第25章:鼠たちの戦争

[1] 使命

 9月11日、ツァリーツァ峡谷に置かれた南東部正面軍司令部は、ドイツ軍の猛烈な砲火にさらされていた。爆撃によって地上の通信線が絶え間なく切断されるので、エレメンコとフルシチョフはヴォルガ河東岸に司令部を移す許可をスターリンから取り付けるしかなかった。

 これで市街地に残った軍司令部は、第62軍だけとなった。第4装甲軍の第29自動車化歩兵師団がスターリングラードの南端でヴォルガ河に到達したため、第57軍と第64軍とはすでに切り離されていた。

 9月12日、第64軍副司令官チュイコフ中将は、ヴォルガ河東岸のヤムイに置かれた南東部正面軍の新しい司令部に呼び出された。一昼夜かかってようやく司令部にたどり着いたチュイコフに、エレメンコとフルシチョフは戦況を説明する。チュイコフはスターリングラードの防衛を担う第62軍司令官に推薦されていた。前任のロパティンは撤退戦で心身ともに憔悴しきってしまい、戦局に対して悲観的になっていた。

「同志チュイコフ。君はこの任務をどう思うかね?」フルシチョフが言った。

「スターリングラードを守り抜くか、それで死ぬかでしょうね」

 エレメンコとフルシチョフはチュイコフをじっと見つめ、「その通りだ」と言った。

 この日の夕刻、チュイコフは2両のT34とともに、東岸の港クラスナヤ・スロボダからフェリーに乗り、ツァリーツァ峡谷のすぐ上の中央桟橋に向かった。船が西岸に近づくと、大勢の避難民が砲弾で抉られた地面の漏斗孔から音もなく現れ、船に乗り込もうとした。

 さんざん道を迷った末、チュイコフはようやく「ママイの丘」に置かれた第62軍司令部に入った。この街のNKVDが全ての桟橋と突堤を統制しているのを確認すると、チュイコフは少しでも退却を考えているような指揮官たちに対する「強権」を発動した。階級の如何を問わず、脱走者は即決で処刑するよう、第10NKVD師団長サラエフ大佐に命じたのである。

 この時点で、第62軍の兵力は6万人前後。書類上は2個軍団(第2・第23)とされていたが、実質的には連隊程度の戦力しか持っておらず、全ての部隊をチュイコフが一元的に指揮することになった。稼動可能な戦車は60両足らず。多くは動かない砲台として使える程度だったが、700門余りの火砲があった。

 チュイコフは持論を押し通して、砲兵隊をヴォルガ河東岸に配置させた。この措置は単に火砲を部隊と一緒に配置できるスペースが西岸になかったからである。その上、河を渡って十分な数の砲弾を運ぶのはますます困難になることが考えられた。また、チュイコフの狙いはドイツ軍の前線に砲弾を降らせるのではなく、その後方地域を叩いて攻撃の準備を進めている応援部隊を撃破することであった。この方策により、西岸に残っている火砲はトラックに搭載されたカチューシャ・ロケット砲だけとなった。

 また、市内の労働者はすべて第10NKVD師団の民兵連隊に編入されていたが、時間的な制約から十分な軍事訓練を受けておらず、実戦における戦闘能力は正規軍の兵士よりも格段に劣っていた。即席の防御陣もバリケードに毛が生えたようなもので、チュイコフは自分の使命を全うできるか不安に陥った。

 9月12日、チュイコフが第62軍司令官に着任した時を同じくして、第6軍司令官パウルス大将はウクライナのヴィンニッツァに構える総統大本営「人狼ヴェアヴォルフ」にて、ヒトラーとの作戦会議に臨んでいた。

 もはやスターリングラードの陥落にしか興味がなかったヒトラーは、市の占領にどのくらいの日数がいるかと質問した。パウルスは「戦闘に10日、その後の部隊の再編に2週間ほど」と答えた。したがって、約1か月足らずでスターリングラードがドイツ軍の手中に納まる計算であった。攻略部隊として10個師団、後方支援部隊を含めて約12万人の兵力を展開している第6軍にとって、パウルスの言葉は誇張ではなかった。

 しかし、パウルスは自軍の前に立ちふさがる最悪の障害を見抜くことは出来なかった。ドイツ空軍による大規模な空襲によって、スターリングラードはソ連軍がドイツ軍に牙を向く恰好の殺戮場に変貌していたのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます