同一
「『悲喜の彼岸』内での私、つまりは手白香行方の挙動において自家撞着を引き起こしていますの」
自家撞着――換言すると、自己矛盾。
「それは……世界=外=存在という立場からの観点でしょうか?」
行方御嬢様は剣呑たる容貌で、首を横に振った。私が把持している範囲外に……違和感を与えるような問題が生じていたのか。
「無関連とは言い難いですが、正確には舞台講筵の語り手になっている点でありますわ。考えてみてください、慧生さん。小説内の私は無辜惨禍の魔女としての悲劇を背負った存在ですのよ。その起因は自身の悲しみ……彼女自身も悲喜の彼岸Ⅰで語っていたように、肉親を亡くしたことと大きく関係しているわ」
「ええ……」
小説内の登場人物に於いて、行方御嬢様が現実と比較して最も設定が変更されていた。
その背景として、文芸部員と顧問の五人だけで主要人物を完結させる場合、誰かが敵側に割り振られる必要があった。
ルミナちゃんはすんなりと無辜惨禍の魔女に馴染んだ。結果、彼女の魔女時代は舞台講筵でしか紹介されなかったが、物語前半の敵として出現し、後半は味方になってくれるパターンで構想していた。それに
啻に、本来的な『悲喜の彼岸』における最大の敵、行方御嬢様の立場と挙措傾向が困難を極めた。ある意味浮いているキャラクターだからこそ、不整合な場面を見過ごしたのだろう。
「そんな私……彼女が、冗談を交えた自殺コントの語りを受容しますの? 第四舞台講筵後で彼女の辛苦が解決済だとしても、違和感があるわ」
「なるほど……」
要は、こういうことだ。
フィクション世界に存在する手白香行方は航空機墜落事故に依って、両親を亡くしている。それが引き金になり、無辜惨禍の魔女になったが、第四舞台講筵によって超人化が為された。
世界より看取せられた不幸の闇を克服したとはいえ、飛び降り自殺のドッキリというオチであった小説上の火遠理くんと慧生ちゃんが演じた舞台を語ることに自己の境遇と一切オーバーラップさせていない点について、現実の行方御嬢様はすんなりと受け入れ難い。
「御嬢様が予期されていますような月並みな反論になるかもですが、お答えいたします」
「ええ」
相槌と同時に、ほうれん草のバターソテーを食べさせてくれた。あっさりした味付けで美味しい。行方御嬢様の料理の腕に賛美を送りたいところでもあるが、笑顔だけで感想を伝えることにして、議題は脱線させない。
「行方御嬢様の見解は、妥当な視座であります。ゆくりなく変転する状況と場面で、登場人物の挙措と情意が一致していないのは確かでしょう。しかれども、私の構想不足が発端で非連続な時軸上を歩む『悲喜の彼岸』は、始めから精緻な符合性を喪失しているのです。小説内の小説に飛躍し、その空白を補填する世界=外=存在の越権行為が架空的階層をガタガタにさせています。つまり、一つ一つのフィクション階層が確実でなくなり、様々な確率と可能性が潜在している別階層の同名人物と連関即離散の二律背反的融合が……」
答弁の途中であったが、行方御嬢様の顔が曇り、ひたすらに白米だけを私の口に突っ込む機械になってしまったので、言葉を止めた。と云うより、物理的に止められた。無礼であるが、彼女の水筒を勝手に飲んで気道を確保した。
「ご、ごめんなさい。私の説明、分かり辛いですよね」
「……はっ! 失礼しましたわ。論理を許容しない私の性質が、またしても醜態を晒してしまったのかしら」
気を落とす行方御嬢様も、私にとっての日常の一欠片。
殊の外、彼女は固く難しい論理思考を得意としない。趣のある文学を好むが故に、物事の構造よりインプレッションを重視しているのだ。
内輪の話で恐縮だが、ルミナちゃんと行方御嬢様の思惟志向は何処かで入れ替わってしまったのではないかと疑っている。放縦なルミナちゃんが感性を、美麗な行方御嬢様が悟性を各々得意とすれば一貫していると思うのだが、めいめいの心奥を覗くと相違があるのだ。
自家撞着は、私と私のフィクションだけのものではない。
皆、ズレやおかしみを与える二律背反を具している。
