言を与えていたように、本作を俯瞰して校正することであった。稀に主観移動の際、本文を書かせてもらったが割合的には四人の中で最も少ないことであろう。ついては、私の主な仕事は裏側に蔽い隠されている。本作は夕籠火遠理の推敲で整えられたが、複数執筆者が引き起こす価値観の違いを極小へ近づけるべく私も校正に加わり、彼の二人で小説上の違和感を除去したつもりである。啻に、私の力不足によりどうしても不利な矛盾を解消しかねた点については慚愧に耐えかねるが、下述の場面別解説にて抵触させていただく旨、どうか御憫笑願う次第である。

 最後に、原作担当の千野慧生について、彼女は<真偽の彼岸Ⅰ、Ⅱ>では著者を担当したがそれ以外の本文介入は殆ど無かった。夕籠火遠理と同じく哲学に精通している分、物書きとしての技量は最低限有していると見込んでいたが意外とそうでも無かった……とも指摘可能だが、彼女に附随する一番の弱点は執筆速度であろう。真偽・千野は短期間で強引に書き込んだ設定であったが、此方の千野慧生は改案後も一時間に原稿用紙一枚分書くのがやっとだった。<真偽の彼岸>と軌を一にして彼女一人に本作を任せていたならば、本解説の公表は年を跨いでいたに違いない。

 だが、(私個人の感情は角に措いて)千野慧生の実績を記述しようとしても、私如きの高校生ではとてもではないが語り尽くせない……いや、私程度が知り得る言語では表象不可能なのだ。悲観主義に慣れ親しんでいる文芸部の首領が産出した『彼岸の世界』の企図は、深遠なる地平にて達成し得ることであり、執筆と推敲を凡て他部員に投げたと彼女を咎める権利は誰一人として与えられない。

 一つの悲歎から始める喜楽は甚大な可笑しみを齎し、一つの架空から落下する架空は言語世界の新奇な価値を見出した。現実の失墜を孕む千野慧生の構想は云わば、メタフィクションに依るフィクションの存在証明であるのだ。

 現実とは何か? 非現実とは何か? 相反する二つを区劃する線とは何か? 

 夕籠火遠理が構築した多重世界も、手白香行方が展開した悲劇即喜劇の精神も、千野慧生の鋭利な懐疑が無ければ始まらなかった。誰しもが皆、当然だと決め附けている根柢に宣戦布告をした千野慧生の決意は、情けなき愚かさでもあり絶え間無い超克でもある。

 文学に通じている手白香行方の言葉を拝借するならば、千野慧生は通俗的一般大衆向けの小説から逸脱し、ポストモダンの独創性を手に入れたのだ。果たしてそれが高等学校で配布される文芸誌に相応しい作品かどうかは推量しかねるが、共同執筆者としての見解を示させていただくならば、彼女の創作は正しかったと声を大にして言いたい。

 本作の執筆を経て、生きるとはどういうことか私は深く考えさせられた。その一つが、主観を乗っ取られた架空存在とは何か、悲喜・夕籠が何度も考察したシーンに連結する、人間としての疑問なのだ。小説内に存在している架空の登場人物であると自覚し、自分は現実の千野慧生(正確には真偽・千野)に創作せられたことを認めた上で、彼は壮大なる悟りを開いたのだ。


 僕は千野さんであり、千野さんは僕である。

 遠江さんは千野さんであり、千野さんは遠江さんである。

 二者を等号で繋げられる因由は、この世界其物にある。

 蓋然性をかなぐり捨てられるのであれば、僕は遠江さんであり、遠江さんは僕であるとも公言せられる。

 僕、若しくは千野さんが何を言っているのか世界外の読者には完全に伝えきれていないと察するが、各々が自由な解釈をしていただいて構わない。

(悲喜の彼岸Ⅲ・統御)


 この場面こそ、本作に於ける最大の気附きであった。

 自分は単独の存在でなく集合体でもない。様々な次元に点在している複数人物が合わさった一つの世界其物であると悲喜・夕籠は頓悟した。

 世界、他人、自己……其々の地平等で人は内と外を規格するが、悲喜・夕籠は常識の足枷を外し、自我と他我の融合相即に努めた。

 他にも捕捉したい箇所は多々あるが、詳細は下記場面別解説にて取り上げる。何れの焦点も相反する事象を経由した存在証明が肝になっており、千野慧生が投じた一石の波紋を夕籠火遠理と手白香行方が言語世界へ絶妙に転移させたと私は賛辞を呈する。

