第10話

   9、


 最初から嫌な雰囲気だった。

 私たちが森を抜け、わずかな空間から空が覗いていたが、それは、私たちが辿った細い獣道と、別の獣道が交差するジャンクションであり、そこから空が見えたのだ。

 曇っていた。

「嫌な雰囲気だな」

「何か見えるか」

 私は彼に続いて二番手。

「保養所の入口ってところだろうな。小さい建物……小屋が見える」

「小屋だけか」

 南波は前方を警戒。私は彼から一〇メートルほど方向で左右方向、どちらかというと左側を警戒し、その後やはり一〇メートルほどの距離に蓮見がいる。彼女も左右方向、どちらかというと右側を警戒している。桐生が最後尾で、後方を警戒する。全員のCIDSはスーパーサーチモードに設定してある。偵察衛星、早期警戒管制機からの情報を参照し、たとえば表面温度三五度前後の物体が接近した場合や、一〇〇度オーバーの吐息をまき散らしながら接近する物体が見つかれば、即座に警告してくれるはずだ。が、今は全員のCIDSが沈黙している。脅威判定はレベル一。作戦中の警戒レベルとしては最低だ。

「嫌な雰囲気だ」

 南波は笹の茂みに身を沈めて、自動小銃を構え、首をゆっくりと巡らせている。南波の勘はCIDS以上だと私は思う。「嫌な雰囲気」を数値化できれば、きっとCIDSの性能も向上するだろう。だが、様々な経験則、要素、それらを瞬時に計算する人間の皮膚感覚や、そう、「勘」と呼ばれるものはなかなか機械化できないでいる。正確さには欠けるが精緻なこの感覚を、機械はどうしても再現できない。千差万別、新兵が感じる「嫌な雰囲気」は上官の顔色であったり、突発的な所持品検査の気配であったりするだろう。パイロットが感じる「嫌な雰囲気」は、雲間に見えたような気がする敵の姿だろう。敵の戦闘機の主翼が切り裂いた空気のかけらかもしれない。潜水艦を追い回す海軍の哨戒機の戦術員の「嫌な雰囲気」は、波間に見え隠れする潜望鏡やアンテナの気配かもしれない。戦車乗りの、ヘリコプターのガナーの、整備員の、将官の、それぞれが感じる「嫌な雰囲気」。私は思う。そんなものは数値化できっこない。兵士だけではない。なぜ私たちが戦場にいるのか。なぜ南波が4726自動小銃を構え、私が中腰姿勢でじっと茂みから目を光らせるのか。数値化できない何かがここにあるからだ。野生動物たちはそうした感覚をより強く持っているだろう。彼ら動物たちの戦術を理解することはできない。まず私たちの言葉が通じない。思考回路も世界観も何もかもが違う。もしかしたら、「死」の概念すらないかもしれない。彼らに「時間」の概念はあるだろうか。ないかもしれない。そんな連中の行動パターンを読めるか? 読めるはずがない。だから私はむしろ、祖父と巡った山野で追った動物たちの行動と比べて、ある一定のパターンを持っている兵士の動きのほうが読みやすいと思った。同じ人間だからだ。

 私たちが米飯を食べる代わりにやや酸味の効いた黒パンをかじり、やはり米でできた酒を飲む代わりに燃料(エタノール)のような酒を食らう彼ら北方会議同盟軍兵士の行動。生活様式や背景にしている文化が違えど、同じ人間である以上、動きは読めるのだ。さらに「兵士」というさらに特殊な職業に就いている場合はなおさら。

 私は優秀なハンターではなかった。繰り返すが、やはり銃を撃つのは苦手だ。

 祖父やユーリは、銃を撃った瞬間、当たるか当たらないかが分かると十代の私に言ったものだ。弾が当たるまで獲物を凝視し続ける必要などないのだと。必要なのは、獲物が次にとる行動を予測すること。初弾を外すことは論外としても、第二射に備えて、獲物の動きに追従できるよう、身体も銃も準備させなければだめだ、と。

「嫌な雰囲気だ」

 南波はぶつぶつと同じ言葉をリップマイクに吹き込んでくる。チームを動かそうとしない。目の前は、広葉樹と針葉樹がまだらに混じった森。その向こうに敵の保養施設が垣間見えている。

 目標だ。

 衛星からの支援でも、ここが目標地であることが分かる。緯度経度すべて正しい。

「灯り、点ってるじゃない」

「だから余計怪しくないか。いまは戦争中でここは最前線だぞ。みたところありゃ平和でのんきな木こりの村って感じだ。気に食わない」

「考えすぎなんじゃないか。ここは、国境から五十キロも同盟の領土に入ってるんだ」

「ぶっ飛ばしたメタンハイドレー採掘基地は、海上の中間ラインから百五十キロもこっち側だったぜ。だけど敵さんは攻めてきた」

 と、南波。

「こことは別さ。このあたり、他にはめぼしい軍事目標は何もない。同盟空軍の前線基地までだってかなりあるぜ」

「目の前のはいちおう軍事目標だぜ。俺たちが来てるんだから」

「そうだな。上が目標だと言えば目標だ」

「棘のある云い方だ」

「そう感じたか」

「ああ」

「そのつもりで言ったんだ」

「おいおい、桐生。ハスミ病か」

「なによ、ハスミ病って」

「任務に疑問を感じるのか」

 南波が言う。平板な声音。

「感じない」

 蓮見。

「俺も、疑問など感じない」

「任務だからここに来た、なんていう奴はいないだろうな」

「いるわけない」

 蓮見。

「よし」

「で、」

 私。

「嫌な雰囲気ってどういうことだ」

 言うと、南波は全身を、水に潜るように笹の茂みに沈めた。私も倣う。

「本当にここに敵のパイロットたちがいるのか」

「情報に疑問が?」

「ない」

「なら、」

「ただ、感じるんだ」

「雰囲気?」

「そうだ。……あんたもシカ撃ったりしてたんだったら分かるだろうよ。この雰囲気がよ」

「私は何も感じない」

「錆び付いたか」

「麻痺かもね」

「勘弁してくれ」

「二人とも、何話してるんだ」

 蓮見がいぶかる。

「聞いてのとおりだ。蓮見、異常、なしか?」

「なんにもないよ」

「桐生、」

「オールクリア、ってとこだな」

「姉さん」

「クリア」

「オールステーション、オールグリーン。……行くか?」

「あんたがリーダーだ。南波少尉」

「了解、入地准尉」

 そう言いながらも、南波はまだ茂みに沈んだままだった。

「どうした」

 私が訊く。

「様子を見る」

「この期におよんで、」

「作戦決行時間(タイムリミット)まではまだある。早着したからな」

「いやなカウントダウンだ」

「同盟空軍パイロットの死刑執行って? 嫌なことを言うな」

「そのために来たんだろう?」

「ハスミ病が伝染(うつ)ったな」

「だからなによ、その『ハスミ病』って」

 蓮見の声。

「静かすぎないか。虫の声も聞こえねぇ」

 蓮見の不満げな声を無視して、南波。

「季節考えろよ」

 私。

「北洋州育ちらしくない返事だ。それも気に入らない」

「なんだ、絡むなよ」

「オールステーション、とりあえず待機(ホールド)だ。あと五分」

「そんなに?」

 蓮見が鼻を鳴らす。不満げに。

「蓮見准尉。リーダーは俺だ。これは命令だ。分かったな?」

「了解、南波少尉。……でもなんで」

 南波の頭がこちらを向いた。実際、衛星が監視しているので、ごく短時間目標から視線をはずしたところで危険度はさほど上がらない。チームの誰かの目が視界に捉えていればいい。

 煙突から細く煙をたなびかせ、暖かい色の灯りが点り、なんの変哲もない村にしか見えない目の前の目標。

「まだだ……友軍(フレンドリー)がまだ合流していない」

「合流? どういうことだ」

 私が問い返す。声にならないように注意したつもりだが、声になったかもしれない。

「私たちだけの作戦じゃないのか」

「四人で? 姉さん、それはないぜ」

「合流って、同じハケンの?」

 桐生が訊ねる。

「違う」

「じゃあ、」

「海軍の第七二標準化群だ」

「海軍だって? バカな」

 桐生が鋭く言う。吐き捨てるように。

「本当に?」

 蓮見。

「本当だ。保養施設の反対側に、もう到達しているはずだ」

「だから五分待つっていうのか。挟撃するのか?」

「そんなところだ」

「海軍との共同作戦だっていうの? そんなこと私、聞いてない」

 蓮見が姿勢を変えたらしい。茂みががさつく音がした。

「蓮見、目立つ」

「ごめん……そんなことより、本当に海軍の第七二標準化群(ナナニー)が?」

「本当だ。……情報漏洩の防止だ。各チームリーダーにしか知らされていない」

 海軍第七二標準化群。帝国海軍の特殊部隊。敵地への逆上陸作戦や陸軍主力部隊が攻撃を仕掛ける前に前線へ切り込んでいく部隊だ。元々は海軍の巡洋艦に乗り組み、敵艦の臨検や、港湾の警備、寄港地での警衛、そうした任務を請け負う部隊だ。内地から外地まで、くまなく海軍艦艇に乗り組み、正確無比な射撃と機動力を誇っている。歴史的には陸軍の特殊作戦群……私たちの第五五派遣隊を筆頭に……よりも古い。

「なんで海軍が」

 桐生が呟く。

「ここで議論したいか」

 南波。

「そうは言っていない」

「すると、」

 私。

「近接航空支援の類は、海軍がやるのか」

「そういうことだ。俺たちが失敗したら、戦艦の艦砲射撃でボコボコにされる。地形が変わるぞ。八九式支援戦闘機のあのやかましい爆弾の比じゃないぜ」

「戦艦が来てるの!?」

 蓮見が南波に問い返す。

「戦艦も空母もいる。戦艦の艦砲は炸薬の量が違うからな。よかったな蓮見、戦艦の艦砲射撃なんて、なかなか見られないぞ」

「航空優勢も自前で確保してるのか」

「取れてなきゃ来ないだろうな」

「だったら空軍でいいはずなのに」

「海軍さんが今回の作戦は出張ってきてるのさ。終わったらお船に乗せてもらって、自慢のカレーライスを食わせてもらうしかないな。どうだ蓮見。お前カレー好きだろう」

「おい南波少尉、帰り便は海軍に頼むのか」

 桐生が聞く。

「気になるか? 帰りのことが?」

「当たり前だ。帰るためにここに来てるんだ。」

「ナナニーと合流して、この村をぶっ潰し、次の拠点まで一緒に移動して、帰りはお船に乗って帰るのさ」

「船?」

 蓮見が聞き返した。

「船だ。北洋艦隊の旗艦が出張ってきてるぞ」

「蓮見、船は好きなのか。海軍は嫌いなのに」

 私が訊いてみる。

「私は、内陸育ちだから」

「どこだった?」

「出水音(いずみね)」

「そうだったのか。確かに内陸だな。えらい山奥じゃないか」

 南波。

「失礼だな。姉さんの柚辺尾よりずっと都会だ。……城下町だし」

「城下町だったか」

 思い出してみる。列島中央部に楯のように連なる山脈と山脈の間の盆地……その中心都市。けれどそこまでだった。すまない、蓮見。私にはお前の故郷の十分な情報がない。知ろうとしてこなかったからだ。彼女の故郷のイメージが湧かなかった。

「海は遠いな、確かに」

 南波が答えた。南波は内地の出身だ。私よりはイメージしやすいのだろう。

「だから船に乗りたいのか?」

 からかうように桐生が言う。

「乗れるならね」

「俺はカレーを食わせてもらう。それでチャラだ」

 南波はもう前を向いて、4726小銃を照準していた。もう約束の時間を迎えようとしている。

「何か合図はいるのか」

 南波に問うてみる。挟撃するのなら、同時に発砲すると効果的なのは自明だからだ。

「カウントダウンと、衛星リンクからのゴーサイン。それだけだ」

「……その衛星はどこの管轄だ?」

 桐生は構えた銃を森の中に向けていた。

「空軍だな」

 南波がそっけなく答えた。

森は真っ暗だ。CIDSが光学補正をかけているが、ひどく暗い。獣の気配がする。

 けれど、確かに虫の声はしない。初夏。気の早い虫たちはどこへ行ったのか。鳥の声も気配もない。私は、故郷の森を思い出してみた。祖父と、ユーリと歩いた森。祖父は日が暮れてからは森に入ろうともしなかったし、日が暮れかけたらすぐに森から出た。

(光のない場所では、私たちの出番はないんだよ)

 そんなことを言っていた気がする。

 本当の暗闇に包まれた森の怖さを、そういえばこのチームの面々は知っているのかとふと考える。

「そろそろだな。オールステーション、スタンバイ」

 全員、無言。それが了解のサインだ。

「よし、行くぞ」

 南波が肉声で短く強く言い放ち、より姿勢を低くした。肉食獣が獲物に襲いかかる寸前の姿勢のように。

 私は左側に注視しながら、視界の端に暖色の灯りを捉えている。

 嫌な雰囲気だ。

「南波少尉」

「入地、なんだ」

「嫌な雰囲気だ」

「だからずっと俺はそう言っている」

 全員の4726自動小銃は、ロック・アンド・ロード。薬室に第一弾はすでに装填されている。用心金(トリガーガード)の外に伸ばして添えている全員の人差し指に、静かな緊張が行き渡る。

 灯り。誰も出てこない集落。建物の中に、人の気配はあるか? 気配はどうだ? 気配を感じるか? ……気配とはなんだ?

 4726自動小銃の光学照準器をのぞき込む。

「行くぜ。じゃあ戦闘機乗りっぽく言うか。オールステーション、『マスターアーム・オン』だ」

「いきなり突入か?」

 私。

「いきなりだ」

「第七二標準化群(ナナニー)は?」

 蓮見。

「方位二七〇。八名」

 南波。

「確認した。本当にいやがる」

 桐生。

「撃つなよ、一応味方だ」

 南波。

「誰が」

 蓮見。

「カウント、」

 南波。

「嫌な感じだ」

 私。

「くどい。俺はとりあえず忘れる」

 たなびく煙。木造の家屋。井戸のポンプ。暖色の灯り。では、この灯りはどこから供給されているのだ? 集落には……発電施設はあるのか? 電線も電柱も見あたらなかった。 風力発電のブレードも、太陽光発電のパネルも、コージェネレーションの装置も。

 嫌な雰囲気の理由。考え出すときりがない。

「南波、」

「入地准尉、もうダメだ、行くぞ」

「これは、」

 もしかして。

 私は言うべきだった。

 この雰囲気は、猟に慣れない素人が仕掛けた、あれに似ているのだ。

 南波、これって、罠じゃないのか?

