彼岸の世界

春里 亮介

彼岸の世界

プロローグ

プロローグ

 誰でもあり誰でもない自分が、何処でもあり何処でもない存在位置より語り始めた。ついては、この世界の真実が那辺なへんにあるのかと詰問されても、沈黙で返す外にない。

 必然性というのは可能性の最大値であり、不可能性は偶然性の最大値である。可能性と偶然性にはさほど大きな差異は無い。不確定事項で充溢された領域に於いて、存在しないことも可能となる偶然の矢が飛び交っているのだ。自分は連続して矢に射られては、実存の徴表と接見する世界が上書きされていく。時空間に罅隙かげきが生じ、己と外界を侵徹させる。


 或る時の自分は、未来の異次元大陸でファンタジー的戦闘を繰り広げる強気な勇者であったかもしれなく、過去の都内で大学受験に失敗したつまらない浪人生であったかもしれない。

 或る時の自分は、普通の高校で希有な部活を発足させては跋扈跳梁ばっこちょうりょうたる行動でクラスメイトの男子を困らせていたヒロインであったかもしれなく、植物状態で眠っている女子に人格を乗っ取られて慄き震える臆病な主人公であったかもしれない。

 或る時の自分は、死の練習と称して自殺未遂を繰り返す癲狂であったかもしれなく、地下アイドルを辞めた後、元メンバーに風俗の仕事を誘う堕落者であったかもしれない。


 可能性と偶然性はより近しく接しているが故に、自分という現存在は偶々存在しているに過ぎない。運命のピースがいみじくも嵌め込まれたストーリーラインではなく、適当に寄せ集められた凹凸の線路がその場凌ぎで繋がっているだけなのだ。その上を走る電車は不図に進路を変更する場合もあり、線路が途絶え冥がりの谷に落下する時も屡々ある。

 由って、爾後じごの物語に於いて予期されるであろう外部からの懐疑や理会不能の極印は凡て漂白させていただくことにする。勝義や道理を求めようとも、無駄なのだ。確たる因果を詳述する必要性など何処にも無い。自分を穿鑿せんさくしようとも、深奥になるのは空隙であるかもしれなく、言表すら叶わない究竟の代物であるかもしれない。


「自分は自分である」

「僕は僕である」

「私は私である」


 各々の自分が声を世界に響かせても、それは存在証明に成り得るかもしれなく、啻の空言くうげんであるかもしれない。

 要は、殆ど解っていないのだ。悲しくはない。嬉しくもない。嘘だとは思わない。真実だとも思わない。

 不確かな存在であるからこそ、自分は偶然に身を委ねることが出来る。それが唯一にして最大の知見だと自負している。


「では、この私が此処へ出現したのも、偶然を司る賽の仕業ということでしょうか」

 端無くも自分は二者に分裂し、主観にとっての他在が語り掛けてきた。

「その認識で間違い無いかと」

「ちなみに、多重人格の可能性は?」

「確証はありませんが、少なくともそういう原因ではございません。ありふれた物語設定を甘諾したくない、と僕が申し上げるからです」

「ふむ」

 他在は無空間を歩き、主観の様子を窺った。なお、劈頭へきとうで言表した通り現在の場にメルクマールが含有されていない為、自分達の存在位置は依然として不明のままである。

「で、この物語は結句、どういう構造だったのでしょうか?」

「まだ始まってから、原稿用紙三枚分くらいしか進んでいませんが」

 躊躇いなくメタ=存在論に抵触する自分達は、立派に狂っていた。

「言語空間を俯瞰すれば此処は始まりの地でありますが、経験的流転軸の観点から考えると私達は既に常に厖大な難渋辛苦の世界を歩んできました」

「それは失礼しました。僕の認識不足でありましたね」

 全然構わないと言わんばかりに他在は首を横に振り、弓なりのx軸に沿って歩みを進め、y軸を垂直に突き下ろすように身体の上下を自分と反対にさせた。

「それ、どういう物理法則が働いているのですか」

「科学的には説明不可であります。顕在され得た瞬視的今が有ればそれで大丈夫だと、勝手乍ら私は存じております」

 経験論で非現実の実在を押し通す他在には、反論しかねた。

 世界には、必然なる永遠は存在しない。

 この国でかつて、神尊な思想を積重ねてきた哲学者の言葉を借りられるのであれば、偶然の相の下に世界を眺めているのだ。

「此処ってもしかして、寄り道だったりします?」

「で、あります。それも、不可能性に限りなく近接している偶然点でしょう」

「だとしたら、あまり長居は出来ませんね」

「ええ。では、宜しくお願いいたします」

 主観と他在の対機はこれにて終わり、再び合一された。


 自分という存在はこれより可測的通俗的時間軸と精神的秩序を逸脱し、転変せらるる世界内を歩む。

 現在を起点とした既在と未来の両方で、幾度となく彼岸の往復が敢行された。その都度、繰り返しの表現となるが偶然の矢に射られ、自分は生成流転されていく。

 何故か、とは問わない。時間に置いて行かれた過去を振り返っても、其処は現在から想像され得る紛いの起因でしかなく、すべきことは理想的将来に向けての先駆に尽きるのだ。

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