魔導

 舞台内の私は、悲惨な経歴に対して夥しい数の呪詛を口ずさんでいた。

 私を不幸に陥れた世界が、憎かった。無気力の労働を継続している人生に、有意味を見出せなかった。死ぬほど努力したところで、死んでしまった家族と共有するはずだった幸福を補填し得ないのだ。

「私の辛苦を咀嚼したふりをして、のうのうと人生を楽しんでいる学生が浅薄な哲学を語りなさんな。結句、経験の途が異なる人間同士、決して解り合えるはずがないのだわ」

 私と彼等の情意は、相反する基準から成り立つ。無条件の希望を掲げて励ます子供達に須臾でも信頼を与えようとした私が愚者であった。

 アルコールが入っていたが為に詳らかな経緯は茫としているが、大凡の流れは言表可能だ。夕籠火遠理と名乗った少年の優しさに騙されて時間を共有したが故に、彼の知人である千野慧生と遠江ルミナがずうずうしく酒の席に介入してきて、彼女達二人の軽率な指摘が私の矜恃を傷つけた。由って、私は無辜惨禍の魔女と呼称せられる異能者に――これは夕籠火遠理の驚声から知った事実であるが――成り代わり、自らを追い詰める世界其物を否定すべく、傲慢たる魔法を行使した。

 畢竟、彼等三人は静止した。死んではいないが、人間という現存在としての存在を掠奪させたのだ。

 石像の如く固まった三者を見下し、私は高らかに笑った。

「最早、貴方達は人間以下の存在よ。そこいらへんにあるテーブルや椅子、傘立てといった物と同一律に頽落したわ。何故かって? 思惟機構も損なわれた貴方達に何を言っても無駄だけど、優しい優しい顧慮的気遣いを働かせて答えてやるわ。

 完全勝利だと言わんばかりに、私は声を張り上げた。ざまあみなさい。皮相的な人生観で諭そうとした成れの果てが是よ。

 さて、後は三人をどう処分するかだ。生ゴミと一緒に焼却処分をするのが一番現実的か? でも、いくらこの子達が憎々しかったとは云え、手を血で染めたくはない。私だって殺された側の者だから共感できるし、況や安易な復習精神で心を麻痺させる悪者になるつもりもない。

 煮え切らない覚悟が所以で、三人がどうして気に食わなかったのか(想像で補い乍ら)再考した。

 恐らく、最初は夕籠火遠理が一人で上手く私の相談相手になってくれて、自暴自棄に酒を飲む面倒なOLの苦痛な話にも適度に頷き適度に同調して適度に助言したのだろう。其処までは私にとっても可也恩寵たる時間だったのに、雌猫二匹の襲来が状況を乱したのだ。

 一匹……千野慧生は厭世観というカテゴリーでは私と類似した位置に居るが、夕籠火遠理に対し無暗矢鱈に秋波を送った。要は、私と彼の話を妨害したのだ。『年上のお姉さんを優しく諭す火遠理君に惚れちゃいます』としつこく媚び、ヒロインの気質を堅守しようとした態度に嫌気が差したのだ。

 もう一匹……遠江ルミナも放縦たる性格で私を惑わせた。未成年なのに勝手にレモンサワーを注文するし、店員に『モツ煮定食頼みたいんだけどさー』と普通に食欲を満たすメニューを希求し、店側にも困らせた。こういう居酒屋では無論定食は出てこないが、モツ煮単品と白飯は用意できると店員に教えてもらったところ、遠江ルミナは迷わず二つをオーダーし、苦心している私の悲壮感もおかずにして白米を掻っ込んだ。

 性欲と食欲に突出している彼女達に閉口し、極め附けは既に叙述した通り、二人の軽率な指摘が火蓋を切った。

 夕籠火遠理の肩に擦寄る千野慧生曰く、「手白香さんって、私ほどじゃあないですけど悲観主義ですよね。こういった居酒屋で騒ぐ大学生達の頭上に隕石が落っこちてこないかなって願うタイプの人ですか?」

 茶碗を空にする遠江ルミナ曰く、「辛い人生だってことは分かったけどよ、ウジウジしていたら何も始まらないぜ、手白香ちゃん。火遠理くんみたいな良い男見つけてさ、ガンガン抱かれれば女に磨きがかかって人生観が変わるぞー」