「入地准尉、」

「なんだ」

「行くぞ、」

「南波、ちょっと待って……少尉、おかしいって」

 腰を浮かせた状態の南波に向かって、私は呼びかける。

「本当にここで間違いないんだな」

「入地准尉、」

「なんだ」

「間違いない。リーダーミーティングでも指示されてる。緯度経度とも秒まで正しい。ここだ。敵空軍の一個飛行隊規模のパイロットが休息している村だ」

「人影がない」

「時間を考えてみろ。まだみんな寝てるんだよ」

「本当?」

「今何時だと思ってる?」

「煙が出てる」

「寒いからな。暖房だろう」

「灯りが点ってる」

「寂しがり屋がいるのさ。さすがにどの棟がパイロット宿舎かという情報まではない。……掃射する予定だからな、どれでもかまわない」

「姉さん、気になるのか?」

 後から蓮見が囁く。

「蓮見、おかしいと思わないか」

「何がだ?」

「この村、おかしくないか?」

「私には、よくわからないけれど」

「入地准尉……姉さん、」

 南波がこちらを向く。CIDS越しに彼の目が見えたような気がした。見えるはずはないのだが。

「何か感じるのか? 奇妙なことでもあったか?」

「上手く言えないが、……下手な猟師が仕掛けた罠みたいだ」

「罠?」

 オウム返しは桐生だ。

「ここが?」

「上手く言えないけど、気配が変だ」

「気配がするか?」

 桐生。

「しないのがおかしくないか?」

「けど、ここで間違いない。……煙突から煙も出てる。……熱源反応もある」

 南波が言う。CIDSのモニターを切り替えているのだ。規模的には簡易なものだが、温度(サーマル)センサーも内蔵しているから、視覚に頼らずヘビのような狩りもできるのがこの機械だ。策敵モードをスーパーサーチにすれば、衛星か、近傍上空を飛行中の早期警戒管制機や観測機のデータともリンクできる。強力なセンサー情報で、建物の中の熱源反応もチェックできるのだ。南波はまだスーパーサーチに切り替えてはいないようだが……近接戦闘を考えると、スーパーサーチでは高感度すぎる……、確かに並ぶ家や小屋の中からは、複数の熱源反応があった。

「入地准尉、過敏すぎる。行くぜ」

 私たちはCIDSのコマンドモードをSTANDBYからREADYに切り替える。まさに戦闘機のマスターアームスイッチのようなものだ。戦闘情報が個々人の判断を待たずにサブ窓へ表示されたり、衛星や観測機からのデータを参照すると、目標をTDボックスが自動追尾する。

 サブ窓が開く。温度センサー画像だ。煙突の排気口が赤い。建物内で火が焚かれている。

「いいか、最初に行くのは海軍さんだ。俺たちは外周から攻める……切り込み隊長は、第七二標準化群(72S)てことだ。奴らの撃ち方に続けばいい……姉さん、わかったな」

「わかった……」

 4726自動小銃を膝撃ちの姿勢で私は構える。誰も伏せ撃ちの姿勢では待機していない。すぐに飛び出せるように。しかも低い姿勢で。できるだけ走りにくい場所を選んで。敵に狙われないように。

「目標は、武装している?」

「さあな。准尉、それは分からんよ。けど、いくらパイロットだっていったところで軍人は軍人だ。武器は持っているだろう。だが、重武装しているという情報はない。知ってのとおりだ。保養施設だからな」

 南波の囁き。

 そして。銃声。一発目が合図だったかのように、次々に射撃が始まる。

「オールステーション、ターゲット・インサイト」

 南波の囁き。

 四倍率の光学照準器を覗き、私は右手親指でセレクターを安全位置から単発に。右手左手どちらからでも操作できるアンビタイプのセレクターレバーだが、レバーの長さそのものが短く、兵士たちからは不評だ。実際、私の小さな手……短い指では訓練しなければ素早く切替ができないのがつらい。もっともそうした操作のしづらさ、使い勝手のよくなさも、訓練が克服してくれる。慣れればどうってこともない。

 発射音は断続的に、連続的に続く。CIDSは耳も覆っているので、射撃音が鼓膜を痛めることはない。銃声や砲声、爆発音と云った類の周波数を選別してフィルタリングしカットする機能があるためだ。人の声などの周波数は積極的に透過する。だから、銃声はマイルドなのに、撃たれた兵士の悲痛な叫びやうめきだけがやたらとはっきり聞こえるという状況があり得るということだ。まったく悪趣味極まりない。

 射撃が続く。

 窓ガラスを粉砕し、木造の質素な建物の壁を、三〇口径弾が次々と射貫いていく。

 海軍第七二標準化群部隊との直接通信は行われていない。そのかわり、私たちのCIDSには、第七二標準化群(72S)が現在どの目標に対して照準しているのか、リアルタイムで表示された。これだけで十分だ。南波が射撃を開始した。72S部隊が照準していない建物を狙っている。彼らからは死角になっているか、別の建物の影になっている目標。それを狙う。

 私も続く。

 熱源反応が動く。

 小屋の中に誰かいるようだ。

 当り前だ、と思う。思いながら、引き金を引く。肩に反動。空薬莢が飛ぶ。セレクターは単発(セミオートマティック)。この銃はオプションパーツの二脚(バイポッド)を装備しなければ、連射(フルオートマティック)での射撃を制御できない。反動が強いのだ。射撃の精度が最も高いのは第一射目であり、二射目の精度は著しく落ちる。だから連射は弾幕を張るだけ。二脚なしではどれだけ訓練を積んでも、三〇口径弾の激しい反動に銃が踊ってしまい、照準などできない。だから私は、しっかりと狙いを付け、一発ずつ撃つ。反動を全身で受け止めながら。壁を抜き、ガラスを粉砕し、次々と撃つ。蓮見、桐生もそれぞれの方を向き、射撃している。

 南波が一次射撃を中断し、茂みの中を右方へ短く走った。ポジション替えだ。ここから狙える建物はすでに射撃を終えたということだ。南波に続いて、桐生が走る。続いて、私と蓮見の組(エレメント)が続く。短く走り、腰を落とし、膝撃ちの姿勢で銃を保持し、撃つ。

 まだあたりは薄暗い。空は曇っている。気温も低い。目標の煙突からは煙がたなびいている。風はそれほど強くない。射撃音。同士討ちは避けなければならない。撃つ方も撃たれる方も。彼我の位置は常にCIDSで調整する。射撃線がお互いのチームで交差し始めると、CIDSに警告が出る。第七二標準化群と五五派遣隊チームD。一度として共同訓練も共同作戦も行ったことがない。しかし、CIDSのナビゲーションと戦闘情報表示、お互いのリーダーの無言の連携で、いま北方会議同盟軍の空軍パイロット保養施設だと指示された集落を挟撃している。無駄なく、効率的に。

 発砲。そして、ボルトがホールドオープンした感触。光学照準器で目標を捉えたまま、素早くベストの弾倉入れから予備弾倉(スペアマガジン)を取り出し、同時に右手の人差し指が弾倉受けボタン(マガジンキャッチ)を押す。空弾倉が銃から抜け落ちる前に、予備弾倉を持った左手で空弾倉を引っこ抜き、同じ動作で予備弾倉を銃に装填する。空弾倉を左手の薬指と中指で挟み込んだまま、親指でロアレシーバー左側面のボルトリリースボタンを押す。すると、重いボルトが前進する確かに感触が頬に伝わり、予備弾倉から三〇口径弾が一発押し出され、4726自動小銃のタイトな薬室にきっちり送り込まれるのが分かる。ボルトが閉鎖される小気味いい音。ボルトアクションのライフルでも、薬室に弾薬を装填するときの動作が私は好きだ。気持ちのいい音がする。射撃再開。弾倉交換に要する時間は十秒かからない。それ以上かかると死ぬのはお前だと、訓練校の助教にさんざん叩かれた。

 敵はまったく撃ち返してこなかった。

 戦闘情報では、目標の建物内にいるのは全員がパイロットとその関係者ということになっている。黙っていれば、戦闘機や攻撃機を飛ばし、私たちの友軍や、あるいは私たち……私めがけて爆弾を投下してくるかもしれない連中だ。ミサイルレリーズや爆弾投下のスイッチを押すのは、コンピュータでも戦闘機そのものでもない。パイロットとその意思だ。むろんパイロットは自己の判断以上に優位にある上官の命令を携えて指を動かすのだが、戦闘機や攻撃機、爆撃機を飛ばすのはパイロットが培った技術であり肉体である。パイロットの存在なしに航空機は飛べない。だから、パイロットを無力化するのは、長期的に見て、航空機を複数無力化することに等しい。

 それが今回の作戦の主旨だという。

 シカを追って山野を巡る方がよほど気持ちがいい。

 私も祖父と同じで、射撃場での標的射撃が好きではなかった。面白みがなかった。理科の授業でなら、机に向かっているより、フラスコやビーカーを操る実験の時間のほうが好きだったのと似ているかもしれない。

 銃を撃つのは手段であり、目的ではなかった。

 目標を追い、感じ、目を合わせ、お互いの命を見せ合い、引き金を引き、獲物を斃す。命をいただく。あの感覚が私は好きだったのだ。

 反撃もない集落に、一方的な射撃をくわえるような今回の作戦は、蓮見ではないが私の本意ではなかった。

「南波、」

 呼びかけてみる。

「入地准尉?」

「次、」

「三時、二棟」

「了解」

 南波は、北を方位000(ゼロゼロゼロ)とする絶対方位から、自位置を基準とする相対方位に切り替えて目標を示した。どの建物も、窓には明りが見えた。白いカーテンが掛けられている。簡素なもの。私たちの宿舎で使っているようなもの。日が落ちたあと、部屋に灯りをともし、窓辺に立てば、外からはっきりと人影が見えてしまうような、質素なカーテン。

 撃つ。

 窓ガラスが砕け散る。

 空薬莢が散る。強い反動で銃が浮き、そして銃の重量でふたたび沈むのに合わせて二発目。

 カーテンに穴が空く。

 明りが消える。

 撃つ。

 気の窓枠が折れる。

 窓が落ちる。

 カーテンが揺れる。

 撃つ。

 撃つ。

 この地方ではありふれた、質素で粗末な家。

 木造の。

 窓辺に野花を飾っている棟まである。

 本当にここはパイロットの保養施設なんだろうな?

 南波と縫高町作戦のあと国道を彷徨い、小谷野大尉の戦車部隊に出会う前、トマトをいただいたあの家々と、目の前の集落はなんの変わりもないように見えるのだ。

 もし、パイロットの保養施設ではなかったら。

 眠っているのが敵のパイロットではなく、朝がいつもどおり来ることを疑わずに床についた、無辜の住民たちであったなら。

 おやすみの声とともに両親と別れ、自室で夢の世界に旅だった子どもたち。

 その子どもを見守る暖かい視線の母親、不器用な父親。

 あるいは翌日、子どもたちと海岸線まで魚介を探しに行こうと考えている祖父母たち。

 光学照準器の向こう。

 もしそんな世界が広がっていたのなら。

 任務だから。

 これは仕事だから。

 私はそんな低次元な意思でこの部隊に参加しているのではない。

 積極的に敵を排除するためにここにいる。

 そのためには、非武装のパイロットを、就寝中に、休養中に射殺することも厭わない。

 だが、この村が、敵のパイロットたちとなんの関係もない存在だったなら。

 私はちょっと後悔するだろう。

 高泊の駐屯地に帰ってから、もしかしたら何種類かの薬物を投与してもらうかもしれない。すべての罪悪感を不謹慎にもきれいさっぱり流し去ってくれる便利な薬だ。それにダメ押しするようにして、専門資格を持った医官によるカウンセリングを受ける。カウンセリングとは名ばかりの、やはり罪悪感を消し去る洗脳行為だ。

 私はそんなことを考えながらも、引き金を引く指に躊躇を与えず、三本目の予備弾倉を小銃に装填していた。

 三〇口径弾の威力は想像よりずっと大きい。木造建築の壁くらいなら抜いてしまう。そして、その壁の向こうに人間がいたとしても、木の壁は七.六二ミリライフル弾にとっては弾よけにならない。十分な殺傷能力がある。

 弾薬に躊躇はない。感情もなければ、苦悩もない。

 苦悩するのは撃った私だ。あるいは蓮見であり、……桐生と南波は良心の呵責という言葉が彼らの中に存在しないだろうから、躊躇も苦悩もないだろうが。

 撃つ。

 撃ちながら、私は耳を澄ませていた。

 反応がないのだ。

 ほとんど一方的とも言える射撃。

 反撃がないのだ。

 いくら壁を容易に抜ける三〇口径弾とはいえ、すべての建物を四方から同時に攻撃しているわけではない。私たちの初弾がそのままパイロットたちの息の根を止めているはずもない。保養施設とはいえ、戦闘地域にあって、軍隊の構成員が、まったく小銃一挺すら持っていないというのは解せない。そんなはずはない。

 悲鳴もない。

 私たちの射撃能力が、一般部隊の小銃小隊のそれと比べて高精度だとして、一発一発すべてが敵兵士の頭を撃ちぬいているわけでもあるまい。そもそも私は撃ちながら、一発たりとも手応えを感じていなかった。

 撃つ対象がシカだろうがクマだろうが人間だろうが、銃を撃ち、弾が獲物に当たるかどうか、感覚的だが手ごたえというものがある。。いや、明らかに命中する、絶命させられるという一撃を放ったとき、不思議と分かるものなのだ。これは南波も桐生も、蓮見ですら異論はないだろう。実戦経験があれば必ず理解できる感覚だ。乱暴にたとえてしまえば、小石を池に放って、狙った場所へ飛ぶかどうか、投げた瞬間に分かるような。それと同じだ。

 確かに窓ガラスには当たっている。カーテンを貫通している。しかし、その後がない。

 明りは消えていく。

 だが、煙突から煙は出たままだ。

 私はCIDSの機能を温度センサーに切り替える。

 そもそも、行動開始直前から、熱源反応は見られたが、はっきりと人間の形を捉えていたかというとそうではないのだ。屋内に複数の熱源反応があり、それは「おそらく人間」だと断定しての行動だった。それはそうだ、家の中の熱源反応はたいていが人間だ。だが、それが擬態だったら?

