[2] 命運

 10月17日、チュイコフはまたしても司令部を移動させた。第6軍がトラクター工場から南に「赤いバリケード」工場の防衛線に向かって進撃してきたからである。結局、司令部を「ママイの丘」と同じ高さの北渡船場に近い河の土堤の陰に移動させた。

 10月18日、「ママイの丘」から第100猟兵師団は「赤い十月」金属加工工場への進撃を続けていた。昼前までには第193狙撃師団の北翼を突破し、隣接する第308狙撃師団を包囲しようとしていた。チュイコフはグルチエフに対し、後退するよう命じた。

 10月19日、ドン正面軍と第64軍によって牽制攻撃が開始された。第62軍は牽制によって出来たわずかな休息を用いて、崩壊寸前の部隊を東岸に移送させ、増援を加えて再び戦闘態勢を整えた。

 10月22日、パウルスは工場攻撃の支援に第79歩兵師団(シュヴェーリン中将)を送った。同師団は夕方に「赤いバリケード」工場のソ連軍陣地を突破した。第6軍は「赤い十月」工場の北西の一角に到達し、翌23日の夕方までに「赤いバリケード」工場の3分の2を占領した。

 10月25日、第94歩兵師団はスパルタノフカにいる守備隊に対する攻撃を再開した。住宅地区は第6軍に占領され、守備隊は河岸まで後退した。この後、ソ連海軍のヴォルガ艦隊が応援に到着した。強力な艦隊砲撃によって第6軍は押し返された。

 10月27日、「赤い十月」工場に突入していた第79歩兵師団が第39親衛狙撃師団の司令部に迫ろうとしていた。チュイコフは急いで軍司令部衛兵隊の1個中隊を派遣して、この急場を救った。しかし、応援部隊は第62軍司令部に戻れなくなり、そのままジョルデフの指揮下に入った。

「赤いバリケード」工場と「赤い十月」工場の周辺では、壮絶な消耗戦が続いた。第6軍のある将校によると、第305歩兵師団の大隊司令部では「敵がすぐ迫っていたので、電話の向こうで『ウラー!』と叫ぶロシア兵の声が連隊長に聞こえた」という。

 最も多く死傷者を出したのは経験豊かな将校と下士官だった。独ソ両軍どちらも緒戦から残っている兵士は少数しかいなかった。ソ連軍の古参兵は次のように書いている。

「あれは、我々が8月に戦った連中とは違うドイツ兵だ。我々の方も違っていた」

 第6軍の機関銃部隊がこの間に「赤いバリケード」工場と「赤い十月」工場の間を通り抜けて、ヴォルガ河から400メートルもない地点に進出していた。

 チュイコフは第62軍に残された最後の渡船場を確保するため、第45狙撃師団(ソコロフ大佐)を増援に呼び寄せた。第45狙撃師団の先鋒は西岸に到着した途端、機関銃の容赦ない銃撃に遭って攻撃を阻まれたが、同月30日まで戦闘を続けた。最後には、第6軍も大きな損害を被って撤退した。

 この時点で、第62軍の各部隊はもはや中隊、小隊規模でしか存在していなかった。これらの部隊は「ママイの丘」、工場の建物のいくつかに立てこもり、ヴォルガ河の河岸にしがみ付いていた。その長さは数キロに及ぶが、幅は数百メートルしかなかった。

 第6軍の攻勢は11月初旬には、部隊の疲労と弾薬不足のために先細りになっていた。11月7日の「十月革命記念日」はソ連軍の総攻撃があるのではないかという憶測が飛び交ったが、大した戦闘は起きなかった。

 11月8日、ヒトラーはミュンヘンの地下ビアホールで長広舌をふるった。その内容は自身の傲慢さを露骨に示すものだった。

「私はヴォルガ河に達したかった。正確に言えば、特定の都市の特定の場所に達したいと望んだ。たまたまその都市はスターリンの名を冠している。しかし、それだけの理由でかの地に進軍したのではない。それが非常に重要な位置にあるから進撃した・・・これを攻略したかった。諸君に分かるように、我々は満足している。我々はそれを手に入れたも同然である。残っているのは、ほんのわずかに過ぎない。『なぜもっと迅速に戦いの歩を進めないのか?』と言う者がいる。そのために第二のウェルダンとなっては困る。むしろ小規模な襲撃隊でこの仕事をするのが好ましい。時は今や重要ではない。これ以上、1隻の船もうヴォルガ河をのぼらないだろう。それが決定的な問題である!」

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