倒逆

「ターゲットの二人がエントランスから出てきました。手白香さん、隠れて」

「ちょっ……」

 彼女の首根っこを掴み、有無を言わさず伏せさせた。黒隕石で木端微塵になるのを覚悟して、僕は魔女の異能に畏れず主観を徹底しなければいけない。

 都庁の入口……二重の自動ドアより出て来る千野さんと遠江さんを目視した。二人ともダークスーツにサングラスを身に着け、億に届く札束が詰め込めそうな大型のアタッシュケースを所持していた。見るからに怪しい人物だった。

「仕方なく状況に乗るけど、あの二人はどういう重犯罪の容疑がかけられているのかしら?」

「……奇遇なのですが、手白香さんと似通った罪を犯しました」

「え?」

 茫とした彼女は言葉を止め、視線を泳がせた。

 一方でとある容疑者の二人は不審な動きで周辺を視探り、手元のアタッシュケースをそっと地面に置いた。警備員がいれば当然声を掛けられる状貌であるが、手白香さんの騒動と飛騨先生の指令により僕達以外の人は皆無だ。

「私と、同じ罪……」

 低い声でそう呟いた彼女は突然起き上がり――彼の制止を振り切り、花壇を跳躍して二人の正面に行き着いた。

「そこまでよ。千野慧生、遠江ルミナ」

 すると二人はサングラスを投げ捨て、吃驚したような表情で固まった。

「行方ちゃん……来ていたのかよ。火遠理くんが待ち伏せしているのは予期していたけどよ……これは想定外だったぜ」

 肩を落として溜息を漏らしたのは、遠江ルミナ。

「少し前の私だったら、貴女達の犯罪行為など無視するつもりだったのだけど、その真相を察してしまったからには見逃せないわ」

「でしょうね。私とルミナちゃんは行方御嬢様の陰謀を上書きするために、犯罪者に成り代わりました。その目的を果たすまでは火遠理君が囮になり乍ら主観的掌握で物語を統御してもらう予定でしたが……察せられましたか」

 観念した千野慧生は両手を挙げ、世界を照らす薄暮の光をその瞳が拒絶して濁らせた。

 背後を確認しなくても、苦虫を噛み潰したような様相で地団駄を踏んでいる夕籠火遠理の姿を内界で補える。

 彼等が思い描いていた離接的孤在点の収斂は非常に独創的で、強引にも程がある終末であったが、私が無辜惨禍の魔女より脱却して救われるエンディングに到達する可能性が考え得ると悟り、やはり油断ならない相手だと認めた。

 信じられない発想だが、夕籠火遠理の発言に、千野慧生と遠江ルミナの挙措でこう推察される。手白香行方が頽落魔法を発動させてしまう前に、無辜惨禍の魔女の脅威は止まる、と。


 舞台講筵……それは、惨禍の世界的看取の犠牲になった魔女達を救う悲喜の彼岸計画のために創出せられた、空想性演劇。そんな世界のルールを決定したのは、作者・千野慧生だ。

 だが、メタ構造が怪しくなっていくにつれて、彼女は物語の本筋を流転させ、更には自らが架空と同一させて現実即非現実の場で望むべき顛末を登場人物達と手を取り合って此処まで進めて来た。

 その最終目的地が、罪が罪を追い越す超越的展開。いくら架空だからとは云え、架空的悪者の私ですら蒼褪めてしまうような所業に、侮蔑と賛辞が混合した微妙たる思いが自身に滞留していた。


「千野慧生、これは貴女が決めた終わりなの?」

 彼女は頷き、一言添えた。「首謀者は私でもあり、火遠理君でもあります」

 彼は逮捕する立場であるが、これもまた自作自演のプロットか。

「悔しいですけど、物語を書く権限は手白香さんに傾きました。僕の企図……悲劇を喜劇で対立させることで蔽い隠された、真なる悲劇の上書きが……手白香さんに知れ渡った以上、真理を公開せざるを得ません」

 花壇に腰かけていた彼は、清々しい口調だった。開き直ったか。

「私の内部に溜めこんでいた悲劇は、最早喜劇では浄化不可の閾値まで達していようかしらん」

「そういうこった。ま、一か八かの賭けだな、これは。行方ちゃんにバレちゃったから八だろうけど」

 気怠そうに遠江ルミナが話し、アタッシュケースの留め具に触れた。

「しゃーない。開けるぞ慧生」

「そうしましょうか」

 千野慧生も自身のアタッシュケースを開けようとする。中身は時限式の爆弾か? それとも爆弾は既に都庁内に仕掛け、持っているのは起爆スイッチとか?

