葬儀Ⅱ
鬱屈した暗さと狭さが感じる場内には二十ほどの席が用意されていたが、誰もいない。
「あ、ルミナさんも参列者に加わってください」
と、最前列に座った千野が、舞台外の遠江に話しかけた。
「わ、私が? 突然だなあ……」
釈然としないまま、遠江は舞台によじ登り、受付係の飛騨に会釈をして入場した。観客参加型の演劇に不安を覚える彼女は、落ち着かない様子で葬儀場を見渡す。最奥には供花に囲まれる遺影があり、写真内の過去に閉じ込められた人物は間違いなく夕籠であった。
「やっぱり火遠理くんのお葬式なんだ……」
千野と同じく最前列いる夕籠の隣席を敢えて選んだ遠江は、自身の葬儀を迎える彼の横顔を視界に捉えた。些少な悲しみを感じているかもしれないが、感じていないと言っても特段気にならない程度の様相であった。
「お坊さん役は……あ、いないのか。じゃ、先に線香、あげてきます」
メタフィクションの露呈を顧みない発言を先程から連続させる千野は、厚顔無恥な思考を働かせ、遺影と棺桶の正面へ移動した。棺桶の手前には香炉と線香があり、千野は一礼してから一本の線香をつまんだが、そこで動作を止めた。
「あれ? 蝋燭がありませんね」
着火するものが手元にないらしい。千野は舌を出して悩んでいたが、閃くまでの時間は僅かだった。
「ちょっと外で焚火してきます」
「そこまでしなくていいから!」
葬儀場から出ようとした千野を慌てて止めた遠江であった。
「ルミナさんも焼き芋食べたくないですか?」
「目的がすり替えられたことにせめて気附け! ほら、私の魔導に依る火種で我慢しろ!」
声を荒げる遠江の指先より、オレンジ色の炎が揺らめいた……。
【追記5】
――待って。これ本当に大丈夫?
……私を信じる私を信じろ、ですって? そう宣う貴女の際限なき自信の無根拠的根拠を知りたいけど……有意味な回答は返ってきそうもないから、取り敢えず従うわ。
「ルミナさんの魔法は便利で助かります」
遠江の炎を有り難く頂戴した千野は、線香の先より漂う一筋の煙をフッと吹き、香炉に立てた。手で仰いで消せよと遠江は言いかけたが、そもそも自分の行為も無礼極まりない常識外の事柄であり、咎め辛く感ぜられ、無言で席に戻ったようだ。
再び夕籠の遺影に対面した千野は目を瞑り、二拍一礼。
「今年こそ良い一年になりますように、お願いします火遠理君」
「初詣!?」
だが、結局のところ遠江は舞台内のズレを指摘せずにはいられないようだ。
夕籠の隣に座って夕籠の葬式に参列する遠江は沈思黙考。
この不謹慎に満ち溢れたコントに巻き込まれて自分は、一体彼等から何を見せられているのか……舞台講筵が齎す次なる途は、私の障礙を解決してくれる代物であるのか。
「おや? 棺桶が空っぽです。火遠理君、スタンバイしてください」
「そっか。すいません、千野さん」
棺桶の蓋を開けた千野に催促され、夕籠は椅子から離れた。何の疑いもなく、彼は棺桶内で仰臥する。
「この人達は何をもって死を定義しているの? 火遠理くん、ピンピンしてんじゃん……」
いや待てよ、と遠江は浅薄な意見を撤回する。
――まさか、『死の哲学』に連関する新体系を実践しているの?
