第9話
9、
私たちチームDが乗り込んだヘリは、コールサイン「レラ〇二」。こちらの先住民の言葉で「風」という意味。私たちの乗機よりやや高度を取って、おなじみ八二式戦闘ヘリコプター二機が護衛(エスコート)についている。レラ〇二を前後から挟み込むようにして。密集しては飛ばない。二〇〇メートルほどの間隔を取っている。
夜明け。しかし空は曇っている。典型的なこの地の初夏の天候で、地表近くには霧が巻いている。視程はかなり悪い。が、電子の目や衛星の誘導や、人間には本来備わっているはずのない動物的勘(・・・・)を満載した私たちには、霧などあってもなくても関係なかった。少なくとも飛んでいる間は。パイロットはCIDSを通じて、真昼のような視界を得ているだろうし、そもそもバイザーに表示されるステアリングキューに従えば、安全に飛行できるし、旅客機並みのオートパイロットまで付いているのだ。人間は微調整役であり、緊急時に複雑な判断を瞬時に行う有機的センサーとしての側面が大きい。いくらコンピューターが進歩し複雑なアルゴリズムとアーキテクチャを組み合わせても、動物……人間も動物だ……が持ち合わせている精緻な「勘」までは再現できないからだ。人間はときに見ているものを認識せず「見落とす」が、逆を言えば、コンピューターにはそうした芸当ができない。瞬間的かつ多様な判断を迫られても、コンピューターはそれなりの反応にとどまるのだ。
私はCIDSの拡張機能を展開させて、バイザー裏に表示される視界から、ヘリコプター本体をすべて透過させた。衛星や早期警戒管制機(AWACS)とのリンク機能がフルに生きているとこういう気色の悪い芸当ができる。まるでゲームだ。ワイヤーフレームだけになったヘリコプターを透かして、流れる空気や雲や霧、針葉樹の森と、前方を行く八二式戦闘ヘリコプターが見える。ズームしろ、と考えると、視線入力で戦闘ヘリをTDボックスが囲み、サブ窓でズーム映像が見られる。メイン窓でズームしないのは、それがすなわち視界を妨害することと等しいからだ。考えるだけで通話ができる同盟軍の<THINK>には及ばないが、CIDSは装備者の脳波を検知し、簡単な操作だけなら考えるだけで出来る。視線入力の補助役に過ぎないが、慣れればかなり楽に操作できた。
「なに見てるんだ」
蓮見が私をつついてくる。
「頼もしい護衛」
私はCIDSを下ろしたまま言う。おそらく、機内天井を見上げながらのつぶやきなので、裸眼の彼女は不思議に思ったのだろう。
蓮見は膝の上に4726自動小銃を載せて、戦闘糧食から抜いたらしい高カロリーのスナックバーをかじっていた。二本食べたらそれで通常の食事一回分に相当する食べ物だ。けっして旨くない。それを蓮見は無表情でかじっている。横顔はまだ少女の面影があった。私は、彼女は<PG>だと思っている。彼女自身は否定しているし、南波も違うと話していたが、彼女が漂わせる雰囲気は、あの戦闘爆撃機のパイロット、伊来中尉とよく似ている。そう、Priority Genetic screening children特有の匂いだ。
私は蓮見に夢の話をしてみたいと何度か考えたことがあった。けれどしなかった。彼女が<PG>系だろうが原生種だろうが、チームメイトとしての不足は何もないのだ。個人的興味から彼女にいらぬ質問をする必要はなかった。
「なに、姉さん」
蓮見が私を見とがめる。
「旨いか、それ」
「姉さんも持ってるじゃないか。食べればいいんだ」
「味がくどいんだ。あまり好きじゃない」
「私は好きなんだ。……ほら」
ひとかけらちぎって私に差し出す。薄茶色の瞳。丸みを帯びた頬。二重。少女そのものの顔だった。
「いいから、自分で食べな」
