第19話
一九、
低空飛行を続けるヘリコプターから見える風景は、速度を別にすれば鉄道の車窓から見える風景によく似ていた。森林地帯を抜けると、遮るものが少なくなる。ところどころにこんもりとした林が見えるが、うっそうとした針葉樹林帯からは編隊は抜けた。
「姉さん、海軍の『バス』がやられたのは、あの森の向こう側だぜ」
南波がスライドドアの窓に目をやり、言う。
「俺たちはこのあたりをうろうろ歩き回って、機甲部隊と合流したんだ」
見ると、ところどころに黒こげになった戦闘車両の残骸が見える。設計思想の違いこそあれ、ある程度同レベルに達した道具は、収斂進化というべきか、ほとんど同じ形をしている。だから、残骸と果てた車両を見て、敵味方の区別をつけるのはやや難しい。
「EMPダメージを受けて、部隊は総崩れになった。いくら戦車の気密性が高いからといっても、クルーの装備だけが生きていたところで、肝心の戦車そのものが動かないんじゃな。上から狙われたらひとたまりもなかった」
南波が顎で指し示した方角に、砲塔を吹き飛ばされた戦車の残骸があった。友軍の97式戦車だった。
「信じられないことだらけさ。指向性を持つEMP攻撃。プラントに仕掛けられた自爆タイプの音響兵器。ああ、俺たちを誘い出すためだけに作られたモデルハウスに、しゃべんない敵の兵隊な。全部が悪い夢みたいだな。確かに」
南波と向かい合う姿勢で、私も窓を向いていた。
「チームDは奇特な体験してるんだな」
瀬里沢が笑う。
「お前らのチームAは、俺たちの後ろばっかりついてきたじゃないか」
「お前らが失敗ばっかりするから、後始末に忙しいのさ」
「風連奪還戦では、制御室の確保に失敗したのはお前らだ」
「縫高町の橋を確保したのは俺たちだ」
「あっさり敵の反撃にあって撤退したくせにな。あれから俺と姉さんがどれだけ苦労したか、一晩かかって話してやりたいぜ」
「よく言う」
瀬里沢は蓮見と並んで機体後部の内壁に寄り掛かっている。リラックスできる姿勢が許されるときは、全力でリラックスする。それが作戦中の私たちの義務だった。
「モールリーダー、南波少尉。目的地上空まで十キロ。敵脅威判定は、陸上、上空とも、レベル一だ。どうする、このまま行くか」
「機長、頼む」
この速度で距離十キロ。百ノットは出ている。四分弱あれば、私が拒絶したあの日常に再び合流できるのだ。たったの四分で。
「姉さん。ひとつ訊くが、連中は、自分の庭先にこんなもので乗り付けられて黙っているタイプか」
「南波らしくもない。意外にデリカシーがあるんだな」
「ここは帝国の領土ではないからな。礼儀作法からなにから全部違うだろう」
「地面を耕そうって考えてるくせに、そういうことは気になるのか」
「それとこれとは話が違うんだ」
「村のはずれで着陸してほしい。戦闘ヘリは……ギラギラしすぎてる。少し離れていたほうがいいと思う」
地形がやや起伏を持ってきた。向かって右手に森林。ショウキの戦車がうずくまっていたのはあの森の中だろう。左手が開けているのは、海が近いからだ。
「大尉、機長。そういうわけだ。村はずれにやさしく着陸してやってくれ。エンジンは駆けたままで、すぐに戻る」
「わかった」
機長は随伴する護衛機に距離を置いて散開するように連絡。戦闘ヘリはすぐにバンクして地形効果が望める丘陵の影や森林の入り口まで後退した。私たちの乗る七七式汎用ヘリコプターはそのまま進む。
「猟師村か。いまでもあるんだな」
しばらく黙っていた田鎖が口を開いた。
「椛武戸の同盟国側には、数万のイルワクがいる。都市生活に同化している部族もいるようだが、それでも狩猟生活に頼っている部族も多いそうだ」
私が答える。
「昔は俺たちの国もそうだったんだがな」
田鎖は南洋州の出身だと聞く。猟ではなく漁。海の民が多く住んでいた群島地域の出身なのだ。
「どちらがいいか悪いか。優劣なんてない。それこそ、姉さんが言う、それぞれの日常だ」
南波が言う。機首方向に身体をひねり、二人のパイロット越しに針路を確かめるように。
「田鎖と瀬里沢、それと日比野は残っていてくれ。チームDオリジナルメンバーで村に行く。ドアガンを頼むぜ」
「連れて行ってくれないのか」
瀬里沢は冗談のつもりか、本気とも取れない表情に欠けた声で南波に行った。気づけば耳鳴りはほとんど消えていた。
「お前は笑顔が足りないからだ」
そういうと、南波は白い歯を見せて笑った。
私は南波に続き、その後衛として蓮見が間をおいて来る。初夏だというのに気温が低い。海が近いからかもしれない。草の匂いがした。だが、盛夏のようなむっとするものではなく、薄荷のような、軽やかな匂いだった。
「俺が先頭で問題ないか。姉さんが頭張ったほうがいいんじゃないか」
戦闘を歩きながら、南波が抑揚なく言う。
「それが命令なら従うよ」
「いや、訊いてみただけだ」
私たちが行く草原に道はなかった。私と蓮見が辿ったような、細いが、しかししっかりと踏み固められた道。あの道はどこまで続いているのか。国境を越え、私たちの国……南椛武戸の各地へと枝分かれしているのだろうか。
「くそ、遠いぜ」
南波がつぶやいている。
「そんなに遠くない」
私が言う。
「便利な乗り物に頼っちまうと、陸軍の誇りを忘れちまいそうだ」
「誇りってなんだ」
「歩いて歩いて歩き倒すことだ」
「それは手段だ」
「手段は使いこなせて何ぼだ。姉さんも蓮見だって、ずいぶん歩いてあの村にたどり着いたんだろうが」
「そうだな。歩いたな」
ヘリコプターはまだローターを回している。回転翼は翼端形状を分析することで、より騒音を減らす構造になっている。理論は以前から存在していたが、実現には、複雑な形状を現実のものとするための複合素材の開発を待たねばならなかった。だから、私たちのヘリコプターは、思った以上に騒音は少ない。むしろ、ターボシャフトエンジンの排気音が耳に届いてくる。高周波は直進性が強い。だが遮るものがあれば音は届いてこなくなる。ふとヘリの存在感が薄れたのは、私たちの進路が変針したからだ。
「そろそろ入り口ってやつだな……人の気配がしないぜ」
すでに数戸の家が見えている。だが煙突に煙がない。確かに人の気配がない。私の肩ほどまでに伸びた草が視界を限定する。着陸地点はよくなかったかもしれない。ここは村の北側だ。滞在中もこちら側に来たことはなかった。
「南波、すこしゆっくり行ってくれ」
「なんだ、」
「……確かに誰もいない」
私はCIDSのサブウィンドウからコマンドを選択し、衛星からの情報を参照する。軍事偵察衛星は、写真を撮影するように上空から狙う光学衛星と、戦闘爆撃機が搭載するものと同じ原理を用いる合成開口レーダー衛星がペアとなる。衛星は空軍と情報本部が管理しているが、たえず戦域に滞空しているわけではない。地球の周回軌道に乗っているからだ。しかし、衛星は一組だけではない。北方戦域全域を二四時間体制で監視するため、複数組の衛星が椛武戸上空を通過するシフトになっていた。私は最新の衛星情報を呼び出す。
CIDSは衛星とダイレクトにつながっていない。情報本部で解析、抽出された画像を、各個人の端末がダウンロードする形だ。もちろんほぼリアルタイムといっていい更新頻度だが、本来はこれに早期警戒管制機や偵察機の情報も加味される。全面反攻を目前にしたいま、私たちが行動しているイルワクの村は、その網の目がより狭まっている地域に該当しているはずだ。
「村は……誰もいない」
ディスプレイに表示された情報には、少なくとも、私が過ごしたときのような、人の動きはなかった。
「おい、どういうことだ? わざわざ知らせに来る必要はなかったんじゃないのか? お前に弾の缶詰をプレゼントしてくれたっていう戦車乗りはどうした?」
南波は立ち止まり、姿勢を低くしていた。警戒。
「南波、」
続けようとして、私はその場に固まった。茂みを掻きわける小さな音がしたからだ。
「Замри(ザムリ)」
低い声。ブーツが草を踏みしめる音。
私は両手を4726自動小銃から離した。
「入地准尉、」
「南波、動くな……」
私は両手を肩の高さまで上げて、足音へそっと頭を回す。
「ショウキ……」
「あ?」
南波が振り向こうとした。そのとき、彼のすぐ右手脇の草むらから、銃身が伸びて、南波の首筋辺りを照準し、止まった。
「Замри」
ショウキだった。低い声でもう一度言われた。
「そっちの言葉で言ったほうがよかったか。『動くな』だ」
「待て、ショウキ」
ショウキは4716自動小銃を構えている。銃床が折り曲げ式の、光学照準器やフラッシュライト、イルミネーターの類でドレスアップしていない、戦車搭乗員が戦闘用に装備する五.五六ミリ口径の自動小銃だ。
「あんた、何しに戻ってきた」
不必要に間合いを詰めてこない。近接戦闘の訓練をある程度受けた者だけが知っている間合いだ。戦闘訓練を施された兵士が至近距離に接近すると、銃を使わずとも敵を倒す方法を少なくとも五つは瞬時に見いだせる。手足は言うまでもない。あるいはナイフ。その手の類のものなら、私たちが装備するもの以上に「実戦的」なものがいくらでもこの村にはあるのだ。ショウキが間合いを保つのは、私たちが同じような手段で相手を斃す訓練を受けていることを熟知しているからだ。
「……名目上は、ショウキ、いや、八田堀伍長。あんたを連れ戻すため」
「名目上? 俺は言ったはずだ。俺は帰れない。だからあんたにとっておきの道具をくれてやった。……あんなものは俺たちが持っていても使い物にならないしな」
CIDSのことだ。確かにアップグレードも何もしない状態では、シカを撃つのにも役には立たないだろう。
見るとショウキは、一世代前の帝国陸軍兵士の標準的な戦闘装備を纏っていた。ヘルメットこそかぶっていないが、首から下はまったく隙のない「着こなし」になっていた。国籍や所属部隊を示すパッチはすべて外されている。
「……あんたが脱走兵か」
南波が口を開く。
「南波、よせ」
左側の茂みからも、銃身がのぞき、そして銃を保持した本体……人間が姿を現した。
「驚いたよ。気配がしなかった」
南波も両手を、やや大げさなほどに上げている。
「あたんらは便利な道具に頼り切るからだ」
ショウキが言う。
「そうだな」
南波は首を振る。
「少尉殿、余計な動きはしないでいただきたい。両手は首の後ろで組んでくれ。あんたらの両手を自由にしておくのは危険すぎるんでね」
黙って南波は従い、首の後ろに手を回して組んだ。
「それでいい」