「撃ち方止め」

 南波の声。CIDSの戦闘情報にも表示が出た。

 海軍第七二標準化群と私たち。同時に射撃が中断される。

 CIDSの表示はサーマルモード。着弾点が転々と赤い。私たちの周囲に散らばっている赤い反応は、私たちの小銃から吐き出された空薬莢だろう。射撃後の空薬莢はそうとう熱いのだ。射撃をやめると、発砲音がこだましながら遠ざかっていくのが分かる。そして一気に静かになる。

「オールステーション、」

 南波だ。

「海軍さんが各戸の探索に入る。オールステーション、そのまま待機(ホールド)」

「了解」

 蓮見と桐生。

「連中に続く?」

 私から南波へ。

「バックアップに行く……離れるなよ」

 チームD四人はこういう場合不可分であり、先頭南波、二番手桐生、三番手が私で後方警戒を蓮見のポジションで、建物に迫る。

「南波、」

「なんだ、姉さん」

「おかしい、絶対」

「なにがだ、入地准尉」

「手応え、あったか?」

「撃ちこんでか? なかったな」

「目標の姿を見たか?」

「見なかったな」

「蓮見?」

「見ていない」

「桐生も?」

「同じだ」

「変だぞ、ここは」

 全員、小銃はローレディ。人差し指は用心金(トリガーガード)の外に伸ばしているが、いつでも撃てる体勢だ。銃口は全員が違う方向。一棟目に近づく。私は温度センサー表示をサブ窓に変更し、近づく。壁やカーテンが燻っている。弾着のあとだ。

「行くぞ、」

 ドアの前に立ち止まり、南波がやや腰を落とす。ドアを開けるのは桐生で、突入役が南波、二番手に私が続き、ドア向かって右側の警戒を桐生、左側を蓮見が担当。ドアブリーチングから建物への突入は、任務の性質上、私たちのチームはあまりやらない。第五五派遣隊にはもちろん屋内戦が専門のチームもいるが。

「クリア」

 飛び込んだ南波の声。南波の背中に銃口を絶対にクロスさせないよう、私は照準をする。こういう屋内戦闘では、4726自動小銃は重く大きく、そして銃身が長すぎる。取り回しは不便だ。せめてフォアグリップが欲しい、と思う。

「クリア」

 私も宣言。

「誰もいないぞ」

 南波。

 室内に灯りはなく、光量補正はCIDSに頼っている。足許で割れたガラスがバリバリと鳴った。

「蓮見」

 南波が呼ぶ。

「なに」

「お前、いちばんちっこいから、こっち来い」

 この建物にはもはや脅威がないと判断しての声音。南波が蓮見を呼ぶ。桐生がドアの前で警戒。

 小銃をローレディにしたまま、蓮見が駆け込んでくる。

「クリア」

「ああ、『クリア』なんだ、分かってるんだ」

 南波。銃を降ろしている。

「なんで、」

 蓮見も銃を降ろす。

 射殺されたパイロットが転がっていると思っていたのに。

 私は内心息をついていた。名もなき簡素で幸せな家族を全滅させたのではなくて、正直ほっとしていた。なぜ? 感情移入能力だけは、五五派遣隊の「精神的訓練」でも弱めることはできなかったから。私はこれとの闘いを、入隊以来続けていることになる。

「クリア……なんにもないな」

 建物を出る。出るときは銃を構えて。お互いの肩に触れながら、自分の位置を主張する。友軍狙撃はこうした近接戦闘でこそ注意が必要だ。

 南波は早足で、しかも足音を殺す独特の歩調で、隣接する農家の母屋風の建物に向かう。

「いいか?」

 南波の確認に全員が返答。

 先ほどと同じ順序で突入。

「クリア」

 南波の声。

「クリア」

 居間。弾痕の残るソファ。砕けたテレビ。私のコール。

「クリア……全員、来い。おかしい」

 南波はダイニングキッチンにいた。

 私は銃口を部屋の外側へ向けながら、後ずさるようにして南波に接近する。

「誰もいないぞ」

 私。足許に割れたグラス。転がった食器。

「わかってる」

 南波はまた銃を降ろしている。食卓の上に、食器が散らばっている。

 食器。

 グラス。

 マグカップ。

 パン。

 パン?

「朝飯には早い」

 南波がパンを取り上げ、まじまじと見つめて、不意に私に放る。左手でつかむ。銃がぶれる。

「なんだ、これ」

 つかんだパン。

 柔らかさもなく、香りもない。乾燥しているわけでもない。……原材料は、いったい何だ?

「なんだこれ? パンじゃない」

「バカにしやがって」

 南波は銃床で私が放り返したパン……プラスティックか何かでできたパンの形をした物体……を乱暴に潰した。パンの形をしたそれは変形したが潰れることはなく、バランスを崩した南波の4726の銃床が、並んでいたプレート類を粉砕した。派手な音がして、リビングから蓮見が、客間らしき部屋を探索していた桐生が駆け寄る。

「何?」

 蓮見。

「ここはなんだ!? モデルルーム(・・・・・・)かよ、」

 南波が苛立った声を隠そうとしない。

 不思議そうな顔をしている蓮見に、私は潰れかけたパンの模型を放る。

「なによ……これ」

「誰かいたか」

「誰もいない」

 桐生。

「二階も?」

「誰もいない。熱源も反応しない」

「そんなバカな」

「反応はあったよな」

 桐生が蓮見を向く。

「あった」

「俺もだ。確認してる」

 南波。

 そうだ。行動開始前、各戸の屋内に、ゆっくりと動く熱源は確かにあったし、煙突から煙はたなびき、各戸の窓からは明りが漏れていた。

「行こう、」

 行きがけに南波が思いっきり食卓イスを蹴り飛ばし、建物を出る。椅子はシステムキッチンのカウンターにぶち当たったが、壊れはしなかった。

 外はかなりの明るさになっていたが、相変わらずぶ厚く雲が垂れ込めていた。朝と呼べる時間帯になっていた。

 建物の外に出ると、数軒隣に第七二標準化群の隊員の姿が見えた。

 南波が手を挙げる。

 先頭の隊員がこちらに手を振る。「ダメだな」、そんな表情。

 と、その瞬間、手をこちらに振った72S隊員の身体が揺れた。

「伏せろ、敵襲!」

 南波の反応は早かった。南波の言葉に反応するより早く、私も桐生も蓮見も、その場に伏せた。

 72Sの隊員はその場に崩れ落ちていた。向こうの反応も早い。他の隊員はすでに遮蔽物を利用したか、建物の中に逃げ込んだかで、姿は見えなかった。

「まずい、ここは丸見えじゃないか」

 南波が呟くのが聞こえる。

 農家の母屋風の建物。

 遮蔽物が何もない。

 茂み。

 花壇。

 広葉樹が数本。

 広場風になった前庭から向こうの森まで、途中何もない。

「スーパーサーチ」

 南波。衛星リンクに接続したCIDSはしかし、なんの脅威も表示してくれなかった。ただ、脅威判定レベルだけが二を示している。

「オールステーション、」

「なんだ」

「建物に逃げ込む。いいな」

「駆け込めってわけじゃないだろうね」

 私。

「バカも休み休みいうもんだぜ。死にたきゃやってくれ。俺は許可しない。はっていけ」

 言われなくてもわかっている。

 狙撃された。

 おそらくこの集落そのもの(・・・・・・)が罠だ。

 誰を狙って?

 私たちだ。

 陸軍第五五派遣隊。

 海軍第七二標準化群。

 ここへ来ることになった友軍の部隊。

 いくら射撃をしても、パイロットたちはいなかったのだ。

 おそらく最初から。

「熱源反応はなんだったんだよ」

 蓮見。ゆっくりと匍匐している。彼女がいちばん建物に近い。

「カーテン、あとで調べて見るさ」

 南波。

「ディスプレイ?」

 私。

「なんのことだ?」

 桐生。

「カーテンの形したディスプレイなんて、作ろうと思えばいくらでも作れるだろう」

 南波。そうなのだ。ペラペラで柔軟性のある電子ディスプレイなど珍しくもない。私たちの携帯電子端末(ターミナルパッド)のディスプレイも実は薄さ一ミリ以下のフィルム状であり、直下のスペースにぎっしりと電子デバイスが埋め込まれている。だから機能の割に薄く、ディスプレイは物理的に割れたりすることがないのだ。フィルムだから割れるわけがない。

「ニセの熱源情報でも表示していたのだろうよ、あの距離では見抜けない」

「疑いもしなかったからな」

 私。

「俺を責めてるつもりか」

「リコメンドした」

「あんなもの、リコメンドのうちに入らないよ、姉さん」

 私たちのタクティカルベスト、スーツは、建物前の植生に合わせて、淡い緑色に変色をしている。が、短く刈られた……というより、芽吹いたばかりの草原で、人間の凹凸は目立ちすぎる。いつ撃たれてもおかしくない状況になってしまった。

「入地准尉、」

「南波、」

「なんか見えるか」

「私の目には何も」

「俺もだ」

 蓮見が玄関に転がるように飛び込んだ。途端に、ドアに穴が空く。銃撃されている。弾着から遅れて発砲音。さほど離れた距離ではない。ようするにこちらの存在をしっかり把握して撃ってきているということ。

「おいおいおいおい」

 南波がぶつぶつ言っている。続いて桐生がダッシュ。壁がはじけた。

「ドアは見えてるんだな」

「私たちが見えていない?」

「そこの、」

 南波が指をさす。小さな花壇と、アジサイらしき植え込みがある。

「あれが死角になってるんだ、たぶん」

「嫌な感じだ」

「撃つなよ」

「弾の無駄」

「そのとおりだな」

 南波が玄関に駆け込む。段差部分の階段がはじける。

「入地准尉、急げ」

 南波が呼ぶ。

「急げといわれても、」

 私の肘の先で地面がはじけた。捕捉されている。地面が柔らかくて助かる。跳弾でやられる危険性は低い。その前に直撃されないことを、もはや祈るしかなかった。

「早く、」

 蓮見の声だ。玄関まで、四メートル。おそらく、このあたりからアジサイの茂みの死角に入る。もっとも、敵部隊が移動していれば話は変わるが。

「早く!」

 南波だ。

 私は重心位置を鼻先あたりに置くつもりの姿勢で、おもいっきり駆けた。左足のつま先で何かが爆ぜる。続いて右足の脛の直前を何かが通過した。銃弾だ。分かってる。

 玄関。

 一段、二段、三段。

 飛び越えるようにして、頭から屋内に転げ込んだ。背中のバックパックが痛い。

「セーフだ」

 私を抱きかかえるようにして、南波が言う。

「ありがとう」

「ここはちっとも安全じゃないぞ。こんの木の壁は簡単に抜かれる」

「私たちがやったみたいに?」

「そういうことだ」

「脱出だね」

 蓮見。銃を構えている。だが、何を狙っていいのか分からない。

 全員、姿勢を低くした。床に匍うように。呼吸を整える。いくらスーツが赤外線を封じ込めても、吐息に熱が混ざれば台無しだ。敵も衛星リンクを使用した場合、私たちの位置など丸見えになる。いや……、私は恐ろしい事実に思い至る。

「南波少尉……」

「俺もいま思ったんだ」

「なによ」

 蓮見が銃を構えたまま、訊く。

「姉さんが言ったとおりさ。俺たちは、罠の中にいるんだ。はめられたんだ」

 南波の声が低い。はっきり発声している声だ。

「どういうこと?」

 蓮見。

「この家さ」

「この家がどうしたのよ」

「これがモデルハウスならだ、」

「なによ」

「侵入者は逃しません。しっかり捉えるセンサーを各所に配置し、お客様の暮らしを守ります。そういう設計だったらどうするよ」

 蓮見が絶句した。銃を構えたまま。

「建物そのものが、罠だって?」

「いま外に出るのは自殺行為そのものだけどな。蓮見准尉でもご存じのとおり」

「でも、」

 蓮見の声が微かに震えた。肉声だ。

「南波少尉のいうとおりセンサーだらけだとしたら、俺たちの場所は敵さんに丸わかりだな」

 桐生が大きな身体をかがめながら言う。

「たとえば俺たちが逆の立場だったとして、敵が俺たちの作った罠にのこのこやってきたどうするよ? 蓮見」

 南波は囁く。この建物そのものが罠……センサー類を奢った、居住にはまったく適さない、巨大探知機のような仕様だとしたら。

「家ごと……侵入者を消すか」

「正解、だろうな。ネズミがネズミ捕りに入ってきたら、そのままドカンってやっちまおうって寸法だ。俺ならそうするね」

「だったら、早く……」

 蓮見が言うが早いか動き始めた。

 と、蓮見の進行方向、一人がけソファの背がはじけた。私たちの言葉をしっかり聞いているかのような、的確な射撃。

「まずったな」

 南波は言うが、声音も表情も言葉どおりには感じない。困っている様子には見えなかった。

 次の瞬間、爆音が響き渡る。音そのものはCIDSが遮断したが、地面伝いの振動と、空気を伝わる衝撃波が私たちを襲う。

 炎が上がっていた。

 一ブロックほど離れた場所だ。

 第七二標準化群のチームがいるはずの場所。

 飛び込んだ家がやられたか。

 家ごと。

「まずったな……」

 南波が同じ言葉を、さして困った様子もなく言う。

「とりあえず、出るしかない。ここにいても死ぬ」

「外は、でも」

 蓮見。

「また敵の立場に立ってみろ。俺たちの四方を囲むはずがないだろう。簡単に同士討ち(フレンドリーファイア)だ」

「抜け道があるって?」

「この状況からして敵の大部隊の待ち伏せには思えない。ヘリも飛んでこなければ、重火器類の攻撃もない。おそらく敵の勢力は……俺たちと似たようなレベル、そんな気がする」

「根拠は?」

「蓮見、勘だよ。俺の。歴戦の勇者である俺の勘だよ。頼りになるだろうが」

 南波は銃を構えることもなく、しかし足音を殺すように、歩く。できるだけ遮蔽物が自分の身を隠すように。窓から離れて。私たちも続く。蓮見は傍目に分かるほどにおびえていた。が、南波は平然としていた。縫高町で4716自動小銃を失ってなお平然としていた彼の横顔を思い出す。だから私は気分が楽になるのだ。帰れるような気がするからだ。南波がいれば。

「オールステーション、」

 各局。南波が呼びかける。

「建物から出たら、全速力だ。あの広場を突っ切る」

「えっ」

「蓮見、あっちのほうが絶対に安全だ。死にたくなければ、ついてこい。いいな」

「了解」

 瞬間、南波は駆けだした。リビングの窓を体当たりで破る。桐生が続き、私も続き、蓮見が続く。撃たれている。敵の銃声はフィルタリングされて耳を聾するほどではなかったが、弾着に遅れて敵が発砲しているのはわかる。CIDSのフィルタリング機能がそうなっているからだ。銃声や砲声そのものを消し去るのは危険すぎるのだ。痛いと分からないければ、怪我をしたことに気付かず、そのまま手遅れになるのと同じ。そして敵の銃弾が激しく掠める音が聞こえる。嫌な音だ。南波が低い姿勢のまま走る。

「できるだけ離れろ、ただし離れすぎるなよ」

「南波、どこまで?」

 南波は答えず、全速力で行く。南波のダッシュは速い。私たちもついていく。全員の肉体的スペックは、出来るかぎり均等になるよう微調整されている。それぞれの機能が大差ないようなチーム組になっているのだ。いちばん小柄な蓮見も、走るのは速いし、筋力も基準レベルには達しているのだ。

 南波は黒煙を上げて燃える住宅風の建物へ駆けている。

 そう言うことか。

「燃えちまえば、センサーなんて関係ないからな」

 私は、南波と桐生の背を追う。

 もちろん、CIDSのサブ窓は、後方警戒モードに切り替えて。

 蓮見が、ついてきている。

 とんだ感情移入だった。この村に住人などいなかった。

 夜は明けていた。

 もう夢を見るような時間ではない。

 走る。

 銃弾が、追いかけてくる。


 不意に耳許で肉声が弾けた。

「72Sリーダーからオールステーション」

 第七二標準化群指揮官からの声だ。無線通話が完全にオープンになっている。

「作戦は失敗した。ここから脱出する。オールステーション、施設北端の屋根へ集まれ 」

 南波と比べると、ややうわずったような甲高い声だが、慌てている様子はない。

「聞こえたか」

 走りながら、振り返りもせず、南波が言う。彼の声もすでに肉声だ。

「共同作戦ってことでいいのか」

 私が問い返す。

「そのとおりだ。撤退も合同だ」

「失敗した?」

 蓮見の声。

「成功したように見えないからな」

 私たちは中腰のような姿勢……できるだけ前面投影面積を小さくしたスタイル……で駆けていた。建物に接近することはできなかった。ここは敵……北方会議同盟軍の仕掛けた大がかりな罠だ。建物すべてが仕掛けられた罠なのだ。猟と同じだ。獲物はみな殺される。走りながら、集落全体が地雷原である可能性に思い至ったが、施設へ接近する際の脅威判定に地雷の要素がなかったことを思い出す。だいたいこれだけ走りまわって無事である点で、その可能性は否定できるだろう。ただセンサーが目覚めていないだけかもしれないし、すでに目覚めたセンサーを、たまたま幸運にも私たちが踏んでいないだけかもしれない。しかし標準的な地雷ならば、やはりCIDSが警告を発するはずだ。地雷原としての規則性、衛星や早期警戒管制機のレーダー、センサー類は、対人地雷のごとき土壌表面にさっと埋めてあるような物体を、そうそう見逃すことはないのだ。金属製か樹脂製かなどは問題外で。どのようなアルゴリズムで発見しているのかはよくわからないが。