私はCIDSを下ろしたままだ。サブ窓にはまだズーム中の八二式戦闘ヘリが映っている。電子制御で微動だにしない飛行姿勢。作戦本部とはデータリンクで繋がっている。データリンクは私たちの上空一万メートルを飛行中の早期警戒管制機のレーダー情報を元にしていて、早期警戒管制機は、戦域を交代で二四時間哨戒飛行中の戦闘機の交通整理も行っているはずだ。
「あと、四八時間だな」
向かいの席から桐生が言う。腕組みをして、じっとこちらを見据える。CIDSはアップした状態。猛禽のような目をした男だ。階級は私や蓮見と同じ准尉だが、軍歴は南波より長い。年齢もいちばん上だ。私より六歳年上。なので南波より八歳年長。桐生は唯一の三十代だ。
「正確には、四八時間と五六分」
南波が足を組んだ姿勢で言う。4726自動小銃のグリップに右手を添えている。こいつはいつでも戦闘態勢だ。スイッチが入ると、なかなか切れない。だから頼りになる。私の相棒(バディ)。
「気乗りしない」
蓮見がスナックバーの最後のひとかけらを口に入れて言う。拗ねたような口調。
「いつだってそうだ」
桐生。
「どうせ最後はお祭騒ぎさ」
「それは願い下げだな」
私が桐生に言う。お祭騒ぎとは、縫高町戦がそうであったように、収拾がつかなくなった戦域をまるごと消し去るという近接航空支援をさしているのだ。確かに私たちの作戦の大部分はそうした幕切れが多い。
「『癇癪娘』の声なんて聞きたくない」
蓮見。戦闘服のジッパーを顎の直下まで上げて、ヘッドセットの装着具合を確かめている。
「メタンハイドレートの採掘基地をぶっ飛ばしてるしな。俺たちは。敵の大規模な報復があるかもしれん」
南波が抑揚をつけずに言った。。
「だだっ子みたいなもんだ」
桐生が隔壁に深く背を預けて言う。
「奪還できなければ破壊せよ」
南波が続ける。
「わかりやすくて結構だ」
蓮見。
「わかりやすいか?」
南波が聞き返す。
「わかりにくいか?」
「今回の作戦がわかりやすいか?」
「少尉、わかりやすいと思うよ」
蓮見の口調は、ことさらゆっくりと発音した。南波に言い聞かせるように。
「敵戦力の無力化」
南波が4726自動小銃を肩に立てかけた。
「確かにそれだけ言うならわかりやすい。けれど、いい気分はしない。だいたい、空爆あたりで片がつくなら、俺たちの出番がない。それは俺たちの存在意義が疑われてるってことだ。はなはだ不愉快極まりない話だと思わないか、姉さん」
「敵航空戦力の無力化。それも、長期間に渡って……戦術、教育体系、技術の継承それらも破壊せよ」
私が答える。
今回の作戦の目的は、敵の航空戦力を壊滅させることだ。そして私たちの目標は、敵の戦闘機でも航空施設でもなかった。
機体破壊の優先度は低いものとする。
施設破壊の優先度も低いものとする。
搭乗員を抹消せよ。機付整備員を抹消せよ。彼らをサポートする隊員を抹消せよ。彼らの拠り所となる彼らの家族を、地域コミュニティを抹殺せよ。そして、当然、最後に付け加えられた文言はこうだ。
……作戦遂行に失敗した場合は、海軍艦艇による艦砲射撃を実施する。
核攻撃とまでは行かずとも、私たちが目標としていま向かっているその地区に対し、おそらくは海軍が総力を挙げた艦砲射撃を実施し、住民もろとも地形まで変貌させ、辺り一面癇癪を起こした子どもの遊び場のようにしてしまうに違いない。
手に入れられないものは破壊する。そういうことらしい。
南波と桐生がぼそぼそと話を続けている。私はすでに彼らの会話に興味を失っていた。
私は入隊したときの助教の言葉を思い出していた。
(任務だからやります。命令されれば行きます。……そんな奴はいらない。即刻やめろ。今すぐ帰れ)
私は作戦を続けるうち、彼の言葉を理解できるようになっていた。任務だからやるのではない。望んでやるのだ。命令されたから行くのではない。私の可能性を展開するために行くのだ。ここにいる四人はみんなそうだ。仕方なくこのヘリに乗っているクルーはいないのだ。