ショウキは銃を構えたままだ。茂みから現れた村人は、私が出会ったイルワクの伝統的衣装をまとっていなかった。防弾ベストにチェストハーネス。そこには予備弾倉がつめこまれている。戦闘服の迷彩パターンは、ショウキと同じ、一世代前の帝国陸軍のものだ。足元は毛皮の靴ではない。通気性と耐久性に防水性と、相容れない性能を最大公約数的に実現した軍用ブーツだった。手にしているのは4716自動小銃だ。まるで友軍部隊と合流したかのような錯覚すら覚える。だが正規軍のそれと決定的に違うのは、戦闘服もベストもハーネスも何もかも、相当にくたびれており、ほつれや破れまで見られるところだ。ずいぶんと野性的なスタイルで、むしろ私たちの最新装備よりよほど迫力がある。
「なんの真似だ。戦闘訓練か」
南波の口調は軽い。
「ボルトアクションの猟銃に、クマの毛皮でも着て現れると思ったか。それはステロタイプすぎるってもんた。俺たちもあんたらも、同じ時代を生きているんだぜ」
私の表情を見てか、ショウキが言う。怒りすら含んだ声音だった。
「だが、ヘリで軒先に着陸しなかったのは感心だ。さすが礼節の軍隊だな」
「下から撃たれても嫌だしな」
南波が合いの手を入れるように言う。
「少尉殿。俺の小隊長があんたみたいなタイプだった。あんた、武家の出か」
「武家? バカな」
「違うのか。少尉殿。あんたの立ち居振る舞いに口上は、武士の匂いがする」
言いながらショウキの銃はまったくぶれず、私を捉えたままだ。茂みから現れたのはショウキを入れて四人。よく訓練されている。私はそんな印象を持った。
「トモ。あんたも変な動きはよすことだ」
ショウキの目が鋭い。獲物を狙う猟師の目と、敵を捉える戦士の目。その両方が混ざっている。蓮見も完全にホールドアップ。背後から銃を突きつけられていた。もちろん、一定の間合いを保持したまま。
「訓練はあんたがやったのか」
私が問う。
「素質がいいのさ。ここの連中は。生半可な帝国軍兵士より、足腰の鍛え方が違う。子供のころから、本物のライフルの便利さと怖さをしっかり教育されているんだ。陸軍の教育隊の助教の苦労は、ここにはないってことだ」
「そいつはいいね。……なあ、俺たちはあんたらの村を襲撃しに来たわけじゃない。あんたも分かっただろう。礼儀はわきまえてる。村に案内してくれないか。話したいことがある」
「話す? 警告に来たと、この姉さんは言ったぜ」
「話さないと警告もできない。とりあえず銃を降ろしちゃくれないか。ケツの居心地が悪い」
南波が言うと、即座にショウキは銃を降ろした。その動きに呼応して、ほかの三人も銃を降ろす。だが、ローレディの体勢だ。いつでも据銃し、私たちを斃せるように。
「村の連中はどうしたんだ。誰もいないようだが。あんたらみたいに全員が気配を消してるのか」
南波は頭の後ろで手を組んだまま言う。
「少尉殿。答える必要はない」
「なにがあった」
「その質問にも答える義務はない」
「なにかあるのか」
「質問攻めだな。あんたらこそ戦闘ヘリまで連れて何しに来たんだ」
「俺たちは帰る途中だ。その姉さんが……入地准尉がどうしても村に寄り道したいって駄々をこねるから、仕方なく来たんだ」
蓮見も私も動かない。私は別の危険性を考えていた。当然、ショウキが指摘した戦闘ヘリコプターは私たちの状況をモニタリングしている。異常を感知した彼らは、南波の指示がなくても発砲する可能性がある。なにせ友軍が武装勢力に銃を突きつけられている状態なのだ。
「ショウキ、その戦闘ヘリに連絡を入れさせてくれ」
たまらず私は言う。
「私たちが取り囲まれているこの状態を、パイロットが勘ぐる。発砲されたらひとたまりもない」
「立場違えば、あんたも変わるもんだな」
「皮肉か」
「そう聞こえたらすまないな。あんたに気を遣う余裕もこっちにはないんだ。……連絡するなら勝手にするがいい」
「南波少尉、頼む」
「モールリーダーからレラフライト。こちら異常なし。くりかえす。こちらは異常なし。マスターアームスイッチを切ってくれ。撃つなよ、交渉中だ」
『レラフライトリーダーからモールリーダー。大丈夫か』
「大丈夫だ。すぐ戻る。待っててくれ」
『わかった』
「これでいいか、姉さん」
「ありがとう。……ショウキ、とりあえず、手を降ろしていいか」
一度、二度、小さくうなずくショウキを見て、私はそっと、上げたときと同じようにそっと手を降ろす。南波、蓮見も私にならう。
「ずいぶん気が立っている……何があったんだ」
「いきなり撃たれなかっただけでも感謝しろ。准尉殿。俺たちはふだんの狩りで、言葉の通じない連中を相手にしてるんだ。言葉は通じないが、殺気は俺たち以上に感じる奴らだ。銃を構えて『動くな』なんてしばらく口にしたこともなかった」
「私たちの接近を感じて、その装備をしたわけじゃないんだろう」
「そうだ」
「じゃあどうして」
「村に行くか。誰もいないが」
「シカイは、」
「長はみんなを連れて森の中にいる。海側だ」
「女子供もか」
「そうだ。……南側にはセムピがいる」
「おい、なんのことだ。姉さん、説明しろ」
「村は何だか知らないが臨戦態勢だ。そういうことだな、ショウキ」
「そういうことだ」
「理由を訊いたら教えてくれるか」
「同盟軍が動いているからだ」
「なんだって」
南波が振り向いた。
「少なくとも連隊規模だ。あの森の向こうに半日行けば国道がある。昨日の朝だ。俺が見つけた」
「どっちへ行った」
「どっち?」
「北か南かってことだ」
「どっちでもない。陣地を構築している」
「バカな」
「なにがバカだ。バカなのはあんたらも同じだ。さっきの音はなんだ? 空が割れたのかと思った」
プラントが自滅したときのあの音のことだ。
「昨日、長にすぐ話をした。……守りを固めるように言われた。銃を持てる人間は。銃を持てない連中は、長が率いて、村から離れた」
「敵が来るのか」
南波が問う。鋭く。
「敵ってなんだ。同盟軍のことか。それとも帝国軍のことか」
「同盟軍に決まっている」
「俺たちにしてみたらどっちも同じなんだよ。味方はイルワクだけだ。味方でなければ敵だ」
「バカな」
「また言ったな。なにがバカだ。ここは同盟の領地かもしれんが、勝手に線を引いたのは連中に帝国だ。イルワクはずっとここに根を張っている」
「お前だって帝国国民じゃないか」
「元、だ。俺に帰る国はない。ここが俺の居場所だ」
ショウキは強く言う。言い聞かせるように。俺の居場所だ、そう語気を強くしたとき、眉間に皺がよるほどに目を固く閉じて。思いを断ち切るかのように。
「俺は、この村に助けられたんだ。恩義がある……だからあんたらに手は出さない。一度は同じ村の空気を吸った女の子も混じってるしな」
蓮見のことを言ったのかと思ったが、ショウキは私を向いて言った。
「女の子?」
南波が返す。
「俺の目の前に立っている勇ましい出で立ちの女の子だ。……後ろのはよく知らん」
蓮見を見る。中立的な表情……険しくもなく、笑うでもなく、無表情に近い、複雑な顔。
「あんた、名前はなんて言ったか」
その蓮見にショウキが声をかける。
「蓮見」
蓮見が応える。ぶっきらぼうに。
「名前を聞いたんだ」
「ユハ」
「どんな字を書く」
「優しい、羽根」
「いい名前だ。大事にしろ。階級はなんだ」
「准尉」
「あ? 准尉だって? 少尉殿に准尉殿が二人か。あんたら、ハケンか?」
「今頃気づいたの」
蓮見が口元だけ表情を崩した。
「兵隊が一人もいない部隊だもんな。……そういうことか」
「どういうことだ」
南波が問う。
「総攻撃でも始める気か。言っておくが、このあたりに軍事的価値なんて一つもないぜ」
「そう願いたい」
「願う必要もない。あるのは森と村と、草っぱらだけだ」
「同盟の連中は、その森の下にいろいろこしらえてるようだが」
南波。
「そんなものはこのあたりにはない。少なくとも七年前からは」
「ならいいんだ。確かに脅威判定はレベル二以下だ」
「あんたのCIDSは脅威判定もするのか」
「これがするんじゃない。判定は本部が行う」
「時代は進んだな」
「多少ね」
「とにかく、帰れ。あんたらがいるだけで、利敵行為だと判断されたら、同盟軍に襲われる」
「襲われることを前提にしてないか」
南波が四人を……イルワクの装備を見渡して言う。
「悲観的に準備して楽観的に待っているだけだ」
「ショウキさんよ。一緒に国に帰らないか。あんたはまだ戦える」
「もういい」
「あんたの立場は俺が保証するよ。なんなら、俺のチームにスカウトしてもいい」
「脱走兵なんだろう、俺は」
「気が変わった。いま変わった」
「断るよ。俺はようやく長に行動を任された。七年かかったんだ。イルワクとして認められるまで」
ショウキの鋭い眼は私を射るようにとらえたままだ。
「来る者は拒まないんじゃないのか。私と蓮見を迎えたように」
その視線を受けながら私が言う。
「来る者は。だが、家族になれるかどうかは別だ。一生客人で朽ち果てた奴らも大勢いる」
「そいつらの装備か」
南波がいまいましそうに言う。死者から剥がしたのか、そう言っている。
「これは俺の小隊や、前線で倒れ、むなしく逝っちまった連中の物だ。そいつらの遺志を継いでるのさ」
「なら、国に帰ろう」
「帝国の装備だけじゃない。同盟の装備も使ってる。混ぜると使い物にならないから区別してるだけだ」
「様になってるよ」
「あんたらほどじゃない。俺は戦車兵だった。白兵戦は得意じゃない」
「なら俺たちが指導してやる」
「揉め事はごめんだ。さあ、さっと帰ってくれ。話は終わった」
「話はすんでない」
私は二人に強く割って入る。女の子呼ばわりされた私の甲高い声で。そう。私の声は高い。遮るものがなければ、ショウキや南波の声よりも遠くへ飛ぶ。
「帝国は反攻に出る。ここは戦場になる。村は消える。森も何もかもだ。そうならないうちに、ショウキ、みんなここを離れろ」
「……なんだって」
「森も草っぱらも、なにもかも耕すんだ。上層部は同盟が施設を地下化し、椛武戸北部を要塞化しようと目論んでるって思い込んでるんだ。まもなく総攻撃が始まる。ショウキ、あんたこそ私たちと脱出するんだ」
「……バカなことを」
ショウキは手にした銃をだらりと降ろす。ほかの三人は私の言葉を十分に解さないためか、ローレディを保持したままだ。
「それを言いに来たのか」
「そうだ」
「わざわざ、ここまで」
「そうだ」
「……トモ。あんたはバカだ」
「だから、行こう」
私は呆然と私を見つめるショウキに歩み寄る。間合いを、自ら破る。ショウキは反応しなかった。
一発の銃声を耳にして、人はどう反応するか。伏せるか。そのまま耳をそばだてるか。あるいは自分の銃の薬室に弾薬が装填されていることを確かめるか。ただ怯えるだけか。聞こえなかったふりをするか。または、本当に聞こえなかったか。
