[2] 到達

 A軍集団のカフカスにおける進撃に悦に入っていたヒトラーは、再び「青」作戦に変更を加えた。その内容は第6軍のスターリングラードの攻略を第4装甲軍が支援するというもので、「青」作戦が立案された時の方針に戻されただけだった。その上で、市の占領を8月25日までに完了させるよう厳命した。

 8月6日、第6軍がようやくカラチの近郊にたどり着いた。第6軍司令官パウルス大将は、古典的な包囲戦でカラチを攻めた。すなわち、第14装甲軍団が北翼、第24装甲軍団が南翼から大きく挟み込むようにしたのである。

 8月8日、第6軍の装甲部隊はカラチの大鉄橋で合流を果たした。包囲の危機に瀕した第62軍の退却を援護するため、第13戦車軍団と第22戦車軍団が第14装甲軍団と第24装甲軍団に対して反撃を仕掛けた。しかし、ドイツ軍の進撃を食い止めることは出来ず、同月16日までにドン河西岸全域を占領された。

 8月13日、天然の要害であるドン河の防衛線を破られたゴルドフはスターリングラード正面軍司令官から解任された。ゴルドフの解任に伴い、スターリングラード正面軍は南東部正面軍に統合された。

 8月19日、B軍集団司令部は第6軍に対し、スターリングラードへの総攻撃を命じた。

 作戦計画では、第14装甲軍団がヴェルチャチーのドン河橋頭堡から突破して、ヴォルガ河とドン河の間に回廊を作り上げる。装甲部隊が同市の北部地区(スパルタノフカ、ルイノク)に到達したならば、南に向かって市への侵入の準備をする。この間、後続部隊が回廊を固め、拡大する。

 続いて第4装甲軍が南から市に突入して、市の北端に達して第14装甲軍団と合流する。両軍で市の東部を封鎖すると同時に、第51軍団がカラチから東に向かって進撃し、第62軍・第64軍を分断して壊滅させる。

 8月20日、ツィムリンスカヤからスターリングラードへ向かう新たな攻勢を開始した第4装甲軍の第48装甲軍団がソ連軍の防衛線を市から南南西に70キロ離れたアブガネロヴォ付近で突破し、トゥントドヴォ高地に迫った。

 この事態に対し、南東部正面軍司令官エレメンコ大将は第1戦車軍・第4戦車軍の残存部隊を差し向け、クラスノアイメイスクからヴォルガ河屈折部までの15キロに渡る応急防衛線に配置させた。第48装甲軍団は幾度となくこの防御拠点に攻撃を仕掛けたが、時がたつにつれてひどい損害を被るようになり、第4装甲軍司令官ホト上級大将は攻撃の中止と、作戦の再検討を命じた。

 8月21日、第6軍の歩兵部隊がルチンスキー付近でドン河に橋頭堡を築き、翌22日に第14装甲軍団がドン河を渡った。ドン河とヴォルガ河に挟まれた大草原は、夏の干ばつで石のように固くなっていて、進撃は容易だった。午後に入って、戦車隊員らが上空を見上げると、何波ものユンカース89、ハインケル111爆撃機の編隊がスターリングラードに向けて出撃していった。

 8月23日、第4航空艦隊(リヒトホーフェン上級大将)の爆撃機は幾度となく飛来し、市内の全てが目標であるかのように容赦ない絨毯爆撃を繰り広げた。南西の外れにある木造住宅街は焼夷弾で焼き尽くされ、燻る灰の中にひょろ長い煙突がまるで墓標のように虚立していた。白い高層アパート群は外郭だけが残され、内部はメチャクチャに破壊され、多くの建物が倒壊・焼失した。

 ヴォルガ河畔の巨大な石油貯蔵施設も爆撃された。立ち上る炎が火の玉となって上空450メートルにまで達し、何日も黒煙が320キロの彼方からも見えた。燃え上がる石油はヴォルガ河を赤く染め、電話交換所も給水所も灰燼に帰した。

 この日、第4航空艦隊が投下した爆弾は1000トンに達した。NKVDが船舶のほとんどを徴発していたため、避難できなかった約4万人の市民が命を落とした。市街地が東部戦線で最も集中的に行われた爆撃を受けている間にも、ドイツ軍はじわじわと迫っていた。

 第14装甲軍団の先鋒を務める第16装甲師団はこの日の午後4時過ぎ、ついにスターリングラードの北に位置するルイノクに到達した。ドイツ軍の将兵たちには信じられなかった。ある中隊長はこのように書いている。

「ドン河を朝早く出発して、ヴォルガ河まで来たのだ」

 スターリングラードのソ連軍は窮地に立たされた。エレメンコは兵力のほとんどを南西から急進している第4装甲軍に差し向けており、何より第6軍がこれほど早く北翼を突破するとは考えていなかった。

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