終焉Ⅱ

 屍界へと落下した彼女を見送った遠江ルミナは、この舞台講筵における千野慧生の死が果たして何に起因して何へ影響させたのか、数々の仮説を並べ立てた。


 仮説1。千野慧生は哲学への陶酔を極め過ぎたが故に、ペシミスティックな情意を膨大にさせて身を滅ぼし、遠江ルミナの拠り所としている死の哲学との別離を体現させた。

 仮説2。現実とも非現実とも決めかねる世界に於いて選ばれた千野慧生の死は生との連関を示しており、死の哲学の要諦となる実存協同を遠江ルミナと実現させた。

 仮説3。何よりも遠江ルミナの超人化を優先した結果が千野慧生の死であり、それ以外の連関は意味を為さない。

「仮説4……これは、世界=外=存在より語られた世界内の様相であり、たとえ私達が一つ一つの言動について熟考しなくとも始めから、千野ちゃんの自殺は確定されていて私の無辜惨禍の魔女からの脱却が為される未来が保証されている……」

 どういう区劃で現実的なのかは応答しかねるが、少なくとも遠江ルミナには最後の仮説が最も現実的なように感ぜられた。

 世界的宿命の流れに身を任せるだけで、物語は進む。

 されど、各登場人物がそれを自覚したから思考停止していいことになるだろうか。

「……ならねえな。フィクション性存在だからこそ、現実世界すら飛び越えるような新規の通路へ潜りこむべきなんだ」

 身体を張ってくれてありがとよ、と遠江ルミナはその場に言い残し踵を返した。

 二人は立場と名前こそ違うものの、求めるべき未来は軌を一にしていた。

 安直な架空的人物からの転回……自由なる意志への意志を希う存在者なのだ。

「折角死んでもらったんだ。なら、間近で千野ちゃんの残骸を拝ませていただかないとな」

 知人の死体に向かって手を合わせたことで何かが始まる訳でない。

 でも、遠江ルミナは屋上を出て階段を駆け下りていく。重要なのは行為に随伴する意図から、行為への意志に更新されたのだ。

 上履きのまま下駄箱を通過して、千野慧生の落下地点へ急ぐ。玄関は逆側だった。校舎を半周した先にあるロータリーが……。

「千野ちゃん! あんたの死は無駄にはしないぜ! 死者と生者の心が繋がる実存協同で……共にしていくんだ!」

 哀悼の言葉をかける彼女は走り抜けては校舎の角を二階曲がり、ロータリーと対面した。


「……あ?」

 と、突如立ち止まり阿呆な声が漏れた。口をポカンと開けて、その場の光景を素早く飲み込めないでいる遠江ルミナが見たものとは……。

 巨大なカステラのようなエアーマットの上にフワフワと乗っかっている千野慧生と、エアーマットの両角に佇む夕籠火遠理と飛騨黎泉であった。

「お二人ともご準備いただき、有難うございました。このマット、何処から借りて来たのですか?」

 トランポリンの上で遊ぶ子供の如く弾む千野慧生が訊いた。

「消防庁からですー。それにしても、こんなにも完璧に落下の衝撃を吸収しちゃうんですねー凄いですねー」

 と、楽しそうに答えたのは飛騨黎泉。

 それと、夕籠火遠理は棒立ちになっている遠江ルミナの正面まで駆け寄り、背中に隠していた看板を彼女へ向けて掲げた。

「テッテレー!」と、自らの声でSEを補った彼は、『ドッキリ大成功!』の文言を彼女に通告させたのだ。

「何だそれ!?」

 理解不能と言わんばかりのツッコミを遠江ルミナは入れて、頭を抱えた。無理もない。客観視でもこの話は酷く巫山戯ふざけけていると感受しているから。

「ここで喜劇的要素を入れんの? ここまでシリアスな演技で頑張ってきたのに台無しだっつーの」

 拍子抜けするのは判るが、演技の二文字を台詞に入れないでよ遠江ルミナ。と、此処までが台本通り。これからも台本通り。

「いいじゃないですか、遠江さん。いくら幻想上の世界でも人を殺すのはよくないです。千野さんが可哀そうですよ」

「甘々な考えかよ。ここは素直に千野ちゃんに死んでもらおうよ」

 身も蓋もない発言を加速させる彼女だった。

「残酷ですよう、ルミナさん。私が可哀そうだと思わないのですか?」

「……いや、ああいう話の展開だったら、死なない方がガッカリでしょ」

 其処で彼女は、他三人から突きつけられた冷酷な視線を認知した。見事に舞台は時化た。

「え? これ、私が悪いの? じゃあ、火遠理くんにドッキリだとバラされた時、どんなリアクションをすれば良かったんだよ」