上空を八二式戦闘ヘリが警戒しているなか、私たちが乗った武装ヘリが森の中にひらけた草原に降下する。両舷のスライドドアは開け放たれていて、射撃手がドアガンを構えてこれまた警戒中。
「念のためだな」
「二〇メートル切った」
ヘリのクルーが怒鳴る。
「リペリングするより気が楽だ」
私の隣で蓮見が言う。
「今から飛び降りてもいいぞ」
南波が言う。
「冗談、」
蓮見が言う。笑っている。エンジン音やダウンウォッシュなどの雑音はCIDSがこし取ってくれ、必要な音声は増幅される。
ヘリはダウンウォッシュをまき散らしながら、針葉樹の森の中にぽっかり開いた草の原に着陸した。ヘリコプターのスキッドが草に沈む。南波が車から降りるような動作でヘリを出る。桐生、私、蓮見の順で続く。
「機長、ありがとう」
南波が振り返り、きっちり発声して言う。無線通話。ヘリコプターのクルーと同じインターコムの周波数を使う。もっとも、あちらは機内に限っては有線通話だが。
「チームD、武運長久を」
機長がコクピットからこちらを向いている。ガナーが手を振っていた。
「武運長久を」
南波が返す。
上空の八二式戦闘ヘリコプターは七七式改ヘリの護衛であり、私たちチームDの護衛ではない。ここから先は、お互いがお互いを、あるいは自分自身を護っていく。あらゆる脅威からだ。
「やっぱり、」
蓮見が言う。
「気が乗らないな」
蓮見は4726を水平に構え、光学照準器(スコープ)を覗いた姿勢で警戒。ダウンウォッシュが私たちに吹きつける。高度を急激に上げていくヘリコプターの腹が見える。地上に脅威が現出した場合、対処するのは私たちの役目だ。ただ、私たち四人に与えられている武器は、4726自動小銃とメルクア・ポラリスMG-7A拳銃、そして頭脳と肉体だけ。分隊支援火器(SAW)の類がないのが心細いといえば心細い。彼ら(ヘリコプター)が去るまでは警戒を続ける。ある程度の高度に達すれば、脅威の判定と排除は、あの頼もしい八二式戦闘ヘリが受け持つ。
「気が乗る任務(ミッション)がこの世に存在するか。面白いかどうかは別としてな。行くぞ」
南波が先頭。草は柔らかく、腰までの背丈があっても歩きやすかった。雪解けの水がこのあたりにはたまりやすいのだろう。それを目当てにした種類だ。もっと気温が上がり、地面が乾燥してくると、また別の種類の植物が背丈を伸ばすのだ。私が上空からここを見て湿地のようだと思ったが、靴の裏の感触はやはり柔らかく、あながちはずれてもいない感想だったようだ。
チームDは四人。私たちの最小行動単位は二名だから、ほぼ最小に近いユニットだ。この人数を投入するなら、八九式支援戦闘機を呼び込んで、目標を殲滅してしまった方が早いように感じるが、上層部はそう判断しかなった。生身の部隊を送り込み、兵士の持つ銃で、目標に弾丸を撃ち込む、その過程を重視したようだ。その行動そのものが敵に与える影響。爆弾で殺されるのと、間近に敵の姿が見え、その敵に射殺される恐怖感……それらをセットにしてひとつの攻撃と見なすのだ。万一作戦が失敗したとしても、失われる味方の兵力は一チーム四人だけ。……失われるスキルや経験値を無視するなら、確かに戦闘機一機よりはるかに安い。そして、いくらおりこうさまでかわいそうなGBU-8自己鍛造誘導爆弾でも、目標の姿形……表情まで判別して落下するわけではない。GBU-8は建造物などの施設や車両破壊を目的にした兵器で、たまたま建物の中にいた人間や、運悪く車両に乗っていた人間を「巻き添えにして」殺してしまうことはあっても……それが普通だとは思うが……人間だけを選別して殺すような機能にはなっていない。だいたい炸薬の量からして、人間一人だけを選別して殺害するようにはできていない。航空機が得意とする攻撃方法は、町ひとつを消し去るだとか、鉄橋を基礎ごと吹き飛ばすとか、発電所を更地にするとか、そうしたダイナミックでわかりやすいものなのだ。私たち人間が得意とする攻撃手段は非常に分かりにくく、せせこましい。