戦場で生き残れるタイプは、伏せるか、自分の銃を確かめるか、そのどちらかに限られる。いや、この場合は伏せる、それに尽きる。
花火ではない。銃声だ。それも、ライフルの発射音。単発。残響。
私たちはとっさに伏せた。南波も、蓮見も、ショウキも。
伏せなかったのは、ショウキに率いられていた数名のイルワクだ。
「バカ、立つな」
南波が鋭く言った。
銃声は単発で一声。だが、それで終わると誰が思うか。ここはまだ最前線の戦場ではなかったが、明らかに戦闘地域であり、私たちは戦闘部隊だった。南波が鋭くイルワクたちに言ったのは当然で、戦場で立ち尽くすことはすなわち死を意味する。もちろん、弾着がなく、銃声だけが私たちの耳に届いたのだから、少なくとも私たちを狙った銃声ではないことはわかる。私たちを狙ったのであれば、銃声の前に弾着がある。銃弾というものは、音速の軽く三倍近い初速があるからだ。狙撃されて一拍置いてから、暗殺者の銃声が残響するのが相場というところだ。
「伏せろ、伏せろ」
南波がハンドサインを出す。ショウキも伏せたまま、隣のイルワクのにわか戦士を茂みに引きずり倒す。
「どこからだ、」
南波が匍匐しながら私に近づく。その際も、自分の銃の状況を確認している。
「ショウキ、」
私が問う。単発一声で続きが今のところないのは、敵の銃声ではなく、「味方」……イルワクの誰かが発砲したものだと思ったからだ。
「南側だ、たぶん」
「あんたらのお仲間か」
南波がCIDSを下ろし、光学照準器のスイッチを操作している。肩付けで照準しなくても、光学照準器がとらえた画は、CIDSのサブウィンドウに表示させられる。照準しなくても(オフボアサイト)射撃ができる。もちろん、正しい射撃姿勢を取らなければ、銃というものは目標に命中しない。だから、どちらかというと、光学照準器を使った索敵に近い。
「たぶんそうだ」
「むやみに撃つなと言ってやれ。位置を教えてやっているようなもんだ。倍返しにされるぜ」
戦闘技術の基本中の基本。敵を確実に斃せる状態で照準していない限り、発砲は厳に戒めるべき行為だ。あるいはそれを「自殺行為」と呼ぶ。
「といっても、……あんたら、無線っていう文明の利器は持っていなさそうだな」
南波が皮肉っぽく口をゆがませて言った。ショウキたちの装備に、無線通話が可能な道具の姿が見られなかったからだ。
「電源がないからな」
「狼煙でも上げるか」
「バカな」
「バカはお前らだ。勝手に発砲しやがって。敵を呼び寄せたいのか」
「俺の指示じゃない」
「モールリーダーからレラフライト。こちらは脅威に接近しつつあり。情報を送れ」
『レラフライトからモールリーダー。こちらは現在レーダーをシャットダウン中。脅威判定不可。繰り返す、脅威判定不可。……エンジンをかけてもいいのか』
いつの間にか、エスコートの戦闘ヘリコプターはエンジンを止めていたようだ。ガスタービンエンジンはただでさえ燃費が悪い。アイドリングしていても排熱は発生するし、そうなれば敵勢力の赤外線(IR)や温度センサーに察知される危険性もある。エンジンの再始動は自動車のそれよりも手軽だが、エンジン停止中でもラジオが聞こえる自動車と違い、戦闘ヘリコプターが装備する索敵レーダーは電力をバカ食いする。APUなどの補助動力装置は大型機ならば搭載するが、ボクサーのように極力贅肉を省いた機体に、そのような装備はない。受け身としてなら、上空の衛星や早期警戒管制機の情報を得られるが、森林や丘陵が広がる当地では、高精度のものは期待できないだろう。
「モールリーダーからレラフライト。上空退避が必要になるかもしれない。エンジンをかけておけ。マスターアームはまだだ。俺が必ず合図する。自慢の三十ミリをぶっ放すのはなしにしてくれよ」
『レラフライト了解』
言うが早いか、ターボシャフトエンジンが始動するサイレンのような音が耳に届く。あの音響兵器の影響はもうほぼ無視できるだけの聴覚になっている。
銃声。再び。一発、二発。
「ショウキ、」
「わかってる。村の反対側だ。ドミトリ、イブゲニー、俺に続け。アベ・フチ、お前は、この帝国の戦士と一緒にいろ。わかったな」
後半は同盟の言葉だった。私にはかろうじて理解できたが、南波は私を向き、翻訳を求めた。
「ショウキは、この二人を連れて村の南側へ行くそうだ。この、……青い目の彼は私たちと残れ、そう言った」
「固有名詞が聞こえた。同盟の名前じゃないか」
「だからどうした。イルワクは共通言語として同盟の言葉を使う。名前なんて記号だ。関係ない」
「姉さんは割り切りがいいぜ。俺は釈然としない」
「文化は帝国よりも同盟側なんだ。仕方ない」
「肩を持つな」
「そういうわけじゃない。……ショウキ、本当に連絡は取れないのか」
「取れない。取る方法がない。……帝国の装備と同盟の装備では周波数もデコード方法もエンコード方法も違う。使いものにならん」
「では、会敵したらどうするつもりだったんだ」
「各個の判断で照準、各個の判断で戦闘だ」
「無茶な」
「わかってるさ。俺も便利な道具に頼りすぎちまったんだ。けどどうしようもない。便利な道具は、それを動かして手入れする環境がなければダメだ。もし帝国や同盟軍の装備を流用したところで、いざというときに使えなくなったら、結局同じだ」
私はショウキの言葉にうなずいた。もともとイルワクに「戦士」という職業はない。有事には村の人間が総動員される。組織だった抵抗といえば聞こえはいいが、戦術も戦略もない突撃をするか、待ち伏せて敵を一人ずつ葬るか、そのどちらかしかない。彼らは猟師であり、戦士ではない。
ならば。
「南波少尉、今の状況をどう判断する」
私は南波の肩をつかむ。そうしているうちにもライフルの発砲音が続いた。間髪を入れず、連続した射撃音。
「ショウキ、この村には機関銃があるのか」
思わず私は訊く。悪い予感を打ち消すためだ。
「ない」
悪い予感は打ち消されなかった。
「反撃されたな。姉さん、今状態は、……何を期待している」
「名目だ」
「なんの名目だ」
「……私たちが発砲できる名目だ」
「正当防衛。あるいは、敵と会敵した場合。交戦規定に従い、敵と遭遇した場合は、部隊として戦闘を行うさ」
「いまの状況は」
「おい、俺たちはまだ撃たれちゃいないぜ」
「ショウキ、待ってくれ。私たちも一緒に行く」
「姉さん、何だって?」
「巻き込まれれば……私たちの戦闘になるだろう」
「姉さん、入地准尉、世迷言を」
「だいたい、敵の部隊が至近距離にいるのはもうわかった。ヘリは上空に退避させたほうがいいかもしれないが、高度は取りすぎないほうがいい。撃ち落とされたら貴重な三十ミリが使えなくなる」
「姉さん、……聞かなかったことにしたほうがいいのかな。この一連の会話は」
「どうせ記録されてる」
「あとで消す」
「そんなことできない」
「あらゆる手段で消す」
「もういい、ショウキ、行ってくれ。私たちはあんたたちを追いかける」
応えるより早く、ショウキは茂みに駆けこんだ。ドミトリ、イブゲニー、そう呼ばれた二人が続く。姿勢をできるだけ低くして駆けるが、これには訓練がいる。訓練を経ずにこの姿勢のまま走っても、十分と持たないで大腿部が悲鳴を上げる。だから、後続の二人の腰が高い。
「ショウキ、ダメだ。もっと姿勢を低くさせろ」
私も茂みに飛び込みながら、叫ぶ。それに応えて、ショウキが同盟国の言葉を叫ぶ。「くそっ」と毒づきながら、南波が続いてきた。その後ろにアベ・フチと呼ばれた目の青い若者。最後尾に蓮見だ。
茂みは深い。道はない。が、あっけなく茂みの壁をぶち破り、躍り出たのは一軒の民家の軒先だった。小さな畑で野菜が生長しつつある。民家の壁際でショウキが立ち止まって銃を構えている。
「見えるのか」
私がショウキの肩に手を当てて云う。こういうとき、自分の存在を示す意味でも、味方の身体に触れるのは有効だ。
「見えない。気配もしない」
散発的な銃声はもはや止まらない。一発ライフルの射撃音がすると、バースト射撃の音が響き渡る。単発の鉄砲に機関銃では相手にならない。
「ショウキ、私が前に出る。あんたの目より、CIDSのほうが役に立つ」
私はショウキの肩を強く引いた。ショウキは抵抗せず、私と位置を入れ違えた。
CIDSの索敵モードはスーパーサーチ。ただし、フラッシュライトでいうなら、拡散状態にある光の束をすぼめ、細く強い光で遠くを照らすのと同じだ。頻繁なスウィーブをしなければ、目標を発見しづらい。
『モールリーダー、こちらレラフライト。脅威判定確認。レベル三。繰り返す。脅威判定レベル三』
「姉さん、聞いたか。まずい状況だ」
私の背後で南波がぼやくように言った瞬間、私たちの一メートルほど左方を銃弾が掠めた。
「撃たれた、撃たれた」
蓮見が膝撃ちの姿勢を取る。
「蓮見、ダメだ。発砲するな。向こうはこっちを照準していない」
南波が制止する。
「モールリーダーからレラフライト。脅威目標の種別を求む」
『南波少尉。敵歩兵部隊と思われる。目標多数、ただし詳細不明。援護射撃を要請するか?』
「まだ早い、待ってくれ」
『瀬里沢少尉がじれているぜ。そっちに行くと』
『南波少尉、瀬里沢だ。何をしている。撤収しろ、迎えに行く』
瀬里沢の声が割って入る。
「モールリーダーからオールステーション。エンゲージ、エンゲージ」
南波が意外なほどに低く、落ち着いた声で交戦を宣言した。
「レラフライトへ。しばらく待ってくれ。合図する。そうしたら自慢の三十ミリを頼む」
『こちらレラフライト。離陸する(エアボーン)』
戦闘ヘリは離陸した。ローター音はほとんど聞こえないが、ターボシャフトエンジンの排気音がメインローターの回転音に遮られるように断続的な響きを持っている。エンジンの排気音と周波数が同じローターの風切音が混ざっているのだ。
「姉さん、どうだ、」
「距離、九百、目標、……六」
「小規模だな」
再び敵の銃弾が掠める。九百メートルでは、いくらこちらを照準していてもほとんど当たらないだろう。遮蔽物があれば、七.六二ミリ弾なら停弾させられる。
「くそ、セムピのところだ」
激しい射撃音。派手に撃ち返されている、そんな状態だ。
「南波、警戒。目標移動中。接近している。射撃用意」
了解、の代わりに、南波は私の背中を二度叩いた。
遮蔽物……民家は私たちの身体の右側。この状態で右手で銃は構えられない。私も南波も左手にスイッチして4726自動小銃を据銃する。
「ショウキ、あんたの銃じゃ弾の無駄になる」
同じように左手にスイッチして4716自動小銃を据銃したショウキを私は制した。威力の弱い五.五六ミリでは、この距離ではただ弾を飛ばすだけになる。弾幕を張る以外に発砲する意味合いがまったくない。