 彼等が(但し、この彼等の等に部長は含まれていない)寝る間を惜しまず執筆と向き合う一生懸命さに心打たれ、解説くらいは私の努力で貢献させていただきたい意志で、斯様な解説記述を担当した。由って、爾後の場面別仔細を以て、本作のエピローグを代理する。


● プロローグ 執筆担当:夕籠火遠理


 悲喜・夕籠と悲喜・千野の対話を著しているが、時系列は大きく前後している。順番的には<悲喜の彼岸Ⅳ>と第四舞台講筵の間を想定しており、悲喜・夕籠が寄り道と発言したのは物語の本筋から離れた場面であることを示す。また、プロット構築不足が起因となったメタ=存在論の無秩序を読者に向けて警告をした彼は、架空内に於ける偶然性の変動で不変なる必然を否定した。

 主観と他在の合一、と表現しているように現実世界の作者・夕籠火遠理の存在が意識されている。物語の掴みとなる重要な始まりで靄がかかったような偶然性の問題を思弁した彼は、明白な物語のジャンルや意図を世界外の読者へ伝えることを敢えて拒否したのだ。つまりは悲喜・夕籠の語りでもあり、作者・夕籠火遠理の確乎たる決意でもある。


● 第一舞台講筵 執筆担当:手白香行方


 いきなり【追記4】と記載された本部分は、その後の<悲喜の彼岸>と<真偽の彼岸>を読まない限りは何がどうなっているのか非常に解りづらくなっている。無辜惨禍の魔女という設定が賦与された悲喜・遠江が夕籠、千野、飛騨の三人が演じる舞台で悲劇即喜劇の精神を介して超人化……つまりは悲喜・遠江から魔女の悪しき力を取り払う行為を実現するという狙いであったが、無説明のまま滑稽な葬式コントが進む有様だった。

 なお、追記部分でも捕捉されている通り、本部分は悲喜・手白香に依る疑似三人称である。時系列的にはややこしいことに第二舞台講筵後の語りとなっている為、追記番号の順列が第二舞台講筵の次になっている。


● 悲喜の彼岸Ⅰ 執筆担当:夕籠火遠理


 千野慧生が生み出した初期の『彼岸の世界』が唯一残存しているストーリーであった。都心より転校してきた悲喜・夕籠が哲学科という謎の少人数クラスに所属せられ、其処で邂逅した悲喜・千野と悲喜の彼岸計画に巻き込まれる段取りが組まれる予定であったが、真偽・千野及び千野慧生が白旗を揚げたのが理由で、第四舞台講筵後のエンディングを強行して終わらせようとした。その後、世界視点が再度変動しては真偽・夕籠が真偽・千野に物語の不完全さを指摘する。

 本作には一文の裡に生じる視座変動が散見する。爾後の場面でも急に主観人物が異なったり、真偽と悲喜の地平が変更したりしている。本場面は悲喜・夕籠から<悲喜の彼岸>内の小説である<悲喜の彼岸>の夕籠に飛び、其処から真偽・夕籠に上昇した。

 明瞭にし難い点が此処で発生し、<悲喜の彼岸Ⅱ>以降では最上層の純粋な<悲喜の彼岸>なのか、或いは<悲喜の彼岸>内に何故か小説として存在する<悲喜の彼岸>で語られているのか、筆者側も正式に設定していないのだ。早速謝罪となってしまうが、理路整然となるフィクションの階層は期待しないでいただきたく存じ上げる。


● 真偽の彼岸Ⅰ 執筆担当:千野慧生・夕籠火遠理・遠江ルミナ・手白香行方


 <悲喜の彼岸>を執筆している真偽・千野の苦心と、真偽・遠江が提案する架空人物達のメタ自覚を契機に更新された物語の深掘りを此処で明確化させた。プロットが全く思い浮かばず強行的に<悲喜の彼岸>を終わらせようとした真偽・千野の吐露は、実のところノンフィクションの性質を有していた。

 後半では悲喜・夕籠に主観が移動し、突然出現した(ことになっている)悲喜・手白香と悲喜・遠江を世界=外=存在の語り手にさせて場から追い出すのも、漸次加速していくメタフィクションの前奏だと云える。それと本箇所より記述される丸括弧に於いては、世界外より三人称を代理する者の無声音的な会話を意図する。従って、括弧内に閉じ込められた悲喜・手白香と悲喜・遠江の対話は、其々の台詞を手白香行方と私で書いているのだ。一台詞ずつ執筆担当が切り替わるので製作上難儀であるが、この疑似三人称の活用で多重メタ構造の本作は非常に助けられたと断言され得る。


