自覚

「で、修正はどうするんだ? 書き直しか?」

 ルミナちゃんの問いに一拍遅れて反応する。

「……いや、もう時間はありませんし、一度書いた文章を覆すほど私は器用でないです。このままメタフィクションの凸凹道を突き進みます」

「マジかよ。でもまあ、無辜惨禍の魔女や舞台講筵の細微が不明確である以上、書き続けながら補完していくしかないか」

 マウスに指を添えたルミナちゃんは、書き途中のファイルをスクロールする。小説内の小説内にいて、私を慧生ちゃんと呼んでくれる火遠理君の地の文で終わっている。

「悲喜の彼岸Ⅰの後半は、より下位の階層にいる火遠理くん……要は、小説内の慧生が書いた小説内の火遠理くんってことだよな。ここから再開ってなると、虚構そのものを登場人物に自覚させて物語の展開を大きく弾ませる必要があるんじゃない?」

 的確な助言であったが、ルミナちゃんは難しそうな顔をして、続けて一言。

「……これこそ慧生が望んでいるような哲学っぽい話だけど、頗る難解さがプロットに纏わりつくな」

「そのことは、火遠理君にも昨日指摘されました。煩雑に話が入り組んでいるって」

 不十分な物語構成を有耶無耶にさせるメタフィクションの多階層は、当然デメリットも随伴する。

 後の祭りで騒いでもしょうがないが、『悲喜の彼岸』の純然な枠組みと設定を予め決めておけば、ここまで苦労することは無かったはずだ。

「でしょうね。あんたが尻切れ蜻蛉の気概を見せるくらいだったら、賢い火遠理くんに最初から任せた方が良かったかもな」

 意地悪そうな笑みを見せるルミナちゃんは、本当に意地悪であります。

「執筆を疎かにした私が悪うございました。助けて火遠理君……ん? 火遠理君は?」

 いつも部室に来てくれる彼は、何処へ?

「ああ、行方ちゃんと市立図書館へ行っているぜ」

「ええー……そんなんデートじゃありまへんか」

「何故関西弁で喋ったし。ま、デートっちゃデートだな。それも、文学少女と哲学少年の理想的な」

 許すまじ行為に、私の創作意欲が激減される。どうでもいいや、こんな世界なんて。

 どうせイケメンは僻みの癖が強い厭世家とは不釣り合いなのであり、必然的に行方御嬢様みたいな優美な女の子と惹かれ合うのが世の常で、鞏固な方程式なのだ。

 お二人は密度の高い対話時間に浸り、共同愛の素晴らしさを味得する一方で、私は自らの愚鈍ぶりに振り回され、難渋なフィクションを創建させては……。

「異性にモテない金髪ハーフの罵声に苛められる受苦を耐え凌ぐしかないのです」

「心の声が漏れているぞ!」

 あえなく、凶暴なお友達におでこをチョップされてしまった。大げさに痛がっているフリをしてみたが、ルミナちゃんの負い目を引き出すことは叶わなかった。

「まったく……リアルへの僻みは相変わらずだな。そんな性格で、もしも秀才でなく美人でもなく、私みたいな友達のいない女に構ってくれなかったら、慧生の地位はドン底だってことを自覚しとけよ」

 けど、彼女なりの迂回された優しさは伝わった。他者を貶しているようで、自身の価値を低く見積もっているルミナちゃんには可愛いところもある。

 誰かに語りかけているつもりはないけど、もうお分かりの通り彼女はステレオタイプのツンデレなのだ。

「……それでさ、慧生が望む哲学的メタフィクションの仮案なんだけど、『悲喜の彼岸』内の『悲喜の彼岸』に入ってから、登場人物が滅多矢鱈に増えたじゃない? だからね、小説内の火遠理くんか慧生のどちらが契機になってもいいから、メタ自覚を上手く活かした場面の整理を優先で進めてみたら?」