 カチャリ、と留め具が外れる音が重複し、二つのケースが開かれた……。私の想像し得た物体では……無い!?


「ハッピーバースデー、行方ちゃーん! Yeeeeeeeeeeeh!」

 甲高い声で叫んだ遠江ルミナは、ケースからバースデーケーキを持ち出したのだ。

「ちょ、ちょっと……」

「御誕生日、おめでとう御座います!」

 私の戸惑いを置き去りにして、千野慧生も祝う。彼女の所持物は時限爆弾でも起爆スイッチでもなく、クラッカーと紙吹雪だった。同じ火薬でも随分と小規模のだ。パン、パンと鳴る音も決してテロリストの装備に相応した拳銃ではなく、片っ端から千野慧生が紐を引っ張って発射させたクラッカー。そして彼女は紙吹雪を握り締めて空に舞わせたが、汚い紙屑が飛んでいる風にしか見えなかった。

「ハッピーバースデートゥーユー、ハッピーバースデートゥーユー♪」

 夕籠火遠理も快闊に歌い乍ら場に加わり、遠江ルミナが持っているバースデーケーキに飾られている蝋燭に百円ライターで火を点けた。何これ?

「ハッピーバースデーディア……」と、千野慧生と遠江ルミナの歌声も重なり、三人は私を取り囲み、楽しそうに顔を見合わせた。

「行方ちゃーん♪」

「手白香さーん♪」

「行方御嬢様―♪」

 私への呼び名は三者三様。

「ハッピーバースデートゥーユー!」

 千野慧生と夕籠火遠理から拍手をいただき、遠江ルミナより温かい眼差しでバースデーケーキを差し出され、火を消してくれと無言で促された。

「……」

 私も沈黙のまま息を吹き、凡ての蝋燭の火を霧散させた。ゆらゆらと上昇する煙の臭いを嗅ぎ取り、夢を見ていないことを痛感する。

「いやー、黄昏時に歌うバースデーソングも乙なもんだなー」

 遠江ルミナは満足気にやり切ったように、声を弾ませている。

「御誕生日を祝うってのは、こういったシンプルな表現と規模が一番良いですよね。飲食店で勝手に明かりを消して他の客を巻き込ませるようなサプライズでは自己顕示欲が酷いですし、街中でフラッシュモブとかいう自己満足の権化である踊りは論外です」

「千野さんの苦言は過度に辛辣ですけど、僕も純粋に仲間を祝うことには賛成です」

「あ、あの……夕籠火遠理……」

 さて、何処からツッコむべきなのか? 過多な異議に私の脳は大困惑している。

「でもよー、行方ちゃんの名前は事前に統一しておくべきだったさ」

「それは見逃してしまいましたが千野さん、行方御嬢様って語呂悪くなかったですか?」

「完全な字余りでありました。音楽のセンスは欠落しているので、あまり掘り起こさないでください……」

「慧生って音痴だよなー」

「五月蝿いですー。ルミナちゃんの歌い方だって、演歌歌手みたいにこぶしが効いていて軽く引きましたよ」

「やめろし! 行方ちゃんの誕生日を祝福したい思いが顕現されたからいいんだよ!」

「普段綺麗な女の子が体育祭のリレーで気持ち悪い走り方をしていたのを目撃した気持ちに似ていますよね」

「火遠理くんも私をディスるな! 個性だと思って受け入れてよ!」

 もう我慢ならないわ! 私を置いて愉快な会話をしないで!

「ああああああああああああああああっ! 今日は私の誕生日じゃないわー!」

 居ても立っても居られなくなり、最も言い伝えるべき心境を吐露した。

 現在の時期は飛騨黎泉の所作より推定されるならば、十月末。夕暮れの肌寒い気候からも秋だと思われる。度々のメタ的抵触で恐縮だが、この物語に於いて一貫された季節調整はされていない。一応、夕籠火遠理が転校してきた春先でも考え得るが、少なくとも私の生誕に合致した季節は春でも秋でも無い。