その不完全こそ、完全への途が残されているのだ。
「話下手な私が悪いのです。お気になさらず」
「慧生さんが非を認めることなど、あってはならないわ。私の偏った五感が、貴女が創造された世界を正しく認識していないだけですの。お詫びに下段の唐揚げやお赤飯もいただいてくださいな」
しおらしくなった行方御嬢様は、殆ど空になった重箱の上段を外し、もう一人分のお昼ご飯を私に差し出した。平場に用意される赤飯は、何をお祝いしてくれるのだろう。
「も、もうお腹いっぱいですので、御嬢様が遠慮なく召し上がってください。ご馳走様でした」
恐縮そうに肩を狭め、彼女にお礼を告げた。私の創作活動のみならず、プライベートの時間も共有していただけるだけで、孤独な私にとってはお祭りなのかもしれない。では、赤飯は適切であるのだ。有難う、行方御嬢様。高校生にして世捨て人の運命を覚悟している女に構ってくれるあなたは聖母だ、と大仰に感謝してみたり。
「そう? じゃ、遠慮なく残りは私がいただくわ」
漆塗りの箱を自らの膝上に置き、行方御嬢様の食事が遅まきながら始まった。御嬢様の事を後回しにさせてしまい申し訳ないです、と自己嫌悪の念を募らせた。
スクリーンセーバーを解除し、言語内で閉じ込められている手白香行方の台詞を眺める。私に依って産み落とされた彼女は、世界が止まっていることをどう思っているのだろう。物語の先が途絶えている事実を実感し、じっとしていたら憐憫に思わざるを得ない。別世界スタジオの返事が無く放送事故に凍りつくリポーターを想像し、面白いようで悲しい気持ちになってしまう。
私は、小説内の彼女達に何を期待している?
火遠理くんとの特別な関係を望む邪な我慾は無きにしも非ずだが、小説を書く目的はそれだけではない。もしもそれだけであったら、私はとんだ愚か者だ。いくら彼を愛しているとはいえ、ルミナちゃんに行方御嬢様……顧問の飛騨先生にも迷惑がかかる部活単位での活動に空想的恋愛観念を蔓延らせることなど諒としてはならない。
彼は言った。私の小説には終末的可能性が残されている、と。
皮相的な勧善懲悪や恋愛では語り得ない、それこそ『彼岸』を超えた新体系の顛末を彼は希っている。
彼の期待に応えなければ。私への気遣いが嘘だったとしても、構わない。私の世界内に存在する彼の挙措が凡て真実だと見做せれば、彼の好意は正しく現前せられる。独我論に固執する私をいくらでも嘲笑うがいいさ。
「小説を読むことと書くことには、限りない隔たりが設けられていますわね」
行方御嬢様の呼び掛けで、私の思惟は現実へと戻された。開いていたファイルは再び閉じられ、スクリーンセーバーに戻っている。
二人分の弁当箱を重ね、食事を終えた彼女は水筒のお茶を啜る。湿った風が凪ぎ、雨の予感をさせる。煌びやかな髪を濡らし、暗色の瞳を滲ませる彼女を想像しただけでもゾクゾクする。雨に濡れる美人はより一層美しい。対して、ズブ濡れる根暗女はドブが似合う。
「隔たり、ですか」
「ええ。私は火遠理さんや慧生さんのように哲学書は読めませんが、日本を代表する文豪の作品や海外のSFを幼いころから熟読してきたわ。分野を限定させていただくならインプットは得意でありますが、アウトプットの構造は全くもって分かりかねるのよ」
価値の程度は別として、小説を書けること自体に先ず凄さが付随されますの、と恭しい口調で行方御嬢様は語る。
「既存する文学を嗜むのと、未知の物語を紡ぐ両者には、才覚の優劣が顕著に現れているわね。だから、私は慧生さんの捜索活動に畏敬の念を表明させていただく所存ですの」
「褒め過ぎですよ。どうせ小説を書いたところで、価値が空疎であれば言語の無駄遣いで終わってしまうのですから」
すると、行方御嬢様は私の大腿に触れ、獲物を狩る肉食獣のような眼つきをした。彼女の冷たい指の感触に思わず驚き、小さな悲鳴を出してしまった。
「……果たして、本当に?」
意味深な疑問を投じた彼女は、舌なめずりをする。屋上は一変して淫靡な雰囲気に包まれた。御嬢様イコールレズビアンのありふれた(?)等式が証明されるとでも?