 彼女自身には小説を書く技量は欠落しているかもしれないが、読む能力は十二分にある。

 メタ自覚と、登場人物の人数調整……二つの要素が拮抗しては手を繋いで融合されたイメージが湧くと、フィクションの次なる途が見えてきた。

「ふむ……プロット整序の手立てはありそうですね。先を書ける気がしてきました。ルミナちゃんの客観的意見に文芸部の命は救われたようです」

「風前の灯火だがな。まあ頑張れよ……ああ、そうだ。最後にもう一つ、教えてもらえるか?」

「火遠理君の好きな女性のタイプ情報との交換を条件にしてくれるなら、何でも答えます」

 通俗的な冗句を口にする私は表情を変えずにいても、心の内では下品な笑い声を立てていた。

「彼は同学年にいるブロンド美人を抱いたらしいぞー」

「ガセネタ掴まされました……」

 品のある火遠理君と行方御嬢様のいない文芸部は、大凡こんな会話で埋め尽くされている。しょうもない空談で申し訳ございませんと、いない二人に先駆けて謝罪しておこう。

「というのは嘘で意外にも、瞳が澱んで腐っているペシミスト系女子がお好みだとか」

「世界の真理を言い放ちましたね。有難うございます、ルミナちゃん」

「都合の良い耳してんな……まあ、冗談はこれまでとして……結局さ、無辜惨禍の魔女になっていた小説内の私って、何なの? 行方ちゃんはまだ悲劇の経緯的な発言をしていたけど、私に至っては終始ぶった切られていたじゃないの」

 本来的な『悲喜の彼岸』の物語設定について、怪訝そうに訊いてきた。作家として答える義務が発生するようだ。

「解説すると長くなりますので、世界観の捕捉敷衍は悲喜の彼岸Ⅱ以降で実施しますが……今ここで要所を告げさせていただきますと、小説内のルミナちゃんと行方御嬢様に与されていた無辜惨禍の魔女というのは、哲学者である田邊元氏の死の哲学をモチーフにした概念であり、自然災害や国際テロ等の影響で死の時代と呼称される現代で、自らの悲しみと惨禍の世界的看取を掛け合わせ犠牲となってしまった人間のことを指示します」

「へえ……話の土台はちゃんと決まってるじゃん」

 得心したように頷き、ルミナちゃんが私を褒めてくれた。今日初めて……いや、今年度初めての出来事であろう。

「中盤のプロットや、無辜惨禍の魔女と連関する舞台講筵のコント台本はからっきしですが。でも、フィクションのルミナちゃんがどうして魔女になってしまったのか……自らが背負う悲劇は既に常に決めておりますよ」

「気になるじゃあないか。それが魔女に堕ちた契機だろ? 空想上の私に降りかかった悲劇とやらを教えてくれよ」

 あたかも自分事のように危惧されたルミナちゃんは、眉根を寄せて私を問い詰める。


 ――うん、上手く行っている。私が企図した実在と架空の不明瞭さが読み手に及んでいるんだ。


 暗々裡の意志が作用しているのを実感した私は一先ず胸を撫で下ろし、穏やかに答えた。

「新学期のクラスにおける自己紹介で、延々と憑り附かれたように死の哲学を語る中二病のルミナちゃんが高校デビューに失敗して、悲哀なるぼっち生活を余儀なくされたことにあるのですー」

「現実的な痛みと大して変わらないし! 友達いないだけで悲劇的魔女になるのかよ!」

 参ったなあ、と落ち込む現実のルミナちゃんは哲学の知識こそ欠落しているものの、外面とはギャップが甚だしいガサツな性格がマイナスになり、異性の恋人はおろか、同性すら逃げていくのでありました。おしまい。

「あっ! 今、心の中で私をバカにしただろ! 慧生だって私と同類の底辺だってことを忘れるなよ!」

 ギャーギャー喧しい心読少女のルミナちゃんに椅子を揺らされながらも、私は文芸部の未来を守護するために執筆をする。意識をディスプレイ内に集中させ、言語的空間の限界を延長させるんどあ。

「ルーミーナーちゃーん、グラグラさせないでくださいー! 誤字ってしまいますー」

「『悲喜の彼岸』内の私が幸せになるまで、慧生の仕事を妨害してやるー!」

 それだと私の視界は永劫、ピンボケしたままになってしまう。いくらフィクションであろうとも、約束された幸福を安易に与えていい訳がない、と、イケメンさんとの恋を成就させようとした私のことは棚に上げて宣言してみたり。