「目的地までは」
「このスピードなら、三時間、てとこだな」
時速六キロ。結構な早足だ。走るわけにはいかない。走ってもいいが、消費したエネルギーの摂取が面倒になる。走るという動作は想像以上にエネルギーを消費する。走れば時速は八キロから一〇キロまで向上させられるが、途端に私たちの燃費が悪化する。たった時速二キロの違いだが、歩行速度時速六キロは堅持だ。
「ずっとこんな森の中を行くんだよね」
「蓮見、分かってることをいちいちしゃべらなくてもいい」
南波が前を向いたまま言う。
「行程は確認したろ」
「蓮見はわかってて言うのさ」
桐生。補正された声も低い。
「退屈なんだろう」
私が言ってみる。
「退屈なんかしないよ」
蓮見は平淡に答えた。
「誰がこんな作戦考えたんだ。パイロットの待機施設を襲うなんて」
蓮見。彼女の口数の多さは、おそらく年齢から来るのだろう。彼女はチームD最年少だ。良くも悪くも老成されていない。気になったことは口に出さなければ気が済まない。そういうタイプだ。
「上層部」
南波が答える。南波はいつでも、答えてくれる。私が相手でも、蓮見が相手でも。
「どうして考えたんだ」
「膠着した戦線を押し上げるため」
「押し上げてどうするんだ」
「戦争に勝つのさ」
「勝ってどうするんだ」
「戦争が終わる」
「どうせ次のが始まるんだ」
「次のが始まったら、また俺たちの出番だ」
どうでもいい問答だった。問答にすらなっていない。
「文句を言うなら、なんでチームに入った」
チーム……第五五派遣隊そのものを指したニュアンスだった。
「志望動機?」
「そんなところだ、」
「常に極限にいたいから」
「何?」
「極限状態が好きだから」
蓮見が言う。初めて聞いたような気がする。
「はっ、そりゃ病気だな」
桐生が言う。低い声。感情の抑制された声音。そんなニュアンスまで増幅・補正してくれる。ますます<THINK>など不要だ。
「桐生やめておけ、蓮見のテだ、テ。いつもこのパターンで独演会が始まるんだ。まだ姉さんの『講義』のほうがマシだ。蓮見のは愚痴だからな。極限状態が隙とは聞いてあきれるぜ。いつも文句ばっかりのくせに」
「嫌いだなんて言ってない」
「そうだな。言ってないな」
南波は歩調を緩めない。足許はけっこうしっかりしているが、獣道だ。両側は針葉樹林。背筋を伸ばしてハイキングというわけにも行かず、やや猫背にした四人は足音を殺しながら時速六キロで進む。
「殺すか殺されるかってのが気持ちいいのか?」
南波が訊く。
「違う」
「じゃあ何だ」
「殺すとか殺されるとか、そんなのどうでもいい。ただ、身体が極限状態に突入するのが好きなんだ」
「身体だけか?」
「心も体のひとつだよ」
「そうだな……たまにはまともなことを言う。で、その極限状態がなんでウチなんだ? 山でも登ればいいじゃないか。ハイキング登山じゃないぜ。八〇〇〇メートル級の山でも登ってくればいいじゃないか。海に潜ってもいい。北氷洋なんておすすめだぜ。水温マイナス一度、ドライスーツを着ていても一時間潜ったら死ぬらしい」
「そういうのでもいいんだ。でも、お金がかかる。山に登るにしても、海に潜るにしても」
「それを商売にしてる連中がいるじゃないか。その仲間になればいい」
「違う。南波少尉……分かってない」
「分からないんだ。当り前だ」
「そういう職業に就いたとして、けど毎日極限になるわけじゃない。……どっちかっていうと、毎日は普通で、平凡で、欠伸が出るような感じで、時々、ほんの時々、極限状態の世界に行くだけだ。私は、もっと頻繁に極限状態でいたい」