「ほ、本当です」と、退いたが背中がフェンスに触れた。前方には身を乗り出し、今にも私に蔽い被さろうとする行方御嬢様が退路を塞ぐ。
「嘘ですわね。慧生さんは痴者の振りをした賢者でありますの。そうやって自己嫌悪に陥り乍ら、内界に占める架空的希望の現前に着手していますわ」
――!
不意を突かれ、私の平らな胸に掌を当てる行方御嬢様の挙措を止められなかった。
彼女は、深い処まで私の思惟世界を覗いてしまったのだ。
それが故に、性別の壁を超越した愛を育む権利を獲得した……のだろうか。
「ほら……いつまでも遠慮した人格で甘んじていると……真なる我慾を損ねてしまいますわ。喩えば、私がこうやって火遠理さんを誘惑してしまうとか……」
「そ、それはダメです!」
咄嗟に抗い、不躾にも彼女の上体を押し返してしまった。華奢な御嬢様の身体が弾かれ、後頭部を地面にぶつけてしまうと瞬間的な危機を把持した私は……。
ドスン、と言表すべきかどうか正確な擬音を掴みかねるが、彼女の地面接触は背中で留まった。彼女の大切な頭部を守ろうとした私は結果的に、彼女に床ドンをするような形で馬乗りになったのだ。次々に創出せられる現代的造語のおかげで、現在の私と行方御嬢様の構図を三文字で的確に表現できるのは非常に助かる。
仰向けになっている彼女への征服感は、錯覚。恥辱に耐えられず赤面しているならまだしも、数世代先の平和まで見通しているかのような慧眼を私に向けて穏やかに微笑む相手に、これ以上の抵抗は無駄だと悟った。
「私のこと、これからも好きでいてくれるかしら?」
参ったな。異性どころか、同性にもモテる未来は描いていなかったんだけど。などと浮薄な感想を脳内で述べて主人公面した私は、気分の高揚を極力静めて返答した。
「はい。火遠理くんと同じくらい、好きでいます」
これが特殊なジャンルの物語であったら、私と行方御嬢様は至福の接吻をして幕を下ろすのであるが、残念なことに私も彼女もレズビアンではない。少女二人の熱烈な恋愛ストーリーを何処からか期待されても困るのだ。
「大変ですけど最後まで執筆活動、頑張ってくださいな。曖昧模糊な助言で恐れ入りますが……私を愛してくれる人に私なりの感性をお伝えするわ。貴女が神とされているフィクションはやがて、この現実世界との混淆で新たなる時流が顕現されますの」
首筋にポツリ、と水滴が着弾した。私の代わりに空が泣いてくれた。風に流されるような小雨が降り始める。
「その時の川は汚泥の如く淀んでは湧き水のように澄んでいる、霊妙不可思議な世界の血。存在者の幸福と不幸……それこそ、『悲喜の彼岸』の軸になっています悲しみと喜びの間隙を真偽の不確定で補填することで、絶え間無い矛盾の冥がりを崩壊させる光芒一閃が完成しますの……」
崇高な文学的感性を示す少女と、破滅を望む哲学的悟性に拘泥する少女の精神が、一になる。批判を恐れずに言わせてもらえるならば、私は行方御嬢様でもあり行方御嬢様は私でもあるのだ。
現実に迷って架空に手を出すくらいだったら、架空を現実にすればいい。
第二舞台講筵でも、その片鱗は見せていた。小説内の遠江ルミナが辿り着いた先駆的決意……フィクション性存在を自覚し乍ら、真なる現実へ向けて思惟する努力を彼女は継続していた。
私自身が展開したフィクションに、何を遠慮することがあろうか。遠江ルミナ含め、凡ての登場人物に意志への意志を与えてやろうではないか。
散々、本来的な物語のレールを切断しては再整備したんだ。ならば次は、別次元の銀河鉄道を走る線路を布置しなければ。
「感謝します、行方御嬢様。私、まだ……頑張れます。『悲喜の彼岸』の終末を追える気がしてきました」
「どういたしまして。さ、雨が強くなる前に、校舎へ戻りますわよ」
荷物をまとめて、私達は屋内へ戻る。行方御嬢様は私が屋根になっていた為殆ど濡れていなかったが、私は背中を中心に水気を帯びていた。
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