悲喜の彼岸Ⅱ
逸脱
と、其処にはいない誰かさんに標題をつけてもらったところで、火遠理くんと千野ちゃんの緊急会議が始まった。
「すると、慧生ちゃん……僕らは『上階層』の作者が描いた架空の産物ということになりますね」
「そういうことなのです。もっと早く察せられる契機はあったのですが、現実ボケしてしまいました」
マウンド上でヒソヒソと話すピッチャーとキャッチャーのように、二人は現状の確認と相談をしている。ただ、正しき未来への方向を探し倦み、押し出しフォアボール間違いなしの窮地に違いない。
「悲喜の彼岸計画……惨禍の世界的看取の犠牲になった魔女達を救うために創出せられる、空想性演劇……舞台講筵という性質が罷り通る時点で、既に常に非現実の様態を纏っていたのですか」
火遠理くんが進んだこれまでの軌跡を振り返れば、周囲世界のフィクション性は一目瞭然だった。然し、哲学とファンタジーが入り乱れるこの場を現実だと見做していたのは、彼自身の存在を無前提で証左していたことによる。
「はい。その決定打として、火遠理君と初めてお会いした哲学科の教室で……私はとある小説を読んでおりました」
千野ちゃんの言葉にハッとした火遠理くんは、一歩後退。
「あれが……『悲喜の彼岸』。僕らの存在を捻出させた、小説内世界。何より、あれを書いたのは……君でした」
「ええ。私でした。でも、この私とは異なる千野慧生でしょう」
霊妙不可思議な対話であるが、世界の真実を言い当てているのだ。
……何故かって? 同じ世界=外=存在から質問が入ったので答えておくが、これには論理的な弁証の支えは一切なく、我々が言語内空間に鎖されている認識を生じ得れば、どんな矛盾にも可能性が保証させるからだ。
……一理ある。しかるに、三人称に擬態した一人称の貴女が小難しい思弁を可能にするのも、書き手側が並べ立てる文字の匙加減ということだな。
あら? 世界外でのお話をしている裡に、私が表面上に流出してしまったようだわ。七面倒なことになったが、これも架空的可能性。夕籠火遠理達の物語を続けることにするわ。
「すると、別の慧生ちゃんが書いたこの物語へ活字が分流されてしまい、不連続な話になったと説明すればいいでしょうか」
「概ね合っているかと」と、千野慧生は同意した。
「成程です。では、一つの仮説を提言させてもらってもよろしいでしょうか」
「火遠理君の企てには何となく予想はついておりますが、どうぞ」
「この世界の指標なる小説が存在しているのであれば、再びそれを読者側に開いて見せ、フィクション内のフィクションより一段上の階層へ戻ろうとすべきです」
夕籠火遠理の提案は、これまでの物語をやり直せと言っているようだ。
架空小説は、言語に蹂躙されている。
抗おうとすれども、悲しくも彼等は私の語り次第で運命を曲折せられ、この私もまた、上階層の作者に全てを握られている。
その上下関係を構成しているのは音声でもなく、映像でもなく、この言語なのだ。
したがって郷に入っては郷に従えの精神で、我々は下ってきたフィクションと言葉の山脈を登攀せねばならぬ。
「私も可能ならばそうしたいですが、残念なことに『悲喜の彼岸』の文庫本を何処かに置いてきてしまいました」
と、千野慧生はかぶりを振って掌を開け、夕籠火遠理に空を授けた。
「無くされたのですか?」
「ええ。恐らく、場面を思いっきりすっ飛ばしたその間に何かがあったのでしょう」
「『悲喜の彼岸』の顛末は、覚えていませんか? 僕が“哲学科”の教室に入った時、慧生ちゃんはそれを読んでいました」
「あくまで読んでいたという設定だけであって、具体的にどのページを読んでいたのか……思い出せないのです」
「設定……それもまた、フィクション性存在の証明ですか」
やるせない表情で途方に暮れる夕籠火遠理もまた、この『悲喜の彼岸』で記述されていること以外の経験を喪失していた。つまりは、千野慧生との邂逅から第四舞台講筵を終える迄の時間軸が切断されているのだ。
一方、飛騨黎泉は機動隊と話し込んでいた。犯罪者が世界外へ消えてしまった以上、逮捕する手立てはゼロであるが故に、事態の収拾をどう取り繕うか大人達が必死に思案を巡らせている。
「で、どうしますか」と、千野慧生が再度訊いた。夕籠火遠理も正直、この困難を投げ出したいと思う気持ちもあるかもしれないが、彼には主人公として打開する使命を全うしてもらわねば。
「……手白香行方さんも、メタ対応に慣れてきましたね」
澄んだ青空を見上げて、彼はそう言った。
一つ疑問なのだが、私の語りがあるから、彼が話しているのかしら。それとも、彼が語っているのを追って、私が言語上へ記録しているの?