私は照準する。距離、八〇〇。七.六二ミリでも有効射程ギリギリ。できれば五〇〇メートルを切ってくれないと、容易には当たらない距離だ。そもそもこの銃の零点規正(ゼロ・イン)は四〇〇メートルで行った。八〇〇メートル先の目標に弾を当てるなら、照準器のレティクルをかなり目標の上で狙わなければ当たらないし、これだけの距離で人間(マンターゲット)に当てる自信はなかった。
私も膝撃ちの姿勢。右肘を右膝に乗せる。呼吸を制御しなければならない。これが猟なら、……この距離では絶対に狙わない。確実に当てる自信を持てる距離まで接近する。それが獲物に対する礼儀であり責任だ。獲物を手負いにすることは、猟の世界では許されないからだ。だが、ここは戦場だった。息の根を止める必要はない。戦闘能力を奪えればいい。大けがをさせるだけでもいい。そうすれば、負傷兵を後方へ下げるため、あと少なくとも二人、合計三人の人員を排除できる。
見えた。トマト畑とナス畑の向こう。森の中。村の入り口。五〇〇メートルあるかないか。
私は用心金の外で伸ばしていた左手の人差し指をそっと引き金にかける。
引金を引く。人差し指の腹で。もともと左手での射撃は得意ではない。照準するのも利目とは反対の左目になる。不利なのはこちら側だ。けれど撃つしかない。シアが解放され、ハンマーが落ちる。私がかつて猟で使っていたライフルと比べると、明らかに引金の感触が雑だった。徹底的に分解して整備しても、軍用銃と、純粋な猟銃では、チューニングが可能なレベルも決まってくる。
反動。肩を打つ。七.六二ミリの反動はかなり強い。それでも、銃自体が四キロほどの自重を持ち、ボルトアクションの猟銃と違い、排莢、装填を自動で行う機構が反動を分散させるので、いくらかマイルドに感じる。それでも速射はできない。二射目の命中率は、一射目と比較して極端に落ちるのが七.六二ミリ口径4726自動小銃の宿命だ。
命中。一人に当たった。肩だ。頭には当てられなかった。それでも一射目で命中できた自分をほんの少しだけほめてやる。二射目はハードだ。敵はこちらの発射点を理解した。シカや森林に君臨する羆は撃たれたからと言って発砲してこないが、相手は違う。
単射ではなく、バースト射撃で反撃してくる。
土が弾ける。
狙って撃っていない。ほとんど制圧射撃のレベル。窓ガラスが割れる音。銃弾が空気を切り裂く嫌な音。私はさらに伏せ撃ちの姿勢を取る。だが、地面の起伏が邪魔をして射界を確保できない。私はすぐに膝撃ちの姿勢に戻す。
「姉さん、」
南波が私の背後で叫ぶ。
「連射するから、その隙に、向こうの家へ」
「わかった。ショウキ、あんたの部下たちに伝えてくれ。この姉さんが連射したら、その間隙をついてあっちの家の影まで走れ。何も考えずに」
「わかった」
「蓮見、遅れるなよ。ついでに撃たれるな」
「わかってる」
「姉さん、いいぜ」
「よし、」
私は民家の影から半身を覗かせ、尻を地面につけ、右半身を壁に預けるようにして、銃のセレクターをフルオートに切り替える。反動を地面と壁に吸収させるつもりで、連射した。
反動反動反動反動。光学照準器の中の像はぶれて何も見えない。硝煙、マズルフラッシュ、空薬莢が家の壁に当たって金属音が弾ける。南波たちが駆けたのがわかる。再びフルオートで射撃。二十発の弾倉はあっという間に空になる。
「姉さん」
反対の家にたどり着いた南波が私を呼び、蓮見が私と同じ姿勢を取って4726自動小銃を連射で射撃。私は弾倉を素早く交換し、ホールドオープンしたボルトを閉鎖、薬室に初弾が送られたと同時に銃を腰だめにしてフルオートで撃ちながら走る。狙っていない。銃口がどこを向いているかCIDSにはレティクルが表示されるが、見ていない。走る。そうして私は南波たちに合流する。
「先が思いやられるぜ」
機関銃手がこちら側の敵にはいないのか、反撃の連続射撃も長くは続かない。
「ドアガンを持ってくれば良かったな」
「今更」
「田鎖を連れてくるべきだった」
「いまさら」
「呼ぶか」
「敵脅威が判明しない。ヘリが来ても落とされるかもしれない」
「わかってるさ。次だ。……行くぜ」
「援護する」
先ほどと同じ、私は銃を構え、撃つ。撃っているあいだに、南波が駆ける。ショウキが続く。ドミトリ、イブゲニー、アベ・フチと蓮見が駆ける。蓮見が駆けながら撃っている。小さな身体を走らせながら、重心の移動をうまく銃の反動にかぶせながら。器用だな、と思う。
「姉さん、早く」
新しい弾倉に交換する。被筒と銃身から白く煙が上がっている。強い硝煙の匂い。私は立ち上がり、しかし低い姿勢で、撃ちながら駆ける。
村の中で。
私は毒づく。
戦場にしちゃった。ここを。この村を。
土がはじけ飛ぶ。敵の銃弾が跳弾し、畑の向こうの民家の壁を砕く。煙突の石組みが弾ける。それでも私は撃つ。撃たなければ、この戦場で、私は死ぬ。
それはありえないことだしあってはいけないこと。
だから、撃つ。
散発的な射撃音の直後に、すさまじいバースト射撃の音が響く。一発撃つ間になんとやら。ようするに、ボルトアクションの猟銃で、ベルトリンク給弾の機関銃と対峙しているのだ。
「ショウキ、抵抗するより逃げろって伝えるんだ」
「それができないんだよ」
イルワクの家庭はある程度電化されている。ターニャの上にも電灯があったし、村には白熱灯の街灯もある。いつまでも前時代的にアザラシの油でランプをともしているわけではなかった。村はずれには小さな発電施設があったのを覚えている。風力発電と太陽光だ。そもそも大量の電力を消費するような生活を彼らはしていないから、せいぜいが家々の灯りを点せるだけの電力で十分なのだ。だから「ある程度」の電化に留まっている。必要がないから無線設備がない。私たちが装備しているような個人対個人で通話可能な通信用具がない。
「本気で狼煙でも上げてもらわなきゃな」
遮蔽物に半身を隠しながら、銃を構えた南波が言う。言うあいだにこちらへも敵からの銃弾が掠めていく。
「ショウキさんよ、あんたらの装備は目立ちすぎる。もっと姿勢を低くしろ。敵のセンサーにもろバレってやつだ」
ショウキたちが纏っているのは、帝国陸軍の一世代前の戦闘服だった。それも正しくメンテナンスされていないもの。戦闘服はただの衣類ではない。人間が恒温動物である以上、生きている限りは体温を放出する。それは赤外線として有用なマーカー足りえる。いくら背景と同化しようが、体温が放出される限り、サーマルデータとして人の形がくっきりと捕捉できてしまう。もちろん、ショウキたちの戦闘服も赤外線放出を極力抑えられる繊維で作られているし、コーティングもされている。だがそれは新品か、それに近い状態を保っていることが条件となる。消耗品なのだ。手荒く洗濯することすら部隊では禁止されている。
「あんたら、こんなところからさっさと出て行けばいい。なんでわざわざ、」
4716自動小銃を点射しながらショウキが吐き出すように言う。
「戦闘に巻き込まれたからだ」
南波が平然と言う。言ったあと私を向く。それでいいんだろう? 姉さん。表情が雄弁だ。
「バカな」
「文句はこの入地准尉に言ってくれ。さあ姉さん、どうするよ」
「少尉殿、私に言わないでくれ」
「無責任だな。あんたが望んだことだ。ここへ来たいと。警告したかったんだろう?」
「状況が変わったな」
「そのとおりだ」
私たちは民家の軒先で釘づけにされてしまっていた。遮蔽物である民家からうかつに身体を出せば、敵がばら撒く銃弾に確実に当たる。敵の弾が届いてくるのだから、こちらからも当然撃ち返せば当たる距離なのだが、遮蔽物が邪魔をして射角が取れない。下手に室内に移動するわけにもいかない。遮蔽物に囲まれるメリットより、移動範囲が限定されるデメリットと、室内に移動することで、遮蔽物の厚みが半分になる……壁を二枚通すか、一枚通すか……デメリットが生ずる。それこそ、敵からロケットランチャーあたりで狙われたら終わりだ。
「とりあえず移動しよう」
南波が言う。私と蓮見がうなずく。ショウキも彼らの言葉で仲間に伝達する。
「南波少尉。セムピと合流する。遠回りになるが、村を迂回する」
「道案内頼む」
言うが早いか、ショウキが駆けだす。
「ドミトリ、イブゲニー、アベ・フチ!」
青い目をした三人がまずショウキの後を追う。いくらショウキが教えたとはいえ、私から見れば新兵並みの身のこなしだった。一人前扱いされる前に、戦場で死ぬ。
「入地、蓮見、俺に続け」
三人に距離を置かず、南波が低くスタート。こちらは慣れたものだ。動物のような動きをする。屈みながら走るのはたいへんな体力を消耗するのだ。自然に姿勢が高くなる。そしてそこを狙われる。慣れないうちは太ももが真っ先に悲鳴を上げ、翌日は下半身が言うことを聞かなくなるのだ。
「姉さん、家が燃えてる」
蓮見が叫ぶ。走りながら。蓮見は指で示すことまではしなかったが、私の視界の端で、一軒の家が黒々とした煙を吹き、炎上しているのがわかった。銃撃で可燃物に火が点いたか。敵はまだ砲撃までは行っていなかった。だが、こちらの勢力を察知されれば、即座に火力支援が行われるに違いない。私たちには戦闘ヘリコプターという極力過ぎる助っ人が控えているが、彼らに出張ってもらうのはまだ早すぎる。戦力の拮抗が崩れれば、一時的にどちらかが優位に立っても、すぐに援軍がやってきて再び戦力は拮抗するのだ。それが彼我の戦力に著しい差がある場合は別だが、この森の向こうに、敵がどの程度の戦力を集中させているのかがよくわからないだけに、いま戦闘ヘリコプターに登場してもらうの危険すぎた。本気で瀬里沢、日比野、田鎖を呼んで欲しいと考えたが、ここまでの距離が微妙すぎる。強力な分隊支援火器と、必要であれば汎用ヘリのドアガンで武装した彼らがここまで移動してくる時間を、私たちは待てない。もちろん、重量級の武装を担いで走ってくるだろう二人と、身軽な私たちとの機動力の差も不安材料だった。戦闘機と爆撃機が一緒に行動できるのは、戦闘機が爆撃機を護衛する場合だけだ。逆はありえない。
「少し離れたな」
耳に南波の声が届く。CIDSには、脅威レベルがやや低下したことを示すサインが出ている。さきほど遭遇した敵部隊の射程外に私たちが逃れたことを意味しているのだろう。だが、散発的な射撃音はずっと聞こえる。じきにセムピたちのライフルは残弾を失う。
「ショウキ、なんでお前ら、味方と戦うんだ」
走りながら南波が声を張り上げる。茂みを突っ切り、けもの道のような細い通路を駆ける。頬が痛む。若葉で切れたらしい。
「味方じゃない。俺たちの村がたまたま同盟の領土にあるだけだ。俺たちは徴兵も物資の提出も何もかも拒否している。一応同盟から認められた自治権があるからだ」