「第七二標準化群(72S)リーダーから第五五派遣隊(55EX)チームD(デルタ)リーダーへ」

「こちらデルタリーダー」

 72Sリーダーからの呼びかけに、南波が応答。

「『バス』を呼ぶ。現在位置は?」

「すまない、立ち止まれない。そちらの位置は見えている。そのまま誘導して欲しい」

「了解」

 CIDSの視界には、私たちと同じようにジグザグに走っている72S部隊の姿が見える。ただし、動きが非常に鈍い。走っているようだが、八名全員が無事ではないのだろう。先ほど爆発した家屋にいたのは何名か。無事に機動しているのは三、四名程度に見えた。

「『バス』って」

 蓮見が訊くが、息が上がっていた。

「海軍の九六式装甲輸送機だよ。……蓮見大丈夫か」

「なにが、」

「お前のパーソナルデータがおかしいぞ、」

「……被弾した」

「どこに!?」

「バックパックに当たった。スーツの制御ボックスが粉々になっちゃった」

「循環は?」

 今回の作戦で着用しているスーツは体温を逃さない。従って赤外線を放出しない。そのかわり、内部の熱もそのままたまり続けることになる。そうすると、タクティカルスーツがそのままサウナスーツになってしまう。人間の体温が上昇すれば汗をかき、気化熱で冷却するが、その気化熱を使用できない以上、タクティカルスーツそのものに冷却機能を持たせていた。動力源は私たちの体温だ。薄い皮膜状の層に、私たちの身体から放出される水分を吸着させ、それが循環する。制御装置は、スーツと接続されるバックパック下部についているが、蓮見のそれに被弾したようだ。

「もうスーツの機能がおかしい……寒い」

「寒い?」

「過冷却っぽい」

 サーモスタットが故障すれば、そのまま内部に熱が溜まる一方だが、どこかの回路も一緒にやられたのだろう。あるいは、スーツの全機能が喪失して、……外気温の影響をもろに受けているのかもしれない。私たちはさほど厚着をしていない。むしろ、気候から見ればおそろしい薄着といえた。それはこのスーツの性能を受けてのことだ。北緯五〇度を越えたこのあたりは、初夏とはいえ昼間でも最高気温は二〇度に届かない。

「お前本体に負傷はしていないんだな」

「大丈夫、たぶん……」

「嘘をつけ。血が出てるぞ。弾がかすったか。海軍がピックアップに来る。できるだけ海側へ走れ」

「海岸線って、視界が開けすぎてる」

 蓮見が駆けながら叫ぶ。

「森の中へ逃げ込むわけにはいかないぞ、命の保証はできないな」

 そのとおりだ。遮蔽物だらけの地形は、私たちにとっても敵部隊にとっても、格好の場所なのだ。逃げ込んでそのまま潜むならいい。近寄ってきた相手を一人ずつ始末してもいい。しかし、現時点で私たちはゲリラ戦を展開するわけにはいかなかった。敵はそもそも森の中から撃ってきている。

 炎上する住居……に見せかけた壮大な仕掛け罠……を利用して敵の火線をくぐり抜けているが、身体の周囲をしきりに弾丸が空気を切り裂いている。

「オールステーション」

 南波だ。

「誰か、敵の姿を見たか」

「見ていない」

 桐生が即答した。

「私も見ていない」

 私も答える。振り返ると、蓮見はついてきているが、足取りがおかしかった。

「……蓮見、ちょっと待て」

 私が蓮見を呼びとめようとした瞬間に、閃光、そして衝撃波が襲ってきた。さほど近くはなかったが、建物のひとつが派手に爆散したのだ。窓枠、外壁、屋根材、様々なものが降ってくる。身体を丸くして伏せる。

「蓮見……足をやられたのか」

 私は匍匐するようにして蓮見に近づいた。蓮見も私も4726小銃を構えているが、敵の姿は見えなかった。撃ち返しても弾の無駄。見えない敵は撃てない。伏せるしかない。

「姉さん、私は……大丈夫」

 蓮見の左の腿のタクティカルスーツの生地がかぎ裂きになっていた。

「直撃してない」

 傷自体はさほど深くはないようにも見えたが、確認するにはスーツを脱がすかさらに裂くしかない。そしてそれは今はできない。海軍の九六式装甲輸送機(バス)が到着すれば、その中で応急処置をするのだ。それまで、蓮見には我慢を強いるしかない。

「蓮見、走れるか」

「大丈夫」

「よし、ここに残っても死ぬぞ。行こう」

 十数メートル前方で、姿勢を低くし、桐生が後方、南波が前方を警戒しながら待機している。分隊支援火器があればと思ったが、前線でないものねだりは禁止だ。

「オールステーション、無事か。返事は聞かない。行くぞ」

 南波。

「行こう」

 私。蓮見に対しても。

 姿勢を上げられない。銃弾が飛び交う。空気が切り裂かれる鋭い音。いつ聞いても嫌な音だ。

「森からだ」

 桐生が言う。

「わかってる。……物音もしない。嫌な奴らと再会ってことだな」

 南波が憎々しげに言う。

 発電所と、空沼川が蘇る。

 上半身を吹き飛ばされた野井上。

 声を出さない兵士たち。

 視線を感じると、蓮見の目がそこにあった。

「<THINKER>?」

「行くぞ、蓮見」

 風連発電所奪還作戦。

 結局、私たちは発電所の奪還には成功した。巨大な発電機に封印の呪文をかけ、「読み聞かせ」なしには友軍部隊ですら再起動できない状態にし、そして縫高町まで撤退した。なんとか撤退できたのは、私と南波の二人だけだったが。

「蓮見、お前、風連奪還戦で奴らを見たのか」

 蓮見の軸足は左だ。駆けだそうとして、顔をしかめた。スーツの腿が赤黒く光っているのは、出血だ。あふれるほど流れていないことにやや安堵するが、放置すれば悪化するのは目に見えていた。

「はっきりは見ていないよ。ただ……いまと同じで、森の中から撃たれた。銃声以外に気配も何もしなかったんだ。いまと同じ」

 屈んだ蓮見の腕を、私は二度、強く叩いた。蓮見はもう一度私の目を見て、バイザーと一体化したCIDSを下ろす。

「72Sリーダーから55EXデルタリーダー」

「デルタリーダー」

「『バス』が応答した。到着まで二十分」

「了解だ……」

「二十分!?」

 桐生の声。うんざりした声音。

「とりあえず、」

 南波。

「海軍の連中と合流しよう。俺たちだけでは、ダメだ……走るぞ。姉さんと蓮見は、後だ。照準しなくていい。適当に撃て」

「分かった。蓮見、頼む」

「よし、姉さん、行くぞ。桐生、」

「大丈夫だ」

 チームD、四名。とりあえず健在。

 燃えさかる建物と、その残骸。ただのモデルハウスで、大仕掛けの罠。

 罠?

 駆けだした南波、桐生の背中を横目にして、私は森に向かって、それでも四倍率の光学照準器を覗いて……サイティングしないで銃を撃つのは、どうもやはり私の性分に合わないのだ……撃った。反動が肩に響く。予備弾倉はまだ残っている。撃つ。短く。蓮見も続く。なんとか彼女も走れる。痛みをコントロールしている。痛みを感じないよりはいい。怪我をしても死ぬまで気がつかないからだ。だから私たちは、結局戦場でも痛みからは解放されないでいる。闘いにおける重要な要素だからだ。痛みを感じない兵士がいたら、すぐに死ぬ。痛みを感じないよう、戦闘をできるだけ回避しようと努力しなくなるからだ。

 痛くないように。

 痛みを感じないように。

 そうした作戦をとる。

 周りはもうCIDSの補正なしに十分明るかったが、視程は悪かった。全体的に海霧がたなびいており、空はぶ厚い雲に覆われて、太陽がどこにあるのか、一見しても分からなかった。

 肌寒い。

 気温が上がらない。

 スーツの機能を失った蓮見にはつらいかもしれない。流血していることも、寒さの原因になる。どこまで行っても苦痛ばかりだ。しかし、この場で苦痛から避けようとすれば、敵の銃弾に倒れるのがもっとも手っ取り早い手段であり、そしてそれはもっとも禁忌されるべき行為だった。私たちがこの先さらに生きていくには、しばらくは苦痛を感じ続けるしかないのだろう。

 撃つ。

 空薬莢が視線の端で舞う。

 膝撃ちの姿勢で撃つ。

「蓮見、先に行け。今のお前ではバックアップにならない」

「姉さん、ごめん」

 短くうめき、蓮見が駆けた。

 草原。木。燃える家。その置くに蒼く黒い森。

 光学照準器の中には、弱い風に揺れる森の木々しか見えない。それでも私は敵に照準されている。弾が飛ぶ。空気を切り裂く音がする。CIDSのヘッドセットは、この音まではフィルタリングしないようだ。そう、危険信号だから。爆音と違い、銃弾が空気を切り裂く音は、狙われていることの証左だから。

 マズルフラッシュでも見えないかと素早く銃を振り、照準器で探るが、見えない。

 銃声もほとんど聞こえず、マズルフラッシュも見えないとすると、どこかの暗殺部隊並みに減音器(サプレッサー)を装備しているのだろう。銃声を轟かせないためというよりは、発射点を分からなくさせるためだ。銃弾自体は音速の三倍近い初速を持つので、衝撃波までは消せない。結構な音はするのだ。しかし、音がした頃には銃弾は通過しているか、命中している。音より速いものは光であり、減音器はマズルフラッシュを消す効果もある。彼ら<THINK>を装備した<THINKER>はそれを狙っているのだろう。音もなく近寄り、気づいたときには獲物は息の根を止められている。戦闘というより、ハンティング……猟に近い。

 私は短く走り、立ち止まって膝撃ちの姿勢から数発撃ち、そして走るという動作を繰り返した。蓮見も時々同じようにして撃った。だが少なくとも私はまったく手応えを感じなかった。

 次第に私の中に、怒りに似た感情が湧いていた。

 彼らは私たちを狩ろうとしている。

 文明の利器を最大限に利用して。

 私が祖父とユーリと森に入ったとき、無線機すら使わなかった。祖父とユーリは口笛のような音と身振りで獲物を追いつめた。本当は祖父は猟犬に獲物を追わせたかったと私に言ったことがある。しかし、祖父は新たに猟犬を育てることに躊躇していた。自分の命が尽きるのと、猟犬の命が尽きる、その時間を天秤にかけたのだと思う。

 短い距離を小刻みに走った。

 集落から抜ける。笹や背の高い野草が茂る丘陵が広がる。強い風が吹くのだろう、生える木は皆背が低く、時折のっぽな針葉樹は傾いて立っている。茂みは背が高いとはいっても腰までは届かず、身を潜めても首から上がはみ出てしまう。伏せてしまえば完全に隠れるが、そうすると身動きが取れなくなる。匍匐して進めばいいかもしれないが、私たちは敵を追いつめているのではなく、……敗走しているのだ。

 茂みに頭から飛び込むようにして転がり、私は両足を広げ、両肘を立てて銃を保持し、伏せ撃ちの姿勢を取った。すぐに移動するが、膝撃ちでは目立ちすぎた。

すでに集落を抜け、その距離は五百メートル少々、森まではもう二キロほどの距離があった。五〇口径の対物(アンチマテリアル)ライフルでならここまで弾丸を飛ばすこともできるだろうが、もし彼らが森からまだ出ていないのであれば、射程外に逃れたことになる。だが安心はできない。銃以外の重火器の類があれば話が別だ。だから私は伏せ撃ちの姿勢で警戒する。

「蓮見、大丈夫か」

 先行して待機していた南波がすり寄るようにして蓮見に近づく。

「けっこう痛い」

「見せてみろ」

 うねるような地形の茂みの中腹に、72S部隊の姿が見えた。私たちのタクティカルスーツ、ベストと似た装備だが、こちらはほとんど黒に近い緑色が基調で、彼らは紺色基調の迷彩を纏っていた。

「南波少尉、」

 蓮見の足の具合を診る南波に、中腰姿勢のままで紺色の一人が近寄る。

「そちらは全員無事か」

「このチビっ子が負傷したのを除けばな」

 南波の言葉に、普段なら言い返すはずの蓮見がおとなしい。蓮見の顔色ははっきりと青白かった。体温を奪われているのか、出血がひどいのか、あるいはその両方か。ショック状態に陥っている様子だった。

「こちらは二名戦死。……二名負傷、無事なのは四名だ」

「二人やられた?」

「あんたに手を振ってた奴ともう一人さ。家の中にいたからな」

 72Sリーダーが持つ4726自動小銃の銃身部分から煙が出ていた。かなり激しく撃ったあとだ。私の銃の被筒(ハンドガード)からもうっすらと煙が上がっていた。

「これで済むと思うか」

 72Sリーダーは谷(や)井田(いた)と名乗った。谷井田少尉。

「済まないだろう。こいつの足の具合を見たら、すぐに移動しよう」

 <THINKER>があの場にとどまっているはずはないと考えている。私も同感だった。あの集落は私たちのために用意され、彼らは私たちのために現れた。逃がしてくれるはずがないと思った。

「そいつは、」

 谷井田少尉がCIDSを上げて蓮見を見下ろす。「大丈夫なのか」

「見かけより強い子だ。大丈夫さ。そうだろう?」

 顔をしかめ、止血処理を受けている蓮見が、連邦合衆国兵士のように親指を立ててみせた。

「このとおりさ」

「そっちの、」

 顎をしゃくるようにして私を指す。「そっちの姉さんは」

「あいつもああ見えて元猟師だからな」

「南波、違うって」

「聴いてのとおりだ。陸軍第五五派遣隊北洋州分遣隊チームDはオール・グリーンてことだ」

 南波の口調に、おどけたような様子はみじんもなかった。南波はおそらくこの谷井田少尉が気に入らないのだ。海軍風を吹かせやがって。おとなしくお船に乗っていやがれ。そんなところだろう。同盟軍の<THINK>が私たちの側に配備されていなくてよかった。こうした心の声の処理を、彼らはどうしているのか。今が戦役の時代でなければ、私は彼らに訊いてみたかった。個人的な興味として。思ったことが相手に伝わる、以心伝心が具現化された機械の使い心地を、私も試してみたかった。おそらくそれほど楽しい機械ではないのだろうが。

「『バス』は一〇分程度で到着する。ここは場所が悪い。着陸しづらいだろう。もう少し海岸線まで近づきたい」

「賛成だな」

 私は銃から弾倉を一度抜いた。まだ、五発残っている。……撃った数を勘定していたつもりだったが、訓練とは違う。なかなか思ったようにはいかない。もう一度装填し、構え、照準器に視線を戻す。