● 悲喜の彼岸Ⅱ 執筆担当:手白香行方・遠江ルミナ


 本部分はとりわけ短いパートであるが、更に私が担当した執筆箇所は少なく、最初の原稿用紙二枚程度しかない。残りを主観移動で手白香行方に任せてしまった理由としては、悲喜・遠江が主要登場人物内での重要度が低いから手白香行方に譲ったとも言えるし、地の喋り方と大きく異なるテイストの文面を続かせることにやはり胃が痛くなっていたのかもしれない。なお、今現在……本解説に於いてもタイピングする手だけ私の脳と切り離されているのではないかという違和感が逐一生じているが、解説から脱線する考察となる為余談は以上とする。

 超越的な話に戻るが、悲喜・遠江が世界と世界の狭間で舞台講筵の台本を見つけた描写が見られる。台本という物体もまたメタフィクションの階梯となる属性であり、断続的な場面を連結させていく都合に由り斯様な発想に至ったのだ。予定されていた本来的な<悲喜の彼岸>の世界軸へと帰一すべく、架空世界の擾乱を治めようとする一つの目的で物語は進む。


● 第二舞台講筵 執筆担当:手白香行方


 生と死の観念について、第一舞台講筵の延長線上にある『死の哲学』を追究した目論見になっている。『死の哲学』は本文でも多少説明されているが、哲学者・田邊元の思潮を拝借した死者と生者の実存協同を意味しており、殊に実存協同という言葉が本部分以外でも流用されているのは本作へとアレンジされた二律背反の協同……現実と架空の共存が注視されているからである。

 悲喜・千野の死を受容した悲喜・遠江に新しい覚悟が芽生えたものの、結末はドッキリという喜劇に行き着く話で悲喜・遠江の超人化を達成している。直前の<悲喜の彼岸Ⅱ>で手白香は、話の順序が滅茶苦茶なこの物語を流行りのタイムリープに倣っていると推量していたが、メタ=存在論の時間軸は単純ではないことを後に登場人物達は知ることになる。つまりは、目論んでいた本来的な物語の再現には至っていないのだ。


● 真偽の彼岸Ⅱ 執筆担当:千野慧生


 真偽・手白香が執筆に倦む真偽・千野に助言を送ることが主要な場面であるが、『彼岸の世界』上で可也重要な転機だと強調させていただくが故に、真偽・手白香の言葉と真偽・千野の地の文を抜粋する。


「大変ですけど最後まで執筆活動、頑張ってくださいな。曖昧模糊な助言で恐れ入りますが……私を愛してくれる人に私なりの感性をお伝えするわ。貴女が神とされているフィクションはやがて、この現実世界との混淆で新たなる時流が顕現されますの」

 首筋にポツリ、と水滴が着弾した。私の代わりに空が泣いてくれた。風に流されるような小雨が降り始める。

「その時の川は汚泥の如く淀んでは湧き水のように澄んでいる、霊妙不可思議な世界の血。存在者の幸福と不幸……それこそ、『悲喜の彼岸』の軸になっています悲しみと喜びの間隙を真偽の不確定で補填することで、絶え間無い矛盾の冥がりを崩壊させる光芒一閃が完成しますの……」

 崇高な文学的感性を示す少女と、破滅を望む哲学的悟性に拘泥する少女の精神が、一になる。批判を恐れずに言わせてもらえるならば、私は行方御嬢様でもあり行方御嬢様は私でもあるのだ。                       

(真偽の彼岸Ⅱ・同一)


 洒落た語りで彼女はまさしく、現実と非現実の混在……筆者と登場人物の融合を提示したのだ。それは本作の混沌を推進させる要素になり、物語を折り返した先には超越的な世界が待っている。

 それと、真偽・千野の『私は行方御嬢様でもあり行方御嬢様は私でもある』に対しての解釈は、<悲喜の彼岸>を執筆している自分が架空の悲喜・手白香を描いている自覚と取られ、更に心奥を探ることを許されるのであれば、この世界で執筆している私自身も架空人物であり、目の前にいる真偽・手白香と同一の書き手に創作せられたとも見做される。明言こそしていないものの、真偽の彼岸側の存在者も、目の前にある現実が現実でないことをこの時点で既に常に気附いているのだ。その真偽・千野の覚知が爾後の悲喜・夕籠が懐く思惟に深く影響を与えている。


