真偽の彼岸Ⅱ

苦界

 が落下した屋上で、執筆を続けていた。部室に閉じ籠っていると息が詰まるため、気分転換だ。

「……愈々ネタ切れだなあ」

 これ以上下手に引き延ばすと原液を悉く薄めたカルピスのように、物語の質を損ねてしまう。メタ自覚を各登場人物に齎せて、しかのみならず物語上の行方御嬢様に三人称の語りを強要させ、独自の路線で物語のレールを敷いていたのだが……発想の限界は近い。

 文芸誌の提出期限は今週末。今日は月曜日。週末という定義は休日を除外するため、リミットは四日後。マジです。

 向かい風は強まり、期末テストの時期も迫っている。あまり授業をサボると部長が赤点の烙印を押されてしまったが故に、文芸部の評価を落とす恐れもあるから否応なしに出席せねばならない。成績優秀だから大丈夫だとルミナちゃんに大口を叩いていたが、実際は小心者だ。悶々として板書をノートへ転写している。卓上にノートパソコンを置いても教師に気附かれない授業があればいいのだが、そんな都合の良い科目はない。

 だからこうして、昼休みという限られた空白を利用して『悲喜の彼岸』を正しき終末まで導かねばならない。


 状況を悪化させるまで、一応は努力したのだ。

 たとえば人目を憚らず、職員室で飛騨先生に土下座をした。要求は期限延長。

「千野さんのその気持ち、よーく分かるけど学校側の確定事項だからどうにもならないのよねえ」

 乾いた溜息をついた先生にあえなく却下されたが、めげない私は第二舞台講筵を終えた状態での提出を懇願した。

「作品自体のクオリティ判断は夕籠くんにお任せてしていますー」

 ついては、教師からも信頼を置かれる彼に精査してもらった。

「ダメです」

 つれない彼に、理由を追及。文量不足だから?

「文芸誌での掲載には文字数規定はありません。問題なのは、作品に含蓄されている終末的可能性を持て余していることです」

 厳しいことを言わないでください。かわいそうな女の子を虐めて心は痛まないの?

 と、私なりの媚態で彼を説得しようとしたところ、

「苦境に立ち向かう千野さんの絢爛たる才気を僕は感じたいのです。精神論のアドバイスだけですみませんが、僕は千野さんの傍にいてあげられます。頑張って」

 彼の媚態の擒となり、従順な現在に至る。褒め上手な男は不幸になればいい。偏屈な作家志望の女子高生に纏わりつかれる不幸を推奨してやる。


 まあ、振り返れば努力ではなかった。楽しようとしていただけ。自己管理能力に乏しい私は夏休みの宿題に追われているが如く切迫した時間の中、フェンスの土台ブロックに腰かけてはスクリーンセーバーのリボンが躍るノートパソコンを眺めていた。

「お腹空いたなあ……」

 膝の上に置いていたノートパソコンをどかして、左傍に備えていたショルダーバッグをあさる。どうせ停滞しているのだったら、先に食欲を満たそう……ん?

「無い……」

 不幸に不幸が追随した。母さんが折角用意してくれた弁当箱を家に忘れてしまったのだ。おのれ苦界め……何処までも私を追い詰めるつもりなのね。フィクション上の私と同じ顛末を辿ろうか? 消防庁から救出用のマットを調達してきてくれる都合の良い飛騨先生はいないので、作品的な生みと空腹の苦しみで自害した滑稽な女子高生として、世間より一笑に附されるであろう。

 ――けれども、人の死というのは必ずしも重い理由を有さない。

 後頭部を地面に接地させ、空腹で凹む腹を曇天に向け、脱力した。今にも空は泣きそうであるが、梅雨真っ只中の季節であるからにして、雨が降らないだけ良好な天候だ。加えて、ジメジメとした暗い昼間は程良い自殺日和だ。

 とある誘発で断崖の絶壁に立ってみたり、丈夫なロープをネット通販で探したり、練炭を買い込んだり、自宅のキッチンにある包丁の刃先を小一時間凝視していたりする可能性はゼロではない。その誘発と云うのは、一般社会に馴染めない日々の苦痛や友人との諍い……仕事での失敗といった些細な事柄から、借金地獄や肉親の死など比較的鬱屈とした出来事も含まれている。

 引き金の大小問わず、死という結果は同一なのだ。

 人間は先験的に、自殺してはいけないことを知り得ている。

 本当の本当に逼迫された者ならまだしも、ちょっとした情意の揺れで死を選ぶ特異な存在は、箍が外れてしまったのだろう。

 そういった意味では、生と死は紙一重。因果の潮流から外れた偶然性で、私はいつだって物故可能。であるにしても私が生きているのは、死ぬのが怖いから? 明瞭な答えを今一つ掴めない。死と同様、生の継続にも重い理由を有さなくても構わないのだろう。私は偶然的に生きているのだ。