「手っ取り早く、だからウチに来たって?」
「そう思ってくれて構わないよ」
「やっぱり病気だ。『センターライト降下作戦』では死にかけたくせに」
桐生が言う。
「姉さん」
蓮見が私を呼ぶ。
「なんだ」
「あんたって、私と同じ匂いがするんだ」
「シャワーなら浴びてきたぞ」
「そういう意味じゃないよ」
「わかってる。冗談だ」
「姉さんが戦闘中に取り乱しているところをほとんど見たことがない」
「それは、ウチら全員がそうじゃないか。姉さんに始まったことじゃない。蓮見、お前もそうだ。だから今ここにいる。風連奪還戦でお前がパニックに陥っていたら、今ごろ二階級特進してる」
南波が口を挟む。そうだ、そのとおりだ。みんなそうだ。
「いや、姉さん、」
蓮見も時折私のことを南波と同じように「姉さん」で呼ぶ。やめて欲しい。
「私はあんたの姉さんになったつもりはないんだが」
「いいじゃないか。コールサインだ」
「そりゃいい」
南波が笑った。
「姉さんを見てると、時々怖くなる」
「何が怖いんだ。私の」
「躊躇がないから」
「何にだ」
「撃つことに」
「蓮見、お前だって同じだ。いちいち銃を撃つのに躊躇しているような人間なら、いまごろ墓ん中だ」
「そうだ」
「じゃあ、私のどこが」
「姉さん、今回の任務、どう思う?」
「任務についての感想は持たないことにしてるんだ」
「オフレコさ」
「私たちの言葉はいつだってオフレコだ。人に聞かせられない。特に〈市民〉には」
市民。国防の義務以外の義務を全うしている人たち。市井の人々。
「じゃあ、〈市民〉に聞かせられるレベルで話してくれよ」
森の中は薄暗い。針葉樹の森はそうだ。下草が極端に少ない。その分見通しもいいから、実際の戦闘になると地形効果があまり期待できない。
「敵の脅威の排除……それでいいだろう」
私は前を向いたまま、歩調もそのまま、答えてみる。
「シンプルすぎるよ」
「他になんて言う?」
「敵航空戦力の中期的期間における弱体化」
「似たようなもんだ」
「姉さん、なんでパイロットを狙う必要があるの?」
「何?」
「南波少尉も……どうして施設や戦闘機そのものを狙わないんだ? いま私たちが向かってる場所って、敵の航空基地でもなければ、レーダーサイトでもない……ただの村だろう」
「蓮見、」
「どうせ、オフラインだ」
確かにオフラインだ。耳に届いているのは、CIDSが増幅した彼女の声だ。あらかじめ登録されている彼女の個人情報(パーソナルデータ)をベースに再生されている彼女の声。
「なんで村に向かってるんだ?」
「もう一回ブリーフィングが必要か? 蓮見准尉?」
「分かってる……ただ、気分が悪いだけだ。敵のパイロットを狙うなんて」
「パイロットがいなくなれば、飛行機は飛ばせない。そこが鉄砲とかロケットランチャーとの違いだな。素人でも撃つだけなら銃は撃てるし、当たるかどうかは別として、ロケランだってぶっ放すことは誰でもできる。けど、戦闘機はそうはいかないな。俺もそうだ。八九式支援戦闘機のコクピットに座ったところで、エンジンの掛け方だってわからない」
南波は淡々と言う。無神経と紙一重の無頓着な口調で。
「パイロット個人を狙うのは条約違反ではないのか」
「条約に『兵士を殺害するな』とはどこにも書かれていない」
南波が答える。
「相手は非武装だ」
「そう言いきれるか? パイロットだって銃の撃ち方くらいは知ってる」
「……虐殺じゃないとなぜ言い切れるの?」
蓮見はどこまで本気なのだろう。暇つぶしの戯れ言だとしても、ナイーブすぎる。
「じゃあ、空挺降下して敵の後方に襲いかかり、戦闘に慣れていない補給部隊や工兵隊を血祭りに上げるっていうのはどうだ? お前の論理なら虐殺か? 今までだってやってきた。発電所を警備してたのは、とても俺たちレベルの兵隊とは思えなかったぜ。あとからやってきたのが強力だっただけで」