● 悲喜の彼岸Ⅲ 執筆担当:夕籠火遠理・手白香行方


 <悲喜の彼岸>ベースの話であるが、直前の<真偽の彼岸Ⅱ>と流れが繋がっているのは、二つの世界が混淆し始めたことを表している。一人の少年を巡る少女達の恋愛と絡めて、登場人物達は真偽・千野に書かれて支配されている意識を際立たせる。悲喜・千野の性格が作者である真偽・千野に乗っ取られて、各登場人物の呼称が変化したのもメタの補強だと解釈して良い。

 本部分の後半は唐突な場面移動を経て、悲喜・夕籠と悲喜・手白香の対話を展開しているが、悲喜・手白香の架空登場人物として生まれ落ちたことでの責任感が顕在されている。真偽・手白香と決して交わることが無いと確信した彼女は、架空の悪者として何をすべきか……主人公の彼にどういう立ち回りをすれば自分の存在が確立されるのか……重くのしかかる重圧と、自分の裡に潜む彼への恋慕が鬩ぎ合い、無辜惨禍の魔女として再覚醒した経緯となる。

 書き手側からすると、非常に方向性の調整が難しい内容であった。掴みどころの無い物語に具体的なバックボーンは存在せず、凡ては偶然性に由る結果だと(乱暴な表現であるが)はぐらかしているとも云える。

 何故に悲喜・手白香は無辜惨禍の魔女の途を選んだのか?

 どうして悲喜・手白香と他の少女二人は、主人公の少年が好きなのか?

 一般的な小説であれば、物事の因果を明確にすべきだろう。だが、本作はそうはならない。それが逆に現実に歩み寄る可能性だってあるのだ。


「いいや、理由の無い理由で私は火遠理くんを愛している。現実なんて、そんなもんよ。異性と付き合う動機で、悪者と戦う彼の勇士を見守ったり、苦難に陥る自分に優しい箴言をくれたり、彼の裏側に隠された悲哀なる過去を知ったことでこれまでの嫌悪が逆転したり……毎回そんな具体的なエピソードが存在するかね?」  

(悲喜の彼岸Ⅲ・恋慕Ⅰ)


 私は、上述の台詞を凄く気に入っている。夕籠火遠理が架空の私に言わせたのであるが、情意に一々因果を求める合理主義に何の意味があるのか顧みれば、偶然という一つの答えに到達するのだ。

 作者・夕籠火遠理はフィクションと交わり、偶然性の優位を深く尊重した。凡ての事象を霧の紗幕で蔽うことで、具体的ならざる真理を探究しようとしているのだ。だからこそ、偶然という言葉を侮ってはならない。ないがしろにされる恐怖も感じ乍ら、不完全や自家撞着を積極的に物語へ採用する彼の勇気に私は讃嘆する。しかのみならず、本部分で丸括弧内の執筆を少しばかりしていただいた手白香行方にも、本文通り難儀な役割を遂行していただいたことに感服致す所存である。千野慧生は……創作上では尊敬の念を送れるが敢えて私情を挟ませてもらうと……夕籠火遠理に自分との恋愛シーンを増やせ増やせとしきりに頼み込んでいたその姿は、みっともない限りである。


● 第三舞台講筵 執筆担当:手白香行方


 異様な説明になるが、本部分の劈頭は第一舞台講筵のナレーションを終えた悲喜・手白香が戻って来た状況である。

 此処でも、『彼岸の世界』の実態が見え隠れした。切っ掛けは演技の本題に入る前のこと。


「貴女の作者的権限を破壊しない限り、この物語は終焉を迎えないわ。ならば早かれ遅かれ、貴女は私達に屈して

(第三舞台講筵・更新)


 悲喜・手白香が悲喜・千野へ突きつけたメッセージだった。書き手の取り合いで物語の主導権を巡る戦いが始まろうとしているが、悲喜・手白香の予期はまさに事実であった。

 その後は、真偽・手白香の良心が未だに残存していた悲喜・手白香が脚本を担った、魔法を上手く利用したコントを展開する。なお、時間を止める能力に連関する通俗的時間等の悲喜・夕籠の解釈はマルティン・ハイデガーの『存在と時間』に依拠する思弁であった。夕籠火遠理に教えてもらい乍ら手白香行方が必死に書いていたようだが、私には何のことやら未だに解らない。至らないことが多く申し訳ないが、小説内の登場人物は理会していると思うので諒とする。全く解説として成立していない旨、御寛恕願い申し上げる。