 途端に、私の二メートルほど前方の土が弾け、笹の葉が散った。

「伏せろ」

 チーム全員が即座に反応する。

「もう来たか」

 蓮見の声が力ない。

「重機関銃(キャリバー50)でも持ってくればよかったな」

 私の左手一、五メートルほどに桐生。

「誰が持つんだ」

 南波。

「俺以外の誰かさ」

「分隊支援火器(SAW)でいいから携行すべきだったな」

「誰が持つんだ」

「俺以外の誰かさ」

 海軍も陸軍の情報部も、同盟軍の<THINKER>が来ることを予見していたに違いない。

「後退、下がれ下がれ」

 谷井田少尉の声だ。ヘッドセットからではなく、私に耳に外から聞こえる。

「向こうは負傷者抱えて大変だ」

 南波が毒づく。こっちもな。言ってやろうと思ったが、蓮見の青い顔を見てやめた。

「蓮見、死ぬなよ」

「この程度で?」

「安心した。いつもどおりだな。拳銃は俺によこせ。自決用じゃないんだからな」

「わかってる」

「安心した……走れるか、姉さん、援護頼む」

「了解」

 微かに爆音が聞こえる。曇天のどこかから。

 弾着。土が弾ける。

 私の耳のすぐ横を銃弾が掠めた。七.六二ミリ弾は通過するだけで凄まじい音がする。空気が裂ける甲高い音。嫌な音だ。

 光学照準器を覗く。マズルフラッシュは見えないが、奴らはすでにあの集落に展開している。集落からこちらは開けた草原(くさはら)だ。いくら音を出さない部隊とはいえ、透明になれるはずもない。光学的にいくら迷彩を施したところで、CIDSのエコーロケーション機能を拡張すれば、無意味だ……と、私はそこまで思い至り、即座にCIDSの表示モードにエコーロケーション画像をミックスさせた。

 超音波は直進性が強いが、障害物に弱い。その性質を利用して、エコーロケーションを行う。CIDS程度の規模では、せいぜい学校の体育館ほどの広さでしか有効ではないと考えられてきたが、ここまで開けた場所にあって、はたして本当に使えないかどうか、試してみようと思った。出力を最大にして表示させた。コウモリはどうだ? あの身体の大きさで、飛行しながらエコーロケーション機能を使っている。

 見えた(・・・)。

 燃える建物と、二階部分が吹き飛んだ農家風の建物の影に、反応があった。

 考えるよりも早く、私は用心金(トリガーガード)の外に伸ばしていた人差し指を引き金に載せた。

光学照準器を覗く。距離はざっと五〇〇メートルだ。かなり遠い。この銃の零点規正(ゼロ・イン)は基本、四〇〇メートルで行っているから、さらに一〇〇メートルも遠方だと弾頭はかなりお辞儀してしまう。レティクルで敵の姿をとらえたが、照準はそのさらに上気味に。こんな遠距離射撃は通常行わない。だが、当たる気がした。銃は、射手の精神状態にかなり命中精度が左右される。当たる気がするかしないかは重要な要素だった。

 人差し指の腹に引き金を感じさせる。引き金の遊びの部分ぎりぎりまで絞り込み、シアが落ちる寸前で瞬間的に指の動きを固定する。あとわずか、意識するだけで弾丸は発射される。

 光学照準器の視界からブレが消える。私の身体がしっかりと安定した証拠だった。銃と私の身体が一体化している。

 シアを落とす。反動。マズルフラッシュ。空薬莢が飛ぶ。反動で照準が乱れる。その反動の戻りを利用して、敵を照準しなおす。だから照準器を覗いていない左目も開いている必要がある。

 照準器の中で、遠く血しぶきが飛ぶのが見えた。

命中だ。

音は聞こえなかったが、彼……あるいは彼女の骨を打ち砕く感触が五〇〇メートルの距離を隔てて感じられるような気がした。誰にも言えないが、それは凄まじい快感だ。会館は静かな興奮を全身にめぐる血に混ぜ込む。私は次の目標に照準を合わせる。ボルトアクションと違い、この銃は速射性に優れる。もっとも、反動が収るまでのわずかな時間は仕方がない。二脚があれば固定も容易だったのだがそれも今はない。左手の手のひらに銃を載せるイメージで、構える。銃床は肩胛骨あたりの骨格で支える。この姿勢で私は全身が銃と一体化する。祖父に教わった撃ち方だ。口をわずかに開いて、息を吐きながら。

「入地准尉、」

 南波の声だが無視する。

 CIDSがイメージングした、実映像とエコーロケーションの合成画。一名を失った動揺が見て取れた。私の上空を過ぎる銃弾の数が増えた。

 クロスヘア。やや上。もうちょっと上。

 残念だけれど、もう見えているよ。

 引き金に指を当てる。そして撃つ。

 照準器が一瞬、マズルフラッシュでホワイトアウト。が、すぐに飛翔する弾頭が見える。

 照準器の向こうで、敵兵士のライフルが宙に舞った。ヘッド・ショット。人間の脳はシカのそれと比べて容積が大きい分、容器(・・)も大きい。はっきり言って狙いやすい。両目の間に命中した。即死だろう。シカを撃つなら即死はさせない。心臓を最後まで動かし続け、血を抜かなければならない。だが、手負いにはしない。余計な苦痛を与えてはいけないからだ。獲物に対する礼儀であり、なにより肉がまずくなるからだと祖父が言った。

「二人目、」

「本当か!」

 南波の声が耳を打つ。

「行きな、『バス』が来るんだろう」

「姉さん、あんたも行くぜ」

「あとから行くよ」

 三人目。銃をわずかに右に振る。一階部分が潰れた民家の影にいる。ライフルをこちらに向けている。おそらく私に気づいている。だが、私は茂みに紛れ、伏せている。タクティカルスーツの迷彩が周囲のパターンを取り込み、私の姿は熟練した狙撃兵並みに目立たない。逡巡するまもなく、三発目を叩き込む。

 はずれた。

 空気がやや揺らいでいる。火災の熱だ。揺らぎの中で、ポジションを換えようと身体を起こした私の獲物。

 間髪を入れず第二弾。ボルトアクションではこうはいかない。この銃は精度が高い。個体によっては、そのまま選抜射手(マークスマン)による狙撃に用いられるほどだ。さすがに狙撃専門の連中はそれ専用のライフルを使う。もっと図太い銃身がしっかりフレームから浮いているタイプだ。

 発砲した弾頭が照準器の中に見える。

 当たる。

 血が散る。

 三人目。

 このへんか。引き潮だ。

 エコーロケーション合成画の中で、敵兵士たちが集結しつつあるのが見えた。私に気づいている。闇雲でもここめがけて掃射されれば私などひとたまりもない。

 私は低い姿勢のまま、……鼻先に身体の重心点を持って行き、自分の体重を利用して機動する。銃弾が追いかけてくる。当たらない、当たらない。なぜかそんな気がした。

「姉さん、」

 南波の声。

「何笑ってるんだ」

 笑っている?

 私が?

 笹藪に潜り込むようにして、私は駆ける。

 曇天に爆音が聞こえる。

 『バス』か?

 九六式装甲輸送機は高空は飛ばないと聞く。艦隊から出発した艦上戦闘機か。来るとすれば海軍の主力の七四式艦上戦闘機だろう。八九式支援戦闘機のように、小柄でパワフルなエンジンを備えた双発気だ。すると海軍版の近接航空支援でも実施するか。それとも、これから始まるかもしれない盛大な艦砲射撃の露払いか。

「姉さん、」

 鋭く南波が私を呼ぶ。丘陵は下り斜面。鉛色の水平線が見えた。

 椛武戸……荒涼とした海岸線の風景。

 墓標のような樹木。

 一面の笹。

 鉛色の海はしかしまだ距離がある。

 第七二標準化群の六人と、私のチームの三人が、斜面の中途にいた。そこならおそらく、集落からは死角になっていて見えない。迫撃砲でも撃ち込まれなければ、当分は安心だ。

「入地准尉」

 聞き慣れない声は、海軍の谷井田少尉だ。

「『バス』が来る。置いていって欲しいのか」

「今行く……姿勢を低くしていて下さい」

「今度は私たちを狙うか?」

「なんですって?」

「冗談だ。まもなく『バス』が来る。……艦砲射撃の要請を行った。このあたりは消えてなくなるぞ」

 何笑っているんだ。

 危うく私は声に出して言うところだった。

 本当に谷井田少尉を照準に入れてやろうか、ちょっと脅してやろうか、なぜかそう思った。

 おそらく私の精神状態は凄まじくハイになっていた。ようするに、まともではなかったのだ。

 爆音に首をひねると、波間を蹴立てるようにして超低空で進んでくる海軍九六式装甲輸送機の姿が見えた。本当にバスのような胴体の四隅にスタブウィングが設けられていて、その先端に、樽のようなターボファンエンジンが四基。コクピットはサイドバイサイド型式で、見た目はまるっきり本当に空飛ぶバスだ。機体上部に防弾板で守られた銃座があり、機体両サイドにはドアガン。

「なんともまぁ」

 南波が海を向いている。

 不格好な飛行機だ。

 たぶんそう言いたかったのだ。

 私はまだもやもやと熱気を漂わせる銃をローレディにして、チームに近づく。

 轟音が曇天に響いている。

 第一ステージ終了。

 そんな気がした。

 すぐに、第二ステージが始まる。

 その前に、ここを去らなければならない。

 『バス』が来る。

 蓮見は茂みに座り込んでいた。

 桐生が銃を構えて警戒していた。

 私はやや早足で、腰を落として近づく。


 九六式装甲輸送機は、海軍の特殊部隊隊員と同じ、紺色の迷彩を纏っていた。正確には紺色系。曇天と鉛色の海の色に合わせて、今は濃いめのグレーにも近い色になっている。期待中央部のスライド式のドアに、側面に並んだ円い窓、直方体に近い機体形状は、やはりバスそのものといえた。回転翼を採用せず、機体四隅のスタブウィングに不釣り合いなほどの大きさのターボファンエンジンを搭載したのは、航続距離が短くなるデメリットを、回転翼によるデメリットを上回ると海軍が判断したからだという。ヘリコプターは回転翼が障害物に接触する危険性をいつもはらむ。だから、電線が張り巡らされているような市街地にはなかなか着陸できないし、森の中も同じだ。海軍第七二標準化群は、いわば海軍の切り込み部隊だから、ヘリコプターが安心して着陸できるような場所を常に確保できるとも限らない。それゆえ、回転翼と障害物とのクリアランスを保つ必要性と機体規模をトレードオフしたのだろう。確かにこの機体ならば、電線だらけの市街地でも枝葉の茂る森の中でも、その気になれば入っていけるだろう。不格好だが。

  九六式装甲輸送機は丘陵の中腹にホバリングした。ダウンウォッシュと甲高い爆音はヘリコプターの比ではない。ドアガンの射撃手がすでに射撃を開始していた。私もニーリングの姿勢で、集落方向を警戒する。私の位置からは稜線がちょうど死角になっているが、やって来ないとも限らない。

「入地准尉」

 谷井田少尉が私を呼ぶ。負傷した部下を機体に収め、私たちチームDの面々を呼んでいるのだ。私が一番機体から離れた場所にいた。蓮見は桐生が肩を貸し、南波が警戒しながらもうバスに乗り込んでいた。私はニーリングから中腰姿勢になり、銃を構えたまま後ずさる。ドアガンはまだ撃っている。射撃音とエンジン音が凄まじい。

「七四艦戦だ」

 南波の声に振り仰ぐと、CIDSの視界にTDボックスが素早く雲底を割って飛び込んできた海軍航空隊の七四式艦上戦闘機の姿を捉える。後退角度の浅い主翼に大振りの水平尾翼、双発のエンジン、そして『バス』と同じような濃い紺色の迷彩色。低空で七四式艦上戦闘機は急旋回した。主翼前縁部のストレーキから盛大に水蒸気(ヴェイパー)を発生させていた。やや外側に傾いた二枚の垂直尾翼がはっきり見える。二機編隊(エレメント)。

「伏せろ、近接航空支援(CAS)だ」

 谷井田少尉が怒鳴り、私に向かって早く来いと手を振る。私のCIDSのサブ窓が、遠ざかる七四式艦上戦闘機をズームして追跡している。主翼パイロンから、合計四発の爆弾を投下したのが見える。精密誘導式ではない、自由落下タイプの爆弾。艦載機なので空軍機ほどの搭載量はない。視界の端に閃光、四秒ほど遅れて爆音が届く。黒煙が上がる。

「入地准尉!」

 南波が機体のステップに足を載せ、私を呼ぶ。私は彼の言葉に駆ける。笹藪が深い。走りにくかった。夢の中で走っているような、おかしな感覚だった。

 乗り込んだバスの中は、私たちが往路で乗った陸軍のヘリコプターより広かった。シートは対面式のロングシートだが、本当にバスのようだ。機内では救難員が負傷した72S隊員と蓮見の応急処置を始めようとしていた。72Sの負傷兵の傷は深そうだ。戦闘服を脱がせると、機体の床に血が漏れ流れた。負傷兵は意識ももうろうとしているようだったが、蓮見はそんな彼らの様子を、顔をしかめながらもはっきりとした表情で見つめていた。

 私が乗り込むが早いか、機はすぐに上昇を開始した。スライドドアは素早く閉められる。ドアが閉まる。機体が揺れる。

「盛大な罠だったな」

 南波が呟く。肉声で。

「たった俺たちだけを罠にかけるのに、保養施設まで作るかよ」

「私の祖父は、一頭のシカを追って、三日三晩山から帰ってこなかったよ。たった一頭のシカのために」

「シカだろう? 俺たちは違う。……あんたのじいさまも、シカを捉えるために村までは作らなかっただろう」

「本当に罠だったのか、」

「いまさら」

 小さな円い窓から、私たちが走った草原が見える。黒煙を上げる集落。新たに四つの閃光が目を射る。七四式艦上戦闘機の攻撃が続いているようだ。

「このあと、艦砲射撃を実施するそうだぜ」

「どっちが仕掛けた罠なんだか」

「俺たちは餌か」

「違うと思う?」

「どっちだっていい。とりあえず、危ないところだった」

 南波が言い終わるかのタイミングで、機体が派手に揺れた。衝撃音。

「なんだ?」

 シートから落ちそうになり、南波はとっさに対衝撃姿勢を取る。

「対空砲火だ!」

 CIDSのヘッドセットに、コクピットからの音声が届く。

「対空砲火?」

 南波。

「奴らそんな装備、」

 機体後部に衝撃。同時に、激しく機は動揺、大きく左に傾く。簡易寝台に載せられていた72Sの負傷兵がうめく。コクピットから警報が聞こえる。

「なんの音だ、谷井田少尉」

「火災警報だ、おそらく」

 私は窓に張り付いた。

「入地准尉、よせ。窓から離れろ」

 南波が私の腕を引いた。

「第四エンジン火災(ファイア)。みんな、掴まれるところに掴まれ」

 パイロットが叫んだ。

「小銃弾じゃねえぞ」

 南波が顔をゆがめて私に怒鳴った。私はCIDSをオープンにした。機外を向く。索敵モード。前線管制機からの情報が瞬時に表示される仕組みだ。

「あいつだ」

「姉さん?」

「SDD-48」

「まさか」

 南波はわずかに窓から離れ気味にして外を向く。

 視界。

 森の中から、ゆっくりと現れたのは、縫高町で友軍の八二式戦闘ヘリコプターを空沼川に沈めた、あの自走対空砲だった。三五ミリ機関砲を備え、地上掃射も可能な車両。

「いまごろお出ましか」

「近接航空支援であぶり出されたんだ、おそらく」

「なんで最初から出てこなかったんだ」

「奴らに訊いてくれ。とりあえず運が良かったってことにしておこうぜ」

 三五ミリ機関砲の曳光弾が見えた。

 この九六式装甲輸送機は、図体こそ大きかったが往路で乗った七七式改ヘリコプターと固定武装面で大きな違いがなかった。せいぜい、ありあまる推力の恩恵で、機体にぶ厚い装甲を施していることか。小銃や重機関銃の銃弾ならば堪えられないこともないだろう。しかし三五ミリ機関砲弾の直撃を防げるとは思えない。三五ミリ弾を確実に止めようと思うなら、戦車の装甲が必要だ。