「それで三〇口径か」
一チーム四人で襲うにしてもたかがしれている。射程距離を稼ぎ……幸い私たちは、一般部隊と比較しても選抜射手レベルの射撃能力がある……しかも重たい弾丸と初速を生かして、一人一人を確実にノックアウトする。
目標の同盟軍保養施設には一個飛行隊分のパイロットが滞在していると説明された。わざわざ危険を冒して敵航空基地に攻撃を仕掛けるより、確実に安全に、そして継続的に、敵の航空戦力を削ぐことができるということらしい。作戦に疑問を挟む余地はない。命令は絶対だ。行けと言われたから、私たちは自分たちの機能を発揮するために行く。拒む理由は何一つない。しかし。
誰がこんな悪趣味で非効率的な作戦を考えたのか。それこそ、六四式戦闘爆撃機が搭載できる限りの爆弾を投下すれば、一瞬でこの作戦は完了するではないか。しかも、四機一フライトで十分な規模だろう。私たちがブリーフィングで見せられた衛星画像に映し出されていた保養施設には、およそまともな地対空兵装もなく、装甲車両の影もなかったからだ。ただの保養施設だ。
「パイロットだけ、狙うのか」
「お前、話聞いてなかったのか。俺たちの任務(ミッション)は、同盟空軍の保養施設を急襲し、敵パイロットを戦闘不能にさせることだ」
「パイロットの家族がいたらどうする」
「関係ない」
「なぜ」
「お前、近接航空支援を要請したとして、『癇癪娘』がパイロットとその家族を選別して攻撃するか? さすがの『癇癪娘』の映像認識でも、パイロット一人一人の家族の顔まで確認して選別、破壊するわけにはいかないぜ」
「それはそうだけど」
「蓮見……、帰るか?」
桐生が歩きながら低く言う。
「そんなわけない」
「わかってる。……ごめん。今の話は気にしないで」
「本音だろう?」
南波が静かに言った。
「何が?」
蓮見の問い返しには少女のような無垢な響きさえあった。きっと彼女はやはり<PG>だ。
「優しさってやつかな」
「違うよ。きっと」
「そうか? 優しさは大切だぜ……だが、過剰な優しさは、自分を滅ぼす。お前は優秀だ。ここまで生き残ってきてるんだからな。その歳で」
「『センターライト降下作戦』では、仲間が何人も死んだ」
「生き残ったことが大事なんだ。お前はやるべきことはちゃんとやれる。だが、あとで悩むんだろう。しっかり投薬とカウンセリングを受けてきたか?」
「帰ったらするよ」
「敵の弾に殺られる前に、自分で自分の頭をぶち抜いたりするなよ」
「バカ言わないで」
「本気で言ってる。お前はそう言うタイプだ。さっきの話は暇つぶしだとしても、真に迫っていた。それでもお前はパイロット保養施設に着いたら引き金を引くだろうさ。入地准尉のように、躊躇もなくね」
「なぜ私を引き合いに出す?」
突然私の名を出されて、私は気分を害した風に返してみた。
「あんたがこういうナイーブな相談してきたことはないからな。あんたは悩んだりしないのさ」
「心外な」
「はずれてるか?」
間違ってはいない。おそらく悩むべきポイントが私は蓮見と違うだけだ。
一人だけ殺すのか。
全員殺していいのか。
祖父の横顔を思い出す。まだ答えの出ていない疑問。
皆殺しの優しさ。
私は勝手にそう名付けた。
丹野美春(たんのみはる)に訊いたことがある。
(たとえばキミが暗殺者だとして、よき夫でありよき父であり、しかし圧政で民を虐げる指導者を目の前にして、彼をかばう彼の妻や、子どもたちや、彼の両親その他の前で、躊躇なくその指導者を殺せるか? 独裁者にも子どもや孫がいるかもしれない。その子たちの前で「よき父、よき祖父、よき夫」を殺せるか? 殺したあと、彼の死を嘆き悲しむ親族たちを見て、何の感情もなく立ち去れるか?)
