徴候

「……取り敢えず、全員止まりなさい」


 状況整理に時間を費やす必要があるが故に、不本意であるが彼含めた三者の時間を奪い直した……つもりだった。

 未来地点より懐古すれば、それは私の失言。配慮を怠った私の不手際。

 全員とは、誰でもない私自身をも対象とする。由って、私も彼等と同様、存在と連関せられる時間を失った。

 居酒屋内の存在者だけでなく、日本全域……地球全域……宇宙全域の時が止まる。無辜惨禍の魔女の脅威を、私自身ですら低く見積っていたようだ。

 然し、此処で重大な背馳が生じた。

 宇宙凡ての時が止まったことを、誰が何処で立証し得たのだろうか?

 そして、未来地点へ語りを移動した私は、一体何者なのだろうか?

 惑乱を抑止できずにいる世界外の皆様を置いてけぼりにする悪気は無いが、私にとっては愚問に過ぎない。と云うより、世界外というメタワードを活用している時点で、答えに繋がる立脚地は既に常に配備されているであろう。


 将来へ先駆せられた私に問う。「貴女の招来を待っていた世界は、何色をしているの?」

 すると、現在で四苦八苦している私にこう答える。「黒を超越した白だったわ」

 自分自身の言葉を今、理会し得なくても希望線へ赴く猶予はある。本来的道筋への被投性投企を実現した私が存在することだけを知っておけば、未来はさほど困らない。

 だからこそ私は私を信じ、自己完結された呼び声で時間を取り戻した。


 翻転。主要登場人物達の居る舞台へ帰還。遠江ルミナの土下座状態に夕籠火遠理と千野慧生の話合いは共に継続中。可測的時流に乗ったことを看取した私は安堵と同時に赦免の念も表した。

「無辜惨禍の魔女としての暴動は今回、諦めるわ」

「え?」と、三人同時で応答。皆が意外そうな表情で私を凝視している。

「苦界の裡で抽出せられた存在其物から、少しだけ前向きな偶然性に縋ってみたくなったからよ。貴方達を寂滅させる時をその分だけ延長しようと思えるようになったかしら」

「手白香さん、それって……」

「勘違いしないでよ、夕籠火遠理。私は何れ、情意を乱そうとする貴方達に剣を向けることになるけど、その時が今では無くなっただけの話よ。超人化を容認するつもりは毛頭ないってことよ」

 彼に弱みを曝す隙を作らず、凛然たる様相で私は言い切った。

 自らの魔法を不意に受けてしまったが、恩恵は大きかった。

 彼等は知る由も無いだろうが、私はその瞬間を生きた。

 まだ、終焉なる悲劇には至っていない。無際限の未来に先駆した偶然を必然迄更新するべく、私は――。

「あ、あのー、手白香ちゃん。ちょっといいかな」

 と、ニヤついている遠江ルミナは立ち上がり、私の思惟模索の邪魔をした。

「質問なら受け附けないわ。御気楽思考の貴女に嘴を挟まれるのを許すだけ、私は優しくないから」

「いや、そうじゃなくってさ」

 言葉を濁す遠江ルミナは視線を泳がせたが、やがて申し訳なさそうに胸中を打ち明けた。

「私達、聞いちゃっているのよ。手白香ちゃんがよく分からない神秘主義に駆られて未来がどうとかのくだりも」

「………………………………はい?」

 暫し理会が叶わなかった。茫然としていたら、千野慧生が言葉を継いだ。

「えっと、要はですね。手白香さんが私達のみならず、全世界の時を止めた時のことも覚えているのです」

「ど、ど、どうして? そんなの、おかしいじゃない。だって、私の魔法がリミットを外して……」

 しどろもどろ反論をしたが、未だに解らなかった。

 ――禁忌中の禁忌に抵触したのは私だけでないと知り得たのは、爾後のこと。

「え? 手白香ちゃん、普通に手許の台本を見て地の文を朗読してんじゃん」

 遠江ルミナはあろうことか、メタ自覚スイッチを忽然と切り替えたのだ!

「何を言っているのよ!? 役柄を全うしなさいよ!」

「えー? でもさあ、流石にツッコミを抑えられないと云うか、手白香ちゃんの指示通りに硬直したフリを続けるのも何やってんだろって客観が入っちゃってさ。笑えてくるんだよねー」

「いやいやいやいや……私の魔法を胡散臭くしないでよ。ほら……三人の時間は再度奪われるっ!」

 私の魔導をものともせず、千野慧生と夕籠火遠理は距離を詰めた。

「手白香さん、時間を奪うことと存在への連関についてですが……」

「夕籠火遠理も演技を止めないでよう……」

 彼も容赦なく私のメタフィクションにズカズカと足を踏み入れる。非道だわ。

「無辜惨禍の魔女が放つ異能で僕達及び自らに与する時間を奪った、という事象ですが……あくまで僕達は停止していただけで肉体そのものは其処に残余されていました。ということは手白香さんが奪った時間の性質は本来的な存在と関与する時間ではなく、通俗的可測的時間であります。だけど後者に於いては存在論的には劣後でありまして、仮に自らの時を偶然奪ってしまった手白香さんが将来なる自分自身との邂逅を達成し得ても、それは通俗的可測的時間と乖離したこととの因果律では成立せず、別なる理由的偶然を提唱しなければ、手白香さんの意志は懐疑の槍に貫通せられるのでありまして……」

