第24章:ヴォルガ河へ

[1] 宿命の都市

 スターリンの新しい命令は自身の名を冠したヴォルガ河に沿って帯状に狭く伸びた一大工業都市スターリングラードにおいて、すぐに適応された。1918年5月、この街がまだツァリーツィンと呼ばれていた頃に起こった市街戦で、スターリンが戦局の流れを一変させて革命を救ったという神話が引き合いに出された。

 この時のスターリングラードの人口は約60万人。五カ年計画の一環で、ソ連の産業モデル都市に選ばれたこの街は重要な工業地帯として整備されていた。3つの巨大なコンビナートである「赤い十月」製鉄工場、「ジェルジンスキー」トラクター工場、「赤いバリケード」工場の周囲に白い近代的なアパート群が立ち並んでいた。戦争の進展に伴い、「赤い十月」工場は各種の銃火器、その北に隣接する「赤いバリケード」工場は火砲、最北端に位置する「ジェルジンスキー」トラクター工場はT34の製造に力を入れていた。

 市内には低い丘がたくさんあった。14世紀ごろタタール王のために築かれた墳墓である「ママイの丘」は標高が102メートルもあり、市街地の中心部を見下ろしていた。この地域の軍事委員会はあらゆる手段を講じて、この都市を要塞に変えようと務めた。しかし全てのべての補給物資や増援部隊はヴォルガ河を渡らなければならないため、この作業は困難を極めた。

 市内の全域で住民が動員された。16歳から55歳までの男女約20万人が共産党委員会によって組織された「労働者隊」に編入された。1年前のモスクワ防衛戦と同じく、女性と年長の子どもには柄の長いシャベルとバケツが渡され、地面を約2メートルも掘って対戦車壕を作るよう命じられた。その間、軍の工兵たちが壕の周りに地雷を敷設した。年少の学生たちはヴォルガ河畔に置かれた石油所蔵タンクの周囲に土壁を作る作業に携わった。

 対空防衛施設の整備も大急ぎで進められた。砲兵隊は主に「共産主義青年同盟」に所属する若い女性たちで、すでに四月から招集されていた。高射砲に込める砲弾はまだ届いていなかったが、彼女たちは発電施設や工場を守るために、ヴォルガ河の両岸に配置された。工場の武器製造ラインに務める労働者たちも、基礎的な軍事訓練を受けた。

 市の防衛委員会は次から次へと命令を発した。集団農場は軍に備蓄していた穀物を差し出すよう命じられ、愛国的義務を果たさない人々を裁くための裁判機関も設置された。

 8月4日、南東部正面軍司令官エレメンコ大将はスターリングラード北西のはずれにある小さな飛行場から降り立った。軍事評議員のフルシチョフが車で出迎え、2人は市内のツァリーツァ峡谷に置かれた司令部に向かった。エレメンコは敵方に関する情報を持っていないことが恨めしかった。

 一番の危機は、西からドン河を渡ってくる第6軍と南西から攻めてくる第4装甲軍が同時に攻撃をしかけてくることであった。エレメンコはすぐに、ヴォルガ河の下流全域が危険であることを見抜いた。

 ヴォルガ河下流の要衝であるアストラハンはドイツ軍の空襲を受けて混乱していた。カスピ海に面した石油精錬所は1週間に渡って燃え続け、まだ黒煙を吐き出している。港という港は難民が溢れ、埠頭には東方へ疎開せざるを得ない工業機械が山と積まれていた。砂漠地帯は別として、脱出するにはカスピ海を渡るしかなかった。

 半ば不毛のカルムイク大草原にいる第4装甲軍に対抗できる軍隊はほとんど手に入らなかった。北部のロシア人はその草原を「世界の果て」と思った。兵士が手に入らないため、軍当局は海軍に眼を向けた。ドイツ軍による最初の突進で、モスクワから南部に通じる鉄道が遮断されたため、水兵を含む戦略予備の大集団が南部へ行くには、時間をかけて中央アジアから列車で迂回せざるを得なくなった。

 カルムイク大草原に到着した海軍歩兵分遣隊のある指揮官はこのように記している。

「あれはロシアではなくアジアだ。なぜあんな土地で戦うのか理解できなかった。だが、そこを守り抜くか死ぬかどちらかだと、誰もが知っていた」

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