~第四舞台講筵~

拮抗

 永劫回帰され得た世界で、私は頽落魔導の徴発を終えようとしていた。

 輪廻した第二の大宇宙年に突入しても、私の境涯は決して転変されない。恨むべき相手は運命……もとい、必然―偶然者であろう。

 よく覚えていないが、私は都庁に来ていた。二棟が繋がったような形をしている建物を見上げて、何方が第一本庁舎だっただろうかと考える前に私は、近寄って来た警備員を爆風で吹き飛ばした。警備員はピンボールの如く道路標識にぶつかり撥ねて、背中を押さえて悶絶している。

 よく覚えていないが、機動隊らしき軍団とパトカーに囲繞せられた。無論、私がしたことは悪事に他ならないが、へっぴり腰で盾を構える機動隊に苛立った私は、パトカーごと竜巻の餌食にさせた。暴風の渦から外れたパトカーが私の頭上に落下してきたので対象物体の時間を奪い去り、適度に隔たりを置いてから魔法解除した後、鉄塊は墜落して勝手に燃え上がった。

 よく覚えていないが、機動隊とパトカーが場に補充せられ、救急車と消防車も来た。通りかかった人の群れは慌てふためいて逃げ、中にはエリート官僚としては失態と見做されるほど鼻水を垂らして咽び泣く中年男性もいた。阿鼻叫喚の巷と化した現場ではやがて、私の周囲十メートルに人が寄り附かなくなってしまった。目の前の車道を警官が必死に通行止めにさせて、炎上するパトカーには迅速な消火活動が進められている。

 よく覚えていないが、警官がパトカーのドアに隠れ乍らハンドメガホンで私に呼び掛けた。だが、相手の声はノイズでしか聞こえなく、『貴方は何を言っているの?』という表情のみで応じるしかなかった。

 周匝に聳え立つ他の高層ビルを眺め、よく覚えていない前世界の様相を記憶内へ復活させようとしたが、現世界の過去ですら曖昧模糊で色褪せた憶出となっているが為に、早々断念した。

「あ、そうか。此処自体が第一本庁舎で、ツインタワーだから第一と第二で分かれているってことじゃあ無かったのだわ」

 代わりにどうでもいいことを想起し、第二本庁舎は別の建物であると理会した。本当にどうでもいいことなので以後、第一本庁舎という言い方を止め、引き続き都庁で統一する。

 少しでも前の過去でさえも、其物を純然に取り出すことは叶わない。それは現在から感受され得る過去であり、過去に於いて感受したその時とは違う過去なのだ。だから私は時間軸を逆行しても十全に覚えているとは言えない。

 『小説=外=存在』の場面は語り得ぬ、というメタ=存在論も起因の一つであるが、今はあまり触れたくはない。それよりも、純粋に私が登場する物語として、瞬間的に訪れている私が懐く知情意を舞台的に魅せることが肝腎なのだ。

「由って、私がテロを強行した因果を具備させる必要性は排除せられ、悲劇を完遂させることが私の存在証明に成り得るのだわ」

 どうして現世を恨んでいるのか、と問うことには無が満喫されており、現世を恨んでいるから憎いのだ、とのトートロジーで事足りる。

 無辜惨禍の魔女として必然―偶然者より選択された私の内部より、無際限の闇が湧き出る。

 先験的に私は心得ていた。この闇は字義通りの陰影などではなく、破壊の元凶であると。無前提の幸福に浸かっている愚者達を絶望に追いやる崩壊の引き金だと予期しているのだ。

 精神統一し、自らの存在を頽落の底へ突落す。

 彼岸を越え同化した現実世界の手白香行方を封じ、架空的悪こそが優勢であることを物語に誇示させてやるのだ!


「――それが、手白香さんが思念する悲劇の筋書きですか」

 やっぱり来たか、夕籠火遠理。毅然とした面持ちで、彼は私の舞台に到来した。

「こうするしか無かったのよ。そして、むなしい非現実の怨念は万人が望む勧善懲悪では決して抹消され得ないのだわ」

 歩道の脇にある矩形の花壇と数本の電柱を挟み、彼と対峙する。外部のノイズが烈しくなったが、私も彼も全く聞く耳を持たない。

「私は現実の手白香みたいに甘くないわ。架空だろうと、プロットのを捻じ曲げる……」

 狙ったつもりは皆無だったが同音が偶然連立し、妙な可笑しみが生まれた。私の情意を察知した――僕も鼻で笑った。

「ブラック企業で追いつめられたプライド高き社畜の発想ですよ」

「と、云うと?」

「退職願を出す逃げ道を自ら塞ぎ、辛いのだったら死ねばいいと自滅する人と今の手白香さんは類似されている、ということです」

 手白香さんは注意深く僕の目を見ている。咀嚼しているのは僕の突発的な喩えのみならず、世界の主導権も内含されているであろう。

「ごく自然に主観を奪取するのね。それは、些細な喜劇がトリガーになっているのかしら?」

「僕も詳らかに把握している訳ではありませんが、恐らくは」

「成程」

 と、頷いた彼女は高く上げた右腕を袈裟に振り下ろし――疾風を纏った漆黒の流星を地面に叩き附け、大爆発を起こした。轟音を鳴り響かせ、私と彼を結ぶ直線に大穴を穿つ。折れた電柱は回転し乍ら弾け飛び、後方にいたパトカーのボンネットに貫通した。機動隊は増々どよめき、惨めに後退する。さっさと撤退するがいいわ。