 こんなプロットで主人公・夕籠火遠理に追い詰められるだなんて、誰が予期出来るだろうか。難渋な哲学的弁証で私の脚本は足を掬われっ放しだ。

「ですけど、手白香さんも凄いですよね。火遠理君が言いそうな術語を使って、ちゃんと自分が炎上するように物語を書かれた訳ですから。って、私は手白香さんの脚本により、手白香さんを賛美したのであります」

「……千野慧生。それは凡て、私の自作自演による茶番であることを曝したのと同義よ」

 あくどい登場人物が仕掛けた陥穽に見事なまでに嵌ったらしい。悔悟の念が募るけれども、これもフィクションが為す足枷。

「皆で私を馬鹿にして、楽しいかしら? その傲慢、次に会う時も続くといいわね」

 高飛車な捨て台詞を合図に、私は敗走した。

 この世界は、私の意に反する偶然で満ち溢れている。由って、幸福に至る必然には未来永劫、辿り着く気がしないのだ。


「はい、カット!」

 居酒屋から出た処で、映画監督気分で言った。あのパチンってやる道具……クラッパーボードは無いけど、カメラで撮影している訳でもないから省かせていただく。

「お疲れ様です。ご協力いただき、大変助かりましたわ」

 気持ちのこもった口調で演者を労わった。無辜惨禍の魔女から現実世界の手白香行方にシフトしていく。

「今までの舞台講筵よりも、更に構造が複雑でしたね」

 疲れた様子で夕籠火遠理が語る。他の二人も机に突っ伏して脱力している。

「苦言は慧生さんにお伝えくださいな。随分乱暴な台本でありましたの」

 彼に第三舞台講筵の文言を見せた。四ページ目に突如として、千野慧生の筆跡でこう書かれていたのだ。

「『プロットがグチャグチャになった上、私の創作のオアシスが干からびましたので、以降の脚本構成は行方御嬢様にお任せしたく存じます。超人化の未達成だけ守られていれば、後は何でも良しとします』の指示を受けて、私は無辜惨禍の魔女と絡めた悲劇即喜劇の物語を即興で書きましたわ」

「うう……ごめんなさい、行方御嬢様。どうしても先が思いつかなくって、丸投げしてしまいました」

「慧生さんが負い目を感じる因由は何処にもありませんの。咎めたような言い方で恐縮でしたが……純粋な観点で告げますと、『悲喜の彼岸』に於いて今回、私達は大きな前進を遂げたと確信しておりますわ」

「それは……慧生以外の人物が初めて、この物語を純然に書いたという立脚地の謂いで?」

 と訊いたのは、遠江ルミナ。彼女は夕籠火遠理や千野慧生と違うベクトルでの賢さを有している。コメディタッチの演技を最も要求された相手だったが、俯瞰した総合的な見識で考察する力に秀でている。その徴表は現実寄りであり、架空との自然混淆が見受けられるのだ。

「ええ……ルミナさんには多言を要せぬことでありますが、この舞台講筵では『悲喜の彼岸』全体における、重要なキータームであったと思われるかしらん。世界の真理に近づく事項が幾つかあったかと……」

 具体的に何処だったのかは確定しかねるが、真なる終焉へ続く道筋の徴候を感ぜられた。

 それは私だけでなく、他の三人も同様の情意であろう。皆が神妙そうな顔つきで、物語の行く末を模索している。

「ちなみに、これもメタ的な確認ですが」と、千野慧生が懐疑を呈した。「行方御嬢様の魔導覚醒……惨禍の世界的看取は実行済だったのでしょうか? 行方御嬢様が用意してくれた台本では、私達は魔法を受けた振りをずっとしてい――」

 彼女に最後まで言わせず、私は三者の時を奪取した。

「十五分後、三人の時が復活しますわ。ご安心を」

 舞台上の出来事は虚妄であるが、私が無辜惨禍の魔女であることは真実なのだ。何故かと問われれば、現に私が真実だと表明可能であるからだ。

 静謐な時の中、硬直状態の夕籠火遠理だけ抱えて持ち去ろうという我慾も蠢いていたが、粋ではないと自己却下した。代わりに、彼への先験的愛情を廻らせる女子二人に御嬢様的悪戯を仕込んでおこう。

「此処まで私に語らせていただき、とても感謝していますわ、慧生さん」

 架空即現実の世界が、次々に更新せられる。冥がりに取り残されないためには、私と連結する個我を言語に刻んでおくことが肝腎であり、僅かでも希求を記憶の抽斗にしまっておくように心掛けるのである。

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