ショウキがミズナラの大木の手前で一時駆けるのをやめた。青い目をした三人は完全に息が上がってしまっている。
「その自治権があるなら、なぜ同盟はお前らを攻撃する」
「軍事作戦すべてを拒否し続けているからだ。自治権は奴らに『認めてもらってる』わけじゃない。もともとここに俺たち……イルワクは住み続けている。自然に発生した権利だ。ここにい続ける権利だ。あとからやってきたのは同盟のほうなのさ。生活を乱すものがあれば、実力で排除する。それがイルワクの歴史だ」
「抵抗して皆殺しにされるぞ」
「そういう歴史もあっただろうさ」
「そうなのか」
南波が私を振り返る。私は小さくうなずいてみせる。それはイルワクの村で教わったことではない。北洋州で育ったものならば、誰もが社会科の授業で教わる負の歴史だ。北洋州の北部と、海峡を越えた椛武戸全域は、もともと帝国の領土ではなかった。イルワクを含めた、先住民が何千年と暮らしてきた地域だった。彼らに領土の概念はなかった。そもそも国家の概念すら希薄なのだから、領土の概念がなくて当たり前だった。それが、近代になってから破られた。地球上の地面は、あまねくどこかの国家に所属せざるを得ない時代を迎え、その流れは北のこの地にも及んだ。南からは帝国、北からは北方会議同盟(ルーシ)連邦。その過程で、先住民は自決を維持するために、狩りに使っていた道具で抵抗をした。結果、一族が消えた村もあったのだ。そういう歴史があった。
「ここでそれを繰り返すわけにはいかないってことだ。同盟は面倒事を避ける。今回は、あんたら、帝国軍が侵攻してきたから、それを同盟軍が迎え撃っている。その前面にたまたま俺たちの村があった。俺たちに武器を向けるものは全員が敵だ。そういうことなんだ。そこで妥協は許されないんだ。妥協した瞬間、イルワクはイルワクではなくなる」
「同盟に同化した部族もいるんだろう」
私が問う。
「町には何でもあるからな」
「彼らとはどう違うんだ」
「行きたい奴は行けばいい。残りたい奴、残らざるを得ないやつがここにいる。残れる場所がなくなったら困るから、戦う。それだけだ。シンプルだろう。あんたらの戦争と違って」
「すっかりイルワク気取りなんだな。お前も帝国の一員だったくせに」
「イルワクは民族そのものを指すことばじゃないのさ。イルワク人がいるんじゃない。イルワクの生活を営む人間がいるんだ。少尉殿、あんただって、この村に居残りたいならそれができるぜ。銃の腕もある。なにより若いし、体力も有り余ってる。若者は歓迎されるぜ。俺からとりなしてやったっていい。ここでの暮らしは俺が教えてやる。少尉殿、どうだ。理屈を考えながら、自問自答しながら戦争するより、生きるために生きるってのは、シンプルでお勧めだ」
大木の影で索敵の姿勢を取りながら、ショウキが鋭く言う。皮肉交じりの言葉ではあったが、私には皮肉には聞こえなかった。南波も同じ気持ちだったのだろう。ショウキの目をまっすぐに見ながら、しかし混ぜっ返したりはしなかった。
「考えとくよ」
南波は笑わずに言った。
『モールリーダー、こちらレラフライト。なぜ移動している? そろそろこっちはビンゴだ。支援は必要か。必要ないなら拾いに行く』
CIDSに戦闘ヘリコプターからのコール。
「レラフライト、こちらモールリーダー。敵の攻撃を回避するため、一時敵射程外に退避した。もう少し待ってくれ。……この村の本隊に合流してから、警告を与えて、俺たちは帰る」
『なんだって』
「言ったとおりだ。この村の住民が敵の攻撃に遭っている。非戦闘員だ。警告を与えて、敵の攻撃を止める」
『任務外だ。さっさと帰るぞ。南波少尉』
「二十分、いや十五分でいい。十五分したら、戻る。モールリーダー、アウト」
一方的に宣言すると、南波はショウキの肩を叩いた。
「休憩は終わりだ。あんたらの長(おさ)ンとこまで案内してくれ。俺もあいさつをしたい。この姉さんが世話になった礼が必要だ。手土産を忘れてきたが、加勢するからそれで許せ」
ショウキはにこりともせず、しかし強くうなずき、また駆けだした。
私たちは海側に村を迂回している。こちらから敵の様子はうかがえないが、完全に射程の外に脱している。攻撃はできないが攻撃もされない。私たちは姿勢を低くしたまま、精いっぱいの速度で走った。こういう場合、走っては止まり、止まっては索敵し、そして走るスタイルが戦争を描いた映像作品などでは見られるが、それは愚の骨頂だ。動きは流れるように、よどみなく、それがセオリーだ。走っては止まり、止まっては走る、その繰り返しはパターン化しやすく、逆に狙われる。止まっているあいだは索敵もしやすいが、逆に、動目標と比べると、静止目標が狙いやすいのは、銃を初めて撃った子どもにだってわかる。動き続けること。予測しにくい動きで。なので、目標地点まで最短距離を一直線に進むことはこれまた自殺行為だ。
「十五分で行って帰って来られるわけがないだろう」
ショウキが振り向かずに言う。
「方便だよ、方便。連中は三十ミリをぶっ放したくてうずうずしてる。そんなことをしたら、敵がかえって勢いづいちまうぜ」
「あんた面白いな。少尉殿」
「面白いからこの職業についたんだ」
「変わってる。俺は……戦車に乗りたかっただけだ。戦車で闘いたかったわけじゃない」
「不純な動機だな」
「少尉殿、なんであんたは陸軍に入ったんだ。それも五五派遣隊なんかに」
「もともとハケンにいたわけじゃない。俺は一般部隊出身だ。この姉さんや蓮見のお嬢ちゃんみたいに、選抜されたわけじゃない。志願したんだ」
「なぜ」
「年中最前線にいられるからだ」
「なに?」
「飽きない。俺は退屈したくなかった。死ぬほど銃も撃てるしな」
「一番死にやすいんじゃないか」
「違うさ。第五五派遣隊は、隊員あたりの戦死者は少ないんだ。負傷者もだ。質が高いんだ。だから場数を踏める。場数を踏めば踏むだけ、精強になれる。いろんな現場に行けるからな。毎日毎日鉄砲をばらして組み立てて穴掘ってなんて日常に飽き飽きしていたんだ」
「志願して配属させる部隊じゃない。どういう力を使ったんだ」
「それは秘密だ。ショウキ、原隊に復帰したら応募の方法を教えてやる。どうだ、魅力的だろう。俺たちと一緒に、最前線巡りの旅をしてみないか」
「あんた、いかれてるよ」
「俺への賛辞ってことでいいな、姉さん?」
私は応えなかった。南波がどういう経緯でこの部隊にいるのか、しかも一般部隊出身で二六歳でなぜ少尉なのか、その辺の話は今まで一度もしたことがなかった。私たちは南波が言うとおり、常に最前線を渡り歩いてきた。戦死者も少なからずいる。だが、人数あたりの戦死者が少ないのは本当だ。チームが全滅した作戦もあったが、小隊規模で全滅する一般部隊とはボディカウントの桁が違う。実際、死傷者数の「割合」が全部隊中最小に近い数値なのは事実だった。裏を返せば、どんな戦場に放り込まれても生き残り帰れるような訓練を叩き込まれているということ。戦場にいないあいだも地獄のような訓練が私たちを迎えてくれる。それは非日常であり、日常だった。
「少尉殿、もうすぐだ。見えた」
ショウキは言いながらも駆けつづける。けっして止まらない。銃声が近い。
「ショウキ、俺たちの接近を悟らせるなよ。もっと低くだ。青い目の兄ちゃん三人にちゃんと伝えるんだ。発砲は厳禁だ。撃ったら撃たれる。撃ち返す間もなくやられるってな」
南波が言わんとすることは、軍隊経験のあるショウキにはよくわかるのだろう。鋭く後続の三人に伝え、さらに姿勢を低く、私たちは進んだ。
「白兵戦になったらどうする」
誰に言うともなく、南波の声が耳に届いた。生々しい。CIDSでノイズをフィルタリングし、言葉の持つ力が増幅された南波の感情そのものが私の耳に届いてくる。
「そこまで接近するのか」
私が返す。
「姉さん、あんたは猟をやっていたんだろう。猟も狙撃も通じるところがある。それはなんだ」
「ここで兵学校の講義か」
「そんな講義はない」
「じゃあなんだ」
「姿勢を低くしろ、茂みを利用しろ……、猟も狙撃も、敵にいかに近づくか、それだろう。違うか。弾なんてものは、遠ければ遠いほど当たらない。接近すればそれだけ当たる確率は上がる」
「弾数を増やせばいい。撃ちまくれば」
「姉さん、そんな答案じゃ零点だ」
「じゃあなんだ」
「だから言ってるだろう。近づけば近づくほど、敵を倒す確率は上がるってことだ」
「南波少尉。普段と言ってることが違う。『戦いは多勢が無勢を袋叩きにするのがセオリー』。『敵が気づきもしない遠方から一方的に攻撃して、さっさと逃げる』。そんなことばっかり言ってるじゃないか」
「建前だ」
「じゃあ、いまもギリギリまで接近したいのか」
「近づいたら、斃せるな。ぞくぞくしないか、こういうの」
私はそこで気づいた。南波はまったくもっていつもどおりの南波だった。戦場が好きなのだ。とにかく、戦闘が好きなのだ。フレグランスよりも硝煙の匂いが恋しいのだ。投機的作戦に投入されたとき、彼は最も生き生きとした表情で、しかし、困り果てたふりをして、ある時は空挺降下に備え、ある時は水路潜入を行う。そしてときにこういう。
「旅行だって遠足だって作戦だってなんだって、目的地に行くまでが一番楽しいんだ」
前方でまた激しい射撃音が響き渡る。銃口が彼我どちらに向いているか、慣れればわかるようになる。銃声は銃口から弾けるからだ。スピーカーの後方よりも前方で、音はより大きくまっすぐに響く。
「警戒、低くしろ」
南波の声に私は地面に伏せるように身体を低くする。光学照準器を覗く。敵の姿は見えないが、音だけはよく聞こえた。
「南波少尉、どうするんだ。少尉殿、このまま敵の正面に回るのか」
ショウキが南波のわずか後ろについて言う。
「それは自殺行為ってもんだ。いまは、無勢に多勢だ。敵の戦力が我々を上回っている」
「後方に控えていらっしゃるあのヘリコプターをなぜ呼ばない」
「強力すぎる。連中が本気になったら、ショウキ、あんたのお仲間も無事じゃすまないぜ。それは困るだろう」
「じゃあどうする」
「せめて無線でもあればな。……撃ち返してるぜ、あんたのお仲間が。まさか、ボルトアクションのライフルしか持ってないってことはないだろうな」
「いや、それに近いと思う」
「よし、姉さん、蓮見、俺が十数えたら突っ込む。あそこに見える窓に白い花を飾ってある家のところまでだ。いいな、十数えたらだ。合図はしないぞ。俺が数え終わったら全速力で走れ。走るだけだ。撃つな」
「わかった」
私が答える。蓮見もうなずく。
「数えるぞ。いち、にぃ、さん」
数えながら、南波はにじり寄るように歩き始めた。
「よん、ごぉ、ろく」