前者であれば、私は彼のいる世界を支配していることになるのよね。後者なら、彼が物語の進路を握っている。されど、如上で言い残した通り彼も私も皆がフィクション性存在。こうして地の文をお借りして自らの意志で読み手に伝えている私には本来的な自由意志など一切有さず、上階層の作者によって操られた人形に過ぎないのだわ。
「深く考えれば考えるほど、存在者の存在を確立する地盤が崩壊するでしょう。でも、現実と幻想の諍いを放棄すれば、彼岸の割れ目に落下し続けるだけ……」
畢竟、夕籠火遠理は架空の匣から脱出せず、このまま生きていくの?
「小説内存在者としての任務は、果たすべきです。エンディングが僕らの最期だと始めから分かっていても、躊躇せずに其処へ進む設定が与えられている以上は後ろを振り返りません」
上階層の自分が書いた作品に幽閉された千野慧生は、何を思う?
「可能ならばこの階層から飛び出して、別の私と喧嘩したいですね。可能ならばの話ですが」
ほう。『悲喜の彼岸』の新たな未来の片鱗が現れたかもしれないわ。
千野慧生の仮定は実践的で、要は現実即幻想の精神……フィクションと実在の垣根を取り払って、作者もとい千野慧生と、彼女自らが書いた千野慧生の逢着から新体系の物語が見える……なかなかにハイブロウなセンスではないかしら、と私は夕籠火遠理と二人の千野慧生に言ってみた。
地の文と登場人物の会話になってしまい読者様には大変ご迷惑をおかけしますが、慣れない小説構造に暫し我慢していただくようお願いいたします。なお、どうしても意味不明で時間の無駄とご判断された方には強要するつもりはございませんので、本書をパタンと閉じてもらって構いません(Web小説や電子書籍の場合は言うまでもないことですが、ブラウザやアプリを終了してください)。本書にかけようと思っていた時間予定は、平日朝であれば設楽統氏が司会を務める『ノンストップ』の視聴に割り当てることを推奨いたします。昼過ぎから夜以降は各自でお任せします。以上、偏波な提言でありました。
(手白香ちゃん、何を話しているんだ? ボケ倒し?)
(この小説のカテゴリ区分を探るための余談よ。遠江ルミナ、先程から消えていたけど何処へ?)
(二人も擬態三人称を担当すること無いなって思って、近所でポ○モンGOをしてたぞ)
(世界観をバグらせないで。と云うより、抽象的空間で街中を歩けるの?)
(文字として記載されれば、可能的になるから気にするな)
(では、『私達はこの階層ではない、物語の作者の世界へ超出する』と宣言すれば、それは叶うのかしら?)
(それは不可能だ。何故なら私が今、『それは不可能だ』と言わされたから)
(……やるわね、この物語にはいない、千野慧生め)
世界内と世界外で、にっちもさっちもいかない状況に陥る中、夕籠火遠理と千野慧生に声をかけたのは……ん?
