[4] ドイツ軍最後の目標

 スターリングラードが政府の公式発表で初めて軍事目標としてドイツ国民に発表されたのは、8月20日のことだった。それから2週間後、ヒトラーは何としてもスターリングラードを占領しようと決意する。この決意には、A軍集団(リスト元帥)によるカフカス侵攻の失敗が大きく関わっていた。

 8月25日、A軍集団の先鋒を担う第1装甲軍はロストフとバクーを結ぶ鉄道が通るモズドクを占領し、グロズヌイの油田地帯まで75キロの地点にまで迫った。

 だが、カフカス山脈を水源に、オルジョニキーゼからモズドクを経てカスピ海に流れ込むテレク河の手前で、北カフカス正面軍がドイツ軍の進撃を食い止めるべく、反撃に乗り出してきた。反撃に乗り出してきた。第9軍(パルホメンコ少将)と第37軍(コズロフ少将)の反撃は当初は規模が小さく、A軍集団が被った被害は軽微だった。

 8月28日、第58軍(ホメンコ少将)がテレク河の防衛線に投入され、局地的な反撃に転じた。A軍集団は9月4日以降、テレク河の渡河攻撃を繰り返し実施し、同月12日にはテレク河の南岸に奥行き45キロほどの橋頭保を確保した。しかし、北カフカス正面軍の抵抗も日に日に強まり、戦況は一進一退の様相を呈し始めていた。モズドクから最終目的地のバクーまでは、まだ580キロの距離があったが、冬の到来までにA軍集団がカフカス山脈を越えられる見通しは事実上、皆無だった。

 カフカス侵攻の失敗に対するヒトラーの怒りは頂点に達した。第17軍の第49山岳軍団がエリブルス山の登頂に成功したという報せを受けたヒトラーは作戦会議の席上で、罵声を吐きちらした。

「私はカフカスを越えて黒海岸のスフーミに出ろと命令した。バカげた山登りの趣味を満足させろと命令した覚えはない・・・!」

 9月7日、ヒトラーはA軍集団司令官リスト元帥に「総統指令を遵守」させるため、国防軍総司令部統帥局長ヨードル大将をA軍集団司令部に派遣した。リストから事情を聞いたヨードルは報告書に「リストは総統指令に違反したことは一度もなく、元帥の進言は妥当」とする見解を記した。

 この日の夕食の席で、A軍集団司令部から帰ってきたヨードルが「リストはあくまでも総統の命令に従ったまでです」と述べると、ヒトラーは荒々しく席を立ち上がり、「嘘を付くな!」と一喝して部屋を出て行った。

 ポーランド、スカンジナヴィア、フランスで相次いで勝利を収めた後、ヒトラーはしばしば燃料や人的資源などの日常的な必須条件を軽蔑するようになっていた。まるで戦争に欠かせない物資などに束縛されないかのようだ。今回の激怒のせいで、ヒトラーはある種の心理的極限に至ったかに見えた。

 9月9日、ヒトラーは国防軍総司令部総長カイテル元帥に次のように告げた。

「リストは辞職させねばならない。ハルダーも辞めてもらおう。ヨードルも貴官も他の者に交代してもらう」

 ヒトラーの腹案としては、国防軍総司令部総長に第2航空艦隊司令官ケッセルリンク元帥、参謀総長には西部軍集団参謀長ツァイツラー中将、統帥部長には「スターリングラード市攻略後」に第6軍司令官パウルス大将をあてることにしていた。

 この日の夜、A軍集団司令官リスト元帥が辞表を提出した。カイテルは後任として第11軍司令官マンシュタイン元帥を推薦したが、ヒトラーは首を横に振って「当分は私が兼任する」として自らA軍集団司令官に就任した。

 この時点で、最終目的地であるカフカス油田地帯の制圧は不可能と分かった上でも、ヒトラーは敗北を受け入れることが出来なかった。2個軍集団の他に同盟国の兵力をも投じた「青」作戦が失敗に終わったことを印象づけないためには、スターリンの名を冠した工業都市を是が非でも占領することが不可欠だった。

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