 舞う砂埃で目を覆った彼は、一言。「凄まじい悲劇ですね」

「この力で文明を粉々に打ち砕くわ。頽落魔導で自律を蝕まれようとも……無辜の民が無辜の民を抹殺する世界こそが、最大なる悲劇なのだから」

 根本的には誰しもが善人である。されど、善だけでは理不尽な不幸に耐えられないのだ。

 今の私は、戦時中の特攻隊其物。元の暮らしに戻ることなど最初から諦めている。

「ちなみにだけど、夕籠火遠理」と、私は短く言葉を区切る。「その恰好は?」

 彼は渋い色合いのスーツとトレンチコートを着こなしていた。そういえば前に、居酒屋で様々な時代と境遇の彼を見たこともあった気がするが、今の姿は制服の次に似合っていた。

「衣装です。更新された第四舞台講筵での僕は……」

 背広の内ポケットより、警察手帳を取り出し掲げた。

「刑事をさせていただきます」

 更新された、と彼は言った。断続的に世界を巻き戻したことで、円環の様相が少しずつズレているようだ。

「貴方、気は確かかしら? 一般の刑事が魔女を捕らえられるとでも?」

「賢い手白香さんのことだから、そう訊かれると思っていました。なので……」

 警察手帳を懐に戻した彼は淡々と喋り、今度はトレンチコートの内側に手に入れた。

 ――世界を支配できるのは、私だけではない。彼も、私という危機に対応する方策を準備してきたの?

 脅威を穿鑿。拳銃は非現実的内では現実寄り。魔法の杖は非現実内でもとりわけ非現実寄り。だが、何れも偶然的可能性はゼロでない。

 爆発を齎す黒隕石を降らせる魔導をいつでも発動できるよう――身構えた彼女は、僕のミスリード性プロットに誘導された。

「あなたの逮捕は見逃します。その代わり、僕の仕事を手伝ってください」

 何やかんやあって、僕と手白香さんは背の低い花壇に隠れ、張り込みをしていた。彼女は僕が渡したメロンパンを齧って、都庁のエントランスを花草の隙間より凝視している。

「標的は?」

「千野慧生、遠江ルミナの二人です。写真、要ります?」

「何となく知っているから大丈夫だわ」

 雑な会話であるが、彼女の張り込みに対する集中度は見事なものであり、あげたメロンパンに蟻をまぶしても、彼女の頬を抓っても、頭をなでなでしても動じなかった――という話は嘘かもしれなく――いえ、本当でありますが――や、そんな事は有り得ず――こうして主客交代を続けている裡に――私は蟻入りのメロンパンを気附けば喉に通していた。

「揶揄っているの!? どういうことなのよ、これ! 何やかんやあって魔女が刑事と一緒に張り込みをする展開って何よ! 何やかんやを詳述しなさいよ!」

 危うく夕籠火遠理の企図する喜劇に乗ってしまうところだった。いや、既に乗っていた。苦いような甘いようなメロンパンのトッピングに気持ちが悪くなり、体裁さえ気にならなければ今すぐにでも吐き出してしまいたい。

 胸倉を掴んで彼の身体を揺らすも、至って平静だった。人差し指を唇につけて黙れと無言で注意する彼に苛立ち、憂さ晴らしに黒の隕石を追加で墜落させた。地面の大穴は二つに並び、雪だるまの外線だと称してもさほど不自然ではない。陸上に加えて空も騒がしくなり、複数のヘリコプターが旋回している。蠅の如く鬱陶しいので暴風で操縦不能にさせたいところだが、そんなみみっちいテロよりも、都内の政治中枢になっている建物を崩落させた方がよっぽど効率が良いと見做し無視した。

「現状、手白香さんのテロ活動も脅威でありますが、その悪事を劣後にさせるほど優先順位の高い犯罪者がその二人なのです」

「巫山戯けないで。そんな冗談が通用するとでも……」

 因果律の必然性を有さない物語には不適切な反論だと私は悟らせられ――彼女と僕の傍に一台の白バイが急停止した。

「嘘でなく、本当なのですよー」

 ヘルメットを外したライダーは飛騨先生であった。身体のボディラインが際立つライダースーツを着用している。なお、実際の飛騨先生が大型二輪免許を取得しているかどうかは限りなく黒に近いグレーであり、しかして漂う酒の匂いと足元が覚束ない様子から、呼気検査で基準値を超えると思われる。教師以前の問題で人として誤っている無法地帯を邁進しているが、飛騨先生に一つの役目を与えた僕の意向と『この物語はフィクションであり実在の人物団体とは一切関係ありません』との常套語で言い訳をさせていただきます。

