~第二舞台講筵~

落下

【追記1】

 一寸時間を頂戴。舞台進行を予め確認させてもらうわ。

 ……何よこれ? これが悲劇即喜劇の超克?

 ねえ、教えてよ夕籠火遠理。私には分からないの。この台本を書き上げた作者の意図が……え? 私は語り乍ら全貌を理解し、貴方達は空想の仮面を被り乍ら二律背反が齎す笑いと哲学を体現することになるから問題ないって?

 何だか薄いガラス板の上を歩いているような感覚だわ。でも、貴方がそう言葉にしてくれるのなら、事実に変わるのよね。信じてみるわ。


 今度の舞台講筵は屋外で開催されることになった。

 第一舞台講筵の様式はプロトタイプの範疇であったようで、今回は現実と非現実の違和感は見当たらず、教室内での異様な広がりを見せた場ではなかった。

「メールで火遠理くんに呼び出されたテイで屋上に来てみたけど……何をするんだ?」

 叡智大附属高の校舎の天辺に、遠江ルミナがポツンと滞在していた。テイって言わないで。

 メタ感性を遮断するために、無難な情景描写をしておこう。黄昏の天蓋に蔽われた屋上は紅い光に染まり、気持ち肌寒い風が吹いている。都会から離れた学校らしく、山野や田畑が四方に続いており、遠くの畦道には下校途中の学生が歩いている。

 夕暮の寂寥を伝える鴉が空高く飛び、カアカアと鳴く。部活に所属していない遠江ルミナは、通常ならば疾っくに帰宅している時間帯であるが、今日は悠々と落陽を見送っていた。

 手持ち無沙汰な彼女は金網のフェンスに背を預け、深く息を吐いて退屈そうにしている。

「私の未来、どうなっちゃうのかな。頽落魔導の徴発が完了されて、この世界を滅ぼす悪の化身になるのかな」

 金色の粒子を纏う髪を煌かせ、間抜けな欠伸をしては言葉を続ける。「そんなことがあるのかねえ。哲学的中二病に罹患してぼっちになっただけで魔女化とか、ガバガバな設定だし」

 物語としての整合性をつけるのなら、彼女は未だに無辜惨禍の魔女の深刻さを実感していない。また、メタ表現への指摘を許されるのであれば、前後錯綜している突飛な役割にのめり込めない彼女の不審感が露わになっている。

 特筆すべき出来事が発生しないまま、十五分ほど経過した。遠江ルミナの体感は刹那だったかもしれないが、経過したことを記述すれば事実時間は流れたのだ。刹那即永遠の時性テンポラリテートが存在者の存在を確かにしてくれるのだから、時計の針が示す数値的指標はさほど重要ではない。

 衒学的な抽象表現を連ねて恐縮だが、特段気にしないでもらいたい。語っている本人がよく分かっていないのだから。此処にはいない作者(演劇台本ならば作家と換言した方が適切だろうか?)の気まぐれで、私は言わされているだけである。