彼女が熟知している哲学者の思想が、脳裏に過ったのだ。
京都学派の思想家――田邊元。彼がドイツの哲学者マルティン・ハイデガーに贈稿した『生の存在学か死の弁証法か』という論文には、生者と死者の繋がりと克服が謳われている。
他存在の死を看取することで共同の愛が生まれ、現存在の存在意義を強めていく思想には、彼と人生を寄り添った愛妻の死が一つの発端とされているのだ。
如上の思潮を知り得ていた遠江は、夕籠達の葬式ごっこが単なる悪ふざけだとは思えなくなってしまった。
「非現実の舞台を通して、私に新たな生の有り方を指南している……?」
舞台講筵の真理を言い当てていたとしたならば、遠江は即座に感謝の意を示さねばならないだろう。
「ルミナさんの番ですよ。火遠理君にお線香をあげてください」
千野からそうやって指示されるのも、決して無意味なことではない。多少ばかり不謹慎な言動が起ころうとも、全ての陰影には
「わ、分かった」
小走りで香炉へ向かい、生きている死者を閉じ込めている棺桶を見下ろした。眠っているふりをしている夕籠の顔が小窓から見えたが、ガタンと音を立てて棺桶が開いた。
「どわあっ! 首筋にドライアイスがひっついて痛い!」
「……」
『腐敗を防ぐための小道具が用意されているのかよ! 細かい仕込みだな!』との台詞が喉から出そうになったが、遠江はツッコミを我慢した。
呼吸を整えて、彼女は線香を手にした。相変わらず蝋燭は不在のため、世界観をブレさせること已む無しで魔法を再び行使しようかどうか悩んでいたら……。
手にした線香は線香でなく、それと形の似たチョコレート菓子であることに遅まき乍ら認知した。
「極細タイプのポッ○ーじゃねえか! しょーもない悪戯だな!」
叫ぶ遠江は一齧りもせず、ポッ○ーを地面に叩きつけて折るのであった。
「あっ! 食べ物を粗末にしてはいけませんよ、遠江さん」
「何よこれ。こっそり仕込んだの、火遠理くんなの?」
「It’s a real magic!」
「うるさいし!」
一瞬でも真面目に舞台で演じた自分の愚かさを責める遠江は、死者担当の夕籠に残っていたポッ○ーを投げつけた。
「ねえ、火遠理くんはどんな感情で棺桶に入っているの!? 自分の葬式に参列して、お線香とチョコレート菓子をすり替えてから棺桶に入るなんてどうかしてるよ!」
「ふむ……説明不足で申し訳なかったけど、畢竟……この舞台講筵で遠江さんに知らしめたい実相を最後に……」
「え?」
棺桶から完全に身体を投げ出した夕籠は、寒気を起こす冷淡な視線を遠江に送った。
「僕は、生きているけど死んでいる。逆に言えば、死んでいるけど生きている。生即死のイデオローグを仮想世界で実演した僕だからこそ、この場において最も死んでいる者を明白にさせることを選ぶのです」
遠江が懇求していた死の哲学に於ける新体系を予感させる。
「最も死んでいる者、それは……?」
空気が強張るのを感じた遠江は夕籠との答弁に集中していたが、最終的な答えは千野の陽気な声で伝わることになる。
「葬式でパーティードレスを着ている私のボケが、腐臭がするほどに死にきっているのでしたー」
「あははー、仕掛けたボケを活かす場を完全に見失った千野さんを笑い飛ばしましょうー」
と、夕籠も笑顔の輪に参与したが、当然の如く遠江は激昂した。
「笑えるかーーーーーーーー!」
無駄な期待による二回目の悔恨を味わった遠江は自らの魔法で、劇場ごと夕籠達を焼き尽くしたのであった。焔炎の海で泳ぐ夕籠が、『此処は火葬場じゃないですよ』と涼しい顔で言ったのも、遠江の機嫌を損ねた要因であった。
以下、教室の机を囲んで行われた第一舞台講筵後の反省会である。
「おかしいですね。あ、面白いという意味での可笑しいではなくって、どうして遠江さんを爆笑の渦に巻き込めなかったんだろうってことで」
うーん、と千野は訝しげに唸った。
「……世界観が
と、呆れて揶揄したのは遠江。
「だったら、ポッ○ーの代替でプ○ッツを用意しておけば改善が……」
どうでもいい拘りを見せたのは夕籠。
「何も変わんないわ!」
「まーまー、落ち着いてください遠江さん。担任の私による指導不足であったのが原因です」
飛騨は大人な対応姿勢で、御寛恕いただきたい穏便な言葉を千野へ投げかける。
「指導不足ねえ……突飛なコントに果たして、教育のカリキュラムがあるのかねえ」
終始疑心暗鬼になっている遠江の思惑も、普通と言えば普通なのだ。
特殊なのは、演者達の感性。
悲劇と喜劇の混淆には、特異的な無意味が存在している。
紋切型のアルゴリズムでは解釈不可な、可能的未来が備わっているのだ……。
【追記6】
……これで、終わりなのね。
もうちょっと補足敷衍してもいいんじゃないの。私が言うのもなんだけど、舞台講筵の意図とか……遠江ルミナへ仕掛けたことが失敗した理由とか……多分、喜劇的要素に同感されなかったのは、舞台側との距離感……氷壁で区劃された隔たりがあったから、ということでしょう。
『世界=外=存在』としての仕事は、意外と大変ね。こんな感じで上等だったかしら……ふむ、貴方に褒められるなら、悪い気はしないわ。
――私が私から離れるって、変な感じね。何処で存在了解を得られるのかしら。
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