[3] 「青(ブラウ)」作戦

 ドイツ軍では「バルバロッサ」作戦の発動時から、後続の作戦として黒海東岸からカフカス山脈までの進撃を構想していた。本来、この後続作戦は1941年秋に開始されることになっており、イギリス軍が支配するスエズ運河とイラン・イラクの油田地帯を最終目標とするヒトラーの壮大な計画の第一歩になるはずだった。

 ミンスク=ビアリストク包囲戦の勝利に沸き立つ1941年7月3日、陸軍参謀総長ハルダー上級大将はこの日の日記に次のように書き記していた。

「東方(ソ連)での作戦が、敵の壊滅と経済の混乱という事態に至ったなら、我々は速やかにイギリスとの戦争で新たな段階に入る準備をしなければならない。すなわち、キレナイカ(リビア東部)とアナトリア(トルコ南部)を発起点とする、ナイル河およびユーフラテス河(イラク)への陸上への攻勢である。さらに、カフカスからイランへの攻勢も考えられる」

 しかし、1941年11月にはヒトラーも現状を鑑み、壮大な作戦の構想をいくらか譲歩せざるを得なくなった。彼はハルダーに対し、1942年度の春季・夏季攻勢はソ連領内の限定した作戦にせよと命令し、イランとトルコへの攻撃は断念した。だが、この限定的な作戦でさえ、カフカスの油田地域の制圧を目標としており、ドイツ軍の最も張り出した前線から800キロ以上も困難な地形を越えて進撃することを要求していた。

 1942年3月28日、陸軍参謀総長ハルダー上級大将はヒトラーに上奏する新たな対ソ戦略計画案を抱えて、東プロイセンのラステンブルクに構える総統大本営「狼の巣ヴォルフスシャンツェ」へ向かった。

 会議にはヒトラーの他、国防軍総司令部総長カイテル元帥をはじめとする出席者がいる中で、ハルダーは後に「ブラウ」作戦と命名される1942年度夏季攻勢の計画案を説明した。陸軍参謀本部案としての「青」作戦は次の通りだった。

 まず南方軍集団を構成する5個軍のうち左翼の第4装甲軍(ホト上級大将)と第2軍(ヴァイクス上級大将)がヴォロネジ周辺からドン河を経て南東に進撃する。右翼の第1装甲軍(クライスト上級大将)と第17軍(ルオフ上級大将)も同様にロストフからドン河を経て北東に進撃し、スターリングラード付近のドン河とヴォルガ河の狭い回廊で第4装甲軍と中央部を進撃する第6軍(パウルス大将)と合流して包囲網を閉じる。この包囲が「青」作戦の「第1段階」となり、ドン河からカフカス山脈に至る広大な領土は赤軍のいない無人の広野となる。

 そしてクリミア半島からセヴァストポリ要塞の占領を完了させた第11軍(マンシュタイン大将)が第1装甲軍と第17軍に合流して「青」作戦の「第2段階」であるカフカス地方に対する全面的な攻勢を開始し、ヨーロッパ最大の油田地帯を占領する。第6軍と第4装甲軍はドン河に沿って東方へ進撃し、ヴォルガ河畔の工業都市スターリングラードを占領する。

 この作戦の最重要目標とされたカフカス地方にはバクーをはじめグロズヌイやマイコプなど、ソ連の軍需産業を支える石油産出地が集中していた。第二次世界大戦が勃発した翌年の1940年、ソ連はバクーを中心に年間2億1300万バレルの石油を産出していたが、これはドイツが主要な石油供給源として依存していたルーマニアのプロエシュチ油田の年間産出量4300万バレルの約5倍に当たる数字だった。

 ドイツ軍がこの地方を占領すれば、自国の軍需産業が必要とする石油の一部を確保できると同時に、ソ連の軍需経済に対して致命的な打撃を与えることができると考えられた。また、カフカスの石油はそのほとんどがヴォルガ河を航行する輸送船によって運ばれていた。このヴォルガ河の輸送路を締め上げることのできる要衝こそ、赤い独裁者の名を冠した一大工業都市スターリングラードだったのである。さらに、カフカス地方を通過して送られてくる連合国のソ連に対する援助を全て封じることが可能だと思われた。

 ハルダーの説明を聞き終えたヒトラーはその内容に満足し、ただちに正式な命令文書の作成に取りかかるよう、国防軍統帥部長ヨードル大将に命じた。

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