 強引に話を連結させたところで、屋上の鉄扉が開かれた。ドン、と大きな音がするや否や、緊迫感を醸し出す千野慧生が駆け足で現れては遠江ルミナの居るフェンスに撞着した。

「この世は苦界……訪れることの無い幸福的未来を求め、辛い今をひたすらに耐えなければいけないのならば……生を諦めるしかないの」

 厭世を追窮した成れの果てだろうか。白皙の頬と対照的な漆黒の瞳を鈍く輝かせ、千野慧生はフェンスを攀じ登った。

「おい……マジかよ! 何やってんだ、千野ちゃん!」

 千野慧生がしようとしていることをすぐに察知した遠江ルミナは、彼女の足首を捕まえようとしたが遅かった。着地した千野慧生と遠江ルミナの間に、フェンスが立ちはだかる。

「短いお付き合いでしたが、今までお世話になりました。有難うございますルミナさん」

 恬然たる様子で別れの挨拶を告げた彼女に、躊躇いはない。紅の空を背に受け、反転して一歩踏み出せば屍界の底へ落下する虚ろな存在位置。

 第一舞台講筵は生と死の境界を不確かにさせる物語だとすれば、この第二舞台講筵は……生から死への転回を示す物語。即ち、自殺。

「ダ、ダメだ! 此処がたとえ、非現実の架空的舞台であるにしても……自ら命を絶つことは許されない!」

「それは違いますよ、ルミナさん。此処が非現実だからこそ私は死すべきなのです」

 ふざけるな、と遠江ルミナは目力だけで訴えた。金網を掴み、千野慧生との隔たりを引き剥がそうとするも、無駄な握力を消費するのみ。

「では問いますが、第一舞台講筵のルミナさんは最後、無辜惨禍の魔女が有する魔導を利用して、火遠理君を焼き尽くそうとしました。それは、ルミナさんが既に常に架空世界であることを認知した上での許される所作であると是認したことの証ではありませんか?」

「そ、それは……」

 言葉に詰まる遠江ルミナを千野慧生は逃さず、糾弾する。

「ルミナさんの情意は一貫していません。第一舞台講筵で火遠理君を空想的に殺そうとしたのに、今になって、飛び降り自殺を図る私を阻止しようとしています。

 死へ向かわんとする相手に目を背け、遠江ルミナは当惑し、自分の内に働く意志を疑った。

「あの時は本気で殺そうとした訳がない……十重二十重にボケ続ける火遠理くんへ送った業火は、ある種の冗談だ。それも空想なんだ」

 ならば、千野慧生の投身も見逃していい理由が成立するはずだった。

 ところが、遠江ルミナは押し黙って、目の前に存在する生死の境目に対する自らの意志の出処を判別しないままでいる。

 彼女の存在そのものが今、あやふやになっている。ここにいる遠江ルミナは、舞台講筵という仮想空間内での演劇者なのか。それとも、『悲喜の彼岸』の『悲喜の彼岸』に所在する、多層的フィクションで構築された女子高生なのか。

 或いは、こんな仮定も有り得るだろう。この場にいる遠江ルミナこそ――

 どれか一つを選択する権利を与えられたならば、遠江ルミナは何て答えるだろうか。

「……分からない。此処が現実か非現実であるかも、彼処こそが現実か非現実であるかも……そして、此処で出来する千野ちゃんの死が、有意味か無意味なのか……」

 其処まで言い伝えた彼女は、首を振って訂正した。「いや……一つ確かなことはあるんだ。さっき、私は千野ちゃんの自殺を止めた。それは、有意味であることを意味している」

「迂遠な思惟回廊でしたが、核心に辿り着きましたね。現在におけるルミナさんは、現実即空想の精神が確立されているのです。フィクションとノンフィクションの彼岸より高次元の視座で物事を考えられるようになったあなたは、惨禍の世界的看取が無意味な属性であることに気附くでしょう」

 達観したような笑みを浮かべた千野慧生は、掌を静かに叩き、ささやかな拍手を捧げた。

「そっか。私、『悲喜の彼岸』では元々、無辜惨禍の魔女だったもんな。何処かで人生を狂わせちゃって、自業自得の悲劇の泥濘に沈んでいたんだった」

 思い出せない過去を遠江ルミナ述懐し、自らの立場へ再帰した。其処には、有耶無耶の影に隠されていない光明が差し込んでいる。

「……となると、千野ちゃんは此処で死ななきゃいけないのか」

「ええ。まやかしの世界であろうと、一度死ななければなりません」

「それは、舞台講筵内で定められた運命だから? 『悲喜の彼岸』で既に通過した終焉を知り得ているから?」

「ルミナさんのお好きなように、解釈していただいて構いません」

 そう勧めた千野慧生は……身体を後方に傾け、遠江ルミナの前から姿を消した。


【追記2】

 待ちなさいよ千野慧生。貴女の飛び下り、気持ち早くないかしら。

 この台本書いたの、此処にはいない方の貴女だけど、此処には貴女しかしないから訊くわ。もう少し自殺までの溜めを作りなさいよ……ん? 心情描写や過去のしがらみを長々書くと、読者に厭き厭きされるからなるべく簡潔に死んだ方が良いですって?

 複雑な世界だこと。あ、余談だけど夕籠火遠理と飛騨黎泉……登場しないと思ったら、そんな処にいたのね。

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