やけに間延びした言い方だった。まるで、そう、子供が裏路地で遊ぶときのような。そう、かくれんぼか鬼ごっこだ。
「なな、はち、きゅう、じゅう」
言い終わると同時に、私と蓮見、そしてショウキたちはダッシュ。南波は続かず、その場で膝撃ちの姿勢を取り、三点射で射撃を開始した。乾いた銃声が響く。
「姉さん、止まるな、そのまま走れ!」
私は応えず、走った。足場は茂みで悪い。道もない。が、こういう場所は慣れている。散々訓練でも走らされ、私たち全員が道なき戦場を走り回ることが当たり前になっている。白い花を窓辺に飾ったあの家まで、全速力で十秒。私は走りながら目算する。この足場と装備なら、五十メートルと少々。振り返らず、走る。振り返りながら走ると、軌道がずれる。南波の射撃音は、私たちが家にたどり着く寸前に途絶え、耳に南波の発する言葉にならない声が届いてくる。まるで鬨の声だ。
「近づいた、さあ、トモどうする」
ショウキの顔に汗が浮いていた。
「少尉を待つ」
「姉さん!」
蓮見が鋭く言う。CIDSに警戒情報。敵がこちらに気づいた。移動目標複数、分隊規模だ。遮蔽物に身体を隠すが、イルワクの建物は木の板で作られているから、気休め程度にしかならない。ライフル弾なら貫通する。
「こっちに来たか」
声に振り向くともう南波が私たちに合流していた。恐ろしい機動力……というより体力だ。息も上がっていない。
「狙い通りだ」
「ひきつけてどうする」
「モールリーダーからレラフライト。敵部隊を捕捉した。イルミネーターで位置を指示するから、三〇ミリでやっつけろ」
『レラフライトリーダーからモールリーダー。敵部隊の捕捉を了解。イルミネーターでロックされた目標をこれより射撃する』
「少尉、なんだって」
「引き離してやったのさ。狼煙でも上げて、もう反撃するのは止めるように伝えろ。弾の無駄だ。いや、命の無駄だ。……そこの青い目の兄ちゃんを伝令にやれないのか。戦車を穴だらけにできる心強い奴らがすぐに来るぞ。巻き添えにならないうちに行かせろ」
すでにあたりにはローターがはばたく音が届き始めていた。八二式戦闘ヘリコプターが接近しつつある。私たちが足で歩いて走った距離は、ヘリコプターにとっては無きに等しい。
「イブゲニー、ドミトリ、アベ・フチ」
ショウキが青い目の三人を呼ぶ。そして、イルワクの、というより、北方会議同盟共通語で、いくつかの文節を強く、撃ちこむように言った。
「こいつらを伝令にやる。戦闘ヘリに撃たないように伝えてくれ」
ショウキは全力疾走の影響が収まっていない。息が荒い。
「射撃が始まったら保証できない。今すぐやれ」
返事の代わりに、ショウキは目でイブゲニー、ドミトリたちに指示を出す。間髪を入れず、三人は駆けだした。ショウキがフルオートで4716自動小銃を撃つ。三十発を三秒足らずで吐き出してしまう短い弾幕だが、撃っているあいだ、敵は頭を上げられない。南波はそれを一瞥すると、4726自動小銃を構えた。銃把の右手親指の先にあるモード切替スイッチは、銃本体のシアを開放する位置ではなく、光学照準器と連動したイルミネーター切り替え側になっているのだ。ここで引金を引いても弾は出ない。
「始まるぞ。もう十数えたりはしないからな」
「二人が火線から離れるまで待てるか」
「三十秒で抜けることを祈ってくれ。ヘリはすぐに来る」
銃を構え、目標をロックしながら、南波が言った。
「ショウキ、悪いが、このあたりの家は何軒か更地になる。それはあきらめてくれ。すまないな」
ショウキは応えず、4716小銃を構えていた。敵の銃弾は確実に私たちを捉えている。援護射撃のために遮蔽物から身を乗り出していたショウキも、地面が弾け、空を鋭い音を立てて銃弾が切り裂くのを感じ、身体をひっこめた。
「来た」
蓮見。私も振り向く。
八二式戦闘ヘリコプター二機は、集落を縫うように、およそ航空機とは思えない高度で進入してくる。電線があれば引っかける高度だ。ダウンウォッシュでトタンの屋根がめくれあがっている。敵はこの二機の存在に気づいているのだろうか。おそらく気づいているだろう。私たちはその場に伏せた。
「始まるぜ」
伏せた南波の横顔には、ぎらついた目と、白い歯が見える。笑っているのだ。
『レラフライトリーダーからモールリーダー。目標確認。射撃を開始する。伏せていろ』「もう伏せてる」
『それも見えてる』
「頼んだ」
パイロットが応える代わり、八二式戦闘ヘリコプターの機首下部ターレットの長く伸びた砲身から、眩いマズルフラッシュが瞬く。三十ミリ機関砲の射撃が開始された。連射速度は装甲車両車載の重機関銃と同じくらいだが、音がすさまじい。ヘリコプターは空中に静止し、ダウンウォッシュと空薬莢と射撃音とエンジン音を暴力的にばら撒いた。砲身は機体の動揺に関係なくまっすぐに目標を向いている。敵の射撃は当然止んだ。マズルフラッシュと射撃音が私たちを襲い続ける。土煙が舞う中私は目を細め、向かって左前方に建っていた二軒の家が、射撃訓練の紙製の的を撃つように、大きな穴が一つ二つ三つと連続して空き、そして崩れていくのが見えた。ヘリの射撃手は機体を家に隠しながら、さらに家をぶち抜いて発砲したようだ。目標は南波が捉えてロックしたので、絶対的な座標がデータリンクを介してヘリコプターの火器管制システム(FCS)に送られる。ガナーは完全なオフボアサイトで射撃が可能だった。
『目標沈黙』
射撃が止んだ。私は目を開く。ヘリコプターのローター音。ダウンウォッシュ。それらの音が暴力的なのは変わりないが、射撃音がないだけで静かに感じるほどだった。
私はCIDSで敵分隊が存在していた場所を確認する。脅威判定、なし。敵を殲滅した模様だ。
「ありがとう、レラフライト」
『最初から呼んでくれ。五分かからずに片が付いたのに』
パイロットの声はいくぶん不機嫌そうだった。
「村を見てみたかったのさ」
本気なのかどうか、南波が私を向いて笑って見せた。こちらは肉声だ。オフラインでしゃべったのだ。
「さて、ショウキさんよ。あんたの天敵が悪い奴らをやっつけてくれたぜ」
ショウキが元戦車兵であり、戦車の天敵が戦闘ヘリコプターであることを揶揄した言葉だ。
「悪い奴かどうかは知らないが、礼を言うよ。……シカイたちに撃たれる前に、ヘリを下げてくれないか」
「恩人を撃つのか?」
「俺たちにしてみたら、同盟軍も帝国軍もどっちも同じだ。味方でないからな。なら敵だ」
「そりゃないぜ」
「俺は礼を言った。だかシカイたちはそう思わない。村を戦場にして、帝国と同盟が戦っているだけだ」
そうかもしれない、と私は思った。だか口にはしなかった。
「本気で言ってるんだ。撃たれたら、あんたらのヘリは撃ち返すだろう。あの三十ミリで」
「そうだろうな」
「なら下がってくれ。……あんたらも帰ってくれ。国に」
「ショウキ、最後に訊きたい。……本当に帰る気はないのか。あんたの国に」
「何度も言ってる。俺のクニはここだ。ここが俺の居場所なんだ。帰る場所はここなんだ」
硝煙の匂いが立ち込めている。南波はしかたがないな、と苦笑して首を振り、ショウキの肩を一度だけ叩いた。
「姉さん、帰るか」
まっすぐに私を見る南波の目。私にも問うているようだ。帰るよな? 俺たちの国に。
私はなるべく時間をおかずに、やはり目で返事をした。
「モールリーダーからレラフライト。瀬里沢、聞こえるか。帰るぞ。迎えを頼む」
『警戒!』
耳を打ったのはヘリコプターのパイロットの声だった。
『方位(ヘディング)三〇〇、脅威目標接近、脅威判定レベル三、FCSレーダーの照準を確認』
「なんだって、」
『上空へ退避する』
言うが早いか、二機の八二式のターボシャフト・エンジンの排気音が急速に高まり、ローターの回転が上がる。南波がパイロットの示した方角に照準器を向けた。
「こちらからは捕捉できない」
『早期警戒管制機(AWACS)からの伝送、機種不明だが地上に戦闘車両らしき移動目標を確認した』
「入地准尉、蓮見、ここから動くな。ショウキ、伏せるんだ。姿勢を低くだ」
私たちはいっせいに伏せ撃ちの姿勢を取った。
『森の中だ。森の中にいる』
『南波少尉、瀬里沢だ。敵は中隊規模だ。あんたらのいる場所へ向かってる』
瀬里沢が呼び掛けてくる。私はCIDSのサブウィンドウを視線入力で開きなおす。パイロットが言った早期警戒管制機の情報はこちらの端末でも参照することかできるからだ。
「南波少尉、熱源複数。方位三〇〇、距離九〇〇」
「九〇〇メートル? 装甲車両なら射程内だ」
『レラフライトリーダーからモールリーダー、こちらのレーダーが敵目標を確認した。SDD-48が二両。随伴して装軌車両が二両。おそらく歩兵戦闘車だ』
パイロットの声が切迫していた。
「構わないから攻撃しろ」
『目標を照準、これより攻撃する』
すぐさま、上昇しつつあった八二式戦闘ヘリコプター機体側面のスタブ・ウィングから、空対地ミサイルが放たれる。ロケット・モーターの噴射音が耳をつんざく。発射煙をわずかに曳きながら、誘導弾が森の中へ放たれる。
「当たるかよ、森だぞ」
ショウキがつぶやく。
「撃たざるを得ないだろう」
南波は光学照準器を構えたままで言う。
「退避しろ、と言いたいところだが、俺たちを拾ってからにして欲しいもんだ」
森の奥で爆発音。だが、CIDSの脅威判定レベルが低下しない。命中しなかったのだ。続いて、森の奥から曳光弾が撃ちこまれてくる。
「危ない、逃げろ」
南波が曳光弾の軌跡を追うように振り返る。戦闘ヘリ二機は戦闘機動に入っていた。大きく機体をバンクさせるが、高度と速度に余裕がなく、集落の屋根をかすめている状態なので、思うように動けない。敵が放った曳光弾が一軒の家を粉々にした。弾着が一直線に地面を耕していく。そのまま反対側の森の木々に突き刺さる。
八二式が反撃、三〇ミリ機関砲を撃つ。ガナーの頭の動きに同期して砲身が動く。マズルフラッシュで集落の家に影が落ちる。私たちの頭上を三〇ミリ機関砲弾が空気を切り裂き、撃ちこまれていく。
「伐採だな、まるで」
ショウキが頭を左手で押さえながら言う。八二式戦闘ヘリの機関砲弾が針葉樹をなぎ倒していく様を見、ショウキの表情は苦悶のような色を強くする。
『敵脅威、二。ダメだ、ここからは撃ちこめない』
「レラフライト、早いとこ俺たちを拾い上げてくれ」
『南波少尉、そこまで前進されていてはこちらは動きが取れない。後退しろ』
瀬里沢の声だ。
『集落の真ん中に広場がある。そこまで下がれ。こちらはすでに離陸している。だが危なくて高度を取れない』
「くそ、姉さん、蓮見、戻るぞ」
「南波、セムピたちとは合流しないのか」
「姉さん、この期に及んで何を言ってる」