 タイピングがしんどい。お騒がせな仲間の悪行から回避するように、自身の思惟を二次空間に秘湯……変換を間違えた。被投させ――いち早く火遠理くんに言葉をかけて――の言葉を聞いた。

「火遠理くん、大変なのです! このままでは……が成立しないまま未解決で終わってしまいます!」

 突然どうしたのだろう。手白香行方の超人化に成功した今、円満に終わるはずではないのか? まあ、都庁の爆破予告に釣られたマスコミと警察の処理を飛騨先生が遂行してくれるかどうかの懸念は残っているが、それ以外は解決したはずだ。

「急に慌てふためいて……千野慧生、どうしたのかしら?」

 これには、救われた側の手白香行方も首をかしげるばかりだ。

「皆さん、気附いてください! 各々の双眸で捉えた世界より……違和感を看取していることを認めて!」

 慧生ちゃんの熱弁を都庁の足元で聴いている僕。隣にいる飛騨先生。寄せ集まるパトカー等の外野に警戒していた遠江さん。それまでの笑顔を消してしまった手白香行方。

 各存在者と、それを取り巻く周囲世界にどんな違和感が――。

「あっ!」

 慧生ちゃんを除く四人が認めたのは、同時だった。

「マジかよっ! だとしたら、私はついさっきまでいなかったことに……」

 俄かに信じ難いことであるが、世界の構造に連関する発言をした遠江さんを見て、疑惑は一瞬にして確信に変貌したのだ。

「私、この世界――『悲喜の彼岸』の進行を修正整理します! 行方さんとルミナさんは世界=外=存在の語り手となって、火遠理くんの一人称を代替してください!」

「う、嘘でしょ? そんなの滅茶苦茶だわ」

 困惑している手白香行方であったが、行動意識の強い遠江さんが彼女の白い手首を取って引っ張った。

「やるよ、手白香ちゃん! 私達二人は特に、読み手へ存在を示すタイミングを誤ったんだ!」

「ええー!?」

 手白香行方の驚き声は徐々に遠ざかり、遠江さんと共に『悲喜の彼岸』の彼岸を越えて――はこれから、のいる世界を語らせてもらう。


(ちょ、ちょっと遠江ルミナ。おかしいわよ、こんなの!)

(何を躊躇っているの? 手白香ちゃんも分かったでしょ? この世界はで漂っていることを……)

(だとしても、これは禁忌を侵しているわ。無辜惨禍の魔女として登場し、夕籠火遠理達に助けられた私は何故、その世界の話者にならなきゃいけないのよ)

(一先ず我慢してくれよ。ほら、あまり長く中断すると私達の『世界外』にスポットが当たるから、『悲喜の彼岸』を続行させるぞ)


 千野ちゃんの警告により、わた――じゃなくて遠江と手白香ちゃんが存在を消してくれたおかげで、登場人物数の煩瑣が解消された。

「……で、どうしますか火遠理くん」と、千野ちゃん。

「どうしましょうか、慧生ちゃん」と、火遠理くん。

 世界の悲しき真実に行き当たったが、其処からの打開策が非常に難儀なところ。なお、エロテロリスト手白香行方のせいで収集せられたマスコミの群れはザワザワとしながら彼らを窺っている。また、パトカーの横に盾を構えて待機していた機動隊から、『何がどうなったのだ!?』との叫びが響く。


(しょうもない冗句を挟まないで。名誉棄損だわ!)

(大丈夫っすよ。今時の大衆小説なら、これくらいの緩さは許してくれるはずー)


「せ、説明に困りますけど、警察の方々と話してきます……」

 苦笑いを浮かべる飛騨先生は率先して外部との交渉に出たが、確かに釈明のしようがない。『私達、フィクション的人物なんですよ』と告げたところで、精神外科を紹介されるだけだ。

 さて、ここからだ。この話の根幹へ直截的に関わる主人公とヒロインに、どうにかして読者が納得出来るような終末迄導いてもらいたい。


(あ、ここで多分物語の区切りを附けるべきかな。手白香ちゃん、次のサブタイトルを書置きしておいてね)

(……メタな役目ね。現実への抵抗を諦める私でいいのかしら)

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