不服

「お許し下さい、行方御嬢様。誕生日を間違えたのみならず、極めて悪質な犯行に至った私達は愚かでした」

「悪かったさ。この罪は刑務所で償ってみせる」

 千野慧生と遠江ルミナに関しては土下座までしている。どういう誠意?

「貴方達が得ている罪の物差し、どうなっているのよ? テロを越えるつまみ食いって何よ?」

 まともに話の通じる相手ではないと思っていたが、ここまでとはね。第三舞台講筵の時以上に場を乱され、私に内含されていた憎しみが別の情意へ推移しつつある。

 このままでは私の悲劇的決意性が喪失してしまう。再度奮起しようと意志を固めども、夕籠火遠理の共存在が妨害を反復させるのだ。

「わー、盛り上がってますねー。世界がぐるぐる回ってますー」

 酔っ払いの飛騨黎泉が私の背中に凭れかかった。そのまま寝ていてよ。状況をややこしくしないで。

「あなたの視界が回っているだけなのよ。酒を浴びた愚昧は引っ込んでいなさい」

「あれ? 手白香さん、バースデーケーキですかそれ?」

 忠告を聞き流す彼女は、私の手許の物体に気附く。

「そうよ。誕生日でない日に祝った不本意的ケーキだわ」

「ちょっと何言っているかよく分かりませんけど、イチゴいただきまーす」

 と、放縦不羈な大人は勝手にイチゴを奪い、一齧りした。

「ジューシーでおいしいですー」

 テレビの食レポでありがちな感想を飛騨黎泉は口にしたが、他三人は戦き震え上がっている。

「うわああああああああああああああああああ!!!」

 この世の終わりと対面しているかのような反応だった。耳をつんざく三人の叫びに私は顔をしかめて耳を塞いだ。

「騒々しいわね……どういう驚きなのよ」

「ひ、飛騨先生も……罪人になってしまいました。手白香さんが食べる前に……イチゴをつまみ食いしてしまったんだ……」

「だからその罪の基準は何なのよ、夕籠火遠理。どうでもいいわ」

「どうでもよくありません。飛騨先生……私達と一緒に終身刑にされてしまいます」

「千野慧生は何処で狂ってしまったの? そんな判決が罷り通る国家がもしも存在していたのであれば、疾っくに滅亡しているわ」

「いや……死刑が濃厚じゃあないか? だって戦後最大の悪人になるんだろ、私達」

「それも壮大なボケと見做してもいいかしら、遠江ルミナ。仮に真面目に発言しているのであれば、あなたを隔離病棟へ連れていくわ」

 先程からずっと擾乱的誤謬を引き起こしている。完全に夕籠火遠理達のペースであるが、私による主観で語られ続けているのは何故だろうか。貴方が私にこの物語を書かせているのではないの?

「あー……まだ気持ち悪いです……近傍の排水溝で吐いてきます……イチゴ勿体無いですー」

 フラフラとする飛騨黎泉は頭部を抑えて、複数車線を挟んだ反対側の歩道に向かい、角で四つん這いになりゲロゲロと嘔吐した。見るに堪えない有様だった。

 そして、千野慧生と遠江ルミナは夕焼けの空を呆然と見上げ、夕籠火遠理は依然として晴れない顔で私に謝罪を告げる。

「すいません、手白香さん。色々な意味合いであなたの誕生日を穢してしまって」

「だから今日は私の誕生日じゃないわ。鶏の如く忘れてしまったの?」

「やはり、奇を衒ったサプライズは不相当でした。高校の部室とかでこぢんまりとやっていた方が楽しかったですよね」

「何よりも不相当なのは日程よ。私の誕生日じゃないわ」

 私自身より抵触するのも何だが、ないわという語尾が御嬢弁から関西弁のトーンになっていく気がする。貴方、ボケ過ぎよ。

「イチゴのショートケーキも間違っていました。千野さんと遠江さん、飛騨先生がつまみ食いして凶悪犯に成り下がるくらいだったら、瀟洒なマスカットのタルトの方が適切でしたか……」

「待ちなさい。百歩譲ってイチゴ一つの盗み食いを犯罪だと認めても、ケーキの種類を変えたところで千野慧生達は結局、マスカットの果肉を取っては罪を犯す可能性だってあるのではないのかしら」

 私の異議に対し、彼は怪訝そうに首を傾けて半笑いでこう答えた。

「何言っているのですか、手白香さん? マスカットを一粒食べるだけでどうして犯罪に成り得るとでも? 少し疲れていませんか? 頽落魔法の酷使で脳の一部が損傷しましたか?」