「早く、海の上まで急げ……! 射程の外へ」

 南波は視線を窓からはずさずに一人呟いていた。

「第二エンジン火災(ファイア)!」

 パイロットの叫び。

 左舷側のエンジン二基が火を吹いている。

「バランスを失う……」

 私は思わずつぶやいていた。

「姉さん、掴まってるか、何かに」

「墜ちるとしたら機体ごとだろう、意味ないよ」

 『バス』は明らかに動揺し、迷走を始めた。低空を飛び続けている。高度を上げられない。だいたい高度を上げれば、SDD-48の三五ミリ機関砲の餌食になってしまう。

「陸軍さん」

 谷井田少尉の声に南波が振り返る。

「南波少尉だ、谷井田さん」

「南波少尉。我々が帰還できなければ、艦隊は即座に艦砲射撃を始める」

「なに?」

「我々の帰還が困難になった場合、あるいは我々が全滅した場合、艦隊は目標を殲滅するため、全火力を投入する予定になっているんだ。……私の腕には生体マーカーが埋め込まれている。……あんたらも同じだろう。これのビーコンが消滅した時点で、艦隊はここに砲撃を開始する」

「あんた、谷井田少尉、艦砲射撃はもう要請したって言っていなかったか」

「私たちが安全圏まで離脱できたら開始する算段だった。だが、もともと、我々の部隊が行動不能になった場合、あるいは全滅した場合、……帰還が困難になったと判断された場合は、即座に砲撃が開始されることになっているんだ」

 訊いた南波がうんざりした顔をした。

 同じだったからだ。

 私たち第五五派遣隊の作戦でも、任務が完遂できない場合、あるいは任務継続が困難になった場合は、陸軍砲兵部隊による砲撃か空軍に近接航空支援を要請し、「仕方なく」目標を破壊する。奪還できなければ破壊せよ。確保できなければ破壊せよ……。そういうことだった。いままで、私たちの部隊が戦闘能力を喪失したことを原因にした殲滅攻撃が実施された例はほとんどなかったが、そういうことだ、谷井田少尉が話したように、私たちの生体マーカーのビーコンが消滅した場合も、空軍は躊躇なく近接航空支援を実施する。そういう契約なのだ。

「谷井田少尉、もし墜落して、あんたがもし死んでたらだ、その腕切り離して俺が持って行くよ。マーカーごとだ。腕にレーションでも食わせれば、細胞もしばらくは生きているだろう。俺たちが安全圏まで脱出するまで」

「たちの悪い冗談だな……さっきの仕返しか」

 言って、谷井田少尉は笑わない目を私に向けた。私も笑わず、じっと彼の目を見返した。

彼は視線を私から逸らすことはしなかった。対抗心か、それとも別の感情だろうか。味方に向ける視線とは思えなかった。

「酔いそうだな」

 南波が苦笑混じりに呟く。機体は左右はおろか上下にも激しく揺れていた。パイロットとフライトコンピューターは機体を制御できているのかどうか疑わざるを得ない、はなはだあやしいほどの動きだった。

「艦隊はどこまで来ているんだ」

 南波が訊ねる。

「沖合、二〇キロ」

「近いな」

「戦艦の主砲の射程だ。重巡洋艦も来てる」

「島を耕しにか?」

「目標を殲滅するためだ」

「結果的に地形は変わるだろう?」

「何が言いたい」

「艦砲射撃をくわえる口実が欲しかったのか? あんたらは」

「なに?」

「先に手出しはできないから、俺たちをばらまいた。陸軍も同意した。幕僚監部の連中は敵の罠に引っかかったふりをした。どこからが罠なのかもうよくわからんが、だいたい『パイロットの保養施設を襲撃し、敵パイロットを殺害する』なんてのは、回りくどくて気乗りのしない任務だったし、取って付けたような気がした。そうか、そういうことだったんだな」

「そういうこと?」

 谷井田少尉は両足を床で踏ん張っていた。南波は彼に身を乗り出す。揺れる機体で身体をなんとか保持しながら。4726自動小銃が揺れる。

「俺たちやあんたらが出張れば、とうぜん、連中はあの<THINK>を装備した部隊を送り込んでくる。<THINKER>か。連中は俺たち帝国の特殊作戦部隊に対抗するための部隊だからだ。そうだよな?」

「……」

「だが奴らは手強い。……そして、奴らは最低でも中隊規模で動く……機甲部隊もくっついて。バックアップが万全なのは、俺たちよりも連中……<THINKER>のほうが、単価が高いからだろう」

 確かに風連奪還戦ではそうだった。モジュラー装甲を取り外し身軽になったSDD-48や歩兵戦闘車が 森の中で待ち伏せしていた。巧妙にカムフラージュを施して。早期警戒管制機(AWACS)や八九式支援戦闘機の目をごまかし、衛星を欺き、私たちを待っていた。

「なんで艦砲射撃なんだ。ご自慢の艦載機で精密誘導爆弾を使えばいい。空母機動部隊には、空軍に頼らず第一撃をかませられるような艦載機もいるだろうよ」

「より効果的なのは戦艦の主砲による艦砲射撃だ」

「どうしても地形を変えたいのか」

「……南波少尉。ここで私たちは、四個中隊を失っているんだ」

 CIDSのバイザーを上げ、左右に揺れる機内で、谷井田少尉は低く、だがしっかり通る声でそう言った。

「なんだって……?」

「あんたら陸軍が、内陸の風連や敷花で凄まじい犠牲を払ったことは私も知っている。敷花防衛戦が壮絶な結果になったことも」

 嶋田准尉の顔がよぎる。が、表情が思い出せない。瞬間的に蓮見の顔とオーバーラップした。誰もいない部屋。私の部屋。嶋田准尉の部屋。敷花防衛戦で戦死した彼女。

「風連の発電所奪還戦で、あんたらが奮闘したのも聞き及んでいる」

「そいつは嬉しいね」

「だが、メタンハイドレートの洋上基地を空軍が吹き飛ばしたとき、我が艦隊も近傍にいた。機動部隊もだ。艦隊は洋上で、敵の北氷洋艦隊を迎え撃っていた」

「艦隊同士で?」

「そうだ。……その後、私たちが海岸伝いにここまで来た」

「ここに何があるっていうんだ。軍事目標なんてありはしないぜ」

「地表にはな」

「どういうことだ?」

「海岸線からはわからんが、このあたりの内陸に、同盟の核融合プラントの建設が予定されていた」

「ここに?」

「そうだ。ボーリングも行われていたし、実験炉の設置準備工事に入っていた」

「そんな情報、俺は知らないぜ」

 言いながら南波は私を見た。私も知らない。首を振った。

「当初脅威にはならないと思われていたが、プラントの警備を行っていたのが、あんたらのいう〈THINKER〉さ。警備がいるとも気がつかなかった」

「この近くなのか」

「俺たちを嵌めてくれた同盟の保養施設から半日も歩けば、もっと立派な村が作られてるさ。本当に人が住んでる。プラントの建設作業要員とその家族、そして警備隊」

「行ってきたのか」

「だから、四個中隊が全滅したんだ。……今回はその報復だ」

「谷井田少尉、」

 私が言葉を挟む。

「海軍は、それを分かって?」

「最初から、全滅させるつもりでいた。艦隊の総火力で」

 私は嘆息した。

 陸軍は勢子役を買って出たわけか。たった四人のチームで。

「俺たちは、この作戦に他にもチームを送っている。よそも同じってことなのか」

「他は知らない。ここはそういう場所だった。俺はほかの作戦については知らされていない」

「そうか、」

 南波が言葉を句切り、シートに座り直そうとした瞬間、機体後部で激しい爆発があり、一瞬私は耳が聞こえなくなった。ヘッドセットのフィルタリング機能を上回る爆発音。機内全体に警報が響く。煙が後部から吹き出し、一瞬にして機内の視界がゼロになる。

「ドア開けろ、キャビン内で火災だ!!」

 誰かが怒鳴っている。

「撃たれる」

「見えないよりましだ、早くしろ!」

 誰かがドアを開けた。一瞬で視界がクリアになる。

「う」

 すぐ横でドアガンを構えていた射手が呻いて倒れた。血しぶきが煙のように散った。胸に大穴。即死だ。破片か、砲弾の直撃か。いや、三五ミリの直撃なら、人体など跡形もなくなる。

「誰か、ドアガンを」

 また誰かが叫んでいる。

 谷井田少尉が何も言わずにドアガンに駆け寄り、弾が装填されているのを確認し、撃った。発射煙が鼻を突く。三〇口径の機関銃。連射速度が速く、射撃音がまるでモーターサイクルのエンジン音のように一連に聞こえた。空薬莢がすさまじい勢いでばらまかれる。

「姉さん、」

 南波少尉が銃を構えようとしていた。さりげなく私たちの盾になるような姿勢で。

「かなりまずいな」

 桐生も、蓮見も身構えていた。

「どうやら、敵は大部隊を投入してきたようだ」

 南波がCIDSを下ろして言う。私のディスプレイにも戦闘情報表示で大部隊の存在が示されていた。

「あ、」

 誰かが短く叫ぶ。

 機外。空。黒煙を曳いて、七四式艦上戦闘機が墜ちていくのが見えた。離れてパラシュートが開く。パイロットは脱出したようだが、誰がパイロットの救出に行けるだろうか。

 そして私たちの乗った機体の動揺はもはや制御不能を予感させるほどになっていた。

「これは墜ちるな」

 南波が呟いた。冷静な声。状況をそのまま口にした声。

 谷井田少尉は無言でドアガンを撃ち続けていた。動揺に合わせて空薬莢がこちらにも飛んでくる。熱い。弾が切れ、別のクルーが谷井田少尉に予備弾薬を手渡す。

「入地准尉、姉さん」

 南波が真正面から私を見た。

「ダメだ。こいつは墜ちる。……巻き添えはゴメンだ。そうだな?」

 私はうなずいた。

「俺たちの任務はなんだ?」

「次の任務をこなすこと(・・・・・・・・・・)」

「そうだな。帰らなきゃならない」

 激しい振動。また誰かが叫んだ。

「南波少尉!」

 谷井田少尉が叫ぶ。

「すまない。不時着するそうだ。何かに掴まれ」

 不時着? 墜落の間違いだろう。すでに対地高度は二〇メートルを切っているようだった。下は湿地なのか、まだらに沼と茂みが続く。歩きづらそうだと私は真っ先に思った。

「姉さん、先に飛び降りろ。……この高度なら、できるだろう?」

「機を捨てる?」

「まともに着陸できると思うか? この飛行機が」

「無理だろうな」

「蓮見、」

「生きてるよ」

「見れば分かるさ。入地准尉と行け。降りたら、入地准尉に『言葉の話』をしてもらえ。お前から質問するんだぞ。『しゃべらなくても成立する言語が存在するか』ってな。悩み相談はするなよ。余計悩んじまうから」

「なんだって?」

「いいから、お前と姉さんで先に降りろ。俺たちはあとから行く。ビーコンは出しておけ。俺たちがお前たちに追いつく。必ず合流する」

 私と蓮見は無言でうなずく。

 『バス』は木立があればかすってしまうほどの高度まで降りてきていた。しかし速度が出ている。ヘリコプターとは違い、低速飛行が苦手な飛行機なのかもしれない。もっとも、墜落した場合も、自機のメインローターで自ら機体を切り刻んだり、ちぎれたローターが飛散し周囲を修羅場に変えるような心配はなさそうだ。

「なるべく、下が水の方がいい」

 蓮見のスーツの故障が気になったが、それは言えなかった。南波もわかって言っている。

「あんまり深いところに墜ちるなよ。まだこのへんは水浴びには涼しすぎる」

「わかってるさ」

 キャビンの外で細かな水煙が上がる。生きている側のエンジンが沼の水を巻き上げているのだ。対地速度は、自動車並みだろうか。転がると痛そうだが、水面に落ちればそれほど怪我をしないでも済みそうだった。

「姉さん、行け」

 私はうなずき、ドアに歩み寄った。後には蓮見。

 途端にドスンと凄まじい音がして、機体は段差から落ちるように急激に高度を失った。

「第二、第四エンジン、オールロス!」

「あっ!」

 パイロットの声に続いて、蓮見の短い声が聞こえた。危ない、そう思った。蓮見の腕をつかもうとした。南波は4726を構えていた。その私と南波の間を、傾いた床に足をさらわれた蓮見が滑った。

「蓮見!」

 南波が手を伸ばしたが、蓮見の身体はそれをすり抜けるようにして滑った。

 滑った先は開け放たれたドアだ。蓮見はそのまま姿を消した。

「蓮見!」

 私も叫んだ。

 キャビンから虚空へはじかれた蓮見の身体は、慣性から抜けると、すっと重力に引かれて落ちていく。背面跳びのような形ではじかれた蓮見と私の視線が交錯する。一瞬彼女と眼があった。見開かれた蓮見の目。

 不意を突かれて。

 水音。

 機体が一瞬安定したのを機に、躊躇を捨てて私も飛び降りた。

 機体から離れると、すぐに慣性から抜けた。やはり機速は自動車以下だ。身体をできるだけ丸め、銃は負い紐にしっかりとあずけて、着水に備える姿勢を取る。いくら速度が出ていない、高度もたかが知れているとはいえ、角度によって水面はコンクリート並みの硬さになるからだ。いくつか口の中で秒を数えると、すぐに刺すように冷たい水に全身が覆われるのを感じる。着水。かなり潜る。全身を脱力させて、浮力を得る。顔が水面から出る。息を吐く。吐息が白い。

 『バス』が見えた。飛んでいるのが不思議なほどに、あちこちから黒煙を上げていた。左舷側エンジンは二機とも黒々とした煙を、上り坂であえぐ蒸気機関車のようにもうもうと吹き上げており、とうてい機能しているとは思えなかった。ドアから南波少尉の顔が覗いていたが、機体はフラフラとバランスを失い、一時として同じ場所にはとどまらず、私たちから遠ざかっていった。

 蓮見は。

 離れた場所に、蓮見が浮いていた。両手で水をかいている。意識もあるようだ。よかった。水は切るように冷たい。蓮見を一刻も早く引き上げなければ。

「蓮見、」

 銃声と、爆音が聞こえたが、不思議に大きい音ではなかった。

 蓮見へ向かって泳ぐと、つま先が水底についた。つま先で歩くような格好で蓮見に近づいた。

「姉さん、……」

 辛うじて水面に顔を出しているような状態だった。沼の水は本当に冷たい。私のスーツは生きているから、素肌をさらしている部分以外は冷たさを感じない。が、サーモスタットが機能せず、大腿部に大きな裂け目があり、しかも負傷し衰弱している蓮見には死活問題の温度だ。

「蓮見、動けるか」

 流れのない沼でよかった。川だったらおそらく彼女は為す術なく流された。それでおしまいだ。私は蓮見の返答を待たず、ベストをつかみ上げ、そのまま引いた。浮力に任せて、蓮見の身体を岸まで牽引する。もともと軽いはずの蓮見の体重がまったく感じられなかった。まるで彼女の命の重さが失われていくような気がして、私は嫌な気分だった。

 嫌な気分?