「それが目的だったはずだ」
「帰れなくなる。優先順位が違う」
「トモ、」
私の真横にいるショウキが顔をしかめて私に言う。
「少尉殿の言うとおりだ。俺がセムピやシカイに話す。あんたらはもう帰れ。そしてここを戦場にしないでくれ」
「姉さん、行くぞ。敵部隊がこっちに向かってきたらとても俺たちの装備だけでは帰れなくなる。ヘリはもうビンゴだ」
私はCIDSのサブウィンドウを閉じ、索敵モードをスーパーサーチに戻す。敵味方識別マーカーに反応しないいくつかの「脅威」が発砲していることを示している。武器を持った「なにか」を「脅威」と判定する機能だ。ここにいて「敵か味方かわからないが武装した集団」はイルワクの本隊を意味している。彼らがまた発砲しているのだ。
「ショウキ、セムピたちがまた撃ってる。敵が分かれたんだ。助けにいかななきゃ」
私はできる限りの声を張り上げた。そうしないと、八二式戦闘ヘリの爆音と、敵が撃ちこんでくる機関砲弾の弾着で、会話が成立しなかった。
「姉さん、俺が上官だ。従わなない気か」
南波が負けじと声を張り上げた。本当はそんなことをしなくても、私たちCIDSを装備した兵士は、爆音をフィルタリングして音声を抽出した通話が可能だが、人間はこういう場合、大声を出すものだ。
「南波、私が行く」
私は短く言うと、4726自動小銃を引く構えたままダッシュした。
「入地准尉!」
南波が引き留めようと腕を伸ばしたがそれは届かなかった。
私は走った。見覚えがある景色だった。あの家は、この村に滞在した一週間余りのあいだ、何度か通りがかったトマト畑のある家だ。この道では、何人もの村人とすれ違った。挨拶をよこす者はほとんどいなかったが、無視されるわけでもなかった。風の音や足音が聞こえた場所が、今では機関砲弾が飛び交い、いままた私の頭上を、戦闘ヘリが放った誘導弾が空気を鋭利な刃物で切り裂くような音を立てて飛んでいく。ここはすでに戦場だった。敵部隊をこの村に入れることはできない、そう私は思ったが、しかし私たちがすでにイルワクの彼らにとっては「味方ではない兵士」にしか過ぎないことに思い至り、それが私の足にさらに力を入れさせた。私は道を突っ切り、申し訳ないと片隅で考えながら、柔らかい畑の土を蹴る。苗木がぽきりと靴の裏で折れる。後ろから誰かが走ってくる気配を感じ、わずかに振り向くと、それは蓮見と南波であり、南波はずっと森の方角を警戒しながら、時折走りつつ小銃を点射していた。その二人を追い抜いて駆けてくるのは鬼神の形相と化したショウキだった。
「もっと姿勢を低くしろ、ショウキ。おい、戦車兵、撃たれるぞ」
南波が叫んでいた。私は構わず走り続けた。装備が重い。すべてを捨ててしまいたい衝動を辛くも押さえつけていた。予備の弾薬も戦闘糧食も通信装備も何もかもここで喪うわけにはいかなかった。私はすでに、味方の汎用ヘリコプターに拾われる可能性を捨てていた。私たちは確実に敵部隊に接近しており、同時にセムピやシカイたちにも近づいていた。
「南波少尉、八二式を近づけるな!」
「俺に命令するな、入地准尉! ……レラフライト、レラフライト、こちらモールリーダー。非戦闘員保護のため、敵部隊の進路を攪乱する。八二式は下がらせろ。敵戦闘車両が接近中」
「南波、」
「姉さん、黙って走れ」
畑を抜けたと思ったところに思わぬ段差があり、私の足はあるべき地面をつかみ損ねて転んだ。だが痛みは感じなかった。痛いと思ったが、痛いとは感じなかった。気が立っている。それだけを実感した。家が燃えていた。誰の家か。どちらの機関砲弾で燃えたのか。すまないと思った。そして転がるように起き上がり、また駆けた。間延びした射撃音が近づく。自動装填式ではない、ボルトアクションのライフルを懸命に連射している音だ。
『レラフライトからモールリーダー、脅威に接近しつつあり。悪いことは言わない、戻れ』
『こちら瀬里沢。南波少尉、血迷ったか』
「今忙しい、手が離せない!」
南波も畑を越えた。膝撃ちで点射。空薬莢が散る。蓮見がバックアップ。ショウキが私に追いつく。
「見えた、セムピだ」
ナスやトマトが生長しつつある一軒の家の向こうに、幾人もの人影が見えた。戦闘にいるのはセムピだ。ライフルを構えて撃っている。
「セムピ!」
ショウキがあらん限りの声を張り上げた。走り続けながら。私も並んで全力で走る。
「ショウキ、……お前らはなんだ!」
ショウキも鬼の形相なら、近づくセムピの表情は怒りそのものに見えた。それがわかる距離まで近づいた。
「お前、トモか。戻ったんじゃなかったのか、何しに来た、帝国の戦士!」
私と蓮見がワタスゲの原で出会ったときと変わらない、イルワクのごく一般的な狩りのスタイルだった。違うのは、七.六二ミリ弾を何発も挿し込んだ弾帯を着けているところだ。まったくもって正規軍の兵士の装備と比べると機能性に欠けた構造。ライフルに複数弾を一気に装填するためのクリップもついていない。前時代そのものの装い。そこに最新の軍事的トレンドを凝縮したタクティカルベストにマガジンポーチ、迷彩服を纏った私たちが合流する。奇妙な光景だった。
「セムピ、同盟の相手をしてる場合じゃない。帝国が総攻撃を行う。みんな、海岸線まで逃げるんだ」
ショウキが喘ぎながら言う。
「総攻撃?」
「同盟を叩き潰すんだそうだ」
「お前ら、」
すさまじい怒りの表情だった。セムピが私たちを睨みつけていた。集団はライフルを持った男たちが前列にいたが、女たちの姿も見えた。老いも若きもいた。このような風景を私は大学時代や陸軍に入隊したあとの講義で見たことがあった。大洋戦争のころの風景だ。戦争が国家対国家の総力戦に変貌した時代。戦士対戦士の戦いから、戦場が日常を塗りつぶすようになった時代の、粒子の粗いフィルムに焼き付けられた苦い光景。
「セムピ、」
私は説明しようと口を開いた。その視線の先にひげを蓄えたシカイの姿があった。セムピと違い、そこに怒りの表情はなかった。ただ、泰然とした目が私を見つめていた。
「帝国の戦士。戻ってきたのか……戦火を引き連れて」
「違う……。私は、あなたたちに、逃げてほしくて」
「もう逃げている」
「もっと遠くへ。海まで逃げて」
「足萎えもいる。そんなには急げん。お前らのように走ることはできない」
「ここはもうすぐ戦場になります。敵部隊が森を越えました」
「そんなものはもうわかっている。私たちはにもう見えているんだ」
「撃ち返さないでください。撃っているあいだに、早く遠くへ」
「ここは私たちの場所だ。私たちの村だ。帝国の戦士に命令されるいわれはないよ」
「なにをごちゃごちゃ言ってるんだ。早くしろ、やられたいのか」
南波がずかずかと大股で歩いてくる。銃把から右手は離さない。CIDSも下ろしたままだ。だから顔の上半分の表情は見えない。
「お前は、誰だ」
シカイが南波に問う。さなかにも森から銃弾が届く。私たちのすぐ横で土が弾けた。弾丸が空を切るいやな音がする。
「帝国陸軍第五五派遣隊の南波少尉だ。あんたがこの村の長か」
「若いの、言葉が達者だな」
「あんたこそ、こっちの言葉もしゃべれるんだな」
「同盟の言葉、帝国の言葉。お前らが決めた線引きは、ここでは通用しない。だから、お前たちの命令も通用しない。私たちは自決権を持っている。それは同盟も保証している」
「だが、今は同盟がこっちに弾を撃ちこんできているんだぜ。この姉さんの言うとおりだ。早いとこ海岸線まで後退するんだ」
「お前らが来たからではないか。お前らが戦火を引き連れてきたんだ。責任を取れとは言わん。さっさと去れ。お前らが乗ってきたあの乗り物に乗ってな」
八二式はまだ集落の上空で回避行動をとりながら飛行中だった。私たちを置いて行けず、逡巡している様子だった。七七式汎用ヘリも接近しているが、ここまでは来られない。森から激しい銃撃を受けている様子だ。
「俺たちが責任を持って敵を……同盟軍をここで引き留める。その間にあんたらは海まで急げ。それでいいだろう!」
南波が左手を振り回すようにして言った。
「何様のつもりだ、お前!」
セムピがつかみかかろうとするのを、ショウキが間に入った。
「セムピ、頼む。こいつらの言うとおりにしてくれ。いまだけだ」
「ショウキ。お前、俺たちの家族になったはずじゃなかったのか。帝国の言いなりか。元の世界に帰るのか」
「違う。そんなつもりはない。俺はイルワクだ。帝国の人間じゃない」
「疑うぞ」
「頼む。そんなことは言わないでくれ」
振り絞るようにショウキが言う。顔が苦痛に歪んでいた。まるで銃に撃たれたように。いや、セムピの言葉は、銃弾そのものよりもより深くショウキの身体に食い込んだのだ。
私たちのせいだ。
「セムピ、……シカイ。ショウキはあなたたちを護ろうとしている。それは私が、言い方はおかしいが、私が保証する。お願いだから、ここから離れて」
私はセムピとシカイの二人に、文節を区切りながら、目をまっすぐに見ながら言った。
『レラ〇三からモールリーダー、FCSで敵戦闘車両をロック・オン。これより脅威を排除する。脅威判定がレベル一に低下したのを確認できたら、そちらまで拾いに行く』
「モールリーダー了解」
上空に三十ミリ機関砲の連続射撃音が激しく響き渡った。二機の戦闘ヘリコプターが同時に機関砲を発砲している。間に誘導弾の発射音。森の中から閃光が瞬き、そして黒煙が上がる。
『SDD、一、撃破。残存勢力は、SDD、さらに一。後方に目標複数接近中。おい、南波少尉、これ以上は堪えられないぞ』
「現在、現地住民を説得中だ。水上部隊の総攻撃まではの猶予は」
『もうない。それとこちらはビンゴ・フュエルだ。瀬里沢少尉がじれている』
『南波、なぜ広場に来ない。もう待てんぞ』
「瀬里沢、もうちょっと、もうちょっとだ。この姉さんが納得しない」
「お前たち、何を話している」
セムピは変わらず怒りの表情だ。CIDSを介した会話は彼らに聞こえない。
「もう一刻の猶予もないってことだ」
南波は怒ったように鋭く言うと、銃を構えた。一瞬セムピもライフルをこちらに向けるそぶりを見せたが、南波が銃を構えた先は、森だった。
「姉さん、敵歩兵だ」
私の身体が反応する。瞬時に銃を構え直し、光学照準器を覗く。人影。
「ショウキ、みんなを誘導して。セムピ、お願いだから、ここから離れて」
「トモ」
私はもう答えなかった。照準器のレティクルに人影を捉えたからだ。セレクターレバーを安全位置から単発に切り替え、立ったままで撃った。しかし遠すぎる。猟でなら絶対に撃たない距離だ。五〇〇メートル以上ある。
「トモ、……あんたは国に帰るんだ」