「何でそうなるのよ!? 貴方達の世界的ルールに折角歩み寄ったのに酷い言い様じゃないの!」

 何もかも謎が蔓延している。誕生日ケーキのイチゴを盗むのは重罪でマスカットは無罪らしい。貴方達の物差しは単純な直線の形をしていないことだけは解った。

「――それもそうですね。さて、そろそろ種明かしでもしましょうか」

 不図に、夕籠火遠理の顔つきが真剣になり、口調に陶器のような硬さが宿った。食えない人ね。

「千野さん、遠江さん。此処までです」

 と、魂が抜けかけていた二人を彼が呼ぶ。すると、二人は生気を取り戻しては破顔した。

「あー、疲れたぜ。行方ちゃんと繰り広げる喜劇ってこんなにもぶっ飛んでいるんだな」

 恰も、個々の演者の撮影を終えた……オールアップを迎える女優のように遠江ルミナは表情を自然にさせた。

「お疲れ様でした、ルミナちゃん。火遠理さんも大変な書き手を遂行していただき、有難うございます。飛騨先生も……最後まで不憫でしたね」

 千野慧生もリラックスされた状貌で各々にねぎらいの言葉をかける。

「勝手に終わらせないで頂戴。私達の舞台講筵はまだ――」

「いいえ、これで終わります。手白香さん……よく聞いてください」

 言下に否定した彼は、私の瞳の奥を覗くようにじっと見つめた、


「――全部、嘘です」

 …………………………………………………………ん?

「ごめんなさい。私、貴女の唐突な言表を聞き取れなかったのかしら。情報処理と理会が著しく滞っているわ」

「もう一度申し上げます。全部、嘘です」

 誤聴では無かったようだ。いや……まあ、無辜惨禍の魔女である私の異能を喪失させようと企てた悲喜の彼岸計画……となる設定の下に生まれた虚構の舞台であることには疑を容れないが……そう言われてしまうとやっつけでの辻褄合わせでしか聞こえないのだけど。

「えっと……その嘘というのは千野慧生達が凶悪犯であることかしら?」

「それも当て嵌まりますし、僕が刑事の役割を果たしていたこともですね、諸々凡てです」

「ああ、そういえば貴方はそんな設定だったわね」

 身も蓋も無い想起であったが、事実だった。

 彼等三人は晴れ晴れとした様相で頷き、夕籠火遠理が両手をパン、と合わせるように軽く叩いた。

「さ、ハッピーエンドを迎えましょうか」

「迎えられるかー! 力技過ぎるわー!」

 彼……いや、私がどういう訳か進行している物語は可也強引であり、夢オチよりも最悪な終焉に迫ろうとしているのだ。なお、此処での語尾も関西弁に近しいと見做してもらって構わない。

「何だよ、行方ちゃんはずっと悲劇のヒロインをやりたいのか? そんな人生なんてつまらないぜー。ほら、こんなフィクション性存在なんだからさ、現実らしい人生を選ぼうぜー。レッツ、超人化だぜー」

 遠江ルミナも躊躇なくメタ=存在論を切り口にして場の正当性を訴えているが、得心には程遠いのだ。それに、超人化ってそんなに軽率に可能な代物だったっけ? 貴女をメインにした舞台講筵の時もそうだったけど、敵を倒す設定くらいは仔細迄確定させなさいよ。

「であるにしても、全部嘘でしたって押し切るのもどうなのよ。これがもしも民放の連続ドラマの最終回だとしたら、クレーム大殺到よ。電話回線はパンクして、SNSは悪罵で埋め尽くされて炎上するわ」

「うーん……そもそもの文句は慧生にぶつけてくれい。根柢の作者はこいつだし」

 急に釈明をふられた千野慧生は頭を擡げて、頓悟したように声を発した。

「現実世界での〆切が明日に迫っているからでしょうね」

「やっぱり貴女が粗雑に書いているだけじゃないの!」

 憤怒を繰り返している私はこれでも元来、癇癖かんぺきの強い人間ではないのだが……理不尽を突出させている周囲の存在者に多大なる不満を懐いているのだろう。


 ――と、冷静に自己分析しているつもりでいた私の存在も再度更新されていく。


「まあまあ、そうツッコミを入れなさんなって、行方ちゃん」

 じゃじゃ馬を宥めるような言い方をした遠江ルミナに抵抗しようと口を開きかけたが……瞠若ならしめる修飾語に着眼した。

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