うららかな日和ですわね。私も慧生さんのお隣で日向ぼっこをさせていただいても構わないかしら?」

 鈍く滞留する私の思惟を吹き飛ばしてくれた呼び声は、婀娜あだっぽい音色であった。

 仰向けの視界に広がる曇空を優雅に遮る彼女は――この世界の手白香行方。鳶色の艶やかな髪を撫で抑え乍ら屈んで、私の顔を覗き込む。

 むくりと上体を起こし、応対する。「こんにちは、行方御嬢様。今日もお綺麗であります」

「賛嘆のお声をいただき、光栄です。慧生さんは勤勉ですわね。私達文芸部のために小説をお一人で執筆してもらって、いつも有難うございます」

 ルミナちゃんと性格的に対を為す彼女は、おしとやかに私の隣へ座った。

「自分で首を絞めているだけなのです。はあ……火遠理くんに認めてもらえるクオリティまで、行き着くかなあ」

「火遠理さんは絶対、慧生さんの能力を称えることでしょう。彼が平伏すような想像を超える物語へ逢着すれば、文芸部の未来もお二人の関係性も明るいかしらね」

 前向きな言葉をかけてくれる行方御嬢様は、手持ちの風呂敷を開けた。正月で対面するような重箱が、彼女にとってのランチらしい。

「あら? 慧生さん、お昼を忘れられて?」

「三度の飯より創作活動が好きだと言いたいところでありますが、単純にドジってしまいました」

 がっくりと項垂れる私に、金で包まれた豪奢な箸と鮮やかな卵焼きの一片が私の口元へやってきた。

「良かったら、私の御弁当より御裾分けさせていただきますわ。ほら、あーん?」

 貧民なりの矜持で断る選択肢もあったが、醜い口を空けてモグモグ咀嚼した。

「……美味しいです。いつも通り、御嬢様の手作りですか?」

「勿論よ。料理は大人に向かう女性の嗜み。清廉な心を研磨する創作ですの」

 ちょっとばかし気障な言表でも、彼女なら物足りないくらいだ。歴々たる気品が私の疲れた心を癒してくれる。

「多めに作ってきましたから、どんどん召し上がってくださいな」

「感謝します。でも、毎日こんなに一人で食べているのですか?」

「……そ、そうですわね」

 目線を泳がせる御嬢様は、ほぼ確実に虚偽を行った。天真爛漫の稟性が、嘘のつき方を下手にさせている。

「むむ……もしや、火遠理くんにこうやってお昼の時間を共にするために、用意しているのでは……」

「ち、ち、違いますわ! たまにルミナさんにも分け与えておりますわ!」

 弁解も斯くの如く拙い。耳を赤くして首を振る御嬢様の狼狽えた一面も美しゅうございますので、火遠理くんに媚びを売っていそうなことへの文句が言いづらい。

 私なんかよりも、行方御嬢様が彼と頗るお似合いなのだ。ルミナちゃんは論外だとして。そう苦言を呈すると、ルミナちゃんにまた怒られそうだが。

「そんなことより、慧生さんと別に話したいことがありますの!」

 私の口に白米をブチ込み、御嬢様は力技で話題を転換した。貧しい私に恵んでくれているから、火遠理くんの件は見逃すとしよう。

 咀嚼して飲み込み、返事。「何でしょうか?」

「現状書き上げていらっしゃいます『悲喜の彼岸』について、彫琢による究竟くきょうへの途が残存されていることをお伝えせねばならぬ所存ですの」

 彼女にも現状の作品をデータ送付していた。ルミナちゃんや火遠理くんとは別の立脚地より推敲してくれると期待していた。

「ご教授願います」

「よろしいですわ」

 話を続け乍ら、行方御嬢様は私の口へ白米だけでなくウィンナーや煮物など、バランスよく運んでくれる。甘え過ぎだろうか。

「悲喜の彼岸Ⅰの終盤から、小説内の一同が架空存在であることを自覚されましたわ。それに、活字世界の経緯を憂慮したことで、徴候もなく出現した二人の登場人物を世界=外=存在の客観的な語り手に追いやるという工夫が見受けられましたの」

 指南の前に解説から口述してくれたようだ。

「日本文学にお詳しい御嬢様にとっては邪道たる小説だったでしょうか?」

「とんでもないですわ。慧生さんらしさが全面に出た興味深い物語でありますの。小説の場に於ける世界内と世界外の比較意識に、『悲喜の彼岸』でキータームだと見做される舞台講筵……台本というメタ感覚を経由して断弁的に遡る展開に於いては、独自の彩色が為されていましたわ」

 私の創作における要諦と方向性を、行方御嬢様は確り評価した。

「……けど、慧生さんからの反駁を覚悟で、卑見を述べさせていただけるかしら?」


 丁度、私の舌に箸とパセリのザラついた感触がした時、彼女は手を止めた。好き嫌いの無い私は箸先をどけて普通に噛んでは飲みこんだが、食材本来の苦味よりも彼女の喉より放たれる言語の苦さの方が不安であったのだ。

「遠慮なく、お申し付けください」と許可しつつ胸裡では、メンタルボロボロの厭世家なので厳しい批難が飛びこんできたらショックで家出して行方不明になってしまいます、と弱音を吐いた。

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