 巫山戯ている。私はじっと夕籠火遠理を睨んだ。

 彼は、こう弁明する。「二人の性格、癖が強いですけど悪い人じゃあないんで赦してあげてください……」

 彼のお陰で、憤怒の念を一旦は抑えようという気持ちにも成り得たが、ビールジョッキを持った瞬間、遠江ルミナに揶揄われたことで撤回した。

「あ、手白香ちゃん! なーんで持っているの!? どうして持ってるの!? 飲みたいかーら持ってるの!」

「はい! のーんで飲んで飲んでのーんで飲んで飲んでのーんで飲んで飲んで飲み倒せ!」

 手拍子を交えて、千野慧生もコールに加わった。居酒屋で騒ぐ大学生みたいになっているけど、流石に隕石は呼び寄せないので、代わりとなる魔法を覚醒させたのだ。

「ああああああああああああああああっ!」

 シチュエーションは変われども、結局吠える運命を私は辿るようだ。別の分岐では嵐を巻き起こしたが、怨念が蓄積せられた魔導は更なる段階で極められ、先にも申した通り三者の存在を否定する時間を掠奪したのだった。(空想的)回想はこれにてお畢い。

 ればこそ、千野慧生と遠江ルミナに劫罰を与えたことに関して言えば、冷静な観点からでも妥当だと見做せる。但し、夕籠火遠理はどうだろうか。彼の落度を強いて挙げるなら、こんな野卑な異性とつるむ御目出度おめでたい性格への指摘が可能だが、彼自体の罪は重くない。

「夕籠火遠理だけ、もう一度話をしてみようかしら……」

 ついては、彼へ与えた魔法の解除を試みた。杖の先端で叩くなど解り易い方途が好ましいが、生憎無装備である為、手を振りかざしてそれらしい動きをした。

「――二人とも年上の方に無礼ですよ。手白香さんが無辜惨禍の魔女になられないよう、配慮すべきです」

 と、愚昧の女子達を叱る彼の時間が回帰せられた。やったわ、と胸裡でガッツボーズをしたのだが……状況改善はそう甘くなかった。

「ごめんごめん、つい面白くなって……おろ? 手白香ちゃん、瞬間移動しているじゃん」

「調子乗っている薄っぺらい学生って、こんな気分なんですねー」

 と、訝しげに私を凝視している遠江ルミナと複雑そうな表情で感想を漏らす千野慧生の時間もついでに戻ってしまったのだ。

「いけないわ! 彼を除いた二人の時間を再度奪い去れ!」

 咄嗟に唱えて対象人物達の再硬直に成功したのであるが……融通が利かないことに彼も石像になってしまった。じれったい気持ちを抑え、自らに宿った魔導の性能を分析すると……効果範囲に不特定多数性偶然が賦与されていると慮る。

 私は先天的な魔女では無い。異能のコツを得ているはずもなく、こうやって実践で見極めていくしかないのだ。彼の肩に触れ、静かに詠唱した。

「……貴方の時間だけ、流動して」

 直ぐに彼は動き出し、私の存在位置に面を食らう。

「わ! 手白香さん、今一瞬で……」

 だが、驚嘆するのは彼のみならず、他の二人も随伴する。

「またかよ! 何これ……これってもしかして、手白香ちゃんが魔法を使っているのか!」

「ええっ!? 手白香さんの魔女覚醒って……瞬間移動能力なのですか!?」

 この子達の視点からだと、そう見えるらしい。奇しくも違うし、どうして貴女達も動くのよ。

「ああっ! 面倒だわ! 千野慧生と遠江ルミナの存在に含有されている時間だけ、奪い去れ!」

 丁寧に言表したつもりであるが、静止したのは三人凡て。何なのよ、これ!

「夕籠火遠理のみ、魔法解除!」

 異能は私の意志を無視し、三人の生命を再動させる。

「うわー! 怒らせちゃって悪かったさ! だから瞬間移動で私を宇宙空間へ転送して始末させるような真似は止めてくれ!」

 蒼褪めた表情で狼狽える遠江ルミナは、間髪入れず土下座した。

「す、すいません火遠理君……遠江さんの時と違って、手白香さんの魔女化は思った以上に驚異的な力を生み出したようですね……」

「後の祭りだから仕方ないですけど、これは難儀な事態になりましたね」

 千野慧生と夕籠火遠理は私から距離を置き、声を潜めて反省会を始めた。

 互いの思惑がこんなにもズレることがあるのだろうか。私の純粋な悪意は予想外の響応により萎んでしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る