● 悲喜の彼岸Ⅳ 執筆担当:夕籠火遠理・千野慧生・遠江ルミナ・手白香行方


 悲喜・手白香との最終決戦となる第四舞台講筵を見越した準備運動的な位置附けで、本場面は設定された。その準備運動と云うのは所謂、メタ=存在論を存分に活かした主観移動である。メインの執筆は相変わらず夕籠火遠理であるが、私も介入してもらった。其処で思わぬ収穫と可笑しみを感受したのだった。


 沈黙内の戦いでは私が優勢であるかもしれなく、私が優勢であるかもしれない。私こそがこの物語の真なるヒロインであると私に言わせた私こそが上階層に属する存在であると私は勝手に思い込んでいるだけであり畢竟この私に最終的な権限が与えられているのだと高唱する私もまた受動的な挙動に気附いておらず実はこの私が本当の本当に優先された存在であると自負しているかもしれなく、劣後された不遇な存在であると憔悴しているかもしれない。                     

(悲喜の彼岸Ⅳ・海岸Ⅱ)


 主観を固定せざるを得なかった舞台講筵では実現しかねたメタ喜劇が其処にあった。悲喜・夕籠を慕う悲喜・千野と悲喜・遠江が喧嘩をするのだが、その喧嘩というのが単純な殴り合いに留まらず、物語の支配を意図する主観の争奪に着眼されているのだ。啻に、実際に記述すると如何せん入れ替わりが烈しく、特に上述の部分は細かく入り乱れた主語であるが故に、仕方なく夕籠火遠理に書いてもらった裏話が存在する。

 ついでの言及となり甚だ恐縮だが、本作に登場する飛騨黎泉の不遇に於いても仕方ない事情があった。お判りの通り、是は文芸部員四人の共同執筆である。単純に作者ではない顧問の出番はどうしても重要度を欠けてしまい、酔っぱらわせて物語のクライマックスへ捻じ込む荒業になってしまった。この場をお借りして、飛騨先生には心より御詫び申し上げ、御赦しを希うばかりである。次回作品では是非、三十路の独身女性となるノンフィクション大衆小説へ挑戦させていただき、時折飛騨先生の好きそうなイケメンを登場させては恋が実るかもしれなく実らないかもしれない(くだらない)ストーリーを提供致す所存である。丸括弧内は世界=外=存在の声ではなく私の本音である。


● 第四舞台講筵 執筆担当:夕籠火遠理・手白香行方


 最後の舞台講筵も基本はコメディであるが、主観の奪い合いに最終的な戦いの終焉を見出したく思った夕籠火遠理と手白香行方の合作が此処に実る。望まない展開であれども主観を維持した悲喜・手白香の真実は光り輝く幸福であり、二人が交互にバトンタッチした舞台の集大成がメタ=存在論の希望であった。

 彼等の功績其物には何の異議も無いが、敢えて小説としての疑問点を言わせてもらうと、一つに通俗的な日付設定が挙げられる。悲喜・手白香の誕生日を間違えたことを明確にする為、物語内の日付を事前に公開する必要があるのだが、メタフィクションの障礙が彼等を困らせた。夕籠火遠理曰く、『最初の設定は春だった気もするが、場面を挟む毎に保証され得ない世界であるが故に具体的なメルクマールを改めて設ける』との狙いで、泥酔状態の悲喜・飛騨を場に持って来させてハロウィーンの季節を宣告させたのだった。然れども、誕生日が違っていると悲喜・手白香が誇示していた点で、読者側に違和感を与えてしまう懸念を覚えている。悲喜・飛騨がハッピーハロウィーンと言っていたから今は十月末だと判断されてしまう時点で、疾うに狂っているのであり、それもまた感慨深い……のだろうか?

 ともあれ、教室で悲喜・夕籠と悲喜・千野が邂逅する場面に再帰させたのも、フィクション内のフィクションへの突入で本作を狂わせた根源だと咎められる……悲喜・千野が所持していた文庫本状の<悲喜の彼岸>を喪失させて正しく終わらそうとする企図が確りと孕んでいる。由って、彼が再会した彼女が読んでいた本は<悲喜の彼岸>から変更されていた。ちなみに、代わりの本となった春里亮介著の『空有的存在』は、架空の人物の架空の作品である……