 私は先ほど、4726小銃で、敵兵三人を葬った。そしてそれに快感を覚えた。誰にも言えないが、紛れもない快感だった。弾頭が敵兵の頭を砕く感覚。ライフルを投げ出すようにして斃れた兵士の姿。

 殺すことに快感を覚えるのではない。

 斃すこと。

 私が感じる興奮と快感はそこにある。

 兵士の中には、本当の快楽殺人者になってしまった悲惨な者いることだろう。私は幸いにして会ったことはなかったが、戦場は少なからずヒトの精神をむしばむ。極限状態は、人の心を両極端にする。隠されていた性質まであぶり出す。温厚だった人間が凶暴になり、周りへの気遣いを忘れなかった人間が、自分が生き残るため、周りの仲間を見殺しにする。そういう現場はいくらでもある。

「蓮見、」

「姉さん……」

「極限状態が、」

 私の吐く息が白い。これで初夏か。

「お前は、こういう極限状態が好きなんだろう、しっかりしろ」

「ごめん、姉さん」

「蓮見准尉!」

「大丈夫……」

 爆発音と、断続的な射撃音。遠い。三五ミリ機関砲の音だ。

 『バス』はどうなったのか。

 私は蓮見を岸まで引きずり上げて、枯れ色の草を両手で押し開いて視界を確保した。

 九六式装甲輸送機はまだ飛んでいた。

 フラフラと。

 右舷側のドアガンはまだ生きているようだったが、この距離からだと四基のエンジンのどれが生き残っているのか分からなかった。それくらいに機体は黒煙に覆われていた。傾きながら、懸命に機体を制御しようとしているのだ。もっとも、機体を制御しているのはフライトコンピュータで、その入力支援をするのがパイロットの手足に頭脳だと言っても過言ではない。ああした、飛行にとても適しているとはいえない形状の航空機を飛ばしているのは、常に大量の冷却が必要な大容量かつ高速処理能力を持ったフライトコンピューターと大出力のエンジンだ。現用の航空機は輸送機から戦闘機にいたるまで、フライトコンピューターの支援なしには一秒たりとも安定して飛行できない。戦闘機はそれが顕著であり、高機動性を確保するために本来人間が操作できる限界を超え、静安定を設計段階から失わせている。それを補うのは高性能のフライトコンピューターというわけだ。そのかわり、飛行機とは呼べない超越的起動も可能になっている。エンジン推力にものを云わせて、機首を天に向けたまま空中で静止する、高度を変えずに宙返りする、その過程で後ろ向きに飛ぶ。その姿はもう飛行機のそれではなかったが、コツをつかめばパイロットは誰でも同じ機動ができる。コンピュータが飛ばしているからだ。

 九六式装甲輸送機。

 装甲板で保護されたキャビンはおそらく、回転翼機(ヘリコプター)のそれよりはるかに重い。装甲がすさまじい重量を要求するからだ。回転翼ではなくターボファンエンジンを四基も装備しているのはそうした理由もあるのだろう。ヘリコプターは便利な乗り物だが、機体を含む搭載量に対して要求されるエンジン出力は固定翼機のそれを大きく上回る。もっとも、燃料を馬鹿食いするエンジンを四基も装備し、揚力を生む主翼を持たない『バス』の効率の悪さはヘリコプター以上かもしれない。だがそれも運用される場所とプラットフォームがある程度限定されるから許される。洋上の艦隊から離陸して、特殊部隊兵士を戦地に送り届けるシャトル便としての役目だ。陸軍のヘリコプターほどに航続距離は求められないから、そうした機体の存在が許されるのだろう。

 私は銃の光学照準器で機影を追った。

「姉さん……南波少尉は……」

「わからない」

 照準器の中で、機はさらに高度を下げ、時折姿が見えなくなった。森がある。機は背の高い針葉樹林に突っこむようにして完全に姿を消した。

「姉さん……、南波、少尉は、……脱出、できた……」

 蓮見を見る。顔色が蒼白だった。両手が震えている。顎も激しく細かく震えていた。低体温症だ。危険な兆候だと思った。

「蓮見、南波なら大丈夫だ。必ず生きてる。また会える。お前が生きていれば」

 私は本気で言った。私たちが生きていれば、南波となら必ず会える。彼は死ぬことを知らない。生きるための行動しか知らない。だからあいつは大丈夫だ。

 私は再び光学照準器を覗く。

 曳光弾の軌跡が幾筋も伸びる。爆発。轟音。

 針葉樹林の向こうに姿を消したきり、バスは見えなくなった。

 森の中に降りるつもりだろうか。

 しかし、機体の制御はもう完全に失われているはずだ。

 安全な着陸などはもう望めない。機体が地面に降りるとすれば、それは墜落以外にはあり得ないだろう。私は、南波と桐生が、墜落前に機体から脱出していることを願い、信じた。

 閃光。

 針葉樹の向こう、低く垂れ込めた雲と霧に反射して、爆発が見えた。

 かなり遅れて、爆発音がやってくる。

 黒煙。

 もうもうたる黒煙だ。

 間違いない。『バス』が墜落したのだ。

 南波。

 私は信じていた。

「蓮見、行くぞ。立てるか」

 震える手を私に伸ばしてくる。私は銃を背中に回し、蓮見の手を握った。沼の水と同じくらい冷たかった。強く握った。小さな手だった。私の手よりも小さく、細い指。まるで、少女のような。蓮見は私たちのチームでもっとも兵士に見えない隊員だ。だから、市街地への潜入任務では街に溶けこみやすい。迷彩服や軍服を着ていなければ誰も彼女を特殊訓練を受けた兵士だとは思わない。高等科の生徒だと思うはずだ。きらきらした好奇心にあふれた視線は彼女の生来持つ特性だ。私の目とは違う。悩むことがどういうことなのか教えなければ分からないような南波と違い、蓮見は悩んだ。人間らしいと思った。だから、もしかすると私たちのチームは彼女にとって……。

「姉さん、」

「立て。ここにいても死ぬ。安全な場所まで移動する。すぐに南波少尉と桐生が追い付いてくる。大丈夫だ。蓮見、行くぞ。CIDSを下ろせ」

 震える蓮見の手は私の指を握ったまま、動かなかった。私は右手を彼女の指からほどき、蓮見のヘルメット・バイザーを下ろした。

「立て」

 蓮見は高熱を出した子どものように震えていたが、立ち上がろうと私から手を離した。

「そうだ、立て、蓮見。行くぞ」

 彼女の脇から背中に腕を通し、引き上げた。冷たい。私の首筋に触れる彼女の身体は氷のように冷たかった。バックパックは完全防水されているが、迷彩を施した戦闘服はずっすりと水を吸っている。できれば戦闘服を脱がせたかったが、その下のスーツは原理的に水分は吸い込まない。皮膜状の一層だけが水分を保持するのみで、基本的に防水材質なのだ。冷たいのは彼女の身体自身。今触れている蓮見のスーツは、いわば彼女の皮膚そのものだといえる。ほぼ全身を覆うスーツの表面積は広い。そこから一斉に熱を奪われれば、本格的に凍死の可能性を考慮しなくてはならない。火を焚きたかった。戦場での焚き火は自殺行為ではあるが。

 とにかくこの湿地を離れるのが先決だった。足場が悪すぎ、蓮見を支えて歩くのが至難だったからだ。縫高町作戦のあとの私と南波と今の私と蓮見で決定的に違うことは、ひとつ、蓮見の負傷。ひとつ、またもチームがバラバラになったこと。プラス要因、ひとつ、CIDSにライフルをはじめとする二人のお役立ち装備がほぼ無傷であること。蓮見のスーツを除いてだが、CIDSはまだ生きているし、二人とも自分の癖に合わせて調節した4726小銃をまだ持っている。予備弾倉もある。ホルスターにはメルクア・ポラリスMG-7A・九ミリ口径拳銃、そして予備弾倉が四本。十分だ。バックパックも無事で、戦闘糧食もサバイバルキットもある。

「蓮見、その調子だ」

 しきりに爆音と閃光と頭上を曳光弾がよぎっていたが、私たち二人は戦闘から無視されているようだった。CIDSはスーパーサーチにしてある。蓮見に肩を貸し、時速二キロがいいところの速度で歩く。十五メートルごとに立ち止まり、蓮見の身体を抱きしめながら。

 本当にどこかで焚き火をしなければ蓮見は危険かもしれなかった。私が蓮見を抱きしめたところで、私の身体からは赤外線がまったく出ない。蓮見の身体からの放熱を遮る効果はあっても、私の体温で彼女を暖めることはできないのだ。私がスーツを脱げば暖められるが、それはまったくこの場ではナンセンスなことだった。

「姉さん……入地准尉」

「蓮見、なんだ」

「私のこと、置いて行っていい」

 言うと思った。そして蓮見は本気で言っている。始末に負えない。

「寝言は寝てから言え。そして今寝たら私がお前を殺すからな」

「冗談……」

「お前を置き去りにはできない……センサーの数が五個減る」

「五個?」

「眼球(アイボール)」

「……それじゃ二つだよ」

「残り、当ててみろ」

 蓮見は左足をかばいながら歩いている。いや、私が引きずっているというのが正解に近い。いくら海軍の救難員と南波に応急処置を受けたとはいえ、本格的なものではない。痛みまでは取れないだろうし、せいぜい止血処置をしただけだ。

「姉さん……わからないよ」

「耳」

「ああ……あとは」

「鼻」

「それで……五つ?」

「人間の感覚は……」

 蓮見の息は、体温に逆行して熱い。ダメだ、蓮見。熱を放出するな。お前の身体の中の熱は有限だ。これ以上熱を放出したら、帰れなくなる。私の脳裏に、上半身を失った野井上の姿がフラッシュバックする。

風連の発電所奪還戦。あのとき、野井上は私を振り向いた。銃を構えようとした。火線の先には、同盟軍の<THINKER>がいた。姿は見えなかった。森の向こうに、何かのモニュメントのように、発電所の巨大な冷却塔がそびえていた。場違いなほどに巨大で、原子のままの森の風景の中に存在する無機質な巨大建造物の姿は、熱にうなされた悪夢の中に出てくる風景にそっくりで、だから私はそのあと何度も同じシーンを夢に見た。野井上は私を向いて、何か叫んだ。爆発音と砲撃の音が凄まじく、彼の声はよく聞こえなかった。次の瞬間、私は南波に突き倒された。激しい音がした。土が巻き上がり、視界がなくなった。針葉樹の葉がちぎれ飛び、不思議といい匂いがした。森の匂いだ。目を開くと、野井上の破片が散らばっていた。腕があった。左腕は三分割されていた。右手は肘から先が私の頭の向こう二メートルに転がっていた。4716小銃のグリップを握ったままだった。だが、小銃はロアレシーバーを残して、アッパーレシーバが見あたらなかった。野井上の「本体」は、腰から上がそっくり失われていた。不思議なことに、両足はほとんど無傷で、しかも小刻みに動いていた。野井上……私は口の中で呟いた。呟きはCIDSが増幅して全員に耳に届く。

(野井上は戦死だ。姉さん、行くぜ)

 私の肩を二度強く叩き、南波が駆けて行った。そんな風景がフラッシュバックする。記憶なのか、その後繰り返し見た悪夢なのか、ときどき判別が難しくなる。

 私は幻想を振り払い、蓮見に話しかける。

「蓮見、人間の感覚は、精密ではないが、正確なんだ……しっかり、見て聞いて嗅いでいてくれ」

「姉さんの匂いがするよ」

「南波みたいなことは言わなくていい。……目を開け」

「大丈夫。……私はこういう感覚が好きなんだ」

「そうだ、お前はこういう状況が好きなんだ。これで終わりにしたいのか?」

「……終わりでもいいかも」

「それは、家に帰って、ソファの上でIidでも見ながら思い出すんだな」

「姉さん……優しいな」

「気のせいだ」

 CIDSのスーパーサーチモード。エコーロケーションモードもデュアルで使用。周囲五〇〇メートル以内に直接脅威なし。ただし、戦域における脅威判定はレベル三。私は蓮見を抱えるようにして歩く。

 歩く。

 歩く。

 蓮見。

 まだ、熱い息が私の頬に届く。

 蓮見。

 帰るんだ。歩くんだ。

 国境まで。友軍部隊と合流するまで。

 南波少尉が私たちと合流するまで。


 私たちがかろうじて湿地を抜けたころ、艦砲射撃が始まった。

 空気を切り裂く砲弾の音。そして、着弾。

 戦艦と重巡洋艦が数隻、一斉に主砲を解き放ち砲撃をしていた。弾着の衝撃はすさまじく、距離はあるというのに、私たちはその場にすくんで姿勢を低くし、行軍を止めた。射撃音そのものが戦域全体の空へこだましていた。艦隊は水平線の向こうに展開しているから、私たちからは見えなかった。ただ、日が陰り始めると、低く垂れこめた雲に、艦隊が砲撃するときの閃光が反射して、なんとなくきれいに見えた。ああ、稲妻のようだ。

 日が暮れて、海軍艦艇による艦砲射撃は断続的に続いていた。

 まだ空は雲に覆われているようだ。海を向くと、水平線上で閃光が瞬く。艦砲の発射炎。それが低く垂れこめた雲の中でぼんやりと光る。やがて、地を揺るがす弾着。弾着の後で、発射音が海上から轟いてくる。私たちはそれらの攻撃目標からかなりもう外れているはずだった。時速三キロにも満たないが、蓮見はなんとか私に引きずられるようにして歩いていた。

 道はなかった。

 湿地は途切れ、いま私たちが行くのは、腰までの高さの茂みだった。笹とイネ科と思しき細長い草。初夏の椛武戸。明かりあれば、この植物が萌える様子を美しいと感じたかもしれない。そして、絶え間ない艦砲射撃の轟音がなければ。

 海上の艦隊からは、圧倒的火力を誇る戦艦の艦砲射撃が続いているようだ。戦闘機や攻撃機の飛行音は聞こえなかった。CIDSにもそれらの反応はなかった。海軍はもっぱら上陸支援に使用しているはずの大口径艦砲の威力を見せつけようと、もうやたらと陸地に向かって撃ち放っているように思えた。艦砲の平均半径誤差(CEP)は、航空機から投下する誘導爆弾に比べるまでもなく大きい。お利口さまでかわいそうな(・・・・・・・・・・・・)GBU-8自己鍛造爆弾でCEPは数メートル以内に収まるというが、口径四十センチを超えるような戦艦の主砲弾のCEPなど、よくて数十メートル、通常はそれ以上の誤差が出る。精密攻撃など望むべくもない。文字通り、地形を変えるつもりで砲撃を加えるのだ。艦体の動揺、地球の自転などを考慮すれば、接近すれば接近するほど精度は上がるが、その分陸上からの攻撃にもさらされる。いま海上から盛大に発砲している戦艦は四隻。三連装主砲が一隻当たり三基。朝まで射撃を続けるのだとしたら、この付近一帯の地形は間違いなく変わる。

