[3] 凍ったヴォルガ

 11月9日、スターリングラードを本格的な冬空が覆う。気温はマイナス18度まで下がり、ロシアでは最後に凍るヴォルガ河は船を通さなくなった。従軍記者のグロスマンはこのように書き記している。

「流氷は互いにぶつかり合い、砕ける。軋むようなその音は岸からかなり離れていても聞こえる」

 チュイコフの気持ちは暗澹としていていた。最も恐れていた「二正面戦争」の時期に突入したからだった。ヴォルガ河は凍り、物資や増援の輸送はますます厳しくなってくる。ドイツ軍の砲兵部隊は容赦しなかった。再び彼らはヴォルガ河の渡河点に対し、集中的に砲撃した。

 11月11日、ドイツ軍の最後の総攻撃が始まった。5個歩兵師団(第71・第79・第295・第305・第389)から新しく編成された戦闘集団は、工兵とともに残る抵抗拠点を攻撃した。第8航空軍団(フィヒビ中将)の爆撃隊も攻撃を援護したが、工場の煙突を破壊したに過ぎず、塹壕や地下室に潜むソ連兵に何の損害も与えることが出来なかった。

 この攻撃におけるドイツ軍の目標は、「赤い十月」金属加工工場の南にあるラズール化学工場と、「テニスラケット」を呼ばれる鉄道待避線であった。第305歩兵師団と工兵は主要な拠点を占拠しながら進撃したが、第284狙撃師団との激しい戦闘に巻き込まれ、拠点は全て奪回された。その北では第138狙撃師団が「赤いバリケード」工場を必死に防衛していた。

 その夜、第95狙撃師団はドイツ軍の撤退を妨害するために、「赤いバリケード」工場の南東から攻勢に出た。ドイツ軍はひどい損害を出していたにも拘らず、凄まじい砲撃をソ連軍に加えて、その攻撃を頓挫させた。

 11月12日、ドイツ軍はさらなる部隊を攻撃に繰り出し、ソ連軍守備隊の間に楔を打ち込もうとしていた。このとき、第62軍の兵站はさらに絶望的な状況に陥った。流氷がヴォルガ河を下ってきたからである。

 11月14日、蒸気船「スパルターコヴェッツ」号は「赤い十月」工場のすぐ後ろの西岸に兵士400名と補給物資40トンを運んだ。帰りは銃火をくぐり抜けて350名の負傷兵を搬送した。しかし、ほとんどの船舶は流氷で身動きが取れなくなると、容易にドイツ軍の標的となった。

第4航空艦隊司令官リヒトホーフェン上級大将はこのように記した。

「ヴォルガが凍結し、スターリングラードのソ連軍が深刻な物資不足に見舞われるまでに厄介な作業を終えなければ、勝ち目はない。しかも日は次第に短くなっており、天候も悪くなる一方だ」

 チュイコフが「二正面戦争」に苦しめられている一方、パウルスは「スターリンの名を冠した都市を占領する」という象徴性に取り憑かれたヒトラーからの重圧に喘いでいた。軍医からは神経衰弱になると言われていた。

 第6軍の参謀将校たちは、来たるべき勝利を案じていた。単純に計算しても、こんなに死傷者を出していればそう長く持ちこたえられるはずがない。ほとんどの歩兵中隊の人員は50名を割り、隊を統合しなければならなかった。

 11月16日、ヒトラーは次のような新たな指令を発表して、パウルスにさらなる追い討ちをかけた。

「スターリングラードでの戦闘の困難さと戦力の低下は理解しているが、ヴォルガ河の凍結でソ連軍も苦しんでいるはずだ。我が軍がこの機に乗じて攻撃すれば、後に多量の血を節約できるだろう。第6軍はかつて示したような勢いを取り戻し、すみやかにスターリングラード全域を完全に占領することを望む」

 11月17日、パウルスは市内に展開する第6軍の指揮官を集めて、ヒトラーの電文を彼らの前で読み上げた。配下の指揮官たちは「操縦手をも歩兵として召集せよ」という命令に、ヒトラーの気違いじみたものを感じ取った。しかし、ヒトラーの狂ったような人命消費に誰も反対することができなかった。結局、彼らは予備の操縦手、通信兵、衛生兵、炊事兵までも歩兵として招集した。

 11月18日、予備兵で増強された第305歩兵師団と4個工兵大隊(第50・第162・第294・第336)が、ソ連軍の最後の防御地点を占領しようと攻勢に出た。兵士たちには自分たちの周りでとてつもない計画が進行していることを考える時間も与えられなかった。

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