● 真偽の彼岸Ⅲ 執筆担当:夕籠火遠理・手白香行方・遠江ルミナ


 おまけみたいな後日談であった。特筆すべき事は無く、何らかの形で主要登場人物全員が集合して平和な感じで終わらせようという、我々文芸部の本懐が含蓄されただけである。


 繰り返しとなるが、『彼岸の世界』に人生の本質を教えてもらった私は、鞏固な自存在を看取したのだ。

 架空の私が愛しい故人の如くいつでも胸裡に潜む、とか云う青春小説にありがちな喩えで感動を装うのではなく、架空の私は実際の私に同化しているのだ、と声高らかに叫んでは前へ前へと遮二無二突き進む人間で在りたく思う。そんな創作活動であった。


              ■    ■    ■


 再読させてもらいましたが、遠江さんの気概が轟然と示されている素晴らしい解説であることには間違いありません。

「ど、どっかな? 火遠理くんはお気に召さない?」

 気もそぞろな様子で訊く彼女を安心させてあげました。

「十分満足ですよ。僕達の作品をこと細かに分析考察していただいています。有難うございます」

 それどころか、書いた僕自身ですら看過してしまった事項も幾つかありました。無意識下で僕が創造した言語世界の有意義さを彼女の才気で附随してもらっているのです。

「よかったー! 火遠理くんのお墨附きをもらったぜー」

 燦々たる笑顔で飛び跳ねる彼女の一生懸命さには、いつも感心しています。自分の長所を活かして仲間の力になろうとする意志こそ、哲学では語り得ない人間の本質が備わっていると僕は心より信じております。

「それにつけても、遠江さんの文体って地の喋りと全然違いますよね」

「火遠理くんと行方ちゃんの書き方を模倣しているだけっすよー」

 真似とは云え、遠江さんのセンスが光っている文章でした。苛烈な苦言や格式ばった謝罪の使い分けで彼女独自の彩色を感受し得ます。文芸部の次回作品ではメインキャストの執筆を彼女に頼んでも、期待以上の成果が見込めることでしょう。

 と、遠江さんの背後より飛騨先生が小走りでやって来ました。

「あ、飛騨先生」と呼ぶと、疲れた声をいただきました。

「お疲れ様です、夕籠君……はあ……」

「そっか。部室で千羽鶴を折っていたんでしたっけ」

「折り紙と戯れるのなんて二十年振りですよう……指の筋肉痛になりそうです。遠江さん……七十羽程度の千羽鶴で許してもらえます?」

 身体を反転させた遠江さんは、首を傾げて飛騨先生に返答しました。

「ん? 何で飛騨先生、行方ちゃんの誕生日に千羽鶴を用意してんの? 誰か入院した?」

「あ、な、た、からの発注に応じただけです!」

「ごめんごめん、冗談だよう。忘れていないよー」

 こんな光景も稀ではありません。放縦な生徒に振り回される飛騨黎泉という女性教諭は、優しい大人であるが故に玩具にされがちでした。

「もう……文芸部員の突飛な独創性にはついて行けないのです」

 と呆れ乍らも我々に構ってくれる人なのです。

「話は変わりますが、夕籠君と遠江さんは廊下で何をされていました?」

「ああ、この前脱稿した『彼岸の世界』の解説を見直していました」

「勤勉ですねえ……あっ、そうでした!」

 黒縁眼鏡のレンズ越しに見える飛騨先生の目尻が下がっていましたが、不図に何かを想起されたようです。

「どうしたんだよ、飛騨先生」

「どうしたも何も、遠江さん……あなた……解説部分にも私が三十路だってことを記載したでしょう!」

 これには、僕と遠江さんは腹を抱えて笑いました。

「夕籠君も、笑い事じゃあないのよ! 今流行りのお一人様を小説世界に取り入れなくていいのよ!」

 説得する飛騨先生の顔が本気なのも、可笑しみを肥大させていきます。

「あ、今思い出したけどさ、火遠理くんが執筆した<悲喜の彼岸Ⅲ>でさ、こんな感じで飛騨先生を怒らせた私が第三舞台講筵でチョークスリーパーをかけられるストーリーラインもあるって言われたよなあ」

「私が反撃する会話の伏線もありましたねえ。で……無いことにされたのは?」

 ジト目で飛騨先生に追及されてしまいましたので、本当のことを打ち明けました。

「手白香さんと相談した上で、物語の本線とは関係が薄い邪魔な伏線だと見做して放置しました」

「……ガーン」

 効果音を自ら口にした飛騨先生に、

「そんな古臭いリアクションをしているから三十路なんだよ」

 と全うな感想を与えた遠江さんはこの後、容赦なく現実世界で首を絞められるのでありました。飛騨先生もまた、架空と現実の彼岸を跨いだ存在者へと成り得ました。

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