「姉さん……」

 蓮見と私は茂みに横たわっていた。海軍の九六式装甲輸送機から飛び降り、南波たちと分かれていから、ずっと歩きとおしだった。もちろん途中での休憩も挟みながらだったが、疲れ果てていた。とりわけ私は、蓮見の体重を支えながらの行軍だった。蓮見も消耗していたが、私も消耗していた。

「蓮見、少し休め」

 弱々しいが、蓮見の意識はまだはっきりとしていた。墜落直後の朦朧とした状態からは、なんとか脱してくれたようだった。大腿部の出血は、ファーストエイドキットで止まってくれた。痛みだけはどうしようもなかったが、彼女が痛みを感じてくれている間は、彼女自身の意識が明晰であることの証左であるから、私はそれを大事にしたいと思った。

「すごい音……」

「艦砲射撃だよ」

 蓮見が身体を横に向け、緩慢な動作で茂みを掻いた。視界を啓こうとしたのだ。

「見たいか」

「見える?」

「見えるよ」

 場違いだと感じたが、私は断続的だが中断を挟む戦艦たちの艦砲射撃で、真夏、柚辺尾の街の河川敷で見た花火を思い出していた。

 真夏。

 高緯度の柚辺尾は、夏が短い。

 盛夏と呼べるのは、七月から八月の盆までの一ヶ月少々だった。

 おそらく、高緯度地域の町や村はみんな同じだろう。みな夏が恋しい。夏がくれば、目いっぱい楽しむ。たくさんの祭が開かれ、たくさんの人たちが家から飛び出し、真上から降り注ぎ、足元に小さな影を落としてくれる太陽を全身で感じる。

 私もそうだった。

 六月が来ると、山も原も、どこも、新緑が萌え始める。一斉に花咲くように。

 日照時間は目に見えて一日ずつどんどんと長くなっていく。

 冬が遠ざかる。

 北洋州以北の住民たちは、冬とともに暮らすが、一方、冬を嫌っている。

 冬に糧を得る職業ももちろんあるが、多くの人々にとって、雪と氷に閉ざされ、一日数時間しか太陽が顔を出さなくなる冬の季節は忌むべき存在だった。

 だから、夏が恋しい。

 七月の下旬、柚辺尾市では、一週ごとに四週連続で週末金曜日の夜、花火大会が行われる。地元の企業がそれぞれに主催し、その日は町中も河川敷も、花火が見える場所はどこも観客でごった返す。周辺部の町や村からも観客は汽車に乗ってやってくる。北洋州開拓記念公園にはびっしりと露店が並ぶのは、六月中旬に開催される鎮守の社の神宮祭と同じだ。

 みんな河川敷にならび、みな一様に空を見上げ、一発目を待つ。

 私も、父や母、姉たちと汽車と市街電車を乗り継いで、中心街を流れる対雁(ついしかり)川の堤防に場所をとり、花火を待った。

 やがて、一条の光が空へ打ち上げられ、大輪の花を咲かす。

 炸裂音。

 光。

 歓声。

 それは一時間余り続くが、呼吸をするように、ふと花火の打ち上げが中断される間がある。火薬や玉の装填であったりするわけだが、その間は、観客の期待をいやがうえにも盛り上げてくれる。私はその間が好きだった。姉たちはその中断に文句を言うこともあったが、私は構わかなかった。一連で間断なく、花火大会が一瞬で終わってしまうのが私はもったいないと思った。中断を挟み、できればもっと長く、この夏の夜の時間が続けばいいと思っていた。

 水平線。

 私は蓮見と同じ視線をたどる。

 低く垂れこめた雲の中に、艦砲の発射炎が光る。

「蓮見、」

 私は彼女に話しかける。蓮見は低体温から一転して熱発していた。大腿部の傷のせいだ。彼女の身体は戦っている。そうするように陸軍医療局がセッティングした。私たちは訓練の過程で全身の調律(チューニング)を受けている。流行病に備えた民間での予防接種の拡大版だと考えてくれればいい。特に第五五派遣隊の隊員の身体には、強化した抗体(アンチボディ)が組み込まれている。一撃で息の根を止めるような負傷や、風連での野井上のように、身体そのものを木端微塵に吹き飛ばされれば話は別だが、軽度の傷病であれば、投薬や野戦病院での治療を行わずとも、ある一定レベルの身体機能を継続できるように肉体そのものが回復しようとするのだ。私たちはなかなか死なないように調律されている。精神面にもそれは及ぶ。戦場の兵士は日常生活では考えられないほどの心的ストレスを負う。いちいちそれに負けていたら、敵と戦うどころではなくなる。簡単には戦意を喪失しないような、絶望しないような調律。私たちの脳は、極限の状況でも生きていけるように強化されているのだ。外側から。第三者の手によって。

「なあ、蓮見。お前、花火、見たことあるか」

 私は自分の声の低さに時々驚く。もともとこういう声だったろうか。

 入隊以前の自分の声はどのような音だったろうか。

 丹野美春がいま私に会ったら、私を私だとわかってくれるだろうか。

「花火……?」

「そう。花火」

 発射炎。

 弾着。

 大音響。

 なぜ私たちはこんなに平然としていられるのか。

「お前、出水音(いずみね)の出身だと言っていたな」

「うん」

 出水音。城下町。水路。盆地。やはり私が知っているのはその程度だ。

 高地に広がる盆地で、夏は冷涼。都野崎から特急電車で二時間ほどの距離はずだが、訪れたことはなかった。学生のころ、都野崎に住んでいながら、私は本土をほとんど旅していない。都野崎近郊ならば丹野美春とときどき訪ねて歩いた。だから、私は蓮見の故郷も、南波の生まれ倉賀(くらが)という武家屋敷が並ぶ街のことも知らない。唯一ともいえる旅行は、丹野美春の案内で訪れた京(みやこ)だった。帝の住まう帝国の首都。碁盤の目の街路、一角ごとに存在感を示す寺院、そして気高い住民たち。帝国の中心は、武士たちが群雄割拠していた中世社会を統一したとある武家政権が築城した都野崎に移った。その後経済発展を遂げ世界都市にまで成長した都野崎には政府機能そのものが置かれているが、丹野美春の穏やかな京言葉を聞きながら、帝国の歴史そのものが鎮座している京の町を歩きながら、帝の御所を生まれて初めて眺め、我が国の首都はやはり京であり続けているのだと感じたものだった。北洋州に住んでいる限り、帝は神話の世界の中でしか存在しないと思えていたからだ。

「出水音で花火、見たことあるか」

 同じ質問をした。

「ある」

「どんなだ」

「……実家の……二階の窓から見えたよ。知らないの、出水音の花火は、帝国で三番目に歴史が古いんだよ……、出水音城を築いた殿様がね、新し物好きだったんだ」

「そうか」

「お城が見えるんだけど、その、天守閣の向こうに、花火が見えるんだ」

「その花火、好きだったか」

「姉さん、どうしてそんなことを訊く?」

「さあ、……どうしてだろうな」

「まだ、撃ってる」

 海軍は一晩中艦砲射撃を行うつもりなのか。私にはもはやそれが、怨念のこもった行為に感じられて、不快感を覚えていた。

「少し眠れ」

 私は蓮見のヘッドセットを外した。

「寒い」

「熱発だ。それで寒いんだ」

「足が痛い」

「その痛みを大事にしてくれ。感じなくなったら、……置いていくぞ」

「姉さん」

「なんだ」

「本当は、姉さん、私を置いて行ったりはしない」

「……」

「だから、休むよ。姉さんも、休んだら」

「私は大丈夫だ。……海軍主催の花火大会がまだ続いているからな」

「花火大会……そういう意味だったの。……姉さん、ごめん」

「なぜ謝る。らしくない」

「わからない」

「弱気になると、死ぬぞ。『がんばれ、元気を出せ。救助は必ずやってくる』だ」

「……サバイバルキットに入ってるやつじゃない、それ……」

 蓮見は目を開いたまま、首をめぐらせて、水平線を向いていた。

「まだ食べさせないよ。……休め」

 艦砲射撃。

 音。

 着弾地点は、内陸へかなり移行しているようだ。おそらく無人観測機や合成開口レーダーを装備した戦術偵察機が高硬度から監視しているのだ。炸裂音と弾着のすさまじい衝撃で、上空に何がいるのかはまったくわからない。CIDSの索敵モードも今は近距離モードにしてあり、より電力を食うスーパーサーチモードへの変更は控えていた。少なくとも半径二キロ以内の地上に、私たちの脅威となりうる「なにか」はいない模様だった。脅威反対そのものはレベル三。警戒を解いていいのはレベル二以下だから、まだ気を休めるわけにはいかなかった。

 傍らに、というより、私は肌身離さず、蓮見と、そして4726自動小銃を抱えていた。今一度、自分の装備を確認する。ヘッツァー4726・七.六ミリ自動小銃はそろそろメンテナンスをしてやりたいところだが、こんな場所で分解結合(フィールドストリッピング)というわけにもいかない。予備弾倉は、マガジンポーチに、七本。蓮見はもう少し持っている。ふたりともグレネードランチャーを装備しないで出撃しているので、銃そのものには光学照準器とフラッシュライトのみだ。バーティカルフォアグリップも近接戦闘でのスイッチングを考慮していないので装備していない。ただし、銃本体のフレームが大柄なので、五.五六ミリ版の4716と比較すると、一回りほど大きく、一割以上重い。二脚(バイポッド)がついていれば、銃の固定や保持も楽で、より遠距離への精密射撃も可能だが、この銃は狙撃銃(スナイパーライフル)ではなく突撃銃(アサルトライフル)……もっと細分化すればバトルライフルである。そもそも今回の作戦は狙撃が主任務ではない。

 寒さに身体が震えた。さすがに初夏とはいえやはり冷え込んだ。火は焚けないが、私は蓮見に寄り添っていた。

「入地准尉……姉さん」

「なんだ」

「なぜ、軍隊に入ったの?」

 私はすこし面食らったかもしれない。南波からも訊かれたことがなかった質問だった。おそらく、陸軍入隊時……とりわけ第五五派遣隊への入隊選抜での面接以来、その質問は忘れ去っていたかもしれない。

 いや、忘れたふりをしていただけかもしれない。

「姉さんは、都野崎帝大出なんでしょう」

 それは南波がことあるごとに風潮してまわっているから、隊の顔見知りはみんな知っていることだった。(さすが姉さんは帝大出のエリートだぜ)

「ああ、そうだ」

「徴兵されたわけでもない」

「徴兵制度はもうこの国にはないからな……もっとも、軍隊経験があれば、『市民』としての手厚い権利が保障されるっていうのは魅力だったけどな」

「嘘だよ、姉さんはそういう人じゃない」

「どういう人だ」

 弾着。地面が揺れる。

「姉さん、南波少尉が言っていた、言葉のいらない民族って、なんの話?」

「話が変わるな……それは、暇つぶしのおとぎ話さ」

「どういう?」

「言葉を声に出さない民族……というか部族だな、そういう連中がいるのさ。南のとある島に。知ってるか?」

 蓮見は首を横に振った。

「十六世紀まで『文明人』が一人たりとも訪れたことのない、絶海の孤島って奴だ。そこに、文字は持っているが、しゃべらない部族がいたのさ。そういう話だ」

「そういう話を、ふだん、南波少尉としている?」

 蓮見は言葉を持つが話さない部族の話にはさほど興味を示さなかったようだ。

「二人きりになると、暇になるからな」

「私にも、何か話を……」

「子守唄は歌わないぞ。……気を確かに持て」

「大丈夫。さっきよりは大分楽になった」

 蓮見の腿の傷の出血自体はかなり前におさまっている。ただ、かなりの痛みをともなっているようだ。かぎ裂きのように太ももが切れている。応急処置だけでは今後が心配だった。いくら気温が低いとはいえ、無菌に近い氷雪地帯とは違う。雑菌が入れば、今夜あたりから彼女はさらに発熱するだろう。身体と脳の調律がそれを要求するからだ。私たちの身体は一般市民の身体とは構造が違う。生来持つ治癒能力を医学的に高められている。だから発熱量も大きくなる。そしてその発熱量を維持するだけの食料は心もとないと言わざるを得なかった。

 私は背の高い草むらに寄り掛かるように、上半身を脱力させた。両足を伸ばす。すると途端に全身が弛緩する。緊張が徐々に解けていく。筋肉という筋肉に蓄積された疲労が、ゆっくりと脳を麻痺させていく。第五五派遣隊入隊選抜時の訓練中、助教からしつこく注意されたことだった。戦場の敵よりも、自分の内なる部分から囁きかけてくる誘惑だった。(もう休め)(誰も見ていない、少し休んだらどうだ)、そういう囁きだ。肉体や精神が極限状態に達したとき、それらの囁きは実体を持って私自身に襲いかかってくるのだ。なによりも甘美で心地よい誘惑だった。

「姉さん」

「私も、少し疲れた」

 私はバックパックを下ろし、ハーネスの類を解いた。一気に体が軽くなる。

 南波は無事か。弛緩した緊張感のはざまに、南波の横顔が浮かんだ。

「しゃべらない部族の話、聞きたいか」

 艦砲射撃が一時止んでいる。私の声は自分でも驚くほどに大きく聞こえた。

「ううん。……それより、……姉さんがなぜ軍隊に入ったのか、教えてほしい」

「なぜ」

「知りたいから」

「わかりやすいな」

「話してもいいが、出水音の話も聞かせて欲しいな」

「私の街?」

「そう」

「どうして」

「私は北洋州育ちだ。……ああいう歴史のある地方に憧れがあるのさ」

「都野崎は?」

「自分の街じゃない。四年いただけだ」

「都野崎のどこに?」

 私は上半身をそのまま草むらに横たえた。背筋が一気に弛緩した。疲労に全身が絡め取られていく。心地よい。なんとか抗おうと思った。けれど、無駄な努力だとも思った。

「都野崎の……紀元記念公園のそばだ……高射砲塔がよく見える……アパートメントの二階に住んでいたよ」

 あたりはすでに夜の空気だった。曇り空のままだから月明かりも星も見えない。闇が来る。心地よい、そして危険極まりない夜が来る。

 曇天の夜は本来ならば作戦行動にちょうど良い。なにより暗い。星もなければ月もない。この時期は雪も消えるので、雪原の乱反射もない。国境を目指すなら、夜に移動するのがもっとも安全に思われた。

「蓮見……」

 もしかすると私自身の身体がすでに限界を超えつつあったのかもしれない。

「すまない。私も少し休ませてほしい」

 私は上半身をやや起こし、熱っぽい蓮見の腕を二度叩く。航空機の機長が操縦桿を副操縦士にあずけるように。”You have control……”、そのつもりだった。

「姉さん」

「すまない」

 それでも私は4726自動小銃からは手を離さない。セイフティをかけた状態で、しかし薬室からは弾薬を抜いていないから、いつでも撃てる。

「三十分でいい。……休ませてほしい」

「わかった」

 危険だとも思った。蓮見がまともに警戒できる状態ではないことも分かっていた。けれど、休みたかった。一瞬でも都野崎の風景が、この青く沈んだ水の底のような曇天の向こうに見えたような気がしたからかもしれかなった。

 私は目を閉じた。

 艦砲射撃は中断していた。

 意識が遠くなるにはちょうどいい静けさだった。

 風もなく、草木のざわめきもない。あたりからはすべての音が消えていた。

 私の意識は不意に遠くなり、記憶の中へと時間が逆転を始めた。

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