ショウキの声。そして、セムピたちに呼びかけるやり取り。南波が伏せる。私も伏せた。蓮見は片膝を立てて周囲を警戒する。私たちは去ろうとするセムピやシカイ、ショウキたちと同行することはせず、茂みを前に留まった。
「姉さん、狙えるか」
私は南波にも答えず、伏せ撃ちの姿勢で呼吸を整えた。全力疾走したせいだ。全身の血流が轟々とうるさい。耳の奥で心臓が鼓動を打っていた。右手の指さきまでそれはたぎり、正確な照準を妨げる。銃床のプレートを右肩にあて、左手は被筒下部で動かないよう脱力させる。二脚(バイポッド)を装備してこなかったから、私の左手がその代わりだ。できる限り左手から力を抜き、銃を安定させる。4726自動小銃は狙撃銃ではなかったが、個体差が少なく、命中精度は非常に高い。引き金の感触が唯一気に入らないが、仕方ない。
私は頭上をかすめる敵の銃弾を意識から外した。ここは猟場だ。茂みの向こうには、わざわざこちらへ向かって来てくれる獲物がいる。私は猟師だ。これから人間を狩る。
レティクルはCIDSと連動する。ありがたいことに、コンピュータ制御の優秀な観測手(スポッター)が同行しているようなものだ。神の目を持った観測手だ。あとは、私が一個の狙撃マシンとして機能すればいい。用心金の外で待機していた右手人差し指を引金にかける。
レティクルに私の獲物が捕らえられる。いまだ、撃て。なぜか祖父の声音で私の脳がささやく。
反動。
弾道が見える。
命中。
獲物の左肩に当たった。のけぞるようにして敵兵は倒れた。隣の兵士が駆けよるが、私は自動装填式のメリットを生かして、反動の戻りでレティクルに彼が入った瞬間、引金を絞る。
反動。
弾道。
命中。
「姉さん、」
南波が呼んでいる。そして南波も撃っている。制圧射撃。敵に頭を上げさせないようにして、その場にとどまらせるための射撃。瀬里沢たちがいれば、軽機関銃で雨あられと銃弾を注ぎ込むことができたが、彼らはいま機上の人だ。そして私たちを迎えに来ようとしている。
「姉さん、SDDだ。ヤバい」
光学照準器にもその黒い影が捉えられようとしていた。あの忌まわしい自走対空機関砲。強力な三五ミリ機関砲を二つ、対空レーダーがその間にオフセット気味で備えられている。モジュラー装甲を取り外しているのは、縫高町作戦のときと同じだ。身軽な状態で私たちに向かってくる。随伴するはずの兵士の姿が少ないのは、私の存在に気づいたか、あるいは、八二式戦闘ヘリの三〇ミリに粉砕されたかだ。
「モールリーダーからレラフライト、レラ〇三、こちらからSDDを視認。残弾あればやっつけてくれ」
『レラ〇三からモールリーダー、悪いニュースだ。誘導弾は撃ち尽くした。支援射撃を実施する。レラトランスポート〇一が接近中。方位〇一〇へ急げ』
「聞いたろ、姉さん。もういい。行こう」
照準器の中で、激しい弾着が見えた。味方の八二式戦闘ヘリの支援射撃だ。三〇ミリを食らえば歩兵はひとたまりもなく吹き飛ぶ。人間が粉砕される様を私は一瞥し、立ち上がる。SDD-48の砲塔が旋回するのが見えたが、見届けることはできなかった。対空レーダーはレラフライトの二機を捉えているだろう。私たちを拾う前に、エスコートが撃墜されないことを私は祈る。私たちの無理のせいで撃ち落とされるのは、願いたくなかった。
戦闘ヘリとは別のローター音が近づく。七七式汎用ヘリだ。スライドドアから身を乗り出して田鎖がドアガンを構えていた。ローター音にかき消されているが、ドアガンの銃口から発射煙が上がっている。空薬莢がバラバラと散っていた。
「蓮見、走れ」
「南波少尉も、」
「俺はこの姉さんを連れて行く。お前が先だ。もう墜ちるなよ」
「了解、」
蓮見が駆けた。七七式が高度を下げ、スキッドが草原に沈む。ドアガンが連続発砲。
『蓮見を収容した。二人とも、早く来い』
瀬里沢が怒鳴っている。
『モールリーダー、ビンゴフュエルだ。帰投分の燃料ギリギリだ。早くしろ』
汎用ヘリの円波が叫んでいた。私は銃の構えを解き、腰を上げようとした。その時、CIDSのメインウィンドウが赤くフラッシュした。警戒レベルが最大値を示したときの警告サインだ。
「水上部隊の艦砲射撃だ!」
南波が私の肩をつかんで大声を上げた。
「着弾地点は」
「そんなもん知るか、急げ」
私の問いに答えず、南波は私を促す。走れ、と。
上空に遠雷のような音が充満する。
艦砲だ。
着弾する。
考える間もなく、私が照準していた森が一瞬で消し飛んだ。樹齢数十年の大木たちが、砂場にこしらえた砂山に、飾りとして挿してあった雑草のように舞い上がる。爆風が襲う。
『少尉、急げ。離脱する』
私はショウキたちが向かった先を見た。森、草原、空、雲。彼らの姿はもう見えなかった。無事、敵の射程外へ、そして艦砲射撃の着弾予想点から逃れていればいいが。
地響き。
戦艦の主砲かもしれない。あたりは音と爆風の暴力にもみくちゃにされた。ヘリコプターは安定して飛行するのが危険な状態だ。
「姉さん、走れ! 早く、走れ!」
半身をねじりながら、南波が怒鳴っている。
『姉さん、姉さん!』
蓮見の声だ。CIDSを通してはっきり聞こえる。
爆風。
着弾。
木々が一瞬で爆炎に覆われ、集落の一部は地面そのものが爆発したように消し飛んでいく。
『南波少尉、入地准尉、すまん、もう待てない。離脱する』
汎用ヘリのパイロットが言い、目の前を急上昇する機影がよぎった。艦砲射撃の雨の中、汎用ヘリとエスコートの戦闘ヘリ二機が猛スピードで離れていく。
私と南波は、新たな着弾に身をかがめ、何とか海岸線方向へ移動しようと走った。あたりは一気に暗くなっていた。爆炎と着弾の土煙、空から降ってくるあらゆる残骸で視界はほとんどゼロに近かった。それでも私たちは頭を身体を護りながら、また走った。銃だけは手放さないよう、頭をすくめながら。南波が足を茂みに取られて転んだ。私は彼の手を強く引いた。私が南波の手を引いたのは初めてだったかもしれない。いつも、南波が私の手を引いた。石つぶてが降ってくる。何もかもが艦砲射撃で見えなくなる。CIDSに方位は示されているが、着弾のたびに大きくノイズが混じった。
私たちは駆けた。
そして転んだ。
何度も。
起き上がり、走った。
叫んだ。
言葉の意味も分からない。
言葉にならない叫び。
味方の砲撃に、私たちは逃げた。
CIDSはまだ生きていた。ノイズまじりに、レラフライトが無事、戦域を離脱したことを知った。まだ私たちを呼ぶ蓮見や瀬里沢の声が届いていたが、爆音がそれに勝り、何を言っているのか全く分からなかった。いつしか、私と南波は手をつないでいた。というより、お互いがお互いを引き合い、転んでは助け、そして走っていた。CIDSの生体情報よりも確かな感触だった。体温こそ感じないが、南波の存在が私の手を通してしっかりと感じられた。頼もしかった。南波は砲撃の中でも生きていた。死ぬ気がしない。なぜかそう思えた。
そして、私たちは茂みの中でまた転び、轟音に動けなくなった。
砲撃がどれくらいのあいだ続いたのか、気が付けばあの音響兵器を食らったときのように、強い耳鳴りがしていた。だから、砲撃が止んだことに気づいたのは、あたりから土煙が引き始めたときだった。
明るさが戻りつつあった。
静けさも戻りつつあった。
CIDSの表示は、脅威判定レベルが一以下になったことを示していた。
敵脅威、なし。
敵残存勢力、確認できず。
敵部隊、完全に制圧。
そして、私たちの周囲に、友軍を示す青のマーカーは一つもなかった。
私のCIDSはスーパーサーチモードにしたままだったので、青のマーカーが一つも表示されないということは、半径十キロ以内に友軍部隊はゼロということだ。いや、南波少尉がいた。一名を除いては、だ。
「姉さん、生きてるか」
南波はまだ私の腕をつかんでいた。
「入地准尉」
私は仰向けに転がっているらしかった。南波少尉が私を覗きこむように立っていたからだ。
「南波、」
「生きてるな」
「生きてるよ」
「健在だな」
「見たところ、負傷はしていないか」
「両手両足、どこも負傷はしていないようだ。生体情報では、姉さん、脈拍が異常値だな」
「高いのか」
「低すぎる。ここは戦場だ。寝ていたのか」
「かもしれない」
「終わったな」
私はゆっくりと上体を起こした。
あたりは穴だらけになっていた。
敵部隊がいたはずの森はきれいになくなり、火災が起きているのか、もうもうと煙が上がっていた。イルワクの集落はどうやらなんとか形は留めている。村そのものには着弾しなかったようだ。
「また俺たちだけだ」
「そのようだな」
私は立ち上がろうとする。それを察した南波が腕を引いた。勢い余って、私ははからず、南波の胸に倒れこむ。
「おっと」
南波が私を支えるように、両手で肩を抱いた。
「しっかりしてくれ。入地准尉」
「すまない」
南波の顔が近い。煤けていた。CIDSを上げている。私もCIDSを上げた。視界が急に広くなる。
「誰もいない」
「俺がいる。青のマーカーが一つ。あんただけだ」
「私のCIDSにも青のマーカーが一つだった」
「俺だな」
「うん」
言うと南波は白い歯を見せた。
「蓮見たちは無事のようだ」
「そうだな」
「俺たちも無事のようだ」
「そのようだ」
「姉さん、……帰るぞ」
南波は低く、しかしはっきりとそう言った。
「国境は、こっちだ」
私の肩を支えていた両手を解き、南波は一歩踏み出した。
「なぜわかる」
私が問うと、南波は右手の人差し指で地面を指した。銃は負い紐に任せて背中にまわしていた。
私は南波が示した地面を見る。
草がない。
踏みしめられた土。
南波は示した指をそのまま腕を伸ばして地平へ向けた。
道だった。
一本の、踏み固められた道。
細いが、消えず、一本、しっかりと草原の向こうへ伸びていく道。起伏を越えて、それは続いていた。
「方角は合ってる。南へ続いてる」
南波が言う。
そして、歩き出す。
「さあ、姉さん。行くぜ」
私も銃を負い紐に預けた。敵の脅威はいまはない。
「ビーコンは発信したが、しばらくは迎えはないだろうな」
そう言った南波は、なぜか嬉しそうだった。
「さあ姉さん。帰るぞ」
砲撃の煙はすっかり風に流されていた。
青空だった。
北洋州の初夏を印象付けるような、淡いが強い、青。
そして意外に低いところを、真っ白な雲がゆっくりと流れていた。幾筋か空に書きなぐったような飛行機雲が見えた。
私は南波にうなずき、そして、一歩、踏み出した。
南へ続く、道に沿って。
帰ろう。
私の場所へ。
南波と、私の世界へ。
〈終わり〉
トモの世界 白石怜 @Kita25West3
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