五五派遣隊の入隊試験の対面考査で手を変え品を変え繰り出されてきた心理テストのようだ。ようするに今回蓮見が口にした問題と近い性質のものだ。
学生のころに私と問答した丹野美春は、そもそもその指導者を撃てないと言った。
問答が成立せず、私は自分の考えを言う機会も失った。担当の南沢教授にはセンシティヴ過ぎるこの問答をぶつけることもできなかった。ちょうど私が陸軍に入隊を希望する書類を揃えはじめていたころだったから、私が四年で築いた優秀な学生のイメージを、教授の前で粉々に打ち砕くわけにも行かなかったのだ。都野崎での四年間、私は私のイメージを自分の思い通りに捏造することに成功していたからだ。銃になど触れたこともなく、小説や音楽に親しむ少女の姿を。
「蓮見、」
私は、蓮見に訊いてみようと思った。
「お前が暗殺者だとして、」
「いや、もう俺たちは暗殺者だから」
前を向いたまま南波が言った。
「南波、あんたは黙ってて。……蓮見、もし、お前が暗殺者だとして、目標に選ばれたのが、よき夫でありよき父であり、しかし圧政で民を虐げる指導者を、彼の妻や子どもや両親たち家族の前で殺せるか? 殺したあと、躊躇なく、顔色変えずに立ち去ることができるか? 悲嘆に暮れる家族を背にして?」
「なにそれ」
「質問だ」
「……本当の話か?」
「何?」
「入地准尉の、実体験?」
「残念ながら、私はまだ敵の指導者を狙うような任務に就いたことはないよ」
「真に迫ってるから」
「ただの暇つぶしだ」
「私はできるよ」
「だろうな。殺すだろうな、お前なら」
「任務だから」
「それは禁句だったんじゃなかったかな、」
「蓮見、私は分かる。お前はきっと任務に当たる前、電話帳みたいな資料を、夜も徹して読み込むんだ。あるいは携帯電子端末(ターミナルパッド)にありったけの情報をぶち込んで、それをベッドの中ででも読みこむ」
圧政で虐げられた民草の姿。本来全うすべき寿命を、容易く断ち切られるささやかな家族の姿。餓えと貧困に、大切な娘を息子を売り飛ばす親の表情を。それらすべてに感情移入し、憎しみと怒りを体内に充満させ、そのあふれ出した憤怒で引き金を引けるようになるまで、おそらく蓮見は資料を読み込み、映像講習を嫌というほど受け、そして、合間に駐屯地の食堂でしっかりとカロリーを管理された食事をしながら、道端の雑草をかじる対象国の国民の哀れな姿を想像し、さらなる怒りを増幅させるのだ。私はこんな食事ができているのに。この子たちはゴミあさりをして残飯を舐めさせられているんだ。それを強いているのは、圧政をよしとする憎き敵国の指導者なんだ、と。そうして、敵の指導者に何の慈悲も感じることもなく、そのよき夫でありよき父であり、彼の両親の思い出にあるかわいらしい息子の現在の姿……独裁指導者を殺すのだ。カウンセリングの必要もないほどの憎しみと怒りで身体を震わせて。
「そうして撃つ。何の躊躇もなく。そして帰ってくるんだ」
「入地准尉、」
「なんだ、蓮見」
「姉さんも、撃てるよね……?」
「当り前だ」
「きっと、間違いなく、私も撃つと思う。そして、姉さんが言うように、帰ってくると思う」
「お前だけじゃない。南波少尉も、桐生もそうだ」
「うん。……でも、もし私が撃てなくなっても、姉さんは私の代わりに引き金を引いてくれると思う」
私は振り返る。蓮見の目はCIDSに覆われていて見えない。私はいま、蓮見の表情を見たいと思った。どんな目で私を見ているのか知りたいと思った。
私は、躊躇なく引き金を引けるのか。
引ける。いままでもそうしてきたからだ。私自身が生き続けるために。シンプルだ。森の中で鹿を撃つより、そこに意味を見出す必要がない。
「……蓮見、だから、今回の仕事も、疑問を感じちゃいけないのさ」
「けど姉さん、」
「なんだ」
「独裁者なら、……私は確かに撃てると思う。いや、撃たなきゃって素直に思えるよ」
「パイロットは撃てないか」
「いや、……撃つよ」
「何が問題だ」
「……動機の問題なんだろうさ」
南波が言う。
「いいか、蓮見。独裁者もパイロットも変わらない。友軍(フレンドリー)を容赦なく殺すという点では同じだ。パイロットの方がたちが悪いかもしれん。敵の指導者は直接味方に引き金を引かないからな。けど、敵軍のパイロットは違う。爆弾を雨あられ、俺たちの国に落とすかもしれん。お前の家族も友達も皆殺しにするかもしれん。……パイロットだから、指導者だから、そんなのは差別だぜ。敵は敵だ。等しく敵だ。俺たちの目標は全員敵だ」
私に立ち向かう敵全員を私は撃つ。
皆殺しにする。
敵が私に、私たちに向けてくる感情もろとも、消し去るために。彼ら、彼女たちのためにも。親族や友人を失った悲しみを断ち切ってあげるためにも。
ただし。ここには、私を制してくれるあの祖父の横顔はないのだ。
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