~第一舞台講筵~
葬儀Ⅰ
【追記4】
……ああ、此処で合っているかしら。
ねえ、段取りは……これ? 何だか読みにくい台本ね。大丈夫なの?
止めるなら今の裡よ。矛盾と矛盾が同化して、取り返しのつかない不条理になる前に……え? 後先考えずやれと?
仕方ないわね。持論に拘泥する哲学者様を信頼するわ。
とある学校の一室に、半透明状の舞台が広がっている。
それだけの説明では外部へ伝わらないだろうか。では、形容表現で捕捉すると、教室の空間内に、バーチャル的な仮想立体物が収まっているのだ。
舞台の両脇には黒幕が吊り下がっているが、奥行きは随分遠方まで届いている。教室とは別次元のベクトルが入り乱れている舞台内部には、学校内を逸脱した街中の風景が映し出され、右端より二人の男女――
「これが、舞台
困惑して呟く金髪の少女――
「もうすぐ葬儀場に着くけど……千野さんはその恰好で行くの?」
と、話を切り出したのは男の方……夕籠。彼は黒一色の礼服でいるが、相手の千野が着ているのは、七分丈のシャツに淡い色のスカート。普通の私服だった。
「あら、いけない! 御香典を現金一括かリボ払いのどっちにするか悩んでいたら、服のことなど忘却してしまいました! すぐに喪服を用意しなきゃです!」
千野は足音をバタバタ立てて、慌てふためいていることを大仰に主張する。
「心配するには及びませんよ。直ぐ其処に服屋さんがあります。事情を説明して女性用の喪服をお借りしましょう」
「わお、火遠理君の名案が飛び出しました! 早速着替えてきます!」
逡巡する素振りも無く、千野は即刻夕籠に従い曲がり角にある服屋へと駆け込んだ。舞台上一人になった夕籠は、両腕を組んで待機する。
「何だかんだで、あっけないものだな。死んじゃうなんてさ……」
雲一つない大空を見上げ、物悲しそうに彼は言う。どうやら二人にとっての今日は、とある死者に最期の別れを告げる通過儀礼の日らしい。舞台から流出する寒々とした空気は観客の遠江にも伝わり、彼女の緊張が高まった。
「でも、御香典のリボ払いって……道徳観バグってないかな?」
遅いツッコミはどうしても避けられなかったようだが。まあ間違いなく道徳観については、遠江の感覚が正しいであろう。
電信柱に背中を預けてじっとしていた夕籠の時間は、ほんの僅かであった。マジシャン並みに迅速な着替えを済ませた千野が服屋から出てきた。
「お待たせしました。さ、葬儀場へ急ぎましょう」
頷いた夕籠は、千野と並んで再び歩き始める。ただ、第三者の遠江は眉間に皺を寄せ、舞台上の登場人物に内在する心証の獲得に倦む。
何故なら、千野が服屋より頂戴した衣服は葬式に見合うものではなく、眼がくらむようなショッキングピンクのドレスであったからだ。背中には羽のように生やしたリボンを携え、しつこいくらいに翻っているフリルを風に泳がせ、千野は街中を闊歩している。
舞台の光景が
「本日はご多忙のところお越しいただき、大変有難うございます」
紺色の布に覆われた長机の前にいる受付係の女性――
「この度はご愁傷様でした」
夕籠は低い声でお悔やみの言葉をかけ、スーツの内ポケットから御香典の袋を取り出し、大事そうに飛騨へ渡す。
「有難うございます。お預かりいたします」
と、飛騨は礼を告げたが、ダンスパーティーへ招待されたみたいな格好をしている千野は、手持ちの長財布のチャックを開け、泰然たる様子でこう言った。
「すいません、御香典は毎月一万のリボ払いで」
「結局クレジットカードに頼るのかよ! 故人に殴られろ!」
観客側から罵声が聞こえたが、演者は極めて平静だった。
「畏まりました。後ほどで結構ですので、こちらの用紙にカード番号等お書き願います」
「クレカOKなの!? 日本ってそういう国だっけ!?」
さも、葬儀場の受付係として正しい対応に従事しているかのように、飛騨は『御香典支払申込書』を千野へ差し出したのだ。
「え? 火遠理くんもどうしてツッコまないの? どういう世界観の葬式なの?」
舞台進行に度々疑義を挟む遠江であったが、彼女は更なる不審感を募らせることになる。
「それと恐縮ですが、こちらにご住所とお名前をご記載いただけますでしょうか」
「あ、はい。えっと、東京都――、千野慧生、と」
飛騨の正面に開かれている芳名帳に記載した。千野に続いて夕籠もサインペンを取って書こうとする前に、飛騨から声をかけられた。
「失礼ですが、故人とはどういう関係だったでしょうか?」
ペン先を止め、夕籠は顔を上げて答える。
「本人です」
「ん?」
「はい?」
訊き返した二人は、受付係の飛騨と観客の遠江。
「あ、私は火遠理君の友人であります。若くして亡くなった彼のことを思うと、悲しみが止みません」
「待って、千野さん。話を進めないで。最大の疑問を放置しないで」
何がどうなっているのか狼狽える遠江の懇願は、舞台と現実を仕切る第四隔壁に阻まれ、飛騨の詰まる声で劇が進行する。
「えっと、千野慧生さんは故人の夕籠火遠理様のご友人で……そちらの男性が……」
夕籠火遠理は夕籠火遠理の葬式の芳名帳に、夕籠火遠理と記入した。困惑を禁じ得ない文章になるが、事実であるから仕方がないのだ。
「はい。この葬式の当事者であります夕籠火遠理です」
この状況に、遠江は何処から訂正するべきなのか混乱していた。彼女にとっては異議だらけなのだ。
「そ、それは大変失礼いたしました。故人様だと気附かず、ご無礼な質問をしてしまい申し訳ございません……」
心苦しそうに飛騨は頭を何度も下げ、故人の夕籠に謝罪をした。
驚愕を超越してドン引きしている遠江の疑問符を掻き集めると、下述の通りになるだろう。
飛騨先生は故人が生存している事実について、何も思わないの? 生者の葬儀に意味はあるの? そもそも、自分の葬式に出席する火遠理くんはどういう神経をしているの? 千野さんはさっき悲しいって言っていたけど、すぐ横で出会っているじゃない? 馬鹿かな? 頓馬かな? 斜め上の角度から斬り込むホラーなのかな?
そこはかとない狂気と不安が埋め尽くす舞台で彼等は、遠江に何を伝えようとしているのか……謎が謎を浸食する中で、夕籠と千野は夕籠の葬儀場へと入った。
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