「あ、貴女……どうしようもないわね」と、手白香さんは呆然を通り越して、力無く悄然と地面に手を附いた。

「手白香さーん、ハッピーハロウィーン」

 両手を高らかに挙げた飛騨先生は、お祭りに精を出す。なお、現在の時期は日単位まで判明していないが、ハロウィーンの時期であると断定される証拠はない――が、飛騨黎泉がそう言ったのだから、今は十月末ということにしておこう。

「夕籠火遠理、邪魔だからこの人から先に始末するわ。それくらいは貴方の主観から許可を出しても文句は無いはずよ。空気読めないし」

「容赦ないご意見ですが、僕もそれなりに寄った考えです。想像以上の深酒だったようでして……ほら、飛騨先生。少しはメインストーリーに協力して下さいよ」

 飛騨黎泉の肩を小突く彼もまた、意図しない未来に手を焼いていた。

「そーでしたー。前世界の私は最後、警察官との折衝で収拾がつかなくなってしまったので、今世界では強引にも私がお偉い警察官に任命されましたー」

 彼女の呂律が回っていないが、ベルトに装着していたトランシーバーを使い、何やら通信を開始した。

「此方現場でーす。只今テロリスト容疑者の手白香行方さんと接触中ですが、最重要指名手配者の二人が都庁より出てくるとの情報を受けましたー。同時の確保は難しいと判断した上で、自衛隊員含む一時的な撤退を指示いたしまーす」

 間を置いて、スピーカーより諒解したとの返事が聞こえた。ほぼ同時に、周囲のパトカーと機動隊、それと上空のヘリも一斉に遠ざかった。一介の教師では有り得ない権力だった。

「夕籠火遠理に依って貴女が来させられた時点で、此処までの展開が確定せられていたのかしらね」

「ですねー。ま、手白香さんにとっても悪い展開じゃあないはずですよー。じゃ、一仕事終えましたのでおやすみなさーい」

 最後まで闊達無碍な飛騨黎泉は、白バイのタイヤに背を預けて寝てしまった。本当に状況を作るためだけに舞台へ上がったらしい。

「夕籠火遠理。貴方って意外と人遣いが荒いわね」

「かもしれないですね」

「でも、無秩序なプロットで私のテロ行為を阻止しようとしても無駄よ。第三舞台講筵の時のように、喜劇で破壊衝動を消沈させる狙いは通用しないわ」

 所詮、架空内幻想は幻想の域を脱し得ない。私が背負った悲劇が哲学的演劇で潤色されても、悲壮たる思いが救われる訳でもない。唯一にして、非現実の還流に溺れるのみ。哲学的に立証される超人化は無効なのだ。

「優しい行方御嬢様にとって、この世界では息が詰まるほどに負の空気が充満せしめていたのだわ。されば、この架空世界では悲劇に悲劇を連鎖させる私が相応しいの。それで終わらせてよ、夕籠火遠理。メタ=存在論を経由しての回帰すら通用しない彼処まで突き抜け、黙示録的終末でけりをつけるのが……」

「それはともかく、張り込み時のアイテムでメロンパンを選ぶ僕のセンス、ベタ過ぎましたかね?」

 すっ呆けた表情で、彼は私の思弁を断絶する。惑わされてはならない。油断したら、彼が牽引する世界軸へ移行されてしまう。無視に限る。

「私という登場人物は元来、最終的には主人公達に敗北されることを必要条件として、作家・千野慧生に設定せられたわ。然し乍ら、彼女に世界の選択権を譲られた以上は……」

「最近の刑事ドラマではもうそんな場面は無さそうですね。ちょっと古いかな。現代の張り込みはもっとスマートでしょうか。そもそも現場に行かずに室内でパソコンを操作しているイメージの方が……」

 対話として成立していないが、彼のどうでもいい話題と相侵されてしまったら喜劇に誘導されること間違いない。私の信念を把持しなければ。

「私が望む現世を得ることは、不可侵の越権なのよ。貴方達に妨害されるはずが無いわ」

「事件は現場で起きている、という箴言も時が経てば適用し難くなりそうですね」

「無難なエンディングなど、迎える訳にはいかない。無辜惨禍の魔女が世界を滅ぼさずして、その存在証明を語り得ない。この決心を喩えるならば――」

「僕みたいなゆとり世代も、昔のドラマや映画を知らないことが多いのです。喩えば、一九八〇年代のスキーブームの発端もテレビで最近初めて知ったんですよ。えっと、あの映画のタイトルは――」

「――『私をスキーに連れてって』だわ」

「――『私をスキーに連れてって』ですね」

 と、平行線を辿る二つの話が偶々交叉したのだ。

「何故に!? 私の決意がどうしてウィンタースポーツになるのよ!?」

 力ずくであったが、無理矢理な一致で僕は手白香さんと可笑しみを共有した。

「ああっ! ちょっと、夕籠火遠理! 私に言わせたわね!」

「引っかかりましたね。手白香さんの回避ルートを先回りしたような手応えです」

「……くっ。余裕綽綽じゃないの」


 不本意な言動に紅潮する彼女の頽落魔導を振り払う契機が今である。

 悲劇即喜劇の神髄は、これからだ。

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