「先生的には、『うっそールミナ信じられなーい! 本気で千野ちゃんのこと心配したんだぞ☆』と煽情的に告げて涙目になるのがテレビ受けバッチリかと……」

「飛騨先生の目に映る私は、そんな頭の軽いハーフタレントじゃあねえよ。そもそもカメラ回してないし」

 こいつら結局はボケっ放しかよ、と遠江ルミナは呆れたものの……吹き出した。

「……フッ。舞台講筵の目的は悲劇の魔女に喜劇を諭すことだったな」

「ええ。その超克による超人化を実感してもらいましたでしょうか?」

 夕籠火遠理はドッキリの看板をアスファルトの地面に置き、遠江ルミナに確認を取った。

「どうだろうな。だけど、バカバカしい幻想世界で熟考した生死の観念は、無駄なようで無駄じゃあなかったかな」

「死の哲学、ですね。遠江さんが“無辜惨禍の魔女”に選ばれた原因でもあり、解決するための要素でもあるイデオローグ……」

 夕籠火遠理と話している裡に彼女は悟ったのだ。世界の事象も個の情意も、全て二律背反の彼岸で成立していることを。

「この物語の帰趨って、確りと明白にされる? いや、

「それも遠江さんのお好きなように、決断してください」

 千野慧生の飛び下り前と同じようなことを彼に託された彼女は、少し悩んでこう答える。

「――第一舞台講筵と第二舞台講筵の間にあるはずだった物語を考慮すれば、私と火遠理くんの双極的な恋が此処で成就したかもね」

「そんな現在も有り得たでしょう。ね、千野さん? 飛騨先生?」

 夕籠火遠理は他二人の同意を求めたが、何れも目を背けて回答に窮した。

「……ドッキリへのノリが悪かった腹癒せか? 嘘でもこれが恋愛小説に発展する可能性があったって言ってくれよー……」

 遠江ルミナの声が随分と情けなく聞こえたようで、皆が可笑しくウケてしまった。

「その反応ですよ、遠江さん! 先生が求めていた悲劇即喜劇の舞台講筵は、哲学者と悲劇的頽落者の共同実存……即ち笑いの共有にあるのです!」

 教師という立場で生徒を熱く褒め称える飛騨黎泉の声が、遠方までこだまする。

「本当に? 普通におちょくられているとしか思えないけど……」

 けど。遠江ルミナは心の底から楽しいという感情が噴出されていた。

 煩瑣なフィクションに閉じ込められたフィクションの存在者達は、過程はどうあれ充溢された結実を迎えられたのだ。


 非現実であるが故に、無限大の可能性が認められる。

 畢竟、自らの難しい立場と思惟に倦んでいた遠江ルミナも……フィクション上の死を他存在へ掲示させた千野慧生も……世界の主人公として全責任を負わされている夕籠火遠理も……廻る世界への受容が柔軟な飛騨黎泉も……皆が共存しているからこそ、正しき途と未来を手にすることができるのだ。

 その共存もまた、相反する事柄で埋め尽くされている。悲しいようで嬉しかったり、辛いようで楽しかったり、不明なようで簡明であったり、無かったようで有ったりする。

「リアルもフィクションも、広い世界だな。私には分からないことだらけだ」

 無知即知の第一歩で、遠江ルミナの新たな人生観が切り拓かれる。

「なら、僕と一緒に学びましょう。彼岸の向こう側にある希望で……」

 夕籠火遠理と目を合わせ、彼と手をつないだ遠江ルミナは束の間の永久に漂う幸福を享受した。第二舞台講筵の終焉を知らせる光の紗幕が下り、一面が漂白されたところで話を終わらせていただこう。


【追記3】

 ……意味、分かったかしら?

 いや、こんなことを私から言うのも変だけど、第一舞台講筵と第二舞台講筵の空白を正規的に描写した方が適切じゃないの?

 でも、こうするしか無かった、と?

 それは、この世界に存在する主人公の貴方による意志? 或いは、上階層で私達を手玉に取る作者? それとも、両方?

 ……結論は手白香行方さん、あなたが決めてください? また解釈を投げるのね。もう……困っちゃうわ。

 

 そういう訳で、私も解説は避けさせていただきます。

 以上、現場からの中継でした。別世界スタジオの千野慧生へ一度お返しします。なお、本稿に於けるクレームにつきまして、此方のフィクションでは一切受付致しておりません。

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