「誕生日は七月十七日よ! 今日はその日じゃあないでしょ!」

「げえっ!? マジかよ!」

「ええ……」

 遠江ルミナと千野慧生は本当に知らなかったのか、顔面蒼白で絶句した。ということは……と、夕籠火遠理をジトっと見遣ったが、彼は咳払いをして私の目を見てこう答えた。

「でしょうね」

「堂々と言うことかしら?」

 一驚を喫したのは私だけでなく、他の二人もそうだった。

「火遠理くんは解ってたんだな、今日は行方ちゃんの誕生日じゃあないって。どうしてなのさ? 何故に私と慧生を賑やかしにしたし?」

「そうですよ、火遠理君。作者を委ねた側が文句を言うのはお門違いかもしれませんが、やらせていることが滅茶苦茶です」

「そう指摘されると重々承知でしたが、思い出してください。僕が企図していたことを……」

 記憶を巻き戻す。千野慧生と遠江ルミナがテロの先駆をすると察知した時だ。

「悲劇を喜劇で対立させることで蔽い隠された、真なる悲劇の上書きをする、ですか」

 千野慧生が言葉にすると、遠江ルミナが閃いたような素振りでウィンクした。

「なーるほどね。ってか、私達がテロをするって行方ちゃんが勘違いしていたから、最初は話だけ合わせていたけど、誕生日祝いも立派な悲劇だったのかい」

「祝うことが悲劇……それはつまり、行方御嬢様の誕生日を間違えてしまったことでありますね。一番やってはいけないことです」

 成程、と二人はそれで納得したようだが、まだまだ疑問点は残余されている。

「これが悲劇っておかしくないかしら? とんだピエロよ」

 テロの先駆という常軌を逸したラストこそ、夕籠火遠理の提案した大胆な悲劇だと想像していたのに……これでは笑いものにされているだけだ。結局、喜劇じゃあないの。

「いえ、実にシリアスな悲しみが実存されていますよ。現に、手白香さんの主観で継続されていますし」

「そんなメタ的設定を引き合いに出すの? まあ……貴方の持論を百歩譲ったとしても……千野慧生と遠江ルミナに容疑をかけられた深刻な犯罪って何よ? 嘘の設定だったの?」

「いえ。お二人が犯罪者であるのは本当でありまして……」

 彼の顔が急に暗くなった。口を押えて、如何にも言いづらそうな様相でいる。

 テロリストの脅威すら後回しにされたその犯罪者二人に目を向けても、彼と同じような顔をしていた。一瞬、不気味な徴候が訪れたかと思えば……。

「――手白香さんに贈ったショートケーキのイチゴをあろうことか、千野さんと遠江さんが一個ずつ、つまみ食いしてしまったのです」

「どうでもいいわ!」

 実にどうでもいい。彼に言われて初めて気附いたことでもあるし。遠江ルミナから譲り受けて私が両手で持っているケーキには、確かにあるべき場所にイチゴが二つ欠けていて、果実で創り上げられた円形の外線を放棄していた。

「え? 二人が私の誕生日ケーキのイチゴを先に食べてしまっただけで、自衛隊やら警察が私との同時確保が困難と判断して撤退するの?」

「そういうことなりますね」

「貴方は先程、二人の罪が私のテロ行為と類似しているって言っていたわ。繰り返すけど誕生日ケーキのイチゴを祝う側が先に食べてしまうことが、テロと同種で結び附くとでも?」

「その見識で概ね合っているかと」

「以前の問題で、国家側も二人をテロリスト以上の悪人だと見做してビビったという解釈なの?」

「事実、そうでしょうね」

「……バカー!」

 並外れて滑稽な現状に窮し、彼に浴びせる悪罵も低レベルな語彙しか選べなかった。

「いや、本当に、あの、申し訳ないです。惨禍の世界的看取の勢いに対抗するためには、悲劇の上書きで試すしかないかと決断したのですが……想像以上の悲哀が手白香さんを苦しめることになってしまって……とんだ失態でした」

 しどろもどろに弁明する彼の反応も、私の理想にそぐわない。

「だから悲しくなんてないのよ。さっきからずっと喜劇なのよ。ほら、この先は貴方が主観で書きなさいよ」

「とんでもないです。手白香さんの誕生日を間違えたまま祝ってしまった上に……イチゴをつまみ食いしてしまった悲愴たる悪業に魂を売った僕達は畢竟、手白香さんの望む悲劇の連鎖に適ったことでしょう。僕達の敗北です」

「勝手に負けないでよ。恰も、こんなエンディングを私が望んでいましたって転釈しないでくれるかしら」

 主観、もとい作者の権限を取り合っていたのに、これでは本末転倒だ。今では互いに譲り合ってしまっている。


 こんなにも粗末な物語の道筋を創っているのは、私に書かせている彼であろう。

 

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