「火遠理くん、千野ちゃん。世界外で卵を孵化させるために歩いていたら、この『悲喜の彼岸』の劈頭に辿り着いたんだけどさ」
いつの間にか場に回帰した、遠江ルミナだった。卵というのは況や、鶏や亀などの類ではなく、彼女のポケットに収まっているスマートフォンの中で生を享けた電子生物を意味するであろう。
「それは……?」と、夕籠火遠理は遠江ルミナが持参してきた冊子に注目した。
「舞台講筵の台本だよ。プロローグ部分の第一舞台講筵の端っこに落ちていたんだ」
活字の角に落ちていた双紙ってどういうことかしら。との常識的な疑問はさて措き、遠江ルミナが拾ったそれは、この『悲喜の彼岸』においてキータームとなる舞台講筵の全てが書かれた台本で間違いなさそうだ。何故なら、彼女が舞台講筵の台本だと言っていたから。証明終了。
「大手柄でございます、ルミナさん。これさえあれば……断片的でありますが『悲喜の彼岸』の過去軸を再現することが可能です!」
千野慧生は嬉々として遠江ルミナを抱き、光芒を手繰り寄せた。世界の狭間でスマホゲームを堪能するだけで活路が見えるのだから、この世は狂っている。
「そういうこった。じゃ、私達が通り過ぎてしまった過去へ早速戻るし」
「ちなみに遠江さん、第一舞台講筵って確か……劈頭でも時間軸を先駆した先の場面でしたよね」
夕籠火遠理の証言によると、どうやらこの世界にいない方の千野慧生は、物語がある程度進んだキータームを切り取って先に言語化させたらしい。だから、舞台講筵だけ別途構想して予め台本にしたのだろう。
「私も無辜惨禍の魔女として、観客の設定で出ていたから恐らくは。私を超人化させて救うために火遠理くん達が演じたコントだったけど、失敗に終わっている。んで、手白香ちゃんの超人化に成功したのは第四だから……第二と第三も存在していたことが確定か。どうする? 順々に第二へ遡る?」
夕籠火遠理は頷いて従い、千野慧生が口を挟んだ。「第二舞台講筵は……ルミナさんの超人化に成功という結末でしょうね」
「ああ……火遠理くんと千野ちゃん、飛騨先生の三人は、この台本通りで悲劇即喜劇のコントをやってもらい、私を救って欲しい。そしたらこの世界は……正当な物語としてやり直せるはずだ」
一同が企図していることは精緻とは言い難いが、この物語を大きく揺り動かす発端には成り得る。
それにしても、作者は何を思ってこんな創りにしたのか。話の順序が滅茶苦茶ではないか。今流行りのタイムリープを小説世界でアレンジしているとでも?
「ま、まずいです皆さん! 事情聴取で警察へ連行されてしまいますー!」
一寸忘れかけていた飛騨黎泉は……機動隊と折衝をしていたのだったな。主犯は間違いなく手白香行方にあるのだが、当の本人がこんな役面になってしまったのだから、世間的な事件の距離感をすっかり喪失してしまった。
どう言い逃れをし損ねたのは解りかねるが、多分飛騨黎泉はテロリストとの接触者……重要参考人としてパトカーに連れ込まれている。済まない事をしたと彼女には後で謝罪しておこう。決して逃亡したつもりはないのだが、読者にとって唐突な登場人物は場外へ控えておいた方が良いだろうという配慮の許、煙に巻いた形となった。
「飛騨先生が捕まってしまう前に、階層移動しましょう!」
夕籠火遠理が鋭い声音を放つ。メタ操作の時間、再来。
「時間軸上、出番のない行方さんが引き続き語り手をお願いします!」
ま、まだやるの? 日の目を見なさ過ぎじゃないかしら?
不服申し立ての余地は無く、千野慧生が空に擲った舞台講筵の台本は虚空に紛れ――私の手に渡った。
裏方役って、つくづく不憫だわ。そう思わない?
それに……私の特徴とか、全く述べていない気がするのね。どんな外見をしているか、まるで分かっていないんじゃあないかしら。不安になってきたわ。凄い美人を想像した読者を落胆させる辛辣な現実が待っているのでは……いや、大丈夫か。現実じゃないから。それを言ってしまえばお終いなのだけど。
……世界=外=存在の異端者が愚痴を並べても無駄、ね。これでも一応、本来的な『悲喜の彼岸』では丁重に扱われるラスボス的な